ロベリア夢(マイ)
夢小説設定
この章の夢小説設定設定:同じ逆さ数字の仲間。
主人公はスキャッグスの逆さ数字の女の子。
内容:ロベリア夢。
*不愉快になるような描写が多いので、そういったものが苦手な方は避けてください。
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あたしの前にはひとりの人が立っている。
聖堂の扉の前、その人は一礼をし、入り口の横にある聖水盤にそっと指を入れた。
指先に聖水をつける。
その後、その人は十字架に向かって、十字を切った。
まず頭に手をつけ、次に胸の下辺りに、そして左肩、右肩の順で。
小さく『父と、子と、聖霊の御名において』と呟きながら。
最後に『アーメン』と言ってまた頭を下げた。
……ふむ。
聖堂に入っていく背中を見送り、あたしは今見た通りのことをしようと思って、一歩前に進み出た。
すると、後ろからの声に、動きを止められる。
「あなたはそんなことしなくていいのよ」
厳しく、まるで咎めるように投げつけられた、冷たい声。
振り向くと、白い修道衣をまとった、ロベリアさんが立っている。
「ロベリアお姉さま」
顔にはやさしい笑みが浮かんでいた。
でも……。
いくら周囲に他に人がいないからって、教会内で『そんなこと』とは、お姉さま……。
よくないんじゃないでしょーかッ。
聖堂の中には人がいるのに。
聞こえても知らないゾー。
……っていうか。
まるであたしが触れたら聖水が腐るみたいな嫌悪感が隠し切れてません。
見た目はおだやかな笑みだけど……。
なんていうか、目が冷たい。
声も冷たかったけど。
『神様を汚すな』みたいなカンジで。
そりゃ、あたしは、ちーっとも神様にキョーミありませんが。
いようがいまいがどうでもいい。
でも、ロベリアさんのほうが、『神様なんて』と思ってるんじゃないんですか。
信じてるけど、嫌ってるんだよね。
複雑ですなッ☆
ロベリアさんが静かな歩みで近寄ってくる。
「シスター・マイ」
あたしはちょっとお辞儀をする。
いや、他に誰もいないって近くにはってことだし、誰に見られているかわからないし。
それらしく、それらしく。
あたしは今、白い修道服に身を包んで、頭までベールを被っている。
完璧に修道女の格好。
……というわけで、見た目だけはシスターなので、先輩であるロベリアさんは『ロベリアお姉さま』だし、いや『シスター・ロベリア』でもいいんだけど、役柄的には『ロベリア修道女』と呼ぶべきかもしれないけど。
あたしはシスター見習いのフリしてるんで。
まぁ、でも、いっか。
向こうが『シスター』って呼んできたんだし。
どうせただ演じるための設定みたいなもんだし。
ロベリアさんが上品に眉をわずかにひそめてあまり感情を出さずに微笑んでうなずく。
「礼拝の時間にはまだ間があります。……それとも、告悔でもなさるおつもりだったのかしら? シスター」
「いいえ、……そんな。ただ、お祈りをと思って」
懺悔なんかするわけないじゃーんッ。
なんにも悪いと思ってないしィ。
っていうか、お祈りも、聖堂の中がどんなもんかと思っただけだけど。
ロベリアさんはふっとうつむいて笑みを濃くして言った。
「……そう。でも、今はするべきことをしてしまいましょう。祈りだけでは」
続けずにいったん口を閉じた。
少しの間が空く。
それからロベリアさんは顔を上げて晴れやかな笑顔で首を傾げる。
「……祈りだけでは、神様が私たちに望んでいることに足りませんわ。もっともっと、できることをしなくては」
「……ええ。そうですわね、ロベリアお姉さま。おっしゃる通りだと思いますわ」
……本当に。
よっく言うわ。
ケッとか言いたい。
……言わないけどさ。
+++++
ロベリアさんの後ろを静かに歩く。
足音を立てないように、小さな歩幅で、床をすべるようにして。
頭を垂れて。
途中、人とすれ違う度に、深く頭を垂れて。
しゃべらずに。
……。
うがーッ、めんどくせェ、ってかキュークツ!!
ずっとコレやんなきゃいけないのー?
あーあ。
やんなっちゃうよ。
「シスター・マイ」
苦い顔をして盛大なため息を吐くと、振り向くロベリアさんが心配そうな顔を作って訊いてくる。
「何か悩み事でも?」
「あ、いえ……そういうわけじゃ」
「思いわずらうなと神様もおっしゃっていますわ」
へーへー。
その前になんの悩みか詳しく聞けよ。
とんだ瑣末事みたいな言い方すんな。
それただのスルーと一緒じゃん!!
えい、くそっ、そーゆーところが嫌なんだよね。
いやさ、たとえば、火事で家財道具一切なくして、『着るもののことに思い悩むなと神様がおっしゃっています』って言われたってさァ。
あたしにとっては大きなことかもしんないじゃん!!
……違うけど。
今のはくだんないため息だったけど。
でもさ。
ブーッと唇をとがらせていると、ロベリアさんが立ち止まり、あたしに向き直る。
その手をスッとのばして、あたしのふくらんだ頬をつまむようにして、クスッと笑った。
「マイには少し難しかったかしら、シスターのフリは。あなたはまるでこどもだもの。あたしの知っている子にもいるのよ。じっとしていられない子。あなたも、きっと……」
何かを言いかけて、笑みをなくして、ロベリアさんが憂い顔になって黙り込む。
……どうしたんだろうなー。
あたしはじっとして待った。
いつのまにかもうふくらんでいなかった頬からロベリアさんの手がそっと離れてゆく。
そしてスッと背を向けた。
目だけこちらに向けて。
「……いいえ。あなたは知らないだけよね。神様を知らない子」
……ムゥ。
さっきからこども扱いされてんな。
そんなに年齢も違わないってのに。
なーんかムカつくなァ。
あたしは口をとがらせて言った。
「じゃあ、ロベリアさんは、神様を知ってんの?」
神様とお知り合いなんですかー?
こういうこと言うからこども扱いされるんだろうな。
そうは思うけどさ。
歩き出そうとしていたロベリアさんがゆっくりと振り向く。
目を細めて、口角を上げて、笑っている。
花のような笑み。
でも、その笑みのうちに、何か隠しているような。
「神様が天国にいるということくらいかしらね」
歌うように言って、それから急に声を低く小さくした。
「マイ。武器庫に着くまで、あと少し我慢しなさい」
「はァいッ……あ! ……はい、ロベリアお姉さま」
ロベリアさんの目が鋭くなって言い直す。
あたしは慌ててうなずいた。
わかってますよゥ。
そうだ、武器庫を見せてもらいに来たんだから、周りの人に変に思われちゃ困るんだよね。
危ないからって行けなくなっちゃったらつまんないもん。
+++++
「やめて……」
幼いあたしの上に父が覆い被さっている。
あたしはその時まだ7歳だった。
何をされるのかよくわかっていなかった。
その意味も何もかも。
それでも……。
父親のあたしに向ける慈しみの欠片もない、冷たく鋭く、それでいて獲物を見るような熱のこもった目が……今なら欲望のものだとわかる……その目が怖くて。
無理やり服を脱がされたことが嫌で。
裸の胸を触ってくる手が撫でるなんてものじゃなくて痛くて。
押しつけられる体が妙に熱くて気持ち悪くて。
耳元で荒い息をする父親の酒臭い息が、口をふさいでくる熱い唇が……。
普段からあたしを意志のない『もの』のように好き勝手に扱う父には嫌悪感しかなくて、その父がそんなに近くにいてあたしを触るってことがもう、嫌で嫌で仕方がなくて。
それがどういう意味だろうと、たとえ愛情故だろうと、とにかくやめてほしかった。
だけど、母親はとうに死んでいて、父親とふたりっきりで、貧しい家で暮らしていた小さいあたしに、父親から離れるという選択肢などなくて。
この時だって、抵抗して嫌われたらどうしよう、捨てられたらどうしよう、要らない子だって思われたらどうしよう、お父さんしかいないのに、そう思って怖くて怖くて、弱々しく懇願する以外に何できなかった。
抵抗なんてできるはずもない。
しても無意味だ。
おとなの男と、まだ幼い女の子では。
……それに、常にあたしは、ただの『もの』だったから。
ずっとそうだったから。
そう言い聞かされて育ってきたから。
おまえは女なんだから、男のために飯を作り、洗濯をして、掃除をして……って。
そのために生まれてきたんだって。
その時だって、涙を浮かべて『やめて』と願うあたしに、父は冷たくこう言ったのだ。
「おまえ、女の子だろ。女の子はこういうことされるんだよ。わかっておけ。どうせ誰か男のものになるんだから、使われるんだから、今こういうこと覚えてたほうが得だろ? 親切心で教えてやってんだろうが。大きくなった時に困らないように。親の役目だから」
……こういうことをされるもの?
やめてってあたしは言ってるのに……?
あたしが『もの』だから?
誰かの『もの』になるんだから?
だけどあたしは……。
「嫌だ……!」
か細い悲鳴を上げると、父親が急に怒りだして、あたしを殴った。
「嫌とはなんだ嫌とは!! 父親になんて口効きやがる!! 育ててやってんだ、これくらいいいだろう!? 当然の権利だよ、馬鹿野郎!! ふざけやがって!! どうせ誰か他の男の『もの』になるんだ、今俺が抱いたって構わないだろうが!! それとも俺が嫌だってのか、お上品ぶりやがって、女のくせに!!」
「ひっ、ご、ごめんなさっ……!」
「うるさい! 黙ってろ!!」
父の手が足の間に割り込んできて、乱暴にそこを触る。
「どうせ女なんてみんな体だけで生きていけるくせに!!」
女……?
女であることは罪なの?
だからこんな目に遭わなければならないの?
あたしはちっとも望んでないのに……。
そこにあたしの意志は関係なく。
いや、『もの』だから、感情があるとさえ思ってもらえず。
あたしは人間じゃない。
ただの『もの』だった。
『女』という『ただのもの』。
女は物なんだ。
あたしの名前も、人格も、意志も何も関係ない。
ただの物……。
父が……いや、男が……嘲笑う。
「心配するなよ、キズモノになっても、使われないよりはいいだろう? 売れ残りになるのはもったいないもんなぁ!!」
あたしは激しいショックを受けていたけれど、それよりも怖くて怖くて、ボロボロ泣いた。
「助けて……!!」
泣きながら言う。
もちろん、目の前の男に向けてなんかじゃない。
誰か。
誰でもいいから。
……だけど、誰が助けてくれるの?
ああ、名前を呼ばなきゃ。
名前……。
……ああ、こんな時に、呼べる名前のひとつもないなんて。
あたしはその時に絶望した。
呼べる名前のひとつもないなんて。
それはなんて悲しいことだろう、なんて淋しいことだろう。
あたしがひとりぼっちだってことだ。
この心の中には誰もいない。
「痛いっ……!! やめてやめてぇ、お父さぁんっ……!! いやっ……!! 誰かっ!」
助けて。
……くれなくってもいい。
あたしは救われる気ないから。
そんな罪深いと言われて、助けてなんて、救ってなんて言えない。
女は悪いものだから。
それならそれで仕方ないから。
だけど、ただ、淋しいの。
それだけなの。
ただ呼べる誰かの名前があれば……!!
相手が何を思っていても、誰を思っていても、あたしのこと嫌っていてくれてもいいから。
呼べる名前されあれば。
それだけでいいのに。
引き裂かれる痛みに苦しみながらぼんやりと思った。
……あたしが女じゃなくなることは無理だ。
そんなことわかってる。
コイツの言う通りだ。
それで生きていくしかないってことも。
……それはわかっている。
自分が『もの』であることも。
だけど、もし……。
ただの『もの』じゃなくなれるならば?
女という物であることは変えられないとしても。
ただの物じゃなく、別の物になれるのならば。
……それを望むことの何がおかしいの?
+++++
というわけであたしは武器になりましたってか。
あの親父に売っ払われたところをスキャッグスに買われて。
物であることは変わらないけど、あたしは武器という物になれた。
相変わらずオジサンは嫌いだけど、とくにエロいオッサン滅べって感じで。
だけど、それでも呼べる名前を見つけたし、あたしは今とっても幸せなのですよッ☆
+++++
・・・父は天国にいます 辺りは薔薇の香り 地には白い花が風に揺れ まるで我が家の灯りのよう けれどあなたはここにいない・・・
ロベリアさんはこどもたちに捕まってしまった。
『ロベリア様!』『ロベリア様!』と囲まれて。
彼女は嬉しそうにこどもたちの相手をしていて。
「ロベリア様! おれ、ちょっとだけ計算ができるようになった! 聞いて聞いて!!」
「わたしなんかご本が読めるのよ! むずかしい本でも読めるのよ!」
「ロベリア様! おいしい木の実のなるところ見つけたんです! ねぇ、一緒に行こう!!」
ロベリアさんはこどもたちの言葉にニコニコとしていちいち言葉をかけてあげている。
その姿はまさしく聖母で。
あたしなんかにはとてもできそうにない。
……よくウザくないなァ。
そんなことを思ってしまう。
こどもなんてどう相手したらいいかわからないし。
……というわけで、暇なあたしは、崩れた塀の上に腰掛けて、くだらない歌を歌っている。
役柄的に大好きなマザー・グースを歌うわけにいかなかった。
あたしの好きな歌はたいてい残酷なもので。
シスターがそれはちょっとね。
気分的には『骨と皮だけの女がいた』とか暗唱したいんですが。
仕方なしに『father in the sky』を歌う。
・・・父は天国にいます 辺りは暗くなり 空にはたくさんの星が輝き まるであなたの瞳のよう そう あなたはそこにいます・・・
スゥッと息を吸って、青く澄んだ遠い空に向けて、高く歌った。
・・・父は天国にいます わたしたちを見守るために・・・
パチパチという拍手が聞こえて、あたしは思わずそちらを振り向く。
生真面目な顔をした帽子を目深に被った男の子があたしに向かって手を叩いていた。
無邪気に笑っているわけじゃない。
どうやらひどく真剣に聴いていたらしい。
それが意外だった。
こんな小さなこどもが……とはやっぱり思う。
こんな歌を真剣に聴くなんて。
こどもはトタトタと近付いてきて、崩れた塀を乗り越えると……この教会も塀の修理ができないほどお金がないんだろうな……あたしの前に立った。
「お姉さん歌上手だね」
男の子はただの事実というように軽く言った。
驚きでも感動でもなんでもなく。
当然お世辞といったようでもなく。
だかあたしもうなずいた。
シスターらしい穏やかな笑みを浮かべるよう心掛けて。
「ありがとう。歌うことは好きです。それがあたしの……あたしの……」
生きている証だから?
赤ちゃんが泣くのと一緒じゃん。
……馬鹿らしい。
やめた。
そんなこと言ってなんになんの。
しぼんでしまった笑みをもう一度大きくパァッと咲かす。
「『私の』、声が、祈りが、神に届くような気がしますから。歌は人の心にも響くもの。それって、神様に聞こえるのと同じことだと思うわ」
胸の前で指を祈りの形に組み合わせ、目を伏せて、少し首を傾げて話す。
……ふむ、こんなところか。
これくらいの演技はできるよ。
まァ、こんな小さい子相手に、そこまでの必要はないか。
それでもシスターらしくやさしいフリくらいはね。
「あなたはロベリアお姉さまとお話はしないの?」
男の子は黙ってあたしを見上げた。
あたしがいけないこと言ったと咎めるような目で。
腰のところでギュッと拳を握りしめて。
何か許しがたいものを見るように。
でも、それは、たぶん……。
あたしを怒ってるんじゃないんだな。
これはスネてんなー。
ロベリアさんあんだけ囲まれてちゃなかなか割って入れないよねェ。
勇気次第だと思うけど。
チラと見れば、いまだたくさんのこどもたちに囲まれて、次々と上がる声に、やさしく答えてあげているロベリアさん。
「……」
うーむ。
あたしはパッと塀の上からおりて、男の子の前にしゃがみこんだ。
ちょうど目の位置が合う。
「あなたのお名前は?」
「ディル」
「そう。……ディル。『私』はマイ。何かお話したいことがあるの?」
肩に手を置いて、やさしい声を作って問うと、男の子……ディル……はちょっとの間、困惑げにためらって目をさまよわせていた。
けど、それから思い切ったように顔を上げて、あたしをじっと見据えて訊ねた。
「ねぇ、マイさん、本当にシスター?」
「……」
あたしは笑顔のまま固まる。
おやおや。
明らかに疑われてますよ。
……まァ、いっか。
どうせこの子だけだし。
不都合なら殺しちゃえばいいんだし。
あたしは今までと違い、ニッコリと笑った。
「違うよ。フリしてるだけ。シスター見習いってことになってんの。ちょっと用があってね。どうする? バラす? みんなに言っちゃうー?」
意地悪く問うと、男の子はホッと息を吐き、そしてぶんぶんと首を横に振った。
「いいんだ。そのほうがいいんだ。誰にも言わないよ。マイさん。訊きたいことがあるんだ」
深く被った帽子の下の真剣な目。
それが刺すようにあたしを見つめて。
無表情に見えるほど真剣な顔でディルは話し出した。
(つづく)
歌(『父は天国に~』)は自作です。
他の作品でも使ったことがあります。
この歌の『父』とは神様のことです。
+++++
「俺の親父は人殺しなんだ。家に強盗に入ったふたりを銃で撃ち殺したんだ。強盗は母さんを襲っているところで、父さんが撃たなければ、たぶん母さんも俺もみんな死んでた。だけど、みんなが父さんのこと『人殺し』って言うんだ。父さんを悪く言うんだ。父さんは俺と母さんを助けてくれたのに!!」
……はァ。
そんなこと言われても。
困ったなあ……。
ロベリアさんがこっち見てるし。
怪訝そうに。
あたしがシスターじゃないの、この男の子にバレちゃったのが知られちゃったら、ちょっとマズい。
ンー、怒られそうだしね、どうしよっかなァ。
ディルは何も気付いた様子なく話し続けている。
「父さんは俺にとって英雄なのに!! 俺と母さんを助けてくれた命の恩人だ!! なのになんでそんな『人殺し』呼ばわりされなきゃいけない!?」
人を殺したからじゃないんでしょーか。
なぁーんて。
うわー、完全に頭に血がのぼっちゃってるなァ。
あたしが何も言わないのを構うことなく大声で言う。
っていうか、わめく。
「俺のことも『人殺しの息子』だって嫌な目で見るんだ!! 俺も……『どうせ人殺しの息子だから、いつかきっとアイツも人を殺すんだ』って……『近付くと殺されるかもしれないぞ』なんて……怖がってるフリして笑うんだ!! みんなに陰でこそこそ言われるんだよ!! 誰も近寄らなくなったんだ。母さんだってみんなが責めるから寝付いちゃってっ……。でも、俺、そんなこと言うヤツらのほうが悪いと思う! 父さんは何も間違ったことなんかしてやしないんだ!! それなのにみんなっ……」
……はァはァ。
そうですか、なーるほど、わっかりましたよ。
ディル君はそういう理由でイジメられてるわけだ。
それでこんなに帽子を深く被って人を避けて輪の中にも入れずひとりぼっちだったわけだ。
『人殺しの子』だから。
……それでマイに何を言えと?
一応シスターっぽいやさしい言葉ならいくつか思いつくけど、ディル君はあたしがシスターじゃないことを確かめてから話した。
ということは、シスターの言うような言葉がほしいわけじゃないんだろう。
じゃあ、そんなこと聞かせて、それでどうしろと……?
うーん、困ったな、厄介だなァ。
ディルは無言のあたしに何を思ったのか、ひどく思い詰めた様子で吐き出した。
「……神父さんにはもう話したんだ。シスターにも。そうしたら、それは殺されるべきだったって言うんだ。じゃなきゃ天国に行けないから。天国に永遠の幸せがあるんだって。罪を犯したら天国には行けないから、俺の父親は黙って運命を受け入れるべきだったんだって。神様の定めた通りにすべきだったんだって!! 命は神様が与えたものだから、与えられた人から奪うことは許されないんだって!! でも、俺はっ……俺らのために強盗を殺した勇気ある父さんのことを誇りに思っ……」
「……アンタさァ」
あー、我慢なんない、もうムリ。
自分でもびっくりの低い声が出た。
いや、どうでもいいんですが。
ホントどうでもいいんですが。
ねェ、くだんねぇからさ、言わせてくれ。
「さっきから人殺せば英雄だの恩人だの誇りだのさァ! バッカじゃないの!? 人の死にそんなキレイなものなんかないよォ。悲しみとか苦しみとか憎しみとかさァ。ドロドロのもんでしょ!? そう思わなぁぁぁい? じゃあなんでアンタは苦しんでんのかって話!」
ディルはぽかんとしてる。
「ああ、はいはい、守ってもらえてよかったですね! それで!? アンタは何してんの? 他人から悪く言われて、立ち向かうこともせずに、逃げてるだけじゃん!! これだから親に守られてぬくぬくと育ってきたガキは嫌いなんだよ!! 恵まれてんじゃん、自慢ですかー? はァ? そんな必死になっちゃってさァ、『親父は悪くないんだ』とかって、要するにさ、アンタは親父のせいでイジメられてんでしょ? 父親が人を殺したから自分まで悪く言われてつらい思いしてるんだって、めっちゃ恨んじゃってんじゃん! ハッキリ言いなよ、気分悪いなァ、悲劇のヒロインぶっちゃってさー」
だんだんとディルの顔色が青ざめていく。
……まァ、しょうがないよね。
気付かずにいたんならさ。
「アンタのお父さんが守ったのは自分とアンタとお母さんなんでしょ? それはホントのことなんでしょー!? だったら、別に誰かに認めてもらわなくても、自分で英雄だって思ってりゃいいじゃん! なんでそんな主張してんの? イジメられんのが嫌だからでしょ!? それでまだ守ってもらおうと思ってんだ。……アンタ最低だね。つまんないよ。父親が人を殺したかどうかが問題じゃないんじゃん? どうせ何か他のことでイジメられたって自分が悪いんじゃないんだって言うんでしょ? ずーっとそういうふうなんじゃないのー? まァ、親父に勇気があってもアンタにないのは確かだよね、ディル?」
うつむいて震えていたディルが、腰のところで拳をぎゅっと握りしめて、顔を上げてキッとあたしをにらんだ。
おや?
なんでしょーかッ。
あたしは冷たい笑みを浮かべている。
真剣な顔をして、あたしを真っ直ぐににらみつけて、ディルはかすれた声で言った。
「……じゃあ、マイさん、なんで人を殺しちゃいけないの?」
「……」
……これですよ。
あーもうっ、これだから、君はつまんないのだよ。
そういうことよく平気で訊けるよねー。
どういうことかわかってないんだろうね。
にっこり笑ったままうつむいて考える。
……いいや、周りに見えないだろうし、構わないよね。
あたしはスカートの中に手を突っ込んで腿につけていたホルダーから小さな銃を抜いて取り出した。
それをチャッと軽く持ち上げてディルに向ける。
片手で持って、もう片方の手の平で隠すようにして。
首を傾げてにこっと笑う。
「……じゃあ、あたしが君を殺そうか?」
「マイ!」
あたしの前に白い物が割り込む。
ひらりと翻るそれは修道衣のスカートだ。
あたしを突き飛ばすようにしてディルの前に立ったのはロベリアさんだった。
ぐいっとあたしの銃をつかむ手を握りしめて横に向けさせて。
表情もなく静かに冷たい目であたしを見下ろしている。
咎めるでもなく、責めるでもなく、ただこちらを見つめている。
それは不思議とあたしに石でできたマリア像を思い出させた。
「……何をしているの? マイ」
「あ……」
「そんな必要がどこにあるのかしら」
スゥッと目を細めてあたしに訊ねるロベリアさんは明らかに冷ややかな怒りを秘めていて、人間に戻ったという感じだった。
あたしは慌てて銃をしまい、立ち上がる。
地面についたことで汚れたスカートを払いながら。
「あ……すみません、あたし……」
「シスター・マイ」
「……はいっ」
たぶんシスターじゃないことがディルにバレたことはわかったはずだ。
それでもわざと『シスター』と呼んであたしの役を思い出させる。
ずいぶんと厳しい声だった。
今ははっきりと責められていた。
あたしは静かに首を垂れる。
その頭にほっそりとした百合の花のような白い手がそっとやさしく置かれる。
あたしはビクッとして顔を上げた。
何か悲しげな顔をしたロベリアさんが微笑んでいる。
「……いいのよ」
それだけ言って、ディルのほうに向き直り、しゃがみこむ。
そして無邪気そうににっこり笑い、ディルの帽子を取って、今にも泣き出しそうなディルの頭を撫で始める。
『もう大丈夫よ』と繰り返し言いながら。
あたしはどうすることもできなくてただ呆然と突っ立つしかなかった。
+++++
みんなが必ず出なくてはならない定時の礼拝とやらがあるらしい。
あたしは聖堂の中の隅っこにロベリアさんと並んで立っていた。
結局あたしは武器庫を見せてもらうことはできなかった。
あの後ロベリアさんはディルを慰め、こどもたちの輪に入れて、一緒に仲良く話していた。
最初はやっぱりこどもたちはディルを避けていたけど、ロベリアさんを間に、ちょっとずつ話すようになっていた。
でもすぐにイジメがなくなるとは思えない。
それはディルの努力次第だろう。
結局……人が変わるきっかけなんて単純な言葉だったりするけど、それを信じるかどうかは自分自身であって、誰か他人によるものではないと思うし。
誰かの存在を頼みにしてるだけじゃ何も変わんないしね。
『大丈夫だよ』なんて言葉も、信じられるほど自分が強くなくちゃ、心が折れそうな度に言ってくれる人が傍にいないと駄目なんじゃ話になんない。
でも、ロベリアさんがやさしく色々と言い聞かせていたから、それを信じて強く生きていくこともできるだろうなァ。
ま、そういうもんなんだろうね、どうでもいいけど。
「ロベリアお姉さま」
あたしはひそひそと小声で隣に話しかける。
「あのさ、お祈りって、何を考えてりゃいいの?」
ロベリアさんがあたしのほうを向き、首を傾げて、不思議そうな顔で答えた。
「何も。黙っていればいいわ。マイに世界平和を祈る気持ちがあれば……」
「ないない!」
あたしは強く言って、慌てて声をひそめる。
「ないですよ、そんなの。っていうかマイ自分のこと以外どうでもいいですし」
「そう。じゃあ、考えたいことでも考えていればいいわ。本当は無心でいるものなのよ。神様の前に自分の心を投げ出すの。でも……マイは眠ってしまわないかしら」
ロベリアさんは澄ました顔で少し意地の悪いことを言った。
このォ。
でもその通りだ。
「ねー、じゃあ、ロベリアさんはー?」
ロベリアさんはふっと花のようなふわっとした笑みを浮かべた。
「私は……こどもたちが幸せになることを。いつでもそう願っているわ。こどもたちが笑える世界を。こどもたちがつらくない世界を……」
胸の前で両手を合わせて幸せそうに微笑む。
「そう考えているだけで幸せなの。それが私の幸せなの。ウォルターのために生きることが……」
……はァ、ああ、そうですか。
あたしはわからないようにそっと息を吐く。
『ウォルターのために』……ねえ。
人ってそれぞれいろんな思いを抱えているよねッ。
あたしはバジル君のことでも考えるかー。
「……でも、ロベリアさん。あたし、お説教とか、笑っちゃいそう。あんまり真面目だとさ。なんかふざけたくなんないですか? ネズミとか捕まえて来て放したらパニックかなぁ」
きょとんとしていたロベリアさんが意外なことにぷっとふき出した。
うつむいて声を抑えて小さくクスクスと笑う。
そして目の端をぬぐって言った。
「……懐かしいわね」
「は? まさかロベリアさん、やったことあんの?」
「私じゃないわ。ネズミでもないけれど。そうね……」
正面を向くロベリアさんは昔を思い出すような遠い目をして言った。
「私は『共犯者』ってところだったかしら……」
それから、妙にやさしい温かい目で、あたしをじっと見た。
その向こうに誰かを見るように。
あたしはムッとして唇をとがらせて黙った。
+++++
・・・・・
*
聖なる幻を見て、神の言葉を伝える男、ノア。
ああ、人間が楽園を追放されてから、千年も経ち、人は神を忘れてしまった。
堕落しきった人々よ、洪水は起こる……
神はすべてを滅ぼされる。
だが、おまえとその家族は助けてあげようと、神はおっしゃった。
見よ、時は至れり。
神は雨を降らせたまえた。
だが、我々には箱舟がある。
船の側に集まった人間たちがわめく。
「乗せてください!」
いまさら何を言う。神の言葉に耳を貸さず、我々家族を馬鹿にした者どもが。
「乗せてあげてください! 全員が無理でも、こどもだけでも……」
次男ハムの嫁、イリヤが言う。
「生まれたばかりのこどもに一体なんの罪があるというのです!」
「あいつらは神を忘れたのだ。それが罪だ。選ばれなかったのだ。それが罰だ」
「神を知らない者だっているわ……!!」
「神を知らない者はいても、神が知らない者はいない」
……神を疑ってはならない。
・・・・・
……ああ。
そんな話もあったなァ。
旧約聖書の小説版だったか。
あまりにも眠くてぼんやりしてしまった。
だって聖書の朗読や説教だけじゃなくそれぞれの活動の報告とかまであるんだもん。
チョー暇ですよ。
あああ……あくびもしちゃいけないなんてさ。
よっくみんな我慢できるよねェ。
……神を知らないこどもか。
とっくに海の底かもね。
神様を知らなかったけど、あたしは罪を犯したよ。
とってもとっても重たい罪を。
あたしが望んだわけじゃないけど。
あの時、神様を知っていたら、あたしは神様に助けてって言ったのかな。
そしたら神様は助けてくれたのかなァ。
それともいけないことしたあたしを助けてはくれなかったのかな。
……まァ、今になっては、どォでもいいこと。
修道女は清貧が基本らしい。
移動手段もなるべくお金を使わない。
というわけで、ふたりして、トラックの荷台の上だ。
「まだここではね。我慢してちょうだい」
ロベリアさんは申し訳なさそうにそんなことを言った。
少し離れたところで車が待っているらしい。
仕方なしに乗り込んだ。
あたしはガタガタと揺られているうちにすっかり眠くなってしまった。
こくん、こくんと、頭が垂れる。
ハッとして顔を上げるけど、また下がっていくのをどうしようもない。
そうしていると、ロベリアさんがあたしの肩をつかみ、そっとやさしく引き寄せて自分の肩に頭を乗せてくれた。
まだ辛うじて起きていたあたしは、ロベリアさんの顔を見る。
あたしの視線に、彼女は微笑んで小さくうなずいた。
「……疲れたでしょう? マイ。眠っていいわ。着いたら起こすから」
あたしはちょっと目を細める。
「……どうしてそんなにやさしくしてくれんの?」
そんな覚えないんですけどー。
あたし何もしてないし。
むしろ今日の失態で怒られて当然な気がするんですが。
困惑げな笑みが返ってくる。
正面を向いたロベリアさんは、淋しげにぽつりと言った。
「……どうしてかしらね」
あたしは何も言う気になれずに目を閉じた。
その後、あたしの頭を撫でる、やさしい手の持ち主を。
あたしはひそかに心の中で嫌った。
……だって、なんだか、それは違うと思ったから。
(おしまい)
*参考:『小説 ノアの箱舟』・・・著/ディヴィッド・メイン/訳:金原瑞人/発行:ソニー・マガジンズ
*注意:一部、それを元にして、二次創作(捏造)しています。
参考・・・『知っておきたい! 教会の基本』(発行人:角謙二/編集人:小林豊考/発行:株式会社枻出版社)