みんなのために
私は紙袋を抱えて、通路の端っこを、時折見知った人に頭を下げながら歩いていた。
すると、前方に少しうつむきがちに歩く、金色のおかっぱ頭を見つけた。
「あっ……アンディ」
なんとなく、発見した、といった感じで声を上げてしまった。
ただ、めずらしくて、『あっ』と驚いたといったように。
向こうはこちらに気付いていたわけではないのに。
私の声に、驚いたのは向こうだ、きっと。
アンディが足を止めてゆっくりと顔を上げてこちらを見る。
それは、いかにも、びっくりというふうで。
「あー……、えーと、フォリア」
「うん、そう……ごめん、驚かせた?」
申し訳ないから急いで駆け寄る。
だっていきなり大声で呼び止めてしまって、何も用がないだなんて。
失礼にも程がある。
姿を見られただけでも嬉しくて呼び止めたいけれど。
元気そうでよかった。
……うつむいて歩いていたけれど、それは何か物憂い様子だったけれども、顔を上げた今はただきょとんとしていて、決して暗い顔ではなくて。
「ぼーっとしていたみたいだけれど、どうしたの?」
傍に立って、首を傾げて、少しだけ笑って訊ねる。
アンディの眼帯をしていない方の大きな赤みがかった目が私をじっと見つめる。
「……別に」
しばらくしてアンディは目を逸らしてぽつりと言った。
「どうもしないよ、フォリア」
「……そう?」
……え、でも……。
私はちょっとたじたじとなって、辺りを見回して、おずおずと疑問を口に出した。
今、周りには他に人がいない。
「アンディ……外に行くつもりじゃないでしょう?」
だって何も持っていないし……。
仕事に行くのでもなさそうだし、かといって買い物にも見えない。
何の用なんだろう。
また私をじっと見たアンディは、今度は目を逸らさずに、でも少し眉根を寄せて、ぼそっと言った。
「……部屋に戻ろうと思ったんだけど……」
「ああ、部屋に? 部屋……えっと、アンディの部屋って……」
こっちじゃないような気がする。
私は微笑を浮かべていた顔から力を抜いて、ちょっと瞬きをする。
……どうしよう、迷子だ、迷子がいる。
「アンディ、途中まで一緒に行こうか、部屋」
「……うん、ありがと、フォリア」
案外あっさり……断られるかと思った……提案に同意してアンディが歩き出す。
私はがっしりとその手首を握ってつかまえた。
わぁ、なんていうか、まだ成長途中のこどもの手だ……。
ふいに愛しく感じてしまう。
つかんだ手首の感触に。
その時。
急にバッと手を振り払われてびっくりする。
驚いて目を見開いて、そうしたら同じようにアンディも目を丸くしていて。
それから、そのせいか急にアンディがうつむいて、何か言いたそうに頭を小さく揺らした。
私は慌てて言った。
「ごめん、アンディ。そっちじゃなかったから」
返事を待ったけれど、無言で。
アンディは唇を噛みしめて、顔を上げなかったので、表情はよく見えなかった。
金色のおかっぱ頭をしばらく眺めて、私はこれは動いた方がいいなと判断した。
……そう、なんでもなかったように。
「こっち……ね?」
それでもぎこちなくなってしまうものはしょうがない。
私はある一方を指差し、歩き出した。
後ろを確認すると、ちゃんとアンディはついてきている。
よしよし。
袋を両手で抱えて歩きながら、顔だけ後ろに向けて、アンディに訊ねる。
+++++
「どこに何の用があったのー?」
「カルロに呼ばれてちょっと……部屋に。その帰りに迷って……」
「ええー? でも、それなら慣れてるんじゃない? どうして迷ったの?」
わざと明るく朗らかに……さっきのことをふたりの間で忘れるように……笑って問うと、真剣な沈黙が返ってくる。
「……」
ごくり、と息を飲み込むようにして、アンディがジトッとした目で私を見つめ、大真面目に言った。
「ちょっと、いつもの道が工事中で」
「……」
「道を変えたら、迷った」
……嘘。
絶対に嘘だ。
工事中なんて話、聞いてない。
なんでそんな嘘吐くの。
アンディってば……。
「……」
呆れて目を細くしてチラッと見ると、アンディが気まずげにプイッとそっぽを向く。
……いや、あの……別に怒らないけど……?
笑って、『あー、そうなんだ! あっははー!!』……とも、言えない。
「うーん……じゃあ、よかった、アンディ。ちょうど会えて。そのままだったら、外に出ちゃってたかもしれないものね」
言った途端、アンディの足がピタリと止まった。
「……」
何気なく言った私は訝しく思って同様に足を止める。
「……アンディ?」
「フォリア……わかってるよ。ボクがここからいなくなると、政府のお偉いさんたちが困るんでしょ? 黙って勝手に出て行って帰って来なかったらさ。……安心してよ。そんなことしないから」
そのとがった声は、ムスッとした言い方は、アンディを傷つけたことを私にわからせたのだけれど。
……その発言は。
私はムッとし返して言った。
「困るのは上の人たちだけじゃないよ、アンディ。私たちだってすっごく困る。……すっごく、心配するよ。嫌だよ、そんなの……。そんなこと、言わないでよっ……」
あ、どうしよう、泣きそうだ。
目の前がぼやけてくる。
ポタッと滴が落ちる。
……アンディを困らせちゃう。
私は抱え込んだ袋に顔を伏せた。
「フォリア」
顔を上げて、というその声が近くて、私は目を動かしてアンディが背伸びしていることを確認、ハッとして顔を上げた。
私のすぐ前にアンディの顔がある。
ドアップ。
ええっ?
泣くことも忘れてぽかんとしていると、アンディがもう一度『フォリア』と呼んだ。
「え、あ、な……」
なに? と言おうとした次の瞬間、アンディの手がのびて、その腕が私の顔面をごしごしとこすった。
「い、痛いよ、アンディ」
……なんだろう、私、何故アンディに乱暴に顔をぬぐわれているんだろう?
こどもらしい熱心さで私の目の辺りに袖をこすりつけて濡らしていて。
……ああ、そうか。袖で涙をふいてくれてたんだ……。
「あっ、ありがと、もういいよ!」
ごしごしと夢中になって私の顔をこすっていたアンディの腕がピタッと止まる。
……そして、どちらともつかない『ゴメン』を言った。
さっきのことか、今のことか。
私は笑って言った。
泣き笑いだけれど。
「もう言わない? アンディ。さっきみたいなこと」
ツンとしてこっちを見ないアンディが小さな声で言う。
「……言わないよ。……ウォルターにも前に怒られたし。心配してる人の前では言わない」
あ……ああ、そっか、そういう意味で『困らない』人たちの前では言うってことか。
ちょっと心配。
だけど、無理もない。
アンディの状況じゃ……。
私はあんまりこすられすぎてまだジンジンと痛いくらいの目元を指でこすり、涙を完全にぬぐって、改めて笑った。
「……なら、いっか!」
その拍子にごろりと紙袋からオレンジが落ちて転がる。
「あっ!」
追いかけてひょいと屈んで拾ったアンディがそれをじっと見る。
「……オレンジ?」
「ありがと、アンディ! あっ、あの、パン買いに行ってたんだけど……それは後でケーキにしようと思って……。オレンジケーキ。みんなに配ろうと思ってて……」
「……」
トテトテと歩いてきたアンディが首を傾げる。
「……ねえ、フォリア。それ、ボクも入ってる?」
「え」
「ボクも食べたい。フォリアの作ったケーキ、ちょうだい。おいしそうだから」
ポンと私の抱えている紙袋の上にオレンジを乗せて、私と目を合わせないようにして、照れ隠しのようにぶっきらぼうに言う。
「ケーキ好きだから」
「……もっちろん!」
私は元気よく言った。
「アンディも『みんな』に入ってるよ!」
(おしまい)