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ごめんね。






 白く塗られた細長い板を立てる。

 もう一枚の板を横にしてそこに押し当てる。

 壊れた柵の間に並べて様子をみて『はーっ』とため息を吐いた。

 そしてまた足元に散らばるいくつもの白い板を眺めてうんざりとする。

 それと、釘や、打ち付けるためのトンカチなんかの道具を。

 私が今やっているのは家の庭の柵の修理。

 正確には私の家じゃなくて私に部屋を借してくれている大家さんの家の庭。

 修理を頼まれたんだ。

 なんだかんだとお世話になってるもんだからどうしても断れなかった。

 『手先が器用だからこれくらいなんでもないだろ』って……。

 いやー、布で小物を作るのと、柵を修理するのとではだいぶ違うと思うんだけど。

 そりゃ物を『作る』仕事をしてるけど。

 これは範疇外だよ。

 とはいえ、やっぱりいつもお世話になってる身だから、言いにくい。

 だけど柵を直すなんて今までやったことない。

 どうすりゃいいってのよ。

 ま……。

 やってやれないことはないっ!

 ……しっかし、面倒臭いなぁ、これ……。

 まだ片付いてない仕事があるし、ぱっぱと片付けちゃいたいんだけど、どうすればいいのかよくわからないって。

 それに……手を使う仕事をしてる身だから、手が痛くなると困るし。

 つまり、まぁ、それほど下手じゃなきゃいいんだけどね。

 自信ないなー。

 はー、困った、困った。

 そうやってぼんやりと板を見つめていると、背後から声がした。

「おーい、直ー!」

 ……お、この声は、ウォルターだ。

 私は赤い髪をした友人の姿を求めて振り返った。

 果たしてそこにいたのはやっぱりウォルターだった。

 少し離れたところからこちらへ向かって歩いてきながら大きく手を振っている。

「ああ! ウォルターじゃない! ちょうどよかった、あのさぁ……」

 何はともかくさておいて……挨拶も訪問の理由も訊ねることなく放っておいて……私は今一番困ってる問題を口に出そうとした。

 焦っていたから。

 それに嬉しかったし。

 このタイミングでこの人物、神様は私の味方に違いないよ、うん。

 大声を出して手招きしようとして私はあることに気が付いた。

 見慣れた赤い髪の青年の横に、小さな金髪のおかっぱ頭の少年。

「ん!?」

 私は驚いてウォルターと一緒に歩いてくるその少年をじっと見た。

 わからないけど十代半ばくらいか。

 金色に輝くおかっぱ頭はくりっとして丸い。

 前髪は何故か眉毛の上で切りそろえられている。

 その眉毛はきりっとしていて短い。

 片方の目は怪我でもしてるのか眼帯をしてるけど、もう片方の目は大きくてまん丸い。

 太陽のような色。

 白い肌に柔らかな頬の曲線に可愛い鼻にきれいな唇。

 細い体をあっさりしたシャツに包んで黒いズボンをはいて。

 まるで用心するように少し首を傾げてこちらを見ながらゆっくりウォルターの隣をてこてこと歩いている。

「あら……」

 ……可愛いっ!

 外国の少年て……いや私のほうがこの国では外人だけどさ……きれいっ!

 金髪おかっぱ頭に天使の輪っかが見えるよ。

 揺れる金髪がすてき。

 全体的にまぶしい。

「まあまあまあ!」

 驚きでおばさんのような反応になってしまった。

 ウォルターったらどこであんな美少年をだまくらかして連れてきて……。

 ……いやいや、冗談だけどさ。

 そんなこと思っちゃいないけど。

 一緒に並んで歩く姿は兄弟みたいに仲良さげだもん。

 歩いてきたウォルターたちが到着するから私は急いで立ち上がった。

 板を置いて、着ていたよごれ防止用の白衣で手をぬぐい、ふたりを出迎えた。

 満面の笑顔で。

「よぉ! 直! 元気してたか?」

「ウォルター! やぁ! 元気だよ、見ての通り! 久しぶりだねー! どうしてた? ……って言いたいところなんだけど、その前に、そちらさんは?」

 私の目はウォルターから隣の少年に移る。

 隣というか、いつの間にかウォルターの少し後ろにいる。

 そして警戒するように片方だけの目を半眼にして私を見ている。

 あごを引いて、まるでにらみつけるように、きついまなざしで。

 ……でもやっぱり可愛いなぁ。

 思わず顔が緩んでしまう。

 これだけの美少年なんだもの。

 あ、ウォルターも一応美青年だけど、と内心で断りを入れてやる。

 なんとなく、ウォルターに申し訳なくて、ね。

「お名前は?」

 ウォルターが口を開くより先に私は少年に向かって訊ねた。

「私は直! あんたは?」

 ぱんと自分の胸を叩くようにして紹介して、ぐいと少年に身を曲げて顔を近付ける。

 覗きこむように。

 ウォルターの後ろに下がっていた少年がおずおずとして口を開いた。

「アンディ」

「アンディ君。よろしく!」

 手を差し出すと、びっくりしたように目を見開いて、じりっと下がった。

 ……おや?

 人見知りするタイプなのかなー?

 それとも、挨拶が違った?

 抱きしめてほっぺたにチュウとか?

 うーん……。

 私が困っていると、アンディ君はぺこりと頭を下げて、『ドウモ』と言った。

 おっとこの手はどうしたら……。

 下げようかどうしようか迷っていたらウォルターがその手を握った。

「はい、握手!!」

 鬼のように目を吊り上げてアンディ君に向けて怒鳴る。

「失礼だろーが!! 何やってんの、おまえ。駄目だろ。この人は俺の友達! 直っていうんだって、『よろしく』ってほら……。アンディ、おいこら!!」

 ウォルターが私の手を握ったままぶんぶん振って放した。

 縄跳びの紐をふたりで振るみたいに。

 途中でそっぽを向いてしまったアンディ君が、ムッと口をへの字に曲げて半眼に戻って振り向き、手を差し出してくる。

 私はぶんぶんと解放された手を横に振った。

 顔の前で必死に。

「ああ、いいよ、いいよ! カタいのなし! ごめんね、いきなりでびっくりしたよね?」

「……」

 手をひっこめられたアンディ君が、『あ……』と口を半開きにする。

 それは何か言いたげで、少し赤い頬は申し訳なさげで。

 手は出されたままで。

「……」

 私は両手を腰に当てる。

 これで握手できないぞ。

 ちょっと意地悪しちゃえー。

 するとアンディ君がゆっくりと目を伏せた。

 何も言えずに。

「……」

 横で見ていたウォルターがもどかしそうにアンディ君の手を引っ張り、私の手もぐいと引っ張った。

「あっ、ちょっとー!」

 私の抗議の声なんか無視してウォルターが無理やり握手させる。

「はい! よろしく!! 直!! アンディ!!」

 先生のように厳しく私とアンディ君を交互ににらみつけて言う。

 私はアンディ君の手を握りながら『ふぅ!』と息を吐いた。

 まったく勝手なんだから。



 ……それにしても、アンディ君の手、意外と何か固い物をいつも握ってる手だな。


+++++



 アンディ君との握手を終えた私はウォルターと向かい合って話す。

「それにしても、ずいぶん久しぶりじゃん、ウォルター!」

「あー……悪い、なんか今までいろいろと忙しくってさ……。いや、今も忙しいんだけど、隙を見てやっと来ることができたっていうか……、ま、暇を見つけてだな。ってか、暇を作って? ……なんか来たくなる時があんだよ。直の顔見たくなる時がさ」

「へーえ、嬉しいこと言ってくれるじゃん! もしかして口説いてる?」

「違うって!!」

 からかったらウォルターは真っ赤になった。

 あはは、面白い。

 私は大きく笑った。

「冗談だよ、ウォルター。そう思ってくれたってのが嬉しかっただけ! 会いたいって思ってくれたってのがさ!」

 まだ顔を赤くしたままでウォルターが口をとがらせてボソボソと言う。

「まぁ……な。直の顔見ると、落ち着くし。普通っていうか、いっつも何も変わらねぇっていうか」

「何ぃ!?」

「あ、いや、いい意味だって!! なんか安心できるんだよ、それだけだって!!」

「……んー、まぁ、いいけどさ。そういうことにしてやろう! ……で? 何か用?」

「ああ、いや、別に特に用はねぇんだけど……。マジで直が元気にやってるか様子が気になったってだけで。……あー、あと、こいつを連れてきてやりたかったってのもあるし」

「……へぇ」

 私は軽い驚きを持ってアンディ君を見た。

 もうウォルターの後ろに隠れてはいない。

 ただ、やっぱりウォルターの隣に立って、なんだかそわそわしている。

 大きく目を見開いて、楽しそうに話す私とウォルターを不思議そうに交互に見てる。

 それにしても『あの』ウォルターがそんなこと言うなんて。

 誰に対しても素っ気ないっていうか、一線引いてるっていうか、普通ならあんまり他人と深く関わり合いになることを避けようとしているように見えるっていうか。

 まぁ、そう見えるだけなんだけど、でも私とも。

 たとえば何故異国の人間である私がこの国で仕事をしているかとか、訊きたいことはあるだろうに、そういう立ち入ったことを訊いてきたりはしないんだもんね。

 それなのに、そんな私に、他人を紹介する気になるなんて。

 私に……ってのもあれだけど、相手のほうもね。

 誰かに紹介したいほどの相手。

 少なくとも何かの関係があるんでしょう。

 見た感じそこらでただ出会ったって風じゃなさそうだし。

 少なくともウォルターの知り合い以上ではありそう。

 そう思うと気になってたまらない。

 ……どんな子なんだろう?

 私はにこーっと笑みを作った。

 アンディ君がビクッとして目を丸くする。

 そして不安げにウォルターを見上げた。

 その時にはもう目は嫌そうにすがめられていて。

「ねぇ、ウォルター。……この人、医者じゃないよね?」

 小声でひそひそとだけれども私にはしっかりと聞こえたよ。

 私はハッとして下を向いて自分の格好を確かめた。

 着ている汚れ防止用の白衣。

 ああ、そっかぁ、なるほどね……!

 医者に見えるかもね。

「薬の匂いがしないけど……」

 こちらをチラチラとうかがうようにアンディ君が言う。

 ……ははぁん。

 その反応。

 わかったぞ。

 私はまた腰を曲げてぐいと首をのばしてアンディ君の顔に顔を近付けた。

「白衣、新調したばかりなの! 匂いしなくて当然!! さぁ病院に案内しようか~?」

 ニッと意地悪く唇の片方を吊り上げて笑う。

「おいおい!!」

 アンディ君が『げっ』というように青い顔をして下がって、ウォルターが慌てた。

「おい、直! 意地悪すんなよ。アンディ、違うって!! こいつは医者じゃなくて……」

 焦って私とアンディ君の間に入って……っていうかアンディ君を私から隠すようにして……ウォルターが言うのを私は遮って口をとがらせて言った。

「そう! 残念。私は女医さんでも看護婦さんでもないよ。物作りが仕事なの。布で帽子とか作ってる。悪いね、期待に応えらんなくて」

「……」

 アンディ君が『ふぅ』とため息を吐く。

 目に見えて安堵した。

 ウォルターがニヤついてそんなアンディ君をからかう。

「アンディ、おまえ、俺が病院に連れてきたと思ったのかよ。っていうか、平気になったんじゃなかったのか? まだダメ?」

「……うるさいな。ウォルターが急に他人のとこ連れてくるからでしょ。そんなことしたことないくせに。別にボクはっ……」

「はいはい」

 ぷんぷんと怒ってこぶしを振り上げるアンディ君の頭を撫でるウォルター。

 ……なんか兄弟みたいなやりとりだね。

 微笑ましいよ。

「おっと、私を忘れないでよ、おふたりさん」

 ふたり揃って発言者の私を見た。

 仲良しを見ていたくはあるけど忘れられたら淋しいからね。

 私はウォルターを避けてずいとまたアンディ君の顔を覗き込む。

「アンディ君。私ここにいるんだから、直接私に聞きなよ」

 アンディ君がぱちぱちと瞬きをする。

 無邪気そうっていうか、無防備っていうか、なんとなく……。

 構いたくなる子だなぁ。

「えっと、じゃあ、あの……」

「直!」

「……直はなんで白衣着てるの?」

 おずおずと、それでもはっきりと訊ねられ、私は思わず言った。

「それだ!!」

 私の勢いのいい大声にアンディ君がびっくりしてまたこれ以上ないほど目を見開く。

 私はニンマリしてウォルターを見た。

 ……そうそう、それだよ、それ。


+++++



「ウォルター!」

 ウォルターはきょとんとして『は?』なんて間抜けな声を出した。

 赤い前髪の間から覗く目はいっぱいに見開かれ、次に怪訝そうにすがめられた。

 疑うようにジロジロと私を見て訊ねる。

「……なんだよ、直。いきなり大声出して。え、っていうか、何? その笑い。なんか嫌な予感するんですけど……」

 ニヤニヤしている私にちょっと気味悪そうに身を引いている。

 いけない、いけない。

 私は顔のニヤつきを抑えて精一杯真面目な顔を作り、体を縮めて、いかにもおとなしくてかよわい女性に見えるようにした。

「困ってるんだよ。ちょうどいいところに来てくれたね。この壊れた柵の修理を大家さんに頼まれたんだけど、女の私じゃあやり方がよくわからなくてさぁ……。あんた、直してくんない? ウォルター」

 困惑げに眉をしかめて、肩をすくめて、『やれやれ』と首を横に振って見せる。

 しぐさは大げさだけど、困ってるのは本当なんだ。

 目の前でウォルターが苦い顔をした。

「はぁっ!?」

 ぎゅっと眉根を寄せて、しかめっ面をして、アンディ君と私を見比べる。

「いや、だってさ、俺は遊びに来たっていうか……」

 私はぎゅっと目を閉じ、胸の前で両の手指を組んで祈るようにして、ウォルターに必死で頭を下げて頼んだ。

「ねっ、お願い! 後でケーキごちそうするから! それもとびっきり美味しいやつ!! ねっ、いいでしょ!? アンディ君ならちゃんと私が預かって面倒みておくからさ! 心配しないでいいよ。ねっ!?」

 ウォルターは『参ったな……』と困った様子でポリポリと後ろ頭をかき、私の言葉の半ばでアンディ君はムッとした様子で鋭い目で私を見ていた。

 『面倒をみておく』という一言にカチンときたらしい。

 そんな年齢じゃないということだろう。

 ありゃりゃ。

「ああ、もちろん、アンディ君にもケーキは出すよ!」

 私は苦笑をアンディ君に向けてごまかして、もう一度ウォルターのほうを向いた。

「どう!? お願いできる? やっぱダメ? できそうにない?」

「いや……ううーん」

 こういう言い方にウォルターが弱いことは知っていた。

 私がしょんぼりして見せると、それまでの顔つきと違い、弱ったような様子になった。

 そして柵のほうに視線を向ける。

「できなくはないんだけどさ……。やったこともあるし。ただ、最近はしてねぇからさ。時間かかるかも……。んー。まぁ、直がそんなに困ってんなら、やってもいいか」

「ありがとうー! 頼むよ。本当に助かる! ウォルターさまさまだね!」

「調子の良いやつ」

 ウォルターが胸をそらして大きく苦笑する。

 私もニッと笑う。

 そして地面に置いてあった道具を取り上げた。

「そうと決まれば、さっそく……はいこれ! 任したよ、ウォルター! 期待してるからねー!!」

 『はいはい』と投げやりに返事をしてウォルターがゆっくりと柵の前に移動する。

 アンディ君がちょっと戸惑った様子でそんなウォルターを目で追いかけた。

 何も言わないけれど、勝手に話が決まってしまって、自分ひとり取り残されて。

 ……夕暮れに親とはぐれて迷子になったこどもって感じだな。

 途方に暮れている。

 申し訳なく思って、私はわざと明るくアンディ君の手を取って言った。

「さぁ、アンディ君、部屋でケーキ食べよっか!!」

 後ろで『ひどくない!? 直!!』とウォルターがわめいてるけど気にしない。


+++++



 ショートケーキ、チョコレートケーキ、チーズケーキ、それにタルトやドーナッツまである。

「こんなに……」

 私に無理やり部屋に引き込まれ、テーブルに着かされたアンディ君は、呆気にとられて私の並べたお菓子を見ている。

「これ、実は大家さんからもらったの! 大変なことさせるからお礼だって。あはは、それも変だよねぇ。お詫びってところかな。あ、でも、食べていいよ。柵ならウォルターがちゃんと直してくれるだろうしさ。私たちだって無関係じゃないもの。ウォルターの分をちゃんと取っとけば問題なしさ!」

 なんでかアンディ君がおろおろしている。

「……」

 口を開いていたけれど何も言わないまま閉じた。

 ……なんだろう?

 私はあえて気にしないようにして、並んだお菓子を手で示した。

「さっ、どうぞ。好きなの取って」

「……どーも」

 変な間があって、まるで観念したように、けれども棒読みでアンディ君は言った。

 チラと私を見て、『はぁ』と小さく息を吐いてから、お菓子を選び始める。

 その様子は少し楽しそうだった。

「……よかった」

 思わず漏らすと、アンディ君が顔を上げる。

「何が? 直」

 私はちょっとびっくりしてしまった。

 今までの様子からもっと臆病な子なのかもと思っていた。

 そんなはっきりした物言いするとは思わなかった。

 ……もう慣れたのかな。

 私は訊かれるとは思ってなかったので困ってしまう。

「えーとね……アンディ君が喜んでくれてるみたいだからさ。ケーキは好き?」

「うん」

 少し恥ずかしそうにためらいがちに小さくうなずく。

 頬をちょっと染めて。

 目を伏せて。

 ……可愛いなぁ。

 私は本当にそう思う。

「じゃあ、遠慮なく食べてね。あ、今、お茶入れるから」

 私は立ち上がって小さなキッチンスペースに行く。

 ハーブティーの箱からひとつを選び出し、袋を破いて、パックを取り出した。

 コップに入れて、ポットからお湯を注ぐ。

 アンディ君はとりあえずドーナッツを食べ始めたようだった。

「2・3個食べていいよー! ウォルターには1個もあればじゅうぶんでしょ!」

「……ずいぶん親しいんだね、ウォルターと」

 ぽつりと言葉が返ってきた。

 訊ねる調子じゃなかったけど私は答える。

「あー、うん! 知り合ってからちょっと経つから。でも、たまに遊びに来るだけだけど。あ、言っとくけど、変な関係じゃないよー!」

「……う、うん」

 こくりとうなずいたアンディ君の頬が赤い。

 身を縮めている。

 どうやら恥ずかしかったらしい。

「わかってるよ、直」

「そう? ならいいけどー! あのね……」

 私は訊かれてもいないのに出会いのことやらをぺらぺらと話した。

 ちょうどよく色が出たところでハーブティーをアンディ君に持っていく。

 金色に近い茶色のきれいな色。

 漂う甘いりんごのような香り。

 トン、と目の前に置くと、覗き込んだアンディ君が不思議そうな顔をする。

「……これは?」

「カモミールティーだよ」

 首を傾げるアンディ君に、私は説明した。

「ハーブティー。これはカモミールのお茶。落ち着きたい時に飲むんだ。リラックス効果があって。不眠なんかにも効くんだよ。パックのやつで悪いんだけどね……。なんていうか、アンディ君が緊張してるように見えたからさ」

「そんな……」

 ……ことはない、と言おうとしたのだろう、アンディ君がきゅっと口を横一文字に結んでから、ゆっくりとそれをほどいて、赤い顔をして言った。

「あ、……ありがとう、直」

 私はにっこりと笑った。

「いいえ、どういたしまして!」



・・・・・・・・・・

*参考:『からだに効くハーブティー図鑑』(監修:板倉弘重/発行所:株式会社主婦の友社)

・・・・・・・・・・


+++++



「さぁ、どうぞ、召し上がれ!」

 私はにっこり笑ってカモミールティーをすすめた。

 『うん……』と言ってアンディ君がうなずいて、おそるおそるカップに口を近付けて、くんと匂いをかぐ。

 それから思ったよりも勢いよくカップに口をつけてグイッと傾けてごくんと飲んだ。

「うっ」

 アンディ君が口を開いたまま死んだような目になる。

 だあぁー……。

 ……と、出てないけど、吐き出しそうなげんなりした顔で。

「ああ……」

 私は苦笑した。

「やっぱりねぇー! 変な味でしょ? これ、飲み慣れてない人には、ちょっとねーっ。うーん、でも、ハーブティーの中じゃ飲みやすいほうなんだけどね。ああ、じゃあ、ミルク入れてみる? ……っていうか」

 そうだ、と思い出して私はキッチンに向かった。

「これがあるんだった。『コーディアル』。エルダーフラワーに砂糖水を入れたものなんだけどさ。これは風邪予防で、特にリラックス効果とかはないんだけど、甘くていいよ。マスカットっぽい味がするの。飲みやすいと思うよ?」

 『嫌ならこっちにする?』と訊くと、まだカモミールティーのカップを抱えていたアンディ君が苦いものを我慢している顔で言う。

「……ねぇ、直、コレ……草の味がするんだけど」

「ほら、だから、無理しなくていいよって!」

 それでも飲もうとしているアンディ君の前に私は『コーディアル』を淹れたコップを置いた。

「いいからさ、こっち、冷えてて美味しいよ! ほら、飲んでみな」

 腰に手を当てて自慢げに言う。

 小さな、さっきより淡い色のシロップを淹れた、透明なコップを前に。

 こども用なんだ、ということは言わずにおこう。

 さっきのことがあったからか……アンディ君は用心深くペロリと舐めて、それから急にそれをごくごくと飲み出した。

 口をコップから離し、ぷはっと息を吐いて、驚いたように言う。

「……ホントだ。コレ、美味しい……」

「そう? よかった。さっきはごめんごめん。そこまで苦手だと思わなかったからさ」

「え……でも」

「いいの、いいの! 無理して飲んだってしょうがないでしょ。リラックスできればなんでもいいんだから。気に入ったもの飲んでよ」

 私は紅茶を淹れたティーポットとカップふたつをテーブルに置き、アンディ君の向かいに座った。

「まぁ、でも、甘いものに甘いものはね! 紅茶も飲む? アンディ君」

「……え、うん。……ああ、ありがと、直……」

 アンディ君はちょっと未練ありげに空のコップを見つめ、私が問答無用でふたり分注ぐカップのほうに目をやった。

 断るには遅いと思ったんでしょう。

 その通り。

 ハーブティーはたくさん飲めばいいってものじゃないし。

 私はコトンッと自分の前とアンディ君の前にカップを置いた。

 そして自分はチーズケーキの皿を手前に引き寄せて出しておいたフォークを取った。

 ふんふん……と鼻歌を歌いながら口に運ぶ。

 パクリッ。

 ……甘い。

 そして、美味い。

 んーっ、幸せ……っ!

 私は上機嫌で向かいで2つめのドーナッツを取ってむぐむぐと食べているアンディ君を眺める。

 ケーキが美味しいのはもちろんだけど、こうやって誰かが美味しそうに食べているのを見られることも、そして誰かと一緒に食べているということも、いいなぁ。

 それは大家さんとか近所の人に招かれて大勢で食事ってことはあるけれど。

 私はなかなか他人を家に呼ぶことができなかったから……。

 こんな小さな部屋じゃね。

 ところが、そこにこの美少年が、ドーナッツを美味しそうに……無表情に近いからわからないけど少なくとも夢中になって……食べてくれている。

 私が用意したんじゃないけど、もらいものだけど、それでも私のすすめで。

「アンディ君、美味しい?」

「……うん、美味しい、デス」

 なんだかぎこちないけど。

 それでも食べてくれているわけで。

 ……あー。うーん、気分いい。

 嬉しいなぁ、なんて、しみじみと。

 アンディ君をじっと見つめて、喜びにニコニコしていると、アンディ君が落ち着かなげにもぞもぞとする。

 ドーナッツを食べるのがゆっくりになって、何度もそわそわと腰を浮かせて。

 ……なんだろう?

 私が訝しく思っていると、ずいぶんとためらってから、アンディ君がとうとう言った。

「……あのさ、直、どうして君は白衣を脱がないの?」

 言いにくそうに、それでもじっと私を見据えて、困ったように。

 私は言われたことを頭の中で繰り返す。

 ……白衣……。

「ああっ!!」

 ガタンと椅子を尻で押すようにして後ろにはね飛ばして立ち上がった。

 アンディ君が驚きで目を丸くしてこちらを見ている。

 そんなことも気にならない。

「しまったぁ~っ」

 着ていた汚れ防止用の白衣を見下ろす。

 これは脱いでウォルターに渡さなきゃならないものだったのに。

 私ったらついうっかりして。

 慌てて脱ぎにかかる。

 もちろん下にセーターを着ているので問題なし。

 半分脱いだところでまん丸の目と目がぶつかって自分のさらなる失態に気付く。

「……あー、ごめん、アンディ君! びっくりした? これ、ウォルターに渡さなきゃって思って……!! 後でペンキも塗り直さなきゃいけないからさー、汚れないようにって着てたの。すっかり忘れてた。いけない、ウォルターに渡さなきゃ……っ」

 あとペンキのことも言わなきゃ、と言うと。

「え?」

 アンディ君が今度はほんの少し驚きでなく目を輝かせて言う。

「ペンキ……塗るんだ」

 じっと視線をケーキやドーナッツなどのお菓子に向けて、少し考えこみ、それからちょっとだけ声にわくわくしたようなはずんだ調子を含ませて言う。

「それ、ボクもやるよ、直。ボクにやらせて」

「えっ……だけど」

 私は驚いて、ためらった。

「いいんだよ? アンディ君はお客様ってことで、別に無理しなくても……」

 アンディ君が金色の髪の毛をさらりと揺らして首を横に振る。

「ううん、ボクがやりたいんだ。ペンキ。いいでしょ? 直」

「……うん、まぁ、そんなら頼むけどさー……」

 私はしぶしぶと言って……ウォルターひとりにペンキ塗りを任せてアンディ君と遊んでたかったのになぁ……脱ぎかけの白衣を完全に脱ぐ。

 それを椅子の背にかけて、もう一度ストンと椅子に腰を下ろして座り直した。

 正面のアンディ君をしょんぼりとして眺める。

「ごめんねぇ、私ってば、本当にうっかりしてて……。落ち着けないよねぇ、食べ物を食べるのに……仕事着っていうか……白衣なんて着てたらさ。のんびりできないよね! それに、アンディ君は病院嫌いなんだもん、ねぇ?」

 それでそわそわしてたんだ。

 嫌な思いさせちゃったか。

 自分の失敗に困惑して苦笑気味に言うと、アンディ君が気まずげにうつむく。

 そのきれいな長い金色の髪の毛が顔に被さって。

 その中で黒い眼帯が異様に目立って。

 私はついそこに手をのばした。


+++++



(続く)
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