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「幼稚園の!」先生の観察日記。




 先生はふたりのほうに歩いていきます。

 その頃にはもうアンディ君はバジル君と向かい合って、キッと真っ直ぐににらみつけて、大声で怒鳴っていました。

「ボクが何したって言うんだ!!」

「……」

 バジル君はただ黙ってニヤニヤしています。

 本当に……嬉しそうに。

 本気で相手をしてもらえてよかったですね。

 でも、これはいけません。

 先生が来るのを見ると、バジル君はガタンッと席を立ちました。

 そしてアンディ君を見下ろして言います。

「てめぇが苦しむ顔を見るのが好きなんだよ。じゃあな、アンディ。また来る」

「もう来るなよ!! あっ、待て、バジル……!!」

 反射的に言い返してハッとした様子でアンディ君が自分も立ちます。

 バジル君に逃げられてしまうことに気付いたのでしょう。

 まだ何もやり返していません。

 さっさと教室を出て行くバジル君を追いかけようというのでしょう。

 そして、それから……何をする気なのやら。

 先生はそんなアンディ君の両肩を手でぐっとつかみました。

 そして押さえてその場にとどめます。

「……」

 振り向いて自分を大きな目で見上げてくるアンディ君に無言で首を横に振って見せます。

 ダメですよ、と。

 目を見開いて先生を見ていたアンディ君がふっとその目をまぶたを下げて半眼にします。

 そしてうつむきます。

「……」

 ふてくされたようです。

 ですが、なにより落ち着いてくれたようで、安心です。

 その証拠にアンディ君は低い声でぼそりと言います。

「ねえ、先生。お願いがあるんだけど」

「なんですか?」

 静かに問うと、同じくらい静かな声で、アンディ君が答えます。

「……ちょっと、カミソリとハサミとヤスリ、貸してほしいんだけど」

 ひええええ~っ。

 先生は驚きました。

 びっくり仰天です。

 アンディ君をまじまじと見ます。

 落ち着いてなかった。

 か、カミソリとハサミとヤスリ……。

 ……一体、それで何をしようと言うのでしょう?

 あまりの物騒さに、もうこの時点で、『早まるな!』と言いたくなります。

 この展開で持ち出す『カミソリ』とは……。

 先生の頭に昔の不良が浮かびます。

 カミソリの刃を指に挟んだスケ番がビシィッとポーズを取るところ。

 『アタイをなめんじゃないよ!』と。

 ……ちなみにスケ番とは女の番長さんのこと。

 カミソリは2本を3本の指で挟んで使います。

 たいてい、『そのキレイな顔に傷をつけたくなかったら……』と脅しに使います。

 もちろん戦いの最中にも使えます。

 古いドラマの中のお話です(実際に使う人もいたのかもしれませんが)。

 ……先生の頭の中のスケ番がアンディ君の姿に代わります。

 カミソリの刃を構えた幼稚園児……。

 いけません。

 とってもいけません。

 それとも、これまた昔なつかしい、カミソリレターでも送る気なのでしょうか?

 ……ちなみにカミソリレターとは、気に入らない相手に送る封筒に、カミソリの刃を貼り付けておくものです。

 それも縁のところにですね。

 知らずに開けたら指が切れるというわけです。

 陰湿で、悪質です。

 もやもやーっとそんな暗いことをするアンディ君の姿が思い浮かびました。

 せっせと封筒にカミソリの刃を貼り付けているところ。

 ……。

 いやいやいや、と首を横に振って追い払います。

 赤組の子はみんないい子たちです。

 そんなことをするはずがありません!

 と、先生は信じましょう。

 しかし……。

 黙って返事を待って先生を見上げているアンディ君に訊ねます。

「……カミソリを何に使う気ですか?」

 この率直な問いに、アンディ君もキリッとしたイイ顔で、きっぱりとはっきりと言います。

「バジルの垂れ眉剃って代わりにゲジゲジ眉毛を描いてやる!!」

「……」

 ……えええ。

 言われた瞬間にゲジゲジ眉毛のバジル君を想像してしまいました。

 ぷっ……。

 思わず笑い出してしまいそうです。

 これは予想外です。

 アンディ君、恐るべし。

 これは……想像した使い道よりははるかにマシ……ですが。

 えええええ。

「……お友達の眉毛を剃ってはダメです」

 先生にはそれくらいしか言うことができません。

「だってバジルがっ……」

「それでもいけません」

「でもっ……」

「許しません」

 許可できません。

 そもそも園児に刃物は危ないから持たせられません。

 ハサミはともかく、カミソリは無理なのです。

「カミソリもハサミもヤスリも貸せません」

 アンディ君がムスッとして口を尖らせて言います。

「じゃあもういいよ、素手で殴り合うことにするから」

「待ってください」

 先生は歩き出そうとするアンディ君の肩をつかんだ手に慌てて力を込めて引き戻しました。

「幼稚園のお友達とケンカをしてはダメです」

「……」

「『みんな仲良く』です」

「……」

 白組と問題を起こしたくありません。

 アンディ君が何か言いたげに大きなお目々でじっと先生を見つめます。

 ですが何も言わずに、結局ため息を吐きました。

 がっかりした様子です。

 諦めてくれたのならいいんですが。

 肩を落としてしょんぼりとしているアンディ君に、先生はふと思い出して、訊ねます。

「……カミソリはわかりましたが、ハサミとヤスリは何をするつもりだったんですか?」

 顔を伏せたままで、アンディ君はぽつりぽつりと答えます。

「ハサミは……ボクの髪の毛引っ張ったから、バジルの髪の毛切ってやろうと思って。ヤスリは……ボクの鼻が低いってバカにしたから、バジルの鼻も同じようにしてやろうかって。それに……」

「ストップ!」

 先生は慌てて止めました。

「……わかりました」

 それ以上は聞きたくありません。

 聞くのが怖いです。

 しかし、どうしてこう、好戦的な子が多いのでしょうね。

 この幼稚園には。

 ……先生は悩みます。





 そして、今日も、バジル君はアンディ君のところに来ています。

 ウォルター君がアンディ君のもとを離れた時を狙って。

 椅子に座って本を読むアンディ君の隣に座って、何かとちょっかいを出します。

 それをアンディ君がぷんぷん怒っています。

 時々は本気のケンカになるので目が離せません。

 毎日こんなふうです。

 ……ですが。

 毎日のことなので、気付いたことがあります。

 そのタイミングです。

 アンディ君は、ある時を見計らって、ウォルター君たちと離れています。

 必ずひとりになる時間を作るのです。

 しかもわざわざ移動して机と椅子のほうに行くのです。

 すると待っていたようにバジル君がやってきます。

 そしてアンディ君の隣に座ります。

 どうせイジメる気なのはわかっているので、席を立って逃げればいいのに、アンディ君はそうしません。

 ある時、不思議に思って、訊ねたことがあります。

「バジル君のこと、嫌いじゃないんですか」

 すると、アンディ君は、真ん丸い大きな目で先生を見て、当たり前のように言いました。

「嫌なら隣に座らないよ」

 ……と。

 それは先生には最初アンディ君がそうなのかと受け取れたのですが。

 よく考えてみると、バジル君がアンディ君の隣に座るのです。

 それをアンディ君は拒絶もせずにいるのです。

 絶対に嫌な目に遭うのに。

 それをわかっていながらみんなから離れているのです。

 バジル君がやってくるから。

 それは、アンディ君なりの、やさしさなんでしょうね。

 普通なら自分をイジメるような嫌なヤツが来るなら仲間と離れたりしないです。

 守ってもらおうとするでしょう。

 ですが、アンディ君はあえて、ひとりになるのです。

 バジル君がやってくるのをわかっているから。

 そして逃げ出さずに相手をしているのです。

 大物というか、懐が大きいというか、男前ですね。

 ……と、先生は思いました。

 以上。





 園長先生のお部屋では、タイム先生の日誌を前に、頭を抱えるラウラ園長の姿があった。





(おしまい)
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