バジル夢(サクラ)
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
最初はぶつかったのかと思った。
本を手に取ろうとして同じように手を伸ばした異性と手と手が触れ合うなんて少女漫画にありがちなシチュエーションをとっさに思い浮かべてしまった。
それで『キャッ……!』ってなって、当然本は落ちるというわけ。
私が想像したのはふたりの間に本が落ちたことでだった。
だから、実際には私の手を伸ばした先と、私の隣にいた彼との距離は少し空いていて。
手を伸ばした瞬間は一緒だけど、その手がぶつかってもいないのに、本が落ちたのだ。
それは驚きで固まっていたほんの少しの間に私がした妄想だった。
慌てて振り向くと、男の子が苦しそうに顔を歪めて、前に出した黒い手袋をした震える両手を眺めているところだった。
砂漠を思い出させるような輝く淡い金の髪に、ハッとするような雨が降る前の空の色に似た青の瞳は大きくて、唇を噛みしめたその表情は大人びていたけれど、まだどことなく少年っぽさが残る感じ。
「くっ……」
床に落ちた本を拾おうとしてだろう、体を曲げて、その先でぶるぶると細かく震える手に戸惑っている。
「あっ……!!」
彼の顔に見惚れていた私は、我に返り、さっと床から本を拾い上げた。
「大丈夫ですか? はい、これ! ……あの」
私が本を差し出すと、『ああ』と低く呟いて、受け取ろうとした彼がそれまでよりさらに大きく手を震えさせて、私の手から本を払いのけ、ぎょっとするような怖い顔で私をにらむ。
「……あ、ああ、悪い」
それは一瞬のことだった。
彼は険しい顔を緩めて、目元を和ませ口元に笑みすら浮かべて、特徴的な垂れ眉をさらに下げて困惑げにして、まるで危険はないと教えるように、私に見えるように両手を肩のところまで挙げた。
そしておどけた仕草でひょいと肩をすくめる。
「すみません。手が震えてしまって。今は本を持てないようですので棚に戻してくださって構いません」
「えっ……はい」
躊躇い、横目で見ながらも、私は言われた通りに本を棚に戻す。
あの手の震えようじゃ彼の言葉通り本は持てないだろう。
どうしてあんなに手が震えているのかな。
「ありがとう」
「いえ。いいんです。ところで、その、あ、あ、あ……」
もしかして、若く見えるけれど、その歳でアルコール中毒……!?
「アルコール中毒ではありません」
心の中で呟いた途端、彼が苦しげながらもニッと笑みを深くして、片方の手を前に出してビシッと断った。
「これは……怪我の影響でというか……後遺症のようなもので……」
きっぱりと言い切った次は、妙に歯切れが悪く、説明できなくて申し訳ないというような困惑げな表情で、しょんぼりとして、大きな目でじっと私のことを見つめてくる。
「すみません。これ以上のことは……。ちょっと事情がありまして。本を戻してくれてありがとうございました。では俺はこれで」
これ以上は聞かないでくれというように、彼は強い口調で言って、私に背中を向けて歩き出す。
「ええっ」
思わず非難げな声を上げてしまった。
だって歩く背中がふらついている。
手だって震えていたのに。
「待ってください! 薬とかっ……! あっ、医務室とかあるかも、司書さんに訊けばわかりますよね!?」
彼は足を止め、チラリとこちらを振り向き、一瞬だけものすごく嫌そうな顔をしたように見えたけれど、ため息とか吐いたような気がしたけれど、何かを懐から取り出して私のほうに向き直って見せた。
「ありがとうございます。大丈夫、この通り薬はちゃんとありますし、医務室だなど大袈裟にしなくても結構。少し休めば止まりますから」
やっぱり、『医務室』のところでほんの少し顔をしかめて、迷惑そうな表情を見せる。
でも、彼の強がりかもしれないし、病人を放っておけはしないだろう。
悪化したら彼はどうなる。
「治るまで一緒にいさせてください!!」
私が頭を下げて頼み込むと、きょとんとした彼は、目をつり上げて激しい怒りを見せてから、急にぷしゅう~……っと気が抜けたようになって、やれやれという様子で大きなため息を漏らしてから言った。
「だから……治るとかそんなんじゃ……もういい。面倒臭ぇ。勝手にしろよ」
いきなり乱暴な口調になって、自分をなだめるように『ここで騒がれても面倒だしな』と聞き捨てならないことを言い、冷たい目で私を一瞥してから歩き出す。
「なっ……!?」
なんなんだ。
このエセ紳士め、心配している女子に、なんという言い草。
思えばあの慇懃無礼な態度も、私を遠ざけるため、構われたくないから。
それは見知らぬ他人だし、ズカズカとプライバシーに土足で踏み込まれたくはないだろう、だから遠慮したのに。
腹が立って仕方がなくて、顔中に熱が集まるのを感じながら、こうなったら徹底的に構い倒してやろうと決心して、『勝手にするよ』と口に出して、彼の後を追って歩き出した。
「あなたのお名前は?」
訊ねるといかにも面倒臭いという様子を隠さずに言う。
「バジル」
「バジル……」
「お前は?」
気まぐれというようにそう訊き返されて私はほんの一瞬だけ躊躇して答える。
「サクラ」
教えても問題はないだろう。
「待って、バジル! 私が連れていくんだから!」
「連れていくって、どこにだよ、サクラ」
「薬が飲めるように、飲み物があって、座れるところ!」
「それって医務室じゃねぇか」
振り向いたバジルの呆れたような呟きは無視する。
「外に行こうよ。ここじゃジュースが売ってる場所は遠いでしょ。第一、その手じゃ缶も持てなさそうだし、薬だってひとりじゃ飲めないんじゃない?」
「サクラ……」
バジルが迷惑そうな顔から本当に困っているという弱り顔になった。
「あのなぁ、サクラ、俺はここを出られねぇ。わかるか? 何も知らないみたいだから言わないでおきたいんだが。なんでとか根掘り葉掘り訊きたくなるような顔してるからそれだけは言っておくが。わかれ」
ここにいるのにここから出られない……?
いったいどういう謎かけなんだ。
バジルは謎だらけだ。
「……まぁ、いいけど、それならどこに行くの?」
「ここであんまり目立つことはしたくねぇからな。トイレだよ。そこなら座れる場所もある」
「なるほどね」
私は納得した。
男子トイレは入れないけれど近くで待てばいい。
こくこくとうなずいていると、バジルが嫌そうに目を細くして、ジトッと私を見ている。
「サクラ、お前、痴女みてぇな真似はするな」
「はっ……!?」
軽蔑するような目を向けられて言われて、私が男子トイレにでも乗り込みそうだと思われたことを理解して、カッとなった。
「しないよ、するわけないでしょ、バジルのバカ!!」
(おしまい)