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スノードロップ






「……ロべリア様……」

 俺はそっと背中に呼びかけた。

 白い修道衣を身にまとった赤い髪の女性の後ろ姿。

 ほっそりとしていて、それでいてしっかりと地に立っている。

 ……いや、どちらかというと、女性らしく『出るところは出て』いるけれど。

 それでも彼女には思わず抱きしめたくなるような儚さがあった。

 ……そう、すぐにポキリと折れてしまう、白い百合の花のよう。

 そう思うのは、俺が彼女に惚れているからだろうか。

 祈るように頭を垂れて薬草園の花を見ている彼女の後ろ姿。

 悲しそうだ……。

 何故そう思うのかはわからないが……彼女はただ花を見ているだけだろう……まるでひとりぽっちの少女を見ているような切ない気持ちになる。

 愛おしく、狂おしい。

 見ていると、駆け寄ってそれこそ折れるほど強く抱きしめたくもなれば、そっと歩み寄って隣に立ち包み込むように抱いてやさしく『大丈夫だ』と意味もなく耳にささやきたくなるような、なんだか『早くどうにかしなければ』『何かをしなければ』という焦りを感じさせる。

 もどかしい……。

 しかし、俺はそのどちらもしなかった。

 かわりに、少し離れたところから、驚かせないよう小さな声で彼女を呼ぶ。

 聞こえたようで、すぐに彼女は振り返った。

 にっこりと笑って。

「ベニアミーノ」

 嬉しそうに俺の名前を呼ぶ。

 まるで声をかけられるのを知って待っていたように。

 俺の全身がカァッと熱くなる。

 恥ずかしい……。

 やましさに目を伏せて、少し横を向いて、帽子を深く被り直した。

「……すみません、ロべリア様。お邪魔をしてしまって」

 しどろもどろになってそう言うと、彼女は不思議そうに俺に問う。

「あら……まぁ、何故? 私が何をしていたか知らないでしょう? ベニアミーノはまだ訊いてもいないじゃない。それなのにそんなことを言うなんて。どうしてかしら」

 小首を傾げて俺のほうにゆっくりと静かに歩いて近付いてくる。

 そんなことをさせるわけにはいかないと思うのに足が動いてくれない。

 俺は固まって棒のように突っ立ってロべリア様が来るのを待った。

 正面に立ったロべリア様がクスッと笑う。

 少し身を屈めて、下から遠慮なく俺の顔を覗き込むように、見上げてくる。

 無邪気に、面白そうに、いたずらっぽく目を細めて。

 こどものようなそれについ見惚れてしまった。

「ねぇ、ベニアミーノ。邪魔だなんて、そんなことないのに、どうして?」

 もう駄目だ。

 憧れの人が目の前にいる。

 こんなに近くにいて俺を見ている。

 頭からは怒りからではなく嬉しさ恥ずかしさから湯気が出そうだ。

 ああ、いい匂いがする……薬草園の匂いではなく、これは彼女の匂いだ。

 呆然とする。

「ベニアミーノ?」

 訝しそうな彼女の声。

 そこでハッとして、ぶんぶんと首を横に振った。

 ……俺は変態か!!

 いかん、いかん!

 とんでもない無礼なことをしている……。

 俺は慌てて少し後ろに下がりって距離を作りながら両手を前に出して遮るようにした。

「あ、あの、ロべリア様……すみません!」

 あたふたとして手をぶんぶんと振って謝ると、彼女は残念そうな顔になった。

「また……あなたが謝ることは何もないでしょう? ベニアミーノ。どうしてそうなのかしら。いつもなんだか私に遠慮するわね。……それにその帽子!」

 ふっと手がのびてきてあっという間に俺の帽子を奪っていった。

「えっ!」

 驚いて俺が声を上げると、ロべリア様はまたいたずらっぽい笑みを浮かべた。

「ふふっ……隠すことなんて何もないじゃない。どうしていつも帽子を被ってるの? それもそんなに深く。もったいないわ。それに目も合わせてくれないじゃない! 私って嫌われてるのかしら? ベニアミーノ」

「まさかっ……そんな! 逆です!! いやあのっ……俺に自信がないだけで、そのぅ……」

 人の目をしっかり見られるほど自分に自信があるわけじゃない。

 こんな俺のほうこそ嫌われているんだろう。

 俺と関わったら人が嫌な気持ちになるかもしれない。

 悪く言われる。

 ……それが怖い。

 目の前でロべリア様が小さく息を吐いた。

 そして、顔を青空のほうに向けて、遠くを見る目つきをした。

「……同じね……」

 ぽつりと漏れた言葉の意味はわからない。

 俺がきょとんとしていると、ロべリア様が不意にこっちを振り向いた。

 にこっと笑顔で、俺がぼうっとしているうちに、『えいっ』と帽子を遠くに投げてしまう。

「ああっ!! 何をするんですか、ロべリア様っ……」

「ロべリアでいいわ」

 クスクスッとおかしそうに肩を揺すって笑って、ロべリア様は身を翻して駆けていく。

 スカートがふわりと浮いて揺れた。

 修道女とは思えない幼い女の子のような走り方で薬草園の中を駆けていく。

「いらっしゃいよ、ベニアミーノ!」

 途中で止まって俺を手招きして呼んだ。

 俺は帽子の飛んでいったほうとロべリア様を交互に見て、仕方なく……いや、迷う必要すらなかった……ロべリア様のほうへ駆けて行った。

「こっちよ!」

「はい!!」

 急いで駆け寄ると、ロべリア様はそこにしゃがみこんでいた。

 薬草園の端のほう。

 常緑樹の根本。

 そこに小さな白い花が咲いている。

 ロべリア様はその花を見ながら手をひらひらさせて隣を示した。

 俺は手招きに応じて地面にしゃがむべきかどうか迷った。

 こんなみっともない俺が、こんなきれいなロべリア様の隣なんて……。

 並んで座ることをためらい、俺は結局少し後ろに立った。

 どう思ったのか、振り向いてそれを確認したロべリア様はそれについては何も言わず、花に向き直った。

「知ってるかしら。これはスノードロップといって、楽園を追い出されたイブのために天使が咲かせた花だそうよ」

 慈愛に満ちたやさしいまなざしでその花……スノードロップ……を見つめていたロべリア様は、ふと手をのばして、その花の一輪を手折った。

「はい、ベニアミーノ、あげるわ」

 お転婆なこどものように元気に立ち上がり、俺に一輪の花を差し出す。

「今日はバレンタインだもの。こういうことしてもいいわよね。これで少しは自信がつくかしら?」

 クスッと笑って、『ふふふ……』とおかしそうに笑って、俺の手に花を握らせると急に走り出した。

 まるで俺から逃げるように薬草園の中に駆け込む。

 だが途中で止まって振り返った。

「自信を持ちなさい! 私は今あなたに花をあげたの! 特別なことなのだから……!!」

「はっ……!?」

 俺はまた全身が熱くなるのを感じた。

 熱はどこまでも止まることを知らない。

 手の中の花がしおれてしまいそうで心配だ。

 ロべリア様が俺に花をくださった……。

 しかも、『特別』に、俺に。

 ああ……どうしよう!

 走り去っていく彼女の後ろ姿を眺めながら俺はどうすることもできなかった。



 少しは……自惚れてもいいのだろうか。

 手の中の白い花に問いかける。

 ああ……あの人が好きだ。



 自分のことなんてどうでもいいと思えるほどに。



 帽子のことをすっかり忘れ去って、後日まで気付かなかったのは仲間内で笑い話にされた。






(おしまい)

あとがき:天使が雪を花に変えたそうです。
花言葉は『慰め』。
ロべリアはウォルターを思い出してのこと。
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