シルヴィオ夢(エリザベッタ)
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ざくっ、……ざくっ……。
私の足がキャベツを包丁で刻むような音を作る。
それはひどくゆっくりで。
一歩を踏み出してからかなり時間がかかるのは、膝まで埋まりそうなほどの雪のせい。
さっきまで降っていた雪が地面を埋めているせい。
私が小さいせいもある。
それでも、積雪の量はかなりあって、大の大人だって歩くのに苦労するだろう。
いつもにぎやかな街には人気がなかった。
こんな雪の日に外に出るのは、仕事がある人か、やむにやまれぬ事情がある人か、よほどの物好きだけだろう。
こどもたちが雪で遊んだ跡はあるけれど、あまりの雪に早々に引きあげていた。
今はもう雪は止んでいるけれど、白に埋もれて歩きにくい。
辺り一面真っ白で。
シンとして。
静寂に満ちていて。
私はホウッ……と大きくため息を吐く。
そして首に巻いていた紺色のマフラーが落ちそうなのを巻き直した。
口元を覆い隠すようにしっかりと。
寒さで顔が痛かった。
ひりひりする。
鼻も赤いと思う。
思い出したように顔を上げて息継ぎのようにため息を吐けば白いもやが空に上がっていく。
立ち止まって分厚い毛糸の赤い手袋をはめ直し、茶色い紙袋をよっこいしょと抱え直す。
……こんな日に買い物を頼むなんて、お父さんもひどい。
私はお母さんに頼まれてお父さんの着替えを届けに行っただけなのに。
雪の中を届けに行けっていうお母さんもだけど。
お父さんは仕事が忙しいらしくてもう何日も帰ってきてないから着替えとお弁当と。
それだけでも大変で……もう疲れているのに……。
今度はお父さんが『コーヒーが切れたから買ってこい』なんて。
他の人……仕事仲間……に頼めばいいのにとは思ったけど、みんな忙しそうだった。
だから文句も言えなかった。
国立司法図書館て何してるとこなのかよくは知らないけど・・・。
お父さんたちの仕事は私たちを守ってくれる大切なことなんだもんね。
とにかくお母さんがそう言ってた。
だったら私だってなんかの役に立ちたい。
……そうも思ったから。
でも……だんだんと……。
ああ、足が重い、雪のせいで歩きにくい。
足の先が冷たくなってだんだんと……。
動かしにくく……。
ざくっ……、……ざくっ……きゅっ……。
雪が変な音を立てた。
私はよろけて、ズッとすべって、変な体勢になって。
慌ててしっかりと真っ直ぐに立って踏ん張る。
そしてまた踏み出す。
こんなところで動けなくなったらどうするの。
そういうわけにいかないんだから。
周りに誰もいないもん。
自分でがんばって図書館まで戻らなきゃ……。
……そう思ってたら、すごい勢いで雪を蹴散らすようにしてザカザカと音を立ててこちらに近付いてくる誰か。
あれは……。
見たことある。
知っている人だ。
たまたま?
でも私に向かって歩いてきてるように見える……。
私?
私がぽかんとして突っ立っていると、その人は私の目の前でピタッと止まった。
淡い茶色に輝く髪と薄青い瞳が白い雪の中で目立っている。
薄手の茶色のコートに地味なズボンで目立つようなところなんてないはずなのに。
そこだけ光が当たったようなすごい存在感。
大きながっしりとした体がまるで壁のように私の前に立ちふさがって。
かなり低いところにいる私をじっと見下ろしている。
と、思ったら、キリッと鋭くにらみつけられた。
+++++
「エリザベッタ!!」
大声の叱りつけるような調子にビクッとする。
はぁ……と大きくため息を吐いて、眼鏡を直し、男の人……確か名前はシルヴィオ……は、頭が痛むように額を押さえた。
そして今度は怒りよりも呆れた様子で私を眺めて言った。
「……何をしてるんですか、あなたは……」
怖い。
まずその大きさが怖い。
どこかもかしこもがっしりとしてて、顔はやさしそうだけど、今は怖い顔をしてて。
上から私を見下ろす目が、眼鏡の奥の目が、鋭く細められていて。
私は寒さからでなくがくがくと震えてしまう。
「あ……あの……お父さんにコーヒー頼まれて……」
シルヴィオさんはもう一度眼鏡のつるを指で挟んで持ち上げて位置を直した。
いったん顔が手のひらで見えなくなって、その次には、顔から険しさが抜けていた。
シルヴィオさんは目を伏せて、きゅっと結んだ口を開いて、低めた声で言った。
「それは知っています。クリストフォロに聞きました。娘が買い物に出かけたけれど遅いから捜してくれと。……私が言っているのは、どうしてそんな頼みを引き受けたかです。あなたがそんなことをする必要はないでしょう? エリザベッタ」
「でも……頼まれたから……」
どうしよう、怒ってる?
怒ってるのかしら。
怖い。
じわ……と涙が出てくる。
叱られるようなことしたつもりないのに……。
『はぁ』とまた大きなため息を目の前のシルヴィオさんが吐いて私はまたビクッとする。
シルヴィオさんは腕組みをして、私を見下ろし、首を傾げて黙って考え込むようにした。
じろじろと見られて私は落ち着かない。
どうしよう……!?
次は何を言われるのかな、怖い……!!
すると、ゆっくりと口を開いたシルヴィオさんが、怒りも呆れもない無表情に近い顔で、静かに……やさしいと言えるほど……私に言った。
「すみませんでした、エリザベッタ……、そう怯えないでください。脅かすつもりはなかったんです。怒るつもりではなかった。しかし、こんな雪の日に、こんなに小さなあなたが買い物に出るなんて……。いえ、むしろ、買い物に行かせたクリストフォロたちに腹が立ちました。すみません、八つ当たりのような真似をしてしまった」
「あ、いいえ、いいえっ……シルヴィオさん」
ぶんぶんと首を振ると、シルヴィオさんが意外そうに目を見開く。
「……『シルヴィオさん』?」
「あ、ごめんなさいっ、なれなれしくてっ……」
慌てて謝ると、少し顔から力を抜いて、不思議そうに……きょとんとしているともいえる顔で……シルヴィオさんが首を傾げる。
「いえ、私の名前、よく知っていましたね。あなたとはそれほど顔を合わせてはいないと思いますが。クリストフォロから聞いたんですか?」
「う、……はい、そうです」
どぎまぎして答える。
……だってシルヴィオさん目立つから。
大きくて……真面目そうで……雰囲気も固くて……怖そうな人だけどかっこいいなって。
いつも背筋を伸ばして堂々と歩くその姿からして周りとは違って。
ずっと輝いて見えたんだ。
私も女の子だから。
ちょっとした憧れもあった。
それがこうしてふたりきりで話せるなんて……。
シルヴィオさんはあごに手を当てて空を見つめて何やら考えこんでいた。
……と、さっと私のほうを振り向いて、手をのばした。
「持ちましょう、その荷物。そんなものを持っていたのでは危ない。私が持って前を歩きますから、エリザベッタは後ろをついてきてください」
「はいっ」
有無を言わさぬ調子に素直に紙袋を渡す。
そして前を大股で歩き出すシルヴィオさんの後についてまた雪を踏んで歩いた。
シルヴィオさんは足が速いから大変だ。
そうして一生懸命歩いているとぽーっとした頭にいろいろな考えが浮かぶ。
途中、ふとわいた疑問に、背中に向けて問いかけた。
そう、さっきのシルヴィオさんの言葉通り、私たちは直接話したこともない。
私だってたまにお父さんの着替えを持っていくくらいで頻繁じゃない。
シルヴィオさんを見かけたのだって2・3回くらいで……。
……それでどうしてシルヴィオさんは……?
「あの……よくわかりましたね、私がエリザベッタだって。お父さんに聞いたんですか。え、でも、よく私だってわかりましたね……」
雪の中ひとりで歩いていたのが私だけだからそれでかな。
すると、シルヴィオさんが振り返って、スッとした切れ長の目を私に向けた。
そして当然といったように軽く言う。
「私も見たことがあったからですよ、エリザベッタ。あなたのことを。こんなに小さな少女がと気になったのでクリストフォロに訊ねました。よく手伝いをしていますね、感心です」
「あ……ありがとうございますっ」
うわぁ……シルヴィオさんが見ていてくれた……!
しかも褒めてもらっちゃった……!!
感激して胸の奥がじんと熱くなる。
だけどシルヴィオさんは急に苦々しげになって続けた。
「かといって今日のことは感心しませんが」
「……すみません」
しょんぼり。
やっぱり怒ってるんじゃ……。
うなだれる私にシルヴィオさんの視線が刺さる。
『まぁ』と継いでシルヴィオさんは前に向き直って言った。
「私の後についてきてください。私の歩いた後を踏むようにして。早く戻りますよ。あなたが風邪を引くといけない」
「はいっ!」
元気よく返事をすると、わずかにこちらに顔を向けて、少しやさしげに細められた目で私を見た。
口元がほんの微かに笑っているように見える。
落ち着いた低い声も柔らかくって。
「いつも見ていたあなたの元気な姿が見られなくなったら淋しくなるので」
それだけ言ってシルヴィオさんは前に向き直った。
「え……」
え、ええ、えええっ!!
バッと顔が一気に熱くなる。
シルヴィオさんは私のこと本当に見ていてくれたんだ……と、思うと、どんどん熱が上がる。
ぎゅっと手で押さえるけれど、胸のドキドキが止まらない。
私は小さくなってシルヴィオさんの後ろを歩いた。
大きな背中は、もう怖くなくて、ただひたすらに頼もしいものだった。
(おしまい)
+++++
オマケ。
シルヴィオさんはザックザックと大股で進んでいく。
雪なんてなんでもないかのように。
私は必死に後を追うけどどんどん引き離されてしまう。
シルヴィオさんは『私の足跡を踏んで』というけれど大股すぎてムリ。
私の2倍はあるんだもん。
どうしても間に自分で雪を踏まなくちゃならない。
すると足が埋まる。
もうどうしよう……!
ふたりの間がどんどん開いていく。
困っていたら、私が離れていることに気付いたシルヴィオさんが、不審げな顔で言う。
「エリザベッタ、どうしましたか?」
「あ、いえ、ちょっと……!」
見てわからないんだ。
ちょっと天然なのかな。
私は荷物まで持ってもらってぜいたく言うわけにいかないやと言葉を飲み込む。
「だ、大丈夫ですから……!」
また一歩踏み出してよろける。
それで気付いたらしい。
ハッとした様子で、私のほうに駆け戻ってくると、シルヴィオさんは私に紙袋を渡した。
「持っていてください」
「え? あ、はい……わっ」
私が受け取ると、シルヴィオさんは私の体に腕を回していきなりぐいっと持ち上げた。
……っていうか抱き上げた。
顔中にガァッと熱が集まる。
これは……
お姫様抱っこー!!
「シ、シルヴィオさん……」
「めんどくさいのでこれで帰りましょう」
「恥ずかしいです……」
シルヴィオさんは大真面目だった。
「見ている者は誰もいませんが」
うう……。
せっかくの機会だし、少しの間はこれを味わっちゃってもいいかぁ。
すごくたくましい腕が私をがっちり抱いてくれて、頭の横にはたくましい胸があって。
うっとりする。
まるで騎士が自分を守ってくれているみたいな気持ち。
雪の日のお姫様。
今日だけ特別。
今だけだね。
(おしまい)