儚いもの
『カラスの巣』へと帰る途中。
ウォルターがふっと気が付くと、前を歩いていたはずのアンディがいない。忽然と姿を消している。道は角を曲がってちょうど広く真っ直ぐな大通りに出たところで、前方にアンディの姿がないのはおかしい。
「アイツ、また……!」
ウォルターはチッと舌打ちする。そして駆け出した。
きっと自分の判断で勝手にどこかの細い道に入ったのだ。アンディは、頼りになればいいがならないカンで歩いたり、気をひかれたものに近付いていってしまったり、その気が途中で変わったりしてしまう。ものすごい方向オンチなのだ。
「ったく、シャルルもいるってのに……!!」
連絡・監視兼ナビゲーターのロボットがついていながらどうして。
最後に見たときに、シャルルはアンディの肩に乗っていたから、道を間違いそうなら注意してくれそうなものなのに。もっとも、あのアンディがそれを素直に聞くかどうかは微妙だが。もちろん反抗ではなく、単純に『聞くかどうか』の問題で。とはいえ、シャルルには最終手段……くちばしでズコッとつつく……が用意されているわけだから。
まあ、だから、迷ったとしたって、シャルルが一緒なら心配はないけれど。だが、そのシャルルが一緒で、どうして道を間違えたのか、そう思うと……。
もしかしてシャルルとさえはぐれた?
……いや、だとしても……。
三番目の曲がり角を覗き込んだとき、ウォルターはシャルルの姿を見つけてホッとした。
+++++
「シャルルッ、何やってんだよ!! アンディはっ……?」
軽くなじるように言うと、崩れた塀の上にじっととまっていたカラスは、無言で羽を片方広げて、ある方向を指差した。
「! 教会か……」
朽ちかけた建物。何があったのかボロボロだ。誰も通いはしないし、それ故に直されもしないのだろう。頂きにある十字架が、孤独に天を指している。それで教会だとわかる程度。ほとんど瓦礫と煉瓦の山だが、その十字架と……後方からの光にまぶしく輝き、地面に光を踊らせる、はめこまれたステンドグラスだけが。
「……あれは『受胎告知』か」
青い衣をまとってゆったり腰かけている女性と、その前にひざまずく、黄色い衣をまとった翼を生やした天使。その手には白い百合。
「詳しいな」
ひと目でそれとわかり、口にしたウォルターに、シャルルが反応する。横目で教会の方を見やりながら、感心したような口振りで言う。
「ウォルターはむかし教会に通っていたんだったか。さすがだな」
「よせよ」
苦い声で遮り、ウォルターは口元に皮肉げな笑みを浮かべる。今や自分は『背信者』だ。
細めたその目には、ステンドグラスの前にたたずむ、赤いコートの小柄な後ろ姿も入っていた。
ちらちらと舞い踊る、青や緑や黄色、白。そして、赤。
ウォルターはゆっくりとそこに近付く。
アンディの淡い金色の髪は、光の中で天使のまとう黄色の衣の色と溶け合うようにして……。
消えてしまいそうだ。後にはRRのコートしか残らない。それと武器の入ったカバンと……。
……悪い冗談だ。
眉をひそめて隣に立ち、見下ろす。気付いているのかいないのか、一向にウォルターを振り向かないで、一心にステンドグラスを見つめるアンディに、そんな気にさせられたのだろうか。どこか儚く、手が届かない遠くへ行ってしまう者を見るような、不安な気持ちに。
祈るようにステンドグラスを見つめるその横顔は、今にも飛び立とうと空を見据えている鳥を思い出す、切なさで。
……ありえない。そんなことは、そんなのは。
アンディはただステンドグラスを見ているだけだ。
ウォルターは曇った顔を無理やり晴れさせ、自身もまたステンドグラスを見上げる。浮かべた軽い笑みは皮肉げなもので、その目はうさんくさいものでも見るように細められていたが。
こんなもの見て、なんになるのかね。
そんな内心が、ふうというため息に変わる。
アンディが、さっと振り向いた。
+++++
「……ウォルター」
『あれ?』と目を合わせて、まさか本当にコイツ今まで俺のこと気が付いてなかったわけじゃねぇよな、とうウォルターは顔を強張らせる。
まさか、そんな。悲しすぎるぞ、オイ。
いや、おそらく、気づいていても気にしてなかったとか。
どちらにせよショックだけど。
でもまあ、それがアンディだ。
「アンディ、こういうの好きなのか?」
先ほどまでの皮肉を消して、純粋な好奇心で尋ねる。
なんだか、意外性があって。アンディがこういうものに興味を持つなんて。
すると、案の定、アンディは正面に向き直ってぽそりと言った。
「別に」
大きな目を据わらせて、ステンドグラスを見上げ、感情を見せず、どうでもよさそうに言う。
「こういうの、あんまり見たことなかったから、ただめずらしくて見てただけ」
ぼそぼそと言って、つまらなさそうにうつむく。
『ありゃ』とウォルターはしまったという顔つきをして、ぽりぽりと頬をかく。
そして、『あー……』とためらいがちに口を開いた。
「……じゃあ、解説とかいる?」
「え」
きょとんとして見られて、ウォルターは気まずげに口ごもり、やがてあきらめて言った。
「いやー……ダリぃけど、どういう場面かとか、説明できなくもないぜ? もし、おまえがキョーミあるんなら、さ」
横目でうかがうと、アンディは無表情で、素っ気なく返した。
「いらない」
それはあっさりとしていて、ウォルターの言いにくそうな様子さえ問いつめるものではなくて……なんだかウォルターは助かったような気持ちになった。
楽になった。
「ま、そうだよな」
先ほどよりいくぶん力の抜けた感じで、気楽にステンドグラスを見上げて、眺める。
ちらと横に視線をやれば、アンディが隣で同じようにステンドグラスを見上げていて。
ウォルターの脳裏に、幼いころの自分と、それより小さな少女の姿がよみがえった。
+++++
『ウォルター』
祈りに手指を組み合わせていた女の子が、ウォルターのほうを振り向いて、ニコリと笑う。
首を傾げて、あどけない、可愛らしい笑顔。
幼馴染みのエミリー。
『エミリー』
無邪気に差し出された、自分よりひとまわり小さな、温かい手を、きゅっと握りしめる。
『行こうか』
ウォルターも自然と笑みを浮かべて、女の子と手をつないで、ともに歩き出す。
なんでもない日常のことを話して、笑い合う、幼いふたり。
そう、ちょうどあの白い百合の花のように、ささやかながら白い光に満ちたまぶしい日々。
だけど、その日々は……。
するりと手が離れて、教会のほうへ駆けてゆく、女の子の後ろ姿。小さくなっていく背中。
そして。
『エミリーッ……!』
ウォルターは目をつぶり、ゆるく首を振る。
思い出が炎の色に塗りつぶされる前に、頭から振り払った。
過去のことだ。
「キレイだね」
急にぽつりと出された言葉に、ウォルターは隣を見る。
相変わらず、何を考えているのかつかみにくい無表情で、アンディがぼそりと言う。
「キレイ」
言われて視線の先をたどる。
地面に光の群れ。青や緑や黄色や白、そして……赤。
たくさんの色たち。
「……ああ」
きらめいて落ちていく光。歪んだ地面に色をつけている。色を。
もはや、聖画でもなく。
なんとなく、アンディの言いたいことが理解できた。
「そうだな」
ふっと笑う。そしてウォルターは、あることに気付いて一歩後ろに下がった。
最後にステンドグラスを一瞥し、次にアンディの頭を見下ろして手をのばし……がっしと肩をつかんだ。
+++++
「シャルルが待ってるからそろそろ行くぞ」
ずしっとよりかかって言うと、アンディが『重い』とうめく。
そんなふたりの頭上を、シャルルが飛んだ。
正確にはウォルターの頭をめがけて飛んできたのだが、一瞬早くウォルターが頭を低めたのだ。
早めに気付いて行動をとっていたので、頭にくちばしが刺さることを回避できた。
「いつまでのんびりしてるんだ、ふたりとも!! もう待てないぞ!」
アンディから退いたウォルターが『待ってなかったじゃん』と文句を言う。
いや、それまでは確かに『待って』いたのだろうが、今のは問答無用のくちばしだったじゃないか、と。
アンディが頭上のシャルルを見上げて、ぽかんと口を開ける。だが、何の弁解も、またステンドグラスに対する未練も見せず、あっさりと踵を返す。まるで何を見ていたのか忘れてしまったかのように、あっさりと。
「はいはい」
ウォルターもそれに続いて、踵を返す。
ふと、その足を止める。
何故かふたりの向きが違う。
ウォルターは元来た方向にきちんと足を向けていたが……。
『あれ?』と振り返ると、あさっての方向へアンディがスタスタと歩いている。
「おいっ、アンディ、そっちじゃ……」
ウォルターが言い終えるより早く、怒りで目を据わらせたシャルルがくちばしをキラめかせ、アンディの頭めがけて急降下していった。
+++++
崩れかけた教会。かろうじて残った十字架と、壁にはめこまれたステンドグラスだけが、夕日に照らされて輝いている。
街に銃声が響き渡った。
煉瓦の壁が崩れ落ちる音。その中に、ガシャンとガラスの割れる音がする。
欠片になって、ステンドグラスは飛び散った。色を空にばらまいて。
やがて、ひとつひとつ地に落ちる。きらめきながら、カシャン、カシャン……。
飴玉のように割れて散らばったガラスのかけら。
色とりどりの欠片は、やがて闇に沈んで見えなくなった。
(おしまい)
