アンディ夢(ジェンマ)
夢小説設定
この章の夢小説設定設定:原作通り。
主人公は街で出会った気の強い同年代の女の子。
内容:アンディ夢。一応はほのぼの。
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カチャッ……キィィ……パタンッ。
扉を開く音が近付いてくる。
微かな金属の音も。
ギシッ、ギシィッと床板を重たい音を立てて踏んでゆっくり進んで、ドアノブを握り、扉を開けて中を確認、また閉めて次の扉に。
……あたしをさがしてる。
ギュッとワインの瓶を握りしめる。
その手が緊張で震える。
……誰だ?
階段をのぼってきてあたしをさがしてるのは誰?
わからない。
考えられない。
息が苦しい。
ドッ、ドッ、と全身が心臓になったかのように、耳に鼓動の音が響きわたり、熱い血の流れを感じるのに、水の中にいるかのように体の表は冷たい。
……やっつけなきゃ。
この状況で、誰にしたって、あたしをさがしてるなら敵だ。
そうだ。
きっと銃を持ってあたしを……。
カチャッ……キィィッ……パタンッ。
音が近付いてきた。
隣の部屋だ。
あたしはワインの瓶を両手で握り、顔の横まで持ち上げた。
そっと扉の横で息を潜めて待つ。
相手が扉を開くのを。
カチャッ……キィィ……
今だ!
全力で持ち上げていた大きな瓶を素早く勢いよく振るう。
扉を開けて頭を突っ込んできた人物に。
誰だか確認する暇もない。
あっちゃいけない。
この一撃で仕留めなければ。
重たい瓶につられて体が傾ぐ。
体勢なんて直せない。
動きが大きすぎて駄目だ。
反撃にあったらその間にやられてしまう。
だからこの一度だけ。
ブンッ……!!
サッと相手が避ける。
というより、ひらりと風に舞う蝶のごとく、あるいは薄い花びらのごとく、スッと軽く踊るように部屋の中に入りこんだ。
くるりと身を翻して。
ワインの瓶をかわして。
「わっ、とっ……と!」
あたしはたたらを踏んで止まる。
あっという間に瓶を振り下ろした場所からあるはずだった相手の姿が消えていたのだ。
目標を見失って空を切った瓶を慌てて壁にぶつからないように止める。
割れるところだ。
……危なかった……じゃないっ、危ない!
ホッと息を吐きかけたのを止めて、バッと後ろを振り返る。
部屋の中。
あたしの攻撃を避けた相手がそこに立っているはず。
……殺されるっ……!!
なんらかの暴力が来ることを予期してぎゅっと体を縮めた。
……だけど、こない。
何もされない。
なんの攻撃もこない。
撃たれることもない。
ハッとして目を見開いて目の前にいる相手を見る。
「……」
こんな時なのに、やたら冷めた目でじっとあたしを見ているのは……。
「あ……アンディ?」
ギロチンを手に握ったままのアンディが、けれどもそれをあたしに振りかざすこともなく、だらんとその手を下げて、半眼であたしを見ている。
つけていた黒い眼帯が取れていて、もう片方の目があらわになっている。
……あれ? 銃の横っ腹についていた模様と似てる……?
同じ……?
ついまじまじと覗き込むようにして見ていると、あたしを黙って見据えていたアンディがゆっくりと首を傾げて口を開く。
「……ジェンマ、落ち着いた?」
ハッ。
ああっ、あたしアンディに酒瓶をっ!!
しまった、なんてことを。
だっててっきり……敵だと思って……。
……否。
ギュッと瓶を握り直す。
ごくりと唾を飲み込んで、アンディをにらみつける。
……アンディだって、あたしのしようとしていたことはわかったはず。
利用したんだもん。
アンディにとってあたしは敵だ。
+++++
「……ジェンマ」
アンディの目がスゥッと細まる。
それでも武器を持ち上げないのは、余裕なのか、それとも……。
あたしはゆっくりと瓶を持つ手を下に、そして後退して、一番近いテーブルに向かった。
アンディのほうを向いたまま、決して背は見せず、隙を見せずにゆっくりと。
それでも動かないアンディ。
わずかに足を開いて片手にギロチンを、もう片手に鎖を持って、じっとしている。
静かにあたしの行動を見守っている。
……やっぱり、あたしを襲う気はないんだ……。
内側に、心に、チクチクした痛みを感じる。
目を閉じて、深く息を吐き出し、ドンと大きな瓶をテーブルの上に置く。
……ごめん、アンディ。
レッド・レイヴン相手にワインの瓶振り回しても勝てないよね。
無駄だ。
相手になるはずない。
アンディだってわかってるんだね。
それ以前に、アンディにその気はないみたいだし。
あたしが……勝手に敵意を持って……。
馬鹿な真似したな。
だけど……どうして?
どうして何もしてこないの!?
「……アンディ」
あたしがひどいことしたのはわかってるはず。
なのに、何もしてこないなんて……。
みじめな気持ちでうなだれる。
筋違いだけど……わかってるけど……あたしってそんなに弱い?
意味がないの?
価値がないの?
怒ることすらしないほど……!?
市民なんて羽虫みたいなもので、何をされても痛くもかゆくもないってことなのか。
ああ……腹が立つ!
無言で平然とした顔であたしをただ眺めているアンディに。
あたしは腕を大きく広げて振って、わざと冷たく乱暴に投げつけるように言った。
「それで!? 悪かったね、勘違いしたんだよ! でも何!? 言っとくけど、あたしが売ろうとしたのはロッチアの連中じゃないよ。カスカータだ。アンディがただ者じゃないって思ったし、こんな時にこの街に外からやって来るのはチンピラじゃなければ政府の人間しかいないからさ。まさかレッド・レイヴンだとは思わなかったけど……」
そう、まさか、そこまでは思わなかった。
こんな街に住んでるけど、名前くらいは聞いたことある。
あと、すごく強いってことも。
……本当だよね。
だって、無事で2階に来たってことは、ロッチアの連中やっつけちゃったってことだもん。
見たとこアンディは全然怪我もしてない。
……あたし、とんでもない人をだまそうとしてたんだ。
いや、だまして、利用した。
まだ真っ直ぐにあたしをただ見据えているアンディ。
その目に、責める色がないことを、あたしは本当に不思議に思う。
アンディは黙ってあたしを見てる。
怒ってる様子もないし、悲しんでる様子もなく、もちろん嬉しそうでもない。
完璧な無表情。
……なに考えてんだかわかんない。
だから続けてしゃべることにした。
なんとなく黙っていられない。
「お母さんはここから離れた隣町の親戚の家にいるよ。ロッチアの連中から嫌がらせを受けて、身が危ないってんで、逃げて隠れたの。本当はあたしもずっとそこにいるはずだったんだけど……こっそり出てきたんだ。だって、やられてただ逃げるだけなんて……あんなヤツらの好きにさせるなんてさ……! あたしの、あたしたちの大切な店を、あたしは守らなくちゃって……!!」
「……だから、この店に戻ったの?」
アンディの静かな問い。
あたしはうっすらと笑ってみせる。
馬鹿だと思ってるでしょ?
「うん、そうだよ。なんとか店を再開できるようにしたくて。片付けもあったしさ。……悔しいから、何事もなかったかのように店をやって見せたかったんだ。アンタたちの好きにはさせないよ、って。ここはあたしたちの店なんだ、マフィアなんかのいいようにはさせないから、って。……まぁ、昔からカスカータの縄張りになってることは確かだけど……肝心の時には何もしてくれない。自分たちが危ないって時に、ただで守ってくれったって無理な話だろうけどね」
引きつる頬を無理やり歪めて大きな笑みを作る。
あざ笑うかのように。
でも、笑っているのは、自分のことだ……。
「だから、政府の人間であるアンディのことを引き渡して、かわりに守ってもらおうと思ったの。カスカータ一家に。……けど、バレちゃってたんだね……。あんなにじっと見られてたら、マフィアに連絡つけるなんて無理だもん。お茶に眠り薬入れるわけにもいかなかったし。眠り薬なんて持ってないから、入れるなんてどうせ無理だけど。……本当は、油断して部屋で休んでくれたらなんて思ってたんだけど……」
それも休むことを断られてしまったから無理。
アンディは最初からわかってたんだ。
あたしは全身から力を抜いてやるせなく笑う。
どうにもできないでいるうちに、ロッチアの連中が来ちゃって、どうにもしなかったおかげで、結果、助かるなんてね、助けられるなんてね。
あー……本当……いろいろと思惑が外れたっていうか。
ううん、少しは当たってることもあったんだけど。
もしヤツらが来てもアンディがいれば大丈夫かも、なんて。
最初はそう思ってうちに呼んだんだもんね……。
途中でカスカータに売る気になったけど。
本当、最低だな、あたし。
……助かってよかった、なんて、思っちゃいけないよね。
はー……。
+++++
「最初から疑ってたんでしょ? あたしのこと。バレバレだったってわけだ。それでも平然としてるんだもんね……」
やっぱり、力があるからかな。
強いから、自信があるから、なのかな。
それって……。
顔を上げてみると、いつのまにか、アンディの肩にシャルルが戻っている。
アンディはなんだかきょとんとした顔をしている。
戻していた首をまたちょこんと傾げて。
「……ジェンマ。ボクはただ、お腹空いたから早く何か食べるもの出てこないかな、と思って見てただけだ」
「えっ、嘘!!」
ショック。
あんなじっくり見てたから、警戒されてるんだと思ったのに……。
だから怖くて『目を盗んでカスカータに連絡』なんて出来ないと思ったのに。
……あっ。
「じゃあ、シャルルがあたしを見てたのも、何か食べるものが欲しいと思って……!?」
「そんなわけあるか!!」
シャルルがくわっと目を見開いてアンディの肩の上でバサバサと羽ばたいて怒鳴る。
「アンディと一緒にするな!! 俺はおまえの挙動が不審だったから何かしやしないかと思って見張ってたんだ!!」
「……ああ、そう」
……なんだ。
どっちみち、何かしてたらバレてたんだ。
何もしなくてよかった……。
アンディ……はともかく、シャルルは用心してたんだもんね。
逃げられたかも。
もっと悪くすれば、あたしは……。
自分のしたことがわからないわけじゃない。
悪かったとは思ってる。
咎められて当たり前だ。
だけど……。
うつむいて、キュッと唇を噛む。
あたしの前で、シャルルがアンディに言う。
「おい、逃げた連中を空から追っかけて、ボスの居所は確認できた。行くぞ、アンディ!!」
「うん」
そのままあたしを置いてさっさと部屋を出て行こうとするアンディ。
本当に、あたしのことなんてなんとも思ってない。
当たり前だね。
あたし弱いもん。
力がないもん。
何もできない。
どうでもいいんだよね。
いつも周りに振り回されて、誰かの都合に影響されて、誰かの顔色をうかがって、辛うじて生きていくしかないんだよね。
……くっ……。
涙の出そうな目に力をこめて、嗚咽のかわりに言葉を漏らす。
「……アンディたちがもっと早くに来てくれれば……」
レッド・レイヴンだ。
きっと抗争を起こそうとしてるロッチアの連中を狩りに来た。
ロッチアのボス、ジャコモ・ロッチアを。
そう言ってた。
……だけど。
あたしは顔を上げてアンディをにらみつける。
激しい怒りをこめて。
あたしの呟きを聞きとがめたのか、アンディが扉の前で足を止めて、こっちを見ている。
「もっと前に来てくれれば……! カスカータだってひどいヤツらだ!! あたしのお祖父さんは殺された……!! 人の命は数じゃないでしょ!? なんでお祖父さんが殺された時に来てくれなかった!! 何をしてたの!? なんでっ……」
……間違いだってわかってる。
八つ当たりだって気付いてる。
今さらそんなこと言いたいわけじゃない。
アンディを責めるのは間違いだ。
表情を変えずにいるアンディと違って、戸惑った様子で、シャルルがくちばしを開く。
「ジェンマ、それはレッド・レイヴンの仕事じゃ……っていうか、確かに数じゃないが、ひとりを殺したからといってすぐに判定書が出るわけじゃ……」
「わかってる!!」
雇われ殺し屋じゃあるまいし、政府の人間が私怨で動くとは思えない。
だけど、じゃあその力が、あたしにあったら……!?
喉から手が出るほど欲しいものだよ。
あたしはその力を持ってるアンディを見つめる。
「何もできないくせに……!!」
お祖父さんを助けることもできなかった。
恨みを晴らすこともしない。
この街を平和にすることもできない。
害悪と判断された対象を排除するだけだ。
それしかできない。
きっとすぐにまた別のマフィアが……いや、この街はカスカータの手に戻るだけで、あたしたち市民が苦しめられることは変わらない。
政府なんて何もできないくせに。
苛立ちを感じるのは何もできない自分にだけど、アンディの無表情な顔は、冷たい政府の対応を思い出させる。
「あたしにアンディみたいな力があったら、守りたいものみんな守ることができるのにっ……絶対にそうするのにっ……!!」
そうだ、必要なもの、みんな守る。
この街の平和だって、家族だって、このお店だって。
あたしだったら、何かあるまで黙って見てるなんてことしない。
人の大事なもの壊そうとする連中。
そんなヤツら寄せつけないようにするんだ。
寄ってきたら叩きのめしてやる。
そうして大事なもの全部を守るんだ。
守ってあげるんだ。
それなのにっ……!
+++++
「力が欲しいっ……!!」
アンディの目があたしから外れて、チラッとテーブルの上のワインの瓶に移る。
それを確かめるように見て、アンディはシャルルの乗ってないほうの首を傾げて、あたしに視線を戻す。
「ねえ、ジェンマ。君、その瓶を持ってたってことは、さっき自分が危ないってわかってたんだよね」
「そうだけど……」
いきなり何を言い出すんだ。
……なんの話?
そんな当たり前のことを……。
答えを聞いても変わらず無表情のままで、アンディがぼそぼそと低い声で続ける。
「じゃあ、もし君がボクの立場で、君が誰か大切な人だったら、……どうするの?」
「えっ……」
もし、あたしがアンディで、あたしがあたしの誰か大切な人だったら……ってこと?
誰か……たとえばお母さんだったら……。
どうするって、そんなの決まってる。
「守るよ」
あたしはきっぱりと言う。
そう、そうするに決まってる、それ以外の答えなんて考えられない。
「あたしがその力でみんなを守る!!」
あたしに力があるんなら、アイツら全員やっつけて、大切な人や物を守るんだ。
ピク、と眉を動かして、アンディが少しまなざしを厳しくする。
「……じゃあ、もしも勝てなかったら? どうするのさ」
「それはっ……」
思い返してあたしはハッとする。
……あの時、アンディがかばってくれなければ、あたし死んでたんだ……。
ううん、あの時だけじゃない。
その後だって、もしアンディがアイツらにやられていたら、階段をのぼってあたしをさがしに来たのはロッチアのヤツらで、今頃あたしは間違いなく……。
わかっていたけど、こうしてひとまず無事に済んで、思い返してみるととても怖い。
あたし危なかったんだ……。
死んでたかもしれないんだ。
アンディがアイツらより弱かったら。
そして、もしあたしじゃなく、あたしの大切な人だったら、その人は死んでたかもしれない?
……それに、そうじゃなくても、あんなに怖い思いをさせて……?
だ、だけど、それなら……。
もしあたしがアンディだったら……。
……それなら、負けなければいい。
「だったら、もっと強くなるよ。とにかく強ければいいんでしょ!?」
強ければ、みんなを守れる。
大切なものすべて。
力があればそれでいいんだ……!!
はじめてアンディの顔が歪んだ。
眉根を寄せて苦しげに、少し苛立ったように目を細めて、あたしに刺すような視線をくれる。
「それで負けたら? もっと強くなって、それでも負けたら、今度は武器を持って? ……それでも駄目なら、もっと強い武器を持つの? ……君の考え方は、マフィアと同じだ」
低く冷たく鋭く響く声。
同じくらい冷ややかな目。
まるで断罪するような。
それが容赦なくあたしに向けられる。
……鉄の刃みたいだ。
それを喉元に突き付けられたみたい。
ひどい……!
だって、だって……。
何がいけないの?
何が間違いなの?
なんでそんなこと言うの……!!
そんな力を持ってるくせに。
「……ジェンマ」
あたしはビクッとした。
殺気に近いものがこもってる……そう思ったけど、アンディの目にあるものは、静かな怒りだった。
こんな本気の怒りを向けられるなんて、初めてだ。
こんなに真っ直ぐにそれを向けられるなんて、今までなかった。
名前を呼んだのと同じ静けさでアンディが言う。
「大きすぎる力は、壊すことしかしない」
驚いてしまって声も出ない。
「そうしているうちに君は、どれだけのものを失くすだろうね」
それだけ言って、フイと顔を背け、背中を向けて、部屋を出て行こうとする。
黙っていたシャルルが『早くしろ。逃げられたら厄介だからな』と急かしてる。
あたしはその場に残される。
+++++
「ア……アンディッ、ねぇ……」
待ってよ。どういうこと? わかんないよ。
追いかけるあたしを、部屋の外でアンディが足を止めて待っていた。
いや、待ってたわけじゃないか。
ただ立ち止まってフードを被り直してただけた。
「……なに? 今日は仕事がふたつあって、忙しいんだよね。ロッチアと……」
さっとうつむいて、フードに隠れて顔が見えなくなる。
「……カスカータのボスと」
「えっ、それって……!?」
あたしは口元に手を当てる。
カスカータの頭領に判定書が出た……!!
っていうことは、もしかして、ここは……この街は。
この街はどうなるんだろう。
だからといって救われたとは決して言えないけど。
一時的にとはいえ、苦しめてきたマフィアの手から離れられる……!!
「アンディッ……!!」
言葉をなくしている間にアンディはスタスタと階段のほうへ向かっている。
呼び止める言葉に振り向いたのはシャルルだった。
「ジェンマ。おまえも逃げたほうがいいぞ。わかってるだろうが、ここは危険だ。一時この店から……街からも離れろ。どこかに隠れておけ」
勝手なこと言って……!
でも、うん、この店にいちゃいけない。
お母さんのところにあたしも行かなくちゃ。
アンディたちの後をついて歩いて下におりる。
店の入り口であたしは立ち止まった。
そのまま行ってしまうと思っていたアンディが足を止め、あたしをサッと振り向いた。
「……お菓子、ごちそうさま。おいしかった、ジェンマ」
ほんの少し、少しだけ、おだやかな顔をしていた。
「じゃあね」
顔を背ける時にはもう厳しい顔つきに戻っていたけど。
「……うん。バイバイ、アンディ」
去っていく背中に声をかける。
「ごめっ……」
……でも、その声をあたしは途中で止めた。
いや、最後まで言えなかった。
口をしっかりと閉じて、アンディたちを見送る。
角を曲がって、姿が見えなくなった。
あたしは閉じていた口を大きく開く。
……もう、いいだろう、きっと……。
「……うっ……えっ、うわあああんっ!!」
出せる限りの声を上げて泣く。
そうしないと壊れてしまいそうだから。
胸が痛くてしょうがない。
ぼろぼろと涙がこぼれる。
溜まっていたものが全部流れ出す。
あふれて、止められない。
苦しくて、苦しくて、止められない。
「わあああっ……!!」
喉の奥から声をしぼり出す。
そうすれば胸に刺さっているものが抜けて、痛みが消えてなくなるとでもいうように。
張り裂けそうなこの胸の痛み。
本当にこの体が裂けてしまえばいいのに。
そうじゃないからこんなに苦しいんだ。
「ふっ……ひっ……く、えっ……」
あたしは男の子になりたかっただけだ。
強くて、守りたいものを守れる、力のある男の子に。
強くなれる男の子に。
そんなに何もかも守れるわけじゃない。
そんなこと無理だってわかってる。
でも……大きな体と強い力を持って、せめてあたしの大事なものを守れるような……。
たったそれだけでよかったんだ、本当は。
あたしは男の子に生まれたかった。
守られるわけじゃなく、守る側になりたかった。
守られることをただ待っている女の子にはなりたくなかった。
あたしがこの店を守ってやろうと思った。
無力じゃないことの証明にしたかった。
あたし、あたしは……悔しかったんだ。
好きなようにされて悔しかった。
この店をあたしが守って、お母さんのため、お父さんのために、みんなのために。
……あたしにだってできることあるんだって。
何もできないわけじゃないって見せたかった……。
それが全部だと思ったんだよ。
あたしはそれがすべてだと思った。
そうすればいいとだけ思ったんだ。
結果、あんなことになって、それで……。
駄目だな。
むちゃくちゃだ。
あたし、うらやましかったんだよ、アンディが。
男の子であるアンディが。
守りたいものを守れる力を持っているアンディが。
とってもとってもうらやましかった……。
……でも。
『大きすぎる力は、壊すことしかしない』。
どんどん守るものが大きくなっていったら、あたしはそれを守れるのかな。
大切な人や物が増えていって、預かるものがたくさんになって、それ全部守らなくちゃいけなくて……。
あたし自身を守って、お母さんを守って、お店を守って、お客さんを守って、街を守って、そのために力を手にして戦って、もっと大きなものを守るために強い力を求めて……?
もっと力を持つと、もっと守るものが増えて、もっと敵ができて……?
あたしや周りの人たちが危ない目に遭うかもしれない。
殺されてしまうかもしれない。
あたしが……守る。
『そうしているうちに君は、どれだけのものを失くすだろうね』。
全部、全部、あたしが守る?
……無理だ。
あたしには無理だ。
できるはずない。
あたしにできることは、きっともっと少ない。
……守る?
違う。
力を持つってことは、それだけ失うものも大きいんだ。
強大な力は破壊することしか知らない。
アンディの言う通りだ。
……そういうことなんだ。
あたしが力を欲して、そのせいで大切な人を傷つけるかもしれないんだ……。
……あたし馬鹿だった。
すごい馬鹿だよ。
あたしはこの体で両手を広げて守れるものだけを守ってがんばるしかないんだ。
とんだ思い上がりだったってわけだ。
なんにも知らずにあたしは……。
「ごめんっ……アンディ、ごめんねっ……!!」
あたしは泣きじゃくりながら空に謝った。
本当に謝りたい相手はもうこの場にいないから。
せめてアンディの前で泣かないことが、あたしの意地だった。
あんなに責めることまでして、そのうえ泣いてしまったら、そんなこと悪すぎる。
アンディが、黙って受け止めてくれたから、責められてくれたから、あたし今まで怒るだけで、泣かずに済んでたんだ。
崩れずに済んでたんだ。
ううん、今だって。
全部受け止めてもらえて、今こうして泣けるおかげで、恨んだり悔やんだりせずに、立ち直れる。
……かなわないなぁ。
アンディはいろんな面で守ろうとしてくれてたんだ。
ふと、視線を向けた先に、店の壁に書かれたお祖父さんの文字が見える。
この店を作ったお祖父さんの掲げていた志し。
『踏まれても立ち上がるたんぽぽであれ』。
たんぽぽ……それはこの店の名前。
あたしは泣きながら笑う。
……うん。
たっぷり泣いたら、また立ち上がるよ。
あたしも、たんぽぽのように。
この店の娘だもん。
その頃のアンディ。
角を曲がったすぐで聞こえた大きな泣き声にその場に固まっていた。
やがてゆっくりと動き出すと、がくがくと震えて、ぎゅうぅっとシャルルの首をつかんだ。
あたふたあたふた。
「どうしよう、シャルル……! 泣かれた……泣かしたっ……!!」
「落ち着け、アンディ!! 大丈夫だ、女の子ってのは案外泣くものなんだ!! きっとすぐに泣きや……」
「戻ったほうがいいのかな? でもなんて言えば……何を言えば……っ」
「落ち着けって!! 戻んな!! さっさと行くぞ!」
ぐーるぐるぐるぐる。
混乱。
しばらく立ち尽くしていた。
+++++
後日談というやつ。
アンディによってカスカータの頭領が処刑され、ふたつの対立するマフィアが潰されて、この街には平和が戻った。
何もかも元通りというわけにはいかないけれど。
街のみんなで協力して街を建て直して一緒に手を取り合ってこの街を守っていくことに決まった。
ここはみんなの街だから。
そして、あたしの家にはカスカータに囚われていた料理人のお父さんが戻ってきて、レストランが再開できることになった。
お祖父さんが殺され、お母さんとあたしの命を人質に取られていて、お父さんは仕方なくカスカータ一家の料理人になってたんだ。
これからは、お父さんとお母さん、またふたりでレストランをやっていくことになった。
あたしはといえば。
荷物をいっぱい詰めた重たいトランクを足元に置いて街の外れに立っている。
ちょっと不安もあったけど、大通りでヒッチハイクするために街を出るなら、ここだよね。
問題は、無事に相手がここにたどり着けるかどうかで、あたしはいったいいつまで待てばいいんだろう。
「アンディ! だからおまえは! そっちじゃないって言っただろ!」
「うるさいなぁ……。それはもうわかったよ。何度も言わなくていいってば、ちゃんと聞こえてるよ、シャルル」
「俺は怒ってるんだ!!」
「あっそ」
「『あっそ』じゃないだろーがっ!!」
何やら大きな怒鳴り声とそれに対して聞こえにくい静かな声がぼそぼそと返すというやりとりをしながらこっちに近付いてくる。
金色に輝くおかっぱ頭とその上を飛ぶ鳥らしきものが見えた。
あたしはそれに向かってトランクを片手に持ってもう片手をぶんぶんと大きく振りながら元気よくはずんだ大きな声を出した。
「アンディッ!! シャルルーッ!! あたしも一緒に行くから連れてってーっ!!」
ビクッとして立ち止まるアンディとその頭にポトリと落ちるように座る鳥らしきもの。
そう、あたしも出るんだ、この街を。
今より強くなるために、そして自分の手で守れるものを新しく作るために、あたし自身がやりたいことを見つけるために。
あのたんぽぽの綿毛のように。
(おしまい)