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水を流す音が聞こえ出した頃。
バジルは水の入ったペットボトルを持ってトイレに向かった。
見ないで済むようにと手前で足を止めてウォルターを呼び手渡す。
気付いて振り向いてペットボトルを受け取ったウォルターが言った。
「サンキュ。なぁ、悪いけど、後でシャワー貸してくれる?」
きょとんとしたバジルに、ウォルターは手でトイレの中を指さして……指の示す先はアンディなのだが……口に出さずに教える。
「一応」
洗いたい、ということらしい。
真面目な顔でこくんとバジルはうなずいた。
当然だ。
汚れていようがなかろうが顔だけでなく全身を洗ってほしい気持ち的に。
と、そこで、『待てよ』とギクリとする。
いったん収まったのか、もう済んだのか、トイレの中は静かだ。
バジルは高速で頭をめぐらせた。
そしてウォルターに言う。
「風呂は今用意する。済んだらてめぇはすぐそこのコンビニでシャンプーと歯ブラシと下着を買ってこい。着替えは俺のを貸す」
具合の悪さから見てアンディがすぐ帰ることはできないだろう。
……と、なると、泊まりになる。
汚れた姿で家にいられるのは迷惑だ。
というわけで風呂と着替えは絶対に必要だと判断した。
着替えは使っていないものがあるからいいとして、歯ブラシと下着は貸せない。
ウォルターが軽くうなずく。
「ああ、わかった。ありがとな」
お礼を言われたことに何か納得のいかない感じがして、また不機嫌に眉をひそめながらも、バジルもうなずいて返す。
「……風呂を洗ってくる」
背を向けてスタスタと歩いてそばの浴室に向かう。
シャワーを出して浴槽に向けて全面を濡らして洗剤をかけてスポンジをつかんだ。
そしてがっしがしと強く素早くこすり出した。
それからしばらくして玄関を開けて出て行く音がした。
そのことだけを留めて……あえてその前に聞こえた声や音は気にしないようにして……バジルは浴槽を洗う。
「……バジル」
不意に小さなかすれた低い声が自分を呼んでバジルはビクッと振り向いた。
アンディが扉から顔だけ出すようにしてこっちをうかがっている。
申し訳なさそうに眉を下げて、目を細くして伏し目がちに、そして悲しげに口角を下げて。
少しためらった後、くいっと体を傾けて上半身を覗かせて、言いにくそうに言う。
しょんぼりとして。
「ごめんね」
バジルは険しい顔でにらみつけた。
本当だ。
こんなに迷惑かけやがって。
嫌がらせか?
『ごめんね』なんて一言で許してもらおうなんてとんでもないヤツだ。
言いにくいのも当然だバカ。
俺は許さねぇぞ。
……という言葉を全部飲み込んで、バジルは目を据わらせてジトッとアンディを見て、それからゆっくりと顔を背けて、何事もなかったようにまたごしごしと浴槽を洗いながら、声だけ背後に向かって投げる。
「……別にいい。具合の悪いヤツは寝てろ。アイツにもそう言われたろ」
素っ気なく言って洗うことに集中し出すバジルの背中に、本気の怒りを感じたのか、アンディが焦ってさらに言葉を紡ぐ。
「あっ、あの、何か手伝おうか?」
「ああ?」
バジルはさらにまぶたを下げて細くした目でジロッとアンディを見た。
「……なんのために洗ってると思ってる? 誰のためだ? てめぇは終わったら入って自分の汚れを洗えばいいんだよ。それまで入ってくんな。汚ねぇんだよ」
「うわ、ショック」
アンディが目を丸くする。
「……本気で怒ってるね、バジル」
呆然としているアンディを『ふん』と鼻で笑いバジルはまたプイッと顔を背ける。
笑みは一瞬のこと。
しかめっ面で熱心に浴槽を磨く。
「……ねえ」
静かになったので怒って去ったかと思っていたアンディが背後でぽつりと言う。
「そんな洗わなくても、別にボクは気にしないよ。貸してくれるのにこんなこと言うのもアレだけど、そのままでいいから。ボクはバジルのこと汚いなんて思わないし」
おずおずと、しかしあっさりと言われたそれに、バジルは目を見開く。
体が金縛りに合ったように固まり、スポンジを握る手が止まる。
振り向くことにできずに愕然として脳内でアンディの言葉を繰り返す。
こいつは今なんて言った?
信じられないとすんなり受け入れることを脳内が拒否する。
だからただの言葉として頭の中でこだましている。
『汚いなんて思わないし……』
なんだって?
ようやく理解できた時、バジルは見開いていた目をぎゅっとつぶって、歯を食いしばると、ぐっとスポンジを握り直し、またカッと目を開いて、それから先ほどよりもなおいっそう激しく浴槽をこすり出した。
ごっしごっしと勢いよく。
そして背後のアンディを振り向いて真っ赤な顔で怒鳴る。
「俺が我慢できねぇんだよ!!」
……わかったようなこと言いやがって。
くそっ、ああ、腹が立つ!!
その怒りをこめて。
目を三角にして思い切りの大声で突然に。
その迫力にびっくりした様子でガタッと後ろに下がったアンディがぽかんとして言う。
「……あ、そう」
そうなのか……と肩を落としてしょんぼりのアンディを無視してバジルは浴室を洗った。
それはもう、壁の上から下まで。
やけになって洗って回った。
アンディが呆れるほどに。
(つづく)
