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「ちょっと吐いたらスッキリした」
バジルにくっついてうろうろしているアンディに訊ねると普通の顔であっさりと言った。
顔色も元に戻り、歩き方もしっかりしていて、本当にもう平気そうだ。
食器をふいて棚にしまっていたバジルは手伝おうと横から手を出すアンディにそれでも疑いの目を向けて言う。
「寝てろよ」
っていうか嫌だ。
さっき吐いたとか、また吐くかもとか、片付けを手伝われるとか。
これから使う食器はともかく、洗った後の食器には手を触れてほしくないし、他人に片付けさせると自分の気の済むようにできないしで、後ろをついて回られると正直なところ邪魔だ。
それがアンディなりの『迷惑かけたんだから何かしなきゃ』という良い心がけからでも。
冷たくあしらわれたアンディがムッとして口を尖らせる。
「だって、バジル、嫌でしょ? ボクまだシャワー浴びてなくて汚れてるし……」
「どうせてめぇが寝たら後でシーツごと替える。いいからおとなしくしてろよ。邪魔だ」
「そんな……ひどい……」
こっちは一応遠慮してるのに、と、ふくれっ面をする。
そのどこが遠慮だ。
バジルは呆れて目をすがめてアンディを見やって何か皮肉を言おうとした。
その時、玄関の開く音がして、『ただいまー』と言う声がした。
……アイツも図々しい。
何がただいまだ、とにらみつけた先に、ビニールの袋をガサガサいわせてぬっとウォルターが現れる。
「おーい、買ってきたぜ。シャンプーと歯ブラシと下着と……。おっ、アンディ、大丈夫か? 寝てなくていいの? もう気持ち悪くねえ?」
部屋に入るなりアンディの姿を目に止めて先にそっちに向かう。
「うん、平気」
それが当然のように……まるで部屋の主のように……ウォルターを迎え入れたアンディの手にビニール袋の片方を持たせて広げ、ウォルターはその中からゴソゴソと何かを取り出した。
「おい、バジル、これやる。お詫びに。いや礼か。とにかくほら取っとけ」
呆気に取られてぽかんとして見ているバジルの手に強引にワインを押しつける。
「それからコレ朝ご飯に。あとおまえ栄養取ってないだろ。これも。あとコレついでに……」
どさどさとパンや栄養補助食やらスプレーを渡されてバジルは呆然とその場に固まる。
「……」
……どう反応したらよいやら。
善意の押し付けに、ありがたいのか、いや頼んでないし、しかし……と、困惑して眉をひそめて無言だ。
アンディはビニール袋の中に手を突っ込んでパッと取り出したシャンプーセットを見てこれまた無言でそれを眺める。
「……」
シャンプー、コンディショナー、トリートメント、ボディシャンプー。
小さなボトルが4つ入った便利な旅行用セット。
それは普通だ。
しかし。
アンディは嫌そうにまぶたを半分落とした半眼をゆっくりとウォルターに向けた。
「ウォルター、コレ……」
ぶるぶると震える手で掲げたシャンプーセットにふたりの目が引きつけられる。
ショッキングピンク、オレンジ、イエロー、ピンク。
花柄のボトルの正面に書かれた表記の中に『フローラル』の文字。
明らかに女性用だ。
コイツ……と白い目を向けるバジルの前でウォルターがニヤッと笑った。
「ああ、ちょうどセットがあったから」
「コレ女用じゃん! なに考えてんの!? ちゃんと男用買ってきなよ!!」
さらりと言うウォルターにアンディが激怒して抗議する。
「いいじゃん、アンディ髪長いし。労わってやれよ、たまには。もったいないぜ? せっかくきれいな髪してんだからさ。サラサラのツヤツヤになってこいって!!」
ニヤニヤしてぽんとアンディの肩に手を置いてぐるりと体の向きを変えて風呂場に向けて押し出すようにする。
「ボク、シャンプーだけでいいから、バジル貸して」
ぐずぐずとその場にとどまって、未練ありげに振り返って切なげな顔でそう頼むアンディに、つれなくバジルは首を横に振って断った。
「嫌だ。貸せない。同じ匂いとか耐えらんない」
「ヒドッ」
ショックを受けるアンディの背中を『はいはい』と押してウォルターが風呂場に連行する。
「嫌だぁぁぁっ……」
風呂場からアンディの嘆く声が聞こえる。
やれやれとバジルは肩をすくめて首を振る。
そして手に持っていた物をテーブルに置いて、着替えを用意するためにタンスに向かった。
シャワーの水音が聞こえる。
中からは『うっ、うっ……』という何やら泣き声のようなものが。
バジルは脱衣所に着替えを置いて、そこでアンディが浴室から出てくるのを待っているウォルターにドライヤーとコンセントの場所を教えて、自分はキッチンに戻って鍋を火にかけた。
それが終わると、椅子に座って傍の雑誌を手に取り、広げて読んでいるように見せかける。
しばらくして、ブォーッというドライヤーの音が風呂場のほうから聞こえて、それが止んだ後、逃げるようにトタトタと足音を立ててアンディが戻ってきた。
バジルの貸した水色のストライプのパジャマを着ている。
その後ろからウォルターが笑いを堪えるようにして少しニヤつきながら入ってくる。
雑誌を置いて、カタンと音を立てて、バジルは立ち上がった。
走り寄るようにバジルのもとに来たアンディから、ふわ……と微かに花のようないい匂い。
横に立ち、大きな目で真っ直ぐにバジルを見て、アンディは言った。
「ありがと、バジル。お風呂、気持ちよかった……。あとパジャマも。コレ後で洗って返す」
バジルはぶんぶんと首を振る。
「いや、いい。信用ならない。あと、言っておくが、そのパジャマ俺はまだ着てねぇからな」
アンディが憮然とする。
「どんだけ信用ないの……」
しょんぼりとしてバジルをジトッとした目で見て。
「それに別にボクはそういうの気にしないってば」
ツンとしてそっぽを向いて離れていこうとする。
それを傍にいたウォルターが肩をつかんで後ろ向きのままバジルに引き寄せた。
ずいっとアンディの頭がバジルの顔の前に突き出される。
金色の髪が揺れてそこからフローラルな香りが漂う。
ウォルターがにんまりとして言った。
「ほーら、いい匂いだろ? バジル! 良くない? 風呂上がりの女の子って感じしねぇ?」
クックックと肩を揺すって笑うウォルターと、『よせ、やめろ、離せーっ!』と暴れているアンディの頭とを見比べて、バジルはフンと鼻を鳴らして笑った。
「確かに脳内お花畑のコイツにはお似合いの匂いだな」
バッとウォルターの手を振り払ってがばっと勢いよく振り向いたアンディがギロッとバジルをにらむ。
「バジル!!」
悔しそうにグッと歯を食いしばって険しい顔で自分をにらむアンディをバジルはニヤニヤして見下ろすようにして眺める。
「おい、ちょっ……」
その場に予想外の険悪な空気をもたらせてしまったことに、ただアンディをからかって遊ぶだけのつもりだったウォルターがあたふたとする。
酔っ払いのケンカはとんでもない。
止めるのが大変だ。
…………。
ふたりはにらみ合う。
バジルは『殴ってこいや!』とばかりに挑発的な笑みを浮かべて待つ。
むーっとバジルをにらんでいたアンディがやがてふっとその体から力を抜く。
一応バジルの家でこちらはお世話になった身だし、ケンカになったらウォルターが傍にいるから止められるだろうしで、そもそも自分が悪いんだし……とわかったらしい。
これ以上だとそれを持ち出されて責められるだろうということが。
死んだような目になって、プイッと顔を背けて、肩を落としていじける。
丸まった背中が悲しげだ。
バジルは『ふっ』と息を吐く。
いささか残念だが。
この時とばかりにいじめようと思っていたのに。
まぁしょうがないかと諦めてバジルはアンディの背中に声を投げた。
「ベッドに行って休んでろ」
「うん……」
しょんぼりとしたアンディは抵抗も見せずに素直にうなずいて寝室に向かった。
(つづく)
