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いばらの冠






「アンディ」

 出かけて帰ってきたアンディを一目見るなり、ウォルターは目を据わらせて、自分のすぐ前の床を指差して低めた声で言った。

「ここに座りなさい」

 アンディも目を半眼にしてウォルターをにらみつけてぼそっと言う。

「やだ」

 反抗的な態度だ。

 即座に返ってきた『嫌』に、ウォルターは目をつり上げ、怒りにぷるぷると身を震わせ、拳を固く握りしめた。

 そして怒気をこめて鋭く吐く。

「話がある!」

「ボクにはないよ」

 同じくらい鋭くアンディが返す。

 腕の猫をかばうように体を横向きにして。

 それは、絶対に何を言われても離すもんか、という決意の表れのように見える。

「……」

「……」

 双方、黙ってのにらみ合いが続く。

 そばにいてふたりを見ていたシルヴィオが無言でカチャリと眼鏡の位置を直した。

 壁にもたれて眺めていたジョゼフが『あー……』と口を開く。

「ウォルター、ちょっと、アンディの話を聞いてやっても……」

 言いにくそうにおずおずと声をかけたジョゼフに、キッとウォルターが振り向き、冷たい目を投げ、激しい口調で厳しく言う。

 ビシィッ! とアンディと猫を指差して。

「俺は『話がある』と言った! コイツは『ない』って言った!! 叱るのはどっちだ!?」

 怒りを向けられ、ジョゼフがしょんぼりとする。

「……いや、俺は、叱るとかじゃなしにだな……」

 肩を落として、あいまいに力なく笑んで、ウォルターを窺い見ながらおそるおそる言う。

「……その、アンディにも事情ってもんがあるんだし、そう怒ってたら説明しにくいっていうか、頭ごなしに叱るもんでもないと思うぞ」

 味方を得て安堵したアンディのかたくなな態度が少し崩れる。

 隠すようにしていた猫をきちんとみんなのほうに向け、一番の難関であるウォルターを見上げ、用心しながら言った。

「……ごめん、ウォルター。でも、これにはちゃんと理由(わけ)があって……」

「いけません!!」

「!」

 怒鳴られてビクッとアンディが首を縮める。

 ぎゅっと目を閉じて。

 きゅっと猫を抱きしめて。

 金色のおかっぱ頭が揺れた。

 守るように猫を抱いて。

 ウォルターがドンと壁を拳で叩き、『はぁっ』と大きなため息を吐いた。

 壁を叩いたのは『これから叱るぞ』と決めて心を鬼にしたためだし、それでも吐いたため息は気が進まないためだ。

 ゆるゆると首を横に振るウォルターに、ゆっくりとアンディが迷子になって途方に暮れた時のような目で訊ねる。

「……ダメ?」

 ウォルターが両の手のひらで顔を覆って嘆いた。

「……怒りにくいっ……!!」

 話を聞いてしまったら実は怒れなくなることをウォルター自身がちゃんとわかっていた。

「……まぁまぁ、ウォルター」

 一部始終をただ黙って見ていたシルヴィオが、ここに来てようやく口を開く。

「ここはアンディのその『事情』とやらをまず聞いてみましょう。『事と次第によってはただじゃ済まさない』ということで」

 味方が増えたかと安心していたアンディが『え』と固まる。

「……ただじゃ済まさないの……?」

 不安げに繰り返す。

 殴られるかとビクビクして。

 でもこれはいいチャンスなので、アンディは猫を前に出して、必死な様子で弁解する。

「この猫、菫さんの猫なんだ。『ダイナ』って名前で。前に使い魔で見てたら、よく話しかけてて、それで。……ほら、ひとりぼっちじゃ不安でしょ? だから、ボク、連れてきて……」

 すべて言い終えて、場合によっては猫を抱えたまま逃げようと外に足を向けて、みんなの反応を窺う。





(つづく)


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「……」

 ウォルターが死んだ魚の目で黙り込んだ。

「ダイナ、か。『不思議の国のアリス』だな。アリスの飼ってた猫の名前だ」

 事情を知っていたジョゼフは一早く声を出して、何故かとても嬉しそうに言った。

「……ふぅ」

 ジョゼフの反応に大丈夫かと期待を持って顔を緩めたアンディに、シルヴィオの額を押さえてのため息が突き刺さる。

 『あうあう……』と顔を青くして震えて猫を抱きしめているアンディを見て、シルヴィオはもう一度ため息を吐いて、しぶしぶといった風に言った。

「……そういう事なら仕方がありませんね。じゅうぶんに納得のできる理由です。いいでしょう。許可します。ウォルター、あきらめなさい」

 言われたウォルターがショックに青ざめる。

「……なんでっ!?」

 『あわあわ』と慌てふためいてアンディと猫に指を突き付けてわめく。

「ダメだろ、こんな簡単に連れてきちゃ!! 動物だって生きてんだぞ!! 命なんだぞ!! 死んだらどうすんだ!! ちゃんと面倒みなきゃいけないんだぞ!!」

 その勢いにびっくりしてアンディは目を丸くしている。

 シルヴィオは平然として返した。

「わかってますよ。それはアンディがみるということでいいでしょう。直に菫さんが目を覚ましたら彼女もいることですし。アンディ、責任を持って面倒をみるように」

「……」

 無言ながら、キリッとした顔で、アンディがこくんと深くうなずく。

 そこには確かに決意があった。

 そして、アンディはそう決めた以上、必ず頑固に守るということは確かだった。

 『さてもう話は済んだ』とばかりに去ろうとしたシルヴィオと、『結局うまくいってくれてよかったな』と言いたげなジョゼフに向けてウォルターは訴える。

「こんな簡単に許しちゃダメだって!! ってか、シルヴィオ、おまえアンディに甘すぎる!! なんの考えもなく連れてきちまう時点で生き物を飼うには失格だ!!」

 『やれやれ』といった風で足を止めて、くるりと振り向いたシルヴィオが、ウォルターに問う。

「『なんの考えもなく』とは言えないと思いますが?」

 ギリッとシルヴィオをにらみつけてウォルターは険しく言う。

「そりゃ、菫さんのためにはいいだろうけど、猫のこと何も考えてねぇよ。こんなキャリーにも入れずに連れてきて、飯もトイレもなくて、ストレス溜まる新しい環境に置いて!! 何が『面倒をみる』だ、笑わせんな!!」

 シルヴィオがまじまじとウォルターを見て、ふむ、とひとつうなずく。

「ウォルター、あなた……実は結構な猫好きですね」

 納得したというように、感心したといったように、真面目な顔で言う。

「そこまで考えてくれる相手がいるなら猫も安心です。では、キャリーや食事やトイレなどはウォルターが買ってくるということで」

「なんでそうなんの!?」

 くるっともう背を向けて歩き出してしまっているシルヴィオの背中に向けて涙目でウォルターがわめく。

「いや、猫、好きだけどさ!! 可愛いけどさ!! そういう問題じゃねぇだろ!? おいコラ、聞け!!」

 ジョゼフがぽんとウォルターの肩に手を置き、フッ……と笑って言う。

「よっ、アンディのお母さんみたいだったぜ、ウォルター。まぁ、おまえがいりゃアンディも猫も安心だな」

 『ちゃんと面倒みるんだぞ』と言って去っていく。

 残されたアンディは猫を抱えたままウォルターのほうを向いた。

 真っ黒い猫とアンディが同時に同じ方向に首を傾げる。

「よろしく? ウォルター」

「……もうやだ、泣きたい……」

 ウォルターがしゃがみこんで頭を抱えた。




(つづく)
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