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いばらの冠






 大切な弟……。

 大好きな、大好きな、私の弟。

 あなたが助かるのなら、私は……。



 だって。





 私は『お姉ちゃん』だもの……。





(つづく)


+++++





 まるで金色のお茶を上高くから白いティーカップに降り注ぐように、頭上高くから太陽が辺り一面を白く照り輝かせるほど強い光を降り注ぎ、それがまたティーカップから湯気を立ちのぼらせるように陽炎を揺らめかせていた。

 正しい真夏の日。





「桜人!」

 私は肩にスポーツバッグをかけた青いジャージ姿の弟を見つけて声をかけた。

 自分は大学のレポートのために資料を探しに図書館に行った帰りだ。

 なんのブランドでもないただのTシャツ、白のパンツに適当なサンダル、ダサい大きな黒いバッグで。

 地元の図書館に行くだけなんだから別にそれでいい。

 対して、弟のほうも、夏休みだというのに……こっちは部活の帰りだろう、少し汚れている……地味なジャージ姿だった。

「菫!!」

 こっちを振り向いた弟は笑った。

 ニコッと、明るく、嬉しそうに。

 周りの友達と二言三言交わし、『じゃあな』と手を振って、私のほうに駆け寄ってくる。

「こら、桜人! 『姉さん』って言ってってば!!」

 わざと怖い顔をしてにらみつけて言うと、弟はきょとんとした。

「いっつも『菫』って呼んでるじゃん。なんだよ、今さら」

 弟は実の姉の私のことを名前で呼ぶ。

 生意気にも、3つも違うのに、こどもの頃からそうだ。

 私も何度注意したことか。

 歩みをゆっくりにして、私の前で止まった弟は、それから二ヒッといたずらっこのように笑って言った。

「それに、どーせ菫には名前で呼んでくれる男なんていないだろ。俺くらいじゃん? 感謝しろって。ありがたがれ」

「バカじゃないの?」

 口をとがらせて少しキツく言う。

 私の反応を予想していた弟は、もう亀のように首を引っ込めて、叱られる構えだった。

 ……だから、いたずらっこのような笑顔だったのだ。

 なんでも聞きますよ、さぁ怒ってください、といった弟の様子に、私は怒りを通り越して呆れてしまい、しょうがないな……という口振りで言った。

「もう、家の中ではいいけど、外で会った時はちゃんと『姉さん』って呼んでよ。『姉ちゃん』でも、『姉貴』でもいいけどさ。誤解されるじゃん。それに、私にだって、名前で呼んでくれる男の子だって……」

「いんの?」

 桜人の目がつり上がる。

 ぐっと眉を寄せて、ムッとしたような顔で。

 私を不機嫌ににらみつけてくる。

 弟のほうが大きい……背が高い……から、妙な迫力がある。

 口をへの字に曲げていた弟は、急にそれをやめて、今度は悲しそうな顔つきになった。

「菫、カレシできたのかよ」

 裏切られたみたいな言い方が、何故かぐさっと胸に刺さる。

 私はぷいっとそっぽを向いた。

「どーせいませんよ」

 そうそう。カレシなんていない。今日だってデートなんかじゃない。見た目でわかる通り。

 ついでに言えば、本当は下の名前で呼んでくれる男の子も……。

 桜人がホッと息を吐いた。

「……マジで。よかった」

 パッと顔を輝かせ、声も明るく、はずんだ様子で、私をからかうように言う。

「もうさーっ、おまえに先越されちゃさーっ。俺だってまだ彼女いないのに」

「こら! 『おまえ』って!! 年上を……」

 本当に生意気な弟だ。

「それに、どういう意味?」

 私はぷんぷんと怒る。

 だって、年齢からいえば、私のほうが先に恋人ができておかしくないはず。

 ……それは、地味な私より、かっこいい弟のほうがずっとモテるけど。

 そう、桜人はモテる。

 ちょっと色の薄い、天然の明るい茶色の髪……光の加減によっては赤く輝いてさえ見える……女の子から『可愛い』とさえ言われてしまう童顔に、いつもこどもみたいに目をキラキラさせていて。

 人懐こっくて、明るくて、一緒にいると楽しくて。

 成績のほうはちょっとアレだけど、スポーツ万能、運動神経抜群で、遊びだって上手(ボーリングやカラオケのことだけど)。

 ある程度なんでも器用にこなしてスマートなんだ。

 だから、いつも周りを友達に囲まれていて、いっぱい笑ってて。

 素直で、無邪気で、純粋で……。

 どこか危なっかしくて。

 目をひきつけて、そして逸らせない。

 そんな魅力がある。

 それなのに、弟にカノジョができたという話は、まだ聞いたことがない。

 本人からも、周りからも。

 姉の私から見ても、かなりカッコイイと思うんだけどな……。

 不思議に思って、ぼうっと考え事をしてしまっている間に、桜人が何か言ったようだ。

「……って、聞いてんのかよ、菫!!」

「……あっ、ごめん。なんだっけ?」

 実はまったく聞いていなかったけれど、少しは聞いていたふうを装って、傷つけないように問う。

 弟は大きなため息を吐いて肩を落とし、『やれやれ』というように苦い顔で首を横に振って、下を向いたままボソリと言った。

「菫はぼんやりしたとこあるから心配なんだ」

 顔を上げると、真っ直ぐにその澄んだ瞳で私を見た。

「俺がついててやらないと……」

 その時、私の目には、弟の向こうに。

 角を曲がった車が。

 車自体がよろけるようにして、私たちのほうに。

 大きく目を見開く。

 気付いた弟が後ろを振り向く。

 飲み込むようにして、車が、大きく迫って……。

「菫……っ!!」

 弟の腕が私にのばされて……。

 ……ガッ!!

 音がして、そして、何もわからなくなった。





(つづく)


+++++





 ……ここはどこ?

 私、どうして……?

 どうしてこんなところに?



 白い部屋。赤い色。青い色。

 眩しい……黄色。

 光の色。





 バタバタ。

 人々の足音……。

 ザワザワ。

 人の話し声……。

 ガチャガチャ。

 金属音……?



 うるさい。



 これはなんなの?

 いったいどうしたの?

 私は……。



 そこまででハッとした。



 そうだ、私……私たちは、事故に遭ったんだ。

 車がいきなり突っ込んできて……。

 同時に思い出した。



『……桜人は?』





(つづく)


+++++





 目の前に男の人が立っていた。

 桜人とはまた違う、明るい茶色の髪。

 天然パーマなのか、ゆるく波打っていて。

 やさしさとおだやかさを前面に出したような整った顔。

 こどものような無邪気な光をたたえて明るく輝く瞳。

 その目が、私をじっと、静かに見つめて。

 ……あれ? 私、どうしたんだろう。

 周りは……。





 いつのまにか、医者や看護婦の姿もなく、手術台の上に寝かされてもおらず、ぽっかりとした空間に私とその人だけが浮かんでいる。

 男の人が手をのばした。

「……カルロと言います。お嬢さん。さぁ……ついてきてください」

 男性……カルロ……が私の手を取って引いて連れていく。

 ……どこに?

 疑問を抱えながら、それゆえに、手を引かれるままついてゆく。

 すると、トンネルを抜けるようにぽっかりと、まぶしい光の中に放り出され、目の前には横たわる桜人の姿があった。

 忙しなく動く医者や看護婦、その手つき、指示を出す時の声の激しさ……。

 そんなものを見るまでもなく、桜人の……弟の……命が危ういことはわかった。



「桜人!! !桜人!!」



 すがりついて名前を呼ぶ。

 だけど目を開かない。

 周りの人にも私の姿は見えていないみたいだ。



「桜人……!!」



 真っ赤な血が、赤黒いものが、わずかに覗く白が。

 桜人は己から出た血で赤く染められていて。

 周囲もみんな真っ赤で。



 ……ああ、どうしよう。

 桜人が死んでしまう……!!

 こんなにぐちゃぐちゃで。



「お嬢さん。安心していい。あなたは助かる」

 こんな時に何を……!!

 私は振り向いてその言葉の主をキッとにらんだ。

 相変わらずおだやかに微笑んでいるカルロが告げる。

「その少年は残念ながら死んでしまうが」

「……」

 嘘。嘘だよ。でも、だって……だけど……この人の言う通り……。

 ……いけない、冷静にならなくちゃ。

 私は改めてカルロをじっと見つめた。

「……あなた、誰? 死神!?」

「そんなようなものかな」

 わずかに眉をひそめてその顔に憂いを浮かべてそう言って、カルロは桜人のほうを見た。

「……助けてほしいかい?」

「……えっ……!?」

 助かるの?

 目の前の男は、死神。そんなようなもの。もし、本当にそれならば……。

 今のこの状況にも説明がつく。

「助けられるの……!?」

 桜人が助かる。

 命を失くさずに、死なずに済む。

 これからも生きられる。



 生き返る……!!



 私はカルロに駆け寄って、すがりついた。

「助けて……!! 何がほしいの? 何かいるんでしょ!? 死神だものね。なんでも言って!! 私にできることだったらなんでもする……!! 私、なんでも言うこと聞くから、だから弟を助けてっ……!!」

 カルロを見上げて、必死に、力をこめて言う。

「どんなことでも、私、桜人の……弟のためなら……!!」

 願い、祈り、乞う。

「……話が早くて助かるね」

 カルロはそういってやさしく私の手に手を重ねて重々しく言った。

「菫さん。あなたの命を、私に委ねていただきたい。……つまり、あなたの魂を私にください。今の体を捨てて、私の……私たちのもとへ」

「……どうすればいいの……? 私、何をすればいいの? 教えて」

「このまま眠って、必ず目を覚ましてください。そこにある場所が誰のものでも、必ず自分のものにして、起きてください。すべてはそれから……」

「……わかった」

 ぎゅっと手を握る。

「約束」

 カルロが私を引き寄せる。

 唇が近付いてくる。

 キスの寸前……。

 私はカルロの向こうに金髪の少年の姿を見つけた。

 さらりとした金色のおかっぱ頭に、片方だけの黒い眼帯……。

 その男の子は後ろに突っ立ってこっちを見ている。

 それも、刺すような目で、私を見据えていて。



 ……あの男の子は、いったい誰……?





(つづく)
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