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髪を切ろう事件






「不潔だ」

「は?」

 その日、バジルは不機嫌そうだった。

 っていうか、その日『も』、バジルは不機嫌そうだった。

 いつものことなので大して気にも留めずに本を読んでいたアンディだったが……。

 ちなみにバジルの入っている檻の中に一緒に入ってそのベッドの端に腰かけて。

 『危ない』だの『しめしがつかない』だの『いろいろと困る』だのみんなには言われるし、バジル当人にも『嫌だ、迷惑だ、邪魔だ、汚ねぇ、気持ち悪い』だのとさんざんなことを言われているが、それでもアンディは本当に暇だとバジルのところに顔を出していた。

 のみならず、無理を言って、檻の中に入れてもらっていた。

 今日はたまたまウォルターとライアンがともに休みの日で、廊下でぶつかったふたりは大層うるさかった。

 ケンカに巻き込まれるのもめんどくさかったし、静かな環境が欲しかったので、アンディはバジルのところに逃げ込んだのだ。

 バジルはたいてい不機嫌そうだけれどもたまに皮肉を言う他は静かだった。

 仕事に協力したり、手や怪我の治療や、風呂などの時間以外は、ベッドの上で壁にもたれてぼんやりしていることのほうが多かった。

 アンディが本を読むことを勧めれば、『誰が読んだかわからない本なんか汚くて触れるか』と言うから、それなら街の本屋で買ってこようかと言えば、『足で読めってのか』とぶち切れられた。

 そんなつもりじゃなかったのに、嫌味に聞こえたらしい。

 それでも、時折、資料を足を使って読んでいることは知っている。

 食事さえひとりでできないことがどれほどもどかしいか。

 屈辱的か。

 そんな日々で上機嫌なはずはない。

 もともと脳内がお花畑ってタイプじゃないし。

 だからまぁ、アンディはいつも何も気付かないフリで自分勝手に過ごしているように見えるようにしているが、こうした時には訊ねることにしていたのだった。

「何? 今日も掃除? ボクがしようか」

 バジルがぶんぶんと首を横に振り、またなおいっそう不愉快そうに眉をひそめた。

 じっとにらみ上げるように前を見ている。

 だが、そこには何もない。

 壁があるくらいで。

 アンディは不思議そうに本を閉じてバジルを覗き込んだ。

「どうしたの? 虫でもいた?」

 しばらくもぞもぞと肩を揺すってから、バジルは『はぁ』とため息を吐いて、言った。

「前髪」

 目を閉じて、アンディのほうに顔を向ける。

「前髪を払ってくれ」

 きょとんとしていたアンディは『ああ!』とハッとする。

「そういえば、髪のびたね、バジル」

「切ってほしい……」

「いいじゃん、別に。長いのも似合うと思うよ」

 指先で前髪を払いながらのアンディのめずらしいリップサービスにバジルはイラッとした顔を見せた。

「不潔だって言ってんだよ。前髪目に入るとか最悪だろーが。汚ねぇ」

「うわぁ……」

 アンディはドン引きだ。

 潔癖症もここまで来るとあわれだ。

 それでいてまじまじとバジルを見て興味津々といった様子で言う。

「ねぇ、それ今度、ウォルターの前で言ってみてよ」

 前髪わずかに目に入るとかそういう段階じゃない青年を思い浮かべ、しかも相手がバジルと仲良くないことも知りつつ、好奇心からそんなことを言ってしまう。

 バジルが疑うような目でアンディをじっと見てぽかんと口を開けたまま固まった。

 『何言うんだ? コイツ』と。

 それからハッとして『そう思うんならてめぇが言えや!!』と目を三角にして怒鳴った。

 アンディは『昔は後ろも長くてぼさぼさだったよ。今はマシ』とツンとして言う。

 バジルはムスッとして顔を横に向けた。

「アイツは赤いところからして汚ねぇんだよ。汚物だ、汚物!!」

 『あー、ちくしょうっ』と腹立たしげに叫んでまた顔をアンディに向けた。

「前髪が目に入る!! イラつくわ!! ハサミ寄越せ!!」

「だってそんなこと言ったってバジル切れないでしょ。ボクが切ってあげようか?」

「あ? カッパが何を切るってんだよ。黙ってろ、パッツンが!」

 ぶちんっとアンディの中で何かが切れる音がした。

 ボクだって好きでこんな頭してんじゃないのに……。

 ないのに……。

 くそっ!!

 怒りのあまりに青ざめてギロリとバジルをにらむ。

 本人気付かないけれどものすごい形相だ。

 バジルはそれを見て『ハッ』と笑った。

 そんなことで怯えるはずがない。

「なんだよ?」

 小馬鹿にしたように鼻で笑うバジルの髪をがしっとアンディがつかんだ。

 顔を近付けて最低限まで低めた地獄の底から響くような声を震わせて。

 そしてとんでもないことを言った。

「待っててよ、バジル……。今ギロチン持ってきて、おまえの頭の皮から剥いでやるからさ」

 うつむき加減で、能面のような無表情で、ギラギラと目を光らせて言うアンディは、怖い。

 本気だ。

 さしものバジルも黙った。

「……」

 悔しさに頬をふくらませてぷいっとそっぽを向く。

 また少しのびた髪がバジルの目に入る。

 首を振ってそれを払おうとする。

 アンディはバジルが黙ったことで目を細めたままでそれを見ていたが、やがて閉じていた本を開いて続きを読むことにした。

 バジルが意地を張る以上しょうがない。

 しばらくして、バジルが口を開いて、ぼそりと言う。

「……おい、アンディ。おまえの髪の毛切った奴、誰だ?」

「え」

 顔を上げてきょとんとして見ると、バジルがイライラした様子で、それでもさっきのことがあったからか静かに言う。

「おまえをそんな頭にした奴だよ。ここで切られたんだよな? 誰だ? 教えろよ。それ以外の奴に切ってもらう」

「……ああ」

 バジルの言わんとしていることがわかり、アンディは真面目な顔で真剣に言う。

「それなら、カルロとモニカ以外の全員だよ」

「……は?」

 ぽかんとするバジルに、こどもに言い聞かせるようにアンディははっきりと言う。

「だから、カルロとモニカ以外の全員だよ、ボクの髪の毛切ったの」

「……」

 バジルは目を見開いてアンディを黙って呆然と見つめていた。

 だが、やがてうつむくと、ぶるぶると震え出した。

 そしてぱっと顔を上げると、キッとアンディをにらみつけ、怒気を込めて言った。

「ふざけんなよ、てめぇ……! みんなによってたかって切られたとでも言うつもりか。それともみんなでちょっとずつ切っていってそんな髪型になったとでも言うつもりかよ。だまそうとしてやがるな!? カルロとモニカだろ、切ったの!! 俺をおかっぱ頭にするつもりか!?」

「嘘じゃないよ。ウォルターに訊いてみなよ。同じこと言うよ」

 アンディは平然としてそんなことを言って興味なさそうに本に目を落とす。

「……」

 絶対に信じられないがかといって嘘と決めつける理由もないし嘘を吐いているにしては堂々としすぎているしと困惑顔でバジルはアンディを眺める。

 もはや困惑も過ぎてしょんぼりとして。

 肩を落として。

 誰を頼ればいいのか。

 嫌そうに空をにらみ、『うー』とうなり、バジルはしぶしぶといった様子で言った。

「……おい、アンディ。ウォルターの奴を呼んでこい」





(つづく)
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