ごめんね。
狭い道を真っ直ぐにスタスタと歩いて、分かれ道で右に行くか左に行くか迷い、カンで選択し、またスタスタと歩いて、それを繰り返し……。
アンディはふと立ち止まった。
目の前の風景に既視感を覚えて首を傾げる。
「あれ……?」
ここさっきも来た、と呟き、右を見て、左を見て、正面の道を見て、さてさっきはどっちに曲がったんだったか……と考える。
しかし、先ほどから何度も曲がっては進んでを繰り返しているので、はっきりとしない。
この街に来て、ウォルターとはぐれて以来、目指す場所に向けてひとりで歩き続けている。
ウォルターとはぐれたことに気付かず歩き続けてしまったので、戻るにも迷って戻れない。
仕事ではなくプライベートなので道案内のできるシャルルは連れてきていない。
連れてきていても自分が指示された道を外れて迷ってしまったら役に立たな……いや、仕事ではないから地図がシャルルの中に入っていないしつまり目的地への道がわかるはずがない。
これはもう自分のカンに頼るしかない。
あごに人差し指を当ててそんなことをしばらく考えた後、アンディはその指を右に前に左にとさまよわせる。
「えーと、なんとなく右……かな」
そちらに向けて歩き出そうとした時、こちらを見ている数人の少年たちに気が付いた。
なんだろう……とアンディは目を細めてそちらをじっと見る。
なんだかあまり雰囲気がよくない。
面白そうにニヤついて見ている者もいれば、険しい顔つきでにらんでいる者もいる。
中のひとりがゆっくりとした足取りで近付いてきた。
アンディより少し年上のガタイのいい少年だ。
どうやらリーダー格らしい。
ぞろぞろとその後を少年たちがついてくる。
少年はアンディの前で足を止めてあごを持ち上げて偉そうに見下ろして言った。
「おい、おまえ。さっきからこの辺うろちょろしてやがんな。見ない顔だよな。この辺のやつじゃないだろ? 何してんだよ、うさんくさいよなぁ。まぁいいや。通行料よこせよ。ここは俺らの縄張りだから」
「……」
アンディは少し顔を上向けてリーダー格の少年を細めた目でじっと見て、やがて『はぁ』と少しため息を吐いた。
どこにだってこういう輩はいる。
だけど呆れた。
いい街だと思ってたのになぁ……。
最初に訪れた時のイメージを崩されてがっかりしてしまう。
まぁ、いい街だと思ったのは、そこに住むひとりの女性のせいだけど。
だからといって必ずしも住んでいる人みながいい人じゃないのは今まであちこちの街に行ったことでじゅうぶんわかってるつもりだったけど。
胸の内でそんなことをぼやく。
アンディのため息とその後のぼんやりした様子……まるで相手にしていないみたいで……にリーダー格の少年は苛立ったようだった。
ドンッとアンディの肩を手で強く押す。
「おい、なんとか言えよ、てめぇ。シカトしてんじゃねぇぞっ……」
それを合図にしたように少年たちがぐるりとアンディを取り囲み、やいやいと『金よこせ』だの『タダで俺らの道を通る気かよ』だの『生意気なんだよ』だのと騒ぐ。
アンディがうつむいて黙っていると、その髪の毛をリーダー格の少年が引っ張った。
「変な髪型しやがって、カッコワリィ。切ってやるよ。おい、誰かハサミ持ってこい!」
声に応えて少年のひとりが得意げにナイフを取り出した。
今まで、相手が相手だし、この街でもめごとを起こしたくないし、仕事じゃないしで『どうしよう……』とただ困惑していたアンディの眼がギラリと輝く。
瞬間的にリーダー格の少年に向かって持っていたカバンを振り上げてぶち当てていた。
バッチィーンッ……!!
いい音がしてあごを打たれた少年がふっ飛んだ。
「え?」
見ていた少年たちが目を見開く。
何人かは後退してアンディから距離を取った。
怖じ気づいた者もいれば、その逆の者たちもいた。
「てめぇっ!!」
つかみかかってくる者に向けてアンディは構える。
ナイフを持った少年も飛びかかろうとしている。
これからの争いは避けられないと思われた。
ピンと張りつめた空気。
するとそれを裂くように声が割り込んだ。
「やめなさぁーいっ!!」
大人の声に少年たちがみんなビクッとして動きを止める。
みんながいっせいに声の主を探してきょろきょろとする。
自然に割れた少年たちの間からアンディにもその声の持ち主が見えた。
ものすごく大きな声を張り上げたその人は少年たちの輪の外で仁王立ちしていた。
両手を腰に当てて、胸をそらして、『ふんっ』と鼻息も荒く。
アンディはその人物を見てホッと胸を撫でおろした。
もう目的地を探してさまよう必要がなくなった。
なにしろ目的の人物がそこにいるんだから。
直に会えたんだから。
+++++
家にやって来たウォルターに言われてアンディを捜してみれば……
私はジロリと少年たちをにらみつけてみせる。
アンディは驚きからかぽかんとしている。
私が現れたことか、私の剣幕にか。
しぼり出すようなか細い声がした。
「直……」
私はニッとアンディに向けて笑ってみせた。
それからまた怖い顔を作って少年たちを見回した。
そしていかにも恐ろしげな響きを声にこめて怒鳴る。
「アンディに何かしたらこの私が許さないよっ!!」
アンディが何か言いたげに『あ……』と口を開く。
それは申し訳なさそうで、なんだか気まずそうで、どうしようって感じで。
構わずに私は続けた。
「怪我なんてさせたらただじゃおかないからねっ!!」
私なんかでも大人だということでやっぱりたじろぐ子たちはいる。
でも全然平気な子たちもいた。
「日本人は黙ってろよ」
『日本人』というところに侮蔑をこめて吐き捨てるように言うナイフを持った子。
ナイフを持ってることで気が大きくなってるみたいね。
つられたように気の弱そうな子も怒鳴る。
「そいつが先にやったんだ!!」
人差し指はピシィッとアンディを指さしていて。
その先にアンディのカバン。
そして後ろには仰向けに倒れている少年の姿。
おやおや……。
勢いを得て他の子たちも騒ぎ出す。
「そうだ! そいつが金をよこせって俺らに言ってきて、嫌だって言ったらリーダーをカバンでぶん殴ったんだ!!」
「俺らは被害者だぜ!? このクソババァ!!」
「何も知らないくせに後からしゃしゃり出てきて勝手なこと言ってんじゃねぇ!!」
……ふーん。
よし、後で『クソババァ』って言ったやつは、名前調べて藁人形に五寸釘だ。
私はスゥッと大きく息を吸い込んで、また大声を出した。
「うるっさいね!! このクソチビども!! アンディが何したって!? 笑わせんじゃないよ、どうせアンタたちが金をせびったんでしょう!? アンディがそんなことするもんか!! 他人に自分のしたこと押しつけるなんて、まったく男らしくないよ!!」
私は『ぐっ』と詰まっている少年たちにひらひらと手を振った。
「ほら、行った行った!! そこの倒れたやつも連れてきな!! もう二度とこんなことするんじゃないよ!!」
勢いに押されたように逃げ出す連中。
チッとかチェッとかクソッとか吐き捨てたり、未練ありげにアンディのほうをにらみつけたりしながら、それでも少年たちは倒れた少年を担いで去っていく。
私は少年たちの姿が完全に見えなくなってから『ふぅっ』と安堵のため息を吐いた。
あれで逃げ出してくれなかったらヤバかったー……。
ナイフとか持ってるんだもの。
こどもとはいえ大勢だしさ。
呆然としていたアンディがゆっくりとこっちに近付いてくる。
「……ありがとう、直。助かったよ」
私のすぐ傍に立って、それなのに目を伏せて。
ためらいを見せて、口をつぐむ。
うつむいて、さらりとこぼれた金色の長い横髪で顔を隠して、頭を垂れて。
まるで謝るように。
「ええっ? 嫌だなぁ、アンディ! いいよいいよ!! アンタが悪いんじゃないんだから。謝るのはあいつらだよ。そんな気にしなくたってっ……」
「……違うんだ」
顔を上げないままでアンディは小さな声で言った。
「さっき、どうしてボクじゃないって思ったの? 直は見てなかったでしょ……」
「えっ?」
「知らなかったくせにっ……」
アンディの頭が揺れる。
まるで責めるような響きの怒ったような言い方で、でもその一方で、悲しげでもあった。
とても悔しげで、悲しげで、つらそうで、苦しそうで、痛そうで。
どうしていいかわからないといった感じで。
自分の感情に戸惑っていることをうかがわせた。
顔は見えないけれど肩は細かく震えていて。
何かに怯えるように。
「あ……」
そうか。
もしかして……
私の思う通りなら、アンディは、きっと……
たぶん。
私はがしっとアンディの肩をつかんだ。
「直っ……?」
驚いて顔を上げるアンディの目と目を合わせてしっかりと言い聞かせる。
「当ったり前じゃん! アンディは私の大事な友達だもん! 何やったとか関係ないよ!! 私がアンディを好きだから、アンディの味方だから、アンディを信じてるから、ああいうこと言っただけなんだよ。何が起きたかは後でゆっくり聞くよ、アンディに話す気があれば、私の家でね!」
にこっと笑って言った。
アンディの顔がようやく緩む。
怯えるように見開かれていた目も笑みに細くなって。
ほんの少しだけアンディは微笑んだ。
「うん、直……聞いてくれる? 話したいから」
「いいよ。じゃ、行こっか!」
私はアンディの肩から手を外し、家の方向を指さして教えた。
そちらに向けて踵を返し、歩き出そうとする。
すると、スッ……とアンディの手がのびて、私の手の中にするりと入った。
見ると、そっぽを向いているけれど、見える頬の赤いアンディが、もごもごと言う。
「は、……はぐれると、困るから」
私はくすっと笑った。
そして少年にしては大きな手を握りしめる。
強く、離れないように、ぎゅっと。
「うん!」
理由なんていらないんだよ。
筋なんて通ってなくたっていいんだ。
誰だって自分の大好きな人は大事なんだよ。
他の誰かよりあなたが大事だっただけ。
……それだけのことなんだ。
ごめんね。
(おしまい)