ここにひとつの幸せ
ある家の玄関へと続く階段の途中にひとりの女性が立っていた。
階段には段のひとつずつ両端に茶色いプランターが置いてあった。
濃いピンク色や淡い黄色や真っ白の、まるで踊る少女の広がるドレスの様を上から見たような、ふわりと大きく広がった花びらを持つ花が可憐に咲いていた。
「きれいに咲いてくれたわね」
ひとつのプランターの前にお辞儀をするように頭を垂れて女性は満足げにそう言う。
まぶしそうに目を細めて花を眺め、それから同じ慈しみの目を……いや、それよりももっとやさしく、もっと愛おしそうな目を……腕に抱いている赤ん坊に向けた。
「これはペチュニアって言うのよ。虫がつきにくいって本当だったわね。育てやすいこと」
つんつんと赤ん坊の頬を軽くつついて『ふふふ』と微笑む。
「お腹にあなたがいた時も育てられたんだもの。そうね、そんなところまで気にすることないって周りのみんなは言うけれど……家の中だけだってじゅうぶんだって……でも、やっぱりあなたのお父さんが家に来た時のためにきれいにしておきたいじゃない?」
赤ん坊は何もわからない様子できょとんとしている。
柔らかい布にしっかりと包まれた小さな可愛い我が子。
女性はゆっくりと赤ん坊から目をそらして遠い目をして空を見る。
「……本当は、たくさんのこどもたちが出迎える、そういう家にしたかったのだけれど……」
赤ん坊を抱き直し、その赤い髪の頭をよしよしと撫でて、悲しそうな目をして話しかける。
「孤児院は無理だったから仕方がないわね。でも、こうして家ももらえたんだし……あの子を待つ家を。こうしてあなたも生まれて、やがては……、あら」
クスッと肩を揺すって笑った。
「いまだに『あの子』なんて言ってたら、ウォルターに怒られちゃうわね。『いつまで俺をこどもだと思ってるんだよ』って。赤ちゃんまでできたのにね。『同じ扱いか』なんて、叱られちゃうわ。ウォルターってすぐむくれるんだもの。そういうところがこどもだと……」
ふと口を閉じて、じっと視線を遠くへやる。
その目に、自分の髪と同じ、そして赤ん坊の髪と同じ、赤い色を目にして。
「あら……」
遠くから手を振りながら急ぎ足でやってくる若い男の人。
クリーム色のズボンに黒いシャツ、腰にジャケットを巻いて、片手に小さな旅行鞄を持って、もう片方の手を元気にぶんぶんと振って。
赤い髪の毛をはねさせて。
童顔をくしゃくしゃの笑顔にして。
小走りで真っ直ぐ女性の家のほうへと向かってくる。
「おーい、エミリーッ……!」
呼ばれて目をまん丸く見開いていたその女性……エミリー……はスッとその目を細くする。
じわっと急に目に浮かんだものに、青年の姿がぼやけてしまう。
慌ててエミリーは、赤ん坊を抱え上げて顔を隠し、さっと指で涙をぬぐう。
そして赤ん坊を抱え直し、手すりをつかんでゆっくりと階段を下り、到着した男性と向かい合った。
男性……ウォルター……を軽くにらむようにして、叱るように厳しく言い聞かせる。
「ウォルター。お帰りなさい。まったくいつもいつも……そんなふうに走ってこなくったって、私も家も……この子だって……逃げやしないわよ。みっともないでしょ。いつまでも落ち着きがないんだから!」
息をはずませて、エミリーをそれでも嬉しそうにキラキラした目で見て、にこにこしてウォルターが話す。
「いやー、急に仕事が休みになってさ! それでもちょっとしか居られないもんだから、急いでやってきた。どう? 元気にしてたか、エミリー。ごめんな、なかなか来られなくて……。体は大丈夫か、こどもは、あ、ちゃんと食べてるか、困ったこととか……」
「だから、落ち着いてちょうだい、ウォルター」
早口で次々と返事もまだのうちに別の話題に移るウォルターに呆れるエミリー。
『ほら』とウォルターのほうに赤ん坊の顔を向けて差し出す。
赤ん坊の頭に向けてエミリーは言う。
「お父さんよ」
『おっ』とのけ反るウォルターに、赤ん坊の横からひょいと顔を出して、じっと見る。
「ほら、久しぶりのパパは息子に何か言うことがないのかしら?」
「えーっとぉ……」
気まずそうに無垢な赤ん坊の瞳を覗きこみ、ポリポリと指で赤い頬をかいて、ツッ……と目をそらす。
そしてあいまいな笑みを口元に浮かべてぼそぼそと言う。
「男としては……ハゲたままだったほうがよかったなって言うべきなのか、赤くても髪の毛生えてよかったなって言うべきなのか、俺にはちょっと……」
「ウォルターッ!!」
エミリーはしっかと赤ん坊を自分の胸に抱えた。
眉をつりあげ目を三角にして怒りの声をウォルターに浴びせる。
「なんてこと言うのよっ!! 生えてよかったに決まってるでしょう!? あなたどうかしてるわ!!」
「いや……えっと……」
ウォルターがしどろもどろになる。
「とにかく入って」
エミリーはウォルターに背中を向けて階段を上ぼり出した。
ウォルターはしょんぼりとうなだれて、その場にとどまったままだ。
「どうしたの?」
気付いたエミリーが振り返って足を止めてきょとんとして訊ねる。
「あ、だって……だってさ……」
後頭部をぽりぽりとかいてから、困ったような顔で、ウォルターは赤い前髪をつまんだ。
「……」
顔を上げると、無理にニッと笑って、明るく言い放つ。
「だって髪の毛赤いと<悪魔の子>っていじめられんじゃん!」
エミリーはそんなウォルターをじっと見つめて、それからゆっくりと階段を下り、ウォルターの正面に立った。
赤ん坊の頭を撫で、そのわずかな赤い髪をつまみ、それからにっこり笑う。
「あなたの子よ!」
とても嬉しそうに、とても誇らしげに、幸せそうに明るく笑う。
自分の髪の毛は染めた赤だ。
これはウォルターの色。
その意味を。
エミリーの言いたいことを。
わからないはずがないウォルターの目にじわっと涙が浮かぶ。
「エミリーッ……!!」
腕をのばしてエミリーの肩に手を置いて顔を伏せるようにした。
赤ん坊の額にキスをするようにして。
エミリーはそんなウォルターの頭を撫でた。
「仕方のないパパでちゅねー」
そんな言葉に、『えっ』と驚いてみせるウォルター。
エミリーは母親の顔でこどもに笑いかけていて。
ある幸せな家族のお話。
(おしまい)
