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その背中が愛しくて






 真夜中の街の郊外。
 そこに停められているオンボロのトラックの荷台に、暗闇の中、足元の地面に置かれている野菜の詰まった重たいダンボールを軽々と持ち上げ、ザックはいささか乱暴にドサッと乗せる。
「おーいおい、手荒に扱ってくれるなよ、傷んだらどうするんだ」
 トラックの荷台に乗せられたダンボールを仕分けして奥に積み上げていた老人が片手で顔を覆い『あちゃあ』と大仰に天を仰いでまるで嘆くように言う。
「知らねぇよ」
 ザックは苛々として言った。
「言われたこたぁちゃあんとやってんだろ」
 文句はあるまいとでも言いたげにぶっきらぼうに言い返してチッと鋭く舌打ちをする。
 この老人に畑の野菜を入れた荷物を運んでトラックの中に積み込めと言われているからそうしているだけだ。
 今のザックの『仕事』はそれであり、それさえすればいいはずで、後は知ったこっちゃないと思う、ただでさえ面倒臭くて億劫なのだ、いちいち指示されることは嫌だった。
「俺は道具じゃねぇんだ」
 老人に聞こえないように声を落として地面に向けてボソリと低く吐き出す。
「道具だなんて思っちゃいないさ。うちの大事な働き人だ。だからこそ雇い主の言うことも少しは聞いちゃくれないかな」
 そう言って、『やれやれ、困ったもんだ』と言ってニコニコと笑う老人を眉をつり上げてザックはにらみつける。
(……気持ち悪ィ……)
 その優しさが鬱陶しい、金のためにこうして働いている……ということはなくたんにレイに上に立たれるのが面白くないだけだ……が、ザックにとってはそれだけだというのに、それだけだと思いたいのに、老人にまるで愛しい大切な存在を見るような温かい目を向けられると。
(何かを思い出させやがる……)
 ちらつく重なる影にザックは『くそっ』と吐き捨てる。
 それでさえ、面白くて堪らないもののように、穏やかながらも老人はわずかに微笑する。
 決してザックを怖がるようでもない、馬鹿にするようでもない、ただザックが『そう』であることを受け止め、認めるだけで、声を出して怒るでも笑うでもなく、構いもせずに作業の続きを始めた。
「……て、手荒じゃなくって、どうすんだ……?」
 ザックはダンボールを前に戸惑う。
(ああ、こういう時にレイの奴がいりゃあ、どうすんだか聞けるんだけどよ)
 頭の中に、自分よりよほど賢い幼い少女を思い浮かべ、『やれやれ』と首元を掻く。
(あー、なんかすっげぇムカつくけど、アイツみたいにか……?)
 レイを見習ってその真似をするなど、まるでレイに助けられるようでそれこそプライドが許さないが、ザックの身近で乱暴ではない者はあいにくとレイしか思い浮かばなかった。
(まー、あの眼鏡野郎とか、クソサド女とかもいたけどよぉ)
 正確にはレイ以外は思い出したくない。
 他の者の真似をすることは余計に腹立たしいのでここはおとなしくレイのように静かに動く。
 どこか人形のようでぎこちなかったが、先ほどの荒っぽさが抜けて落ち着いた動きになったザックに、老人はうなずく。
「よし。済まないな。あともうひと頑張りだ」
 老人は夜が明ける前に近くの市場のある街に向けてトラックで出発しなければならないのだ。


+++++



「やるよ」
 もうひとりの老人……老人の妻……が出て来てザックに何かを差し出した。
「お?」
 老人の妻は日中は老人と共に畑仕事をしているが、夜間の積み荷の作業と朝のトラックで市場まで野菜を売りに行くことは手伝っておらず、おそらくは寝ているのだろう、ザックとはあまり顔を合わせたことがなく、出て来ることはめずらしかった。
「お兄さん、これ、妹さんにあげな」
 お腹が空いていたので食べ物かと期待して女性の手の中を覗き込んだザックはそこにある物を見て期待外れにガッカリとしてまたその言葉に呆然とした。
「……ああん? 妹だぁ? ……んなもんいねーぞ?」
 頭に染み込んで意味が理解できるまで少しの間。
(妹ってのはアレだろ、血が繋がった俺より下の奴ってことだよな、孤児の俺にそんなもんいるわきゃねーしな)
 首を傾げるザックを見て老人の妻が目を見開く。
「まぁ。……あれま。違ったかね。そんじゃあの娘は……ええと……あんたの恋人かい。ずいぶん若いんだね」
「恋人だぁ?」
「いや、いいんだよ、ここらじゃ訳ありが多いからね。うるさく訊いたりはしないさ。けど、大切な人なんだろ、一緒にいるんだから。それでじゅうぶん。ほら、だからこれ、あの娘に渡したらどうだい?」
 老人の妻の早口と、なんでも知ったような口調にうんざりとして、それを隠さずにザックは棒立ちでげんなりとした顔で目だけを空に向ける。
「なんだよそれ……」
 ポツリとこぼれたそれは、不満からのぼやきに他ならなかったが、どうやら老人の妻は勘違いしたらしい。
「何って、髪留めだよ、あんまり高いものじゃないけどね。私のお古だよ。でも可愛いだろう?」
 『ほら』と胸に押し付けられて、ザックは物に若干の興味もあって渋々と目を落とし、しげしげと老人の妻の手の中の物を見つめる。
「きっと似合うよ」
 老人の妻が言うにはバレッタというらしい『それ』は、夜の闇のように黒い色をしていて、5つの花弁を持つ青みがかった花が並んでいて、ところどころに白い粒がついていてキラキラと輝いているものだった。
(……妹だのあの娘だのってのはレイのことか……)
 それを髪につけているレイを想像してザックは真面目な顔をしてごくりと唾を飲んだ。
「な? ほら、いいだろ、あの娘きっと喜ぶよ。だってあんなに長い髪をしてるじゃないか。留めたい時だってあるだろうし。それに女の子はこういう物を欲しがるからね」
 得意満面に胸を張って言う老人の妻にザックはその言葉を頭の中で繰り返し考える。
(欲しがるだぁ? レイがか? アイツこういうもんが欲しいのか?)
 レイの欲しがる物と言えば、ザックにとっては妙な物ばかりで、正直喜ぶかどうかなどわからない、いや、それよりも。
(アイツが喜ぶとかどうでもいいんだけどよ……)
 ザックの脳裏につい先日の出来事が蘇る。
 その日はめずらしく昼間に人目を避けてふたりで街に出ていた。
 レイの頼まれた繕い物とやらの量が多かったためだが、途中の道で、割れたコンクリートの裂け目から出て咲く花をレイが見つけたのだ。
『欲しいのか?』
 その場に腰を落として小さな花をじっと見つめているレイに気まぐれにザックは訊ねた。
『ただの花じゃねぇか』
 どこにでも咲いているような特にめずらしいこともないただの雑草だ。
『そんなに欲しけりゃ取って持って帰れよ』
 いつまでもそうしているものでじれったくなったザックがそう言うとレイはふるふると小さく首を横に振って答えたのだった。
『……別に。……お花……枯れるから……私は……。……それに』
 ザックには理解不能なことにレイは続けてこう言ったのだ。
『どっちでもいいけれど、このお花、ザックも欲しい?』
 突っ立つザックを見上げ、真っ直ぐに青い瞳で見つめ、レイはごく真剣にそう問うたのだった。
「……」
 回想が終了し、ザックはぼりぼりと頭を掻いて、落ち着きなく右に左に体を揺らす。
 またあの時のように自分も欲しいのかと訊ねられたらどうしようか。
 レイの考えることはよくわからない。
『テメェの話してんだろーが!!』
 ……あの時は、そう大声で怒鳴って、レイを置き去りにするように歩き出してしまったけれど。
(何を考えてんだか訊きゃあよかったな)
 圧倒的に判断材料が足りない。
「……あー……」
 困惑しているザックに、老人の妻はどう思ったのか、ひどく温かいまなざしを向けて優しく言った。
「料理の時とかあったほうが便利じゃないかい?」
 ザックは食事を作っているレイの姿を思い出す。
「なんか……輪ゴム……ってやつで結んでんぞ?」
 老人の妻は苦笑した。
「髪の毛が痛むよ。これあったほうが便利だろ。私からってことで渡してあげてくれるかい?」
 今度は差し出されたバレッタを受け取ってザックは軽く握る。
「おー。そういうことならな。渡しゃいいんだろ渡しゃ」
 もう面倒になって適当に言って、バレッタを手にして、微笑む老人の妻に背を向ける。
「もうすぐクリスマスだしね」
 去って行くザックの耳に老人の妻のそんな言葉が微かに届いた。


+++++



 ザックはガタンと乱暴に扉を開ける。
 『静かに開けて』とレイにはいつも言われているが気にしない。
 崩れた空き家の今はもうやっていない地下のバーで暮らしているふたりには怖いものはあまりなかった。
「おい、レイ、いるか?」
 きょろきょろと室内を見回しながら言ったザックに感情の出ていないレイの静かな声が返る。
「うん」
 ソファに座って縫い物をしていたレイが顔を上げて冴え冴えとした青い瞳でザックのほうを見ていた。
「おかえりなさい、ザック」
「おう」
 もはやすっかり髪飾りのことなど忘れ去っていたザックは飲み物を取りに行こうとして手の中の物に気が付いて怪訝そうに眉をひそめてそれから迷惑そうに顔をしかめた。
「そうだ、おいレイ、ほらよ!」
 手にしていたバレッタをレイのほうに放り投げる。
「……!」
 危うい所でレイはキャッチし、少しムッとした顔で頬を赤らめ、まぶたを半分閉じた半眼でジトッとザックをにらみつける。
「いきなり投げたら危ない」
 レイは投げられた物を落とさないようにしっかりと持ち直したが、それよりもまずはといったふうにザックをにらむことをやめず、低い声で冷たく言う。
「壊れる」
 上機嫌で炭酸飲料を飲むザックは、レイの咎める声にも視線にも構わずに、瓶から口を離すと親指でレイの手の中に入ったバレッタをさして話す。
「それよぉ、なんか婆さんがくれたんだぜ、お前にってよ。髪が邪魔になるからだってさ。なぁ、レイ、お前それつけとけよ」
 『便利だろ?』とこどものように無邪気な笑顔で言うザックに、レイは不思議そうな顔をして手の中の物を見つめ、それからまたぼんやりとザックのほうを見る。
「プレゼント……?」
 こくんと首を傾けるレイに、ザックはきょとんとして、レイを見つめる。
「プレゼントだぁ?」
 頭の中で老婆の言葉を思い出し、そういえばクリスマスがどうのとか言ってやがったかと思い、だからどうしたんだろうと首をひねる。
 ザックにもこの時期はやたらとはしゃぐ連中がいて、ケーキだのプレゼントだのと街は賑わい、楽しそうな連中が増えることは知っていたが。
 自分はレイにプレゼントをしたのだろうか、これがそのプレゼントというやつなのだろうか、いや待てレイに贈るために自分で選んだわけでも買ったわけでもねぇぞと混乱する。
「さぁな」
 結果、投げやりにそう返し、まとわりつくレイの視線を避けるように部屋の中をうろつき回り、壊れたビリヤード台に腰かけ、スナック菓子を手に取る。
「あ、ザック、食べないで。朝食を用意するよ。今日は卵が手に入ったんだ」
 さっと立ち上がったレイが、両手で包み込むように持っていたバレッタに目を落とし、眩しそうに少しだけ目を細くして、わずかに口角を上げ、それとなく横目で見ているザックのほうを振り向く。
「あのね、ザック……、嬉しいの」
 蛍光灯の灯りにかざして無表情でバレッタを眺めて感情の出ない声で言う。
「私、嬉しいんだけど……でも、ザックはこれが欲しいの?」
 ガクンとザックは力が抜けてその場にくずおれた。
「あっ、あのなぁっ、欲しいわけあるかっつの!!」
 『頭おかしい』と怒鳴ると、レイは不思議そうに首を傾げ、『そうなの?』と言った。
「私、これもザックが渡してくれた物だから……嬉しい、だけどザックの使っていた物が……ザックと同じ物が欲しいの」
 『ザックと一緒の物が欲しい』とレイチェルは言う。
「ザックもこれを使う?」
 真面目な顔でそんなことを問いかけてくる。
「はぁ……」
 ザックはため息を吐いて、うつむいて顔の表情を隠し、頭を乱暴にボリボリと掻きながらレイに歩み寄る。
「マジでどうかしてんな」
 目の前に立ち、小鳥のように首を傾げるレイに向かって、手を伸ばす。
「どうやってつけんだ?」
「えっと……」
「やっぱいい。俺じゃ壊しちまいそうだ。お前が自分でつけてみろ」
「……」
 レイは躊躇いながら自分の髪を指で梳かして両端を束ねて後ろのほうに持って行きそれをバレッタで留めてくるっと回ってザックのほうに背中を向ける。
「ザック、できたよ」
「おー」
 青い花と白い雫のついた黒いバレッタで留められたレイの金髪をじっくりと眺めてザックはその髪の一房を手に取りそこに顔を近付けた。
「……ザック?」
 ほんの少し、少しだけ髪に口付けて、また顔を離してバレッタをつけたレイの頭をまじまじと見てニッと笑う。
「なかなかいいんじゃねぇか!」
 『そう?』と振り向いたレイは不審げに返す。
「おう。それに、これで結ばなくてよくなるんだろーが、テメェも。よかったじゃねぇか」
 『……?』と不思議そうに驚いたようにパチパチと瞬きをするレイにザックは頭をぐしゃぐしゃと撫でて笑った。
「おいレイ、お前よぉ、自分の後ろは見れねぇだろ。俺は見れるんだぜ。だから俺と一緒の物なんて余計なことは考えんな」
 せっかくバレッタで留めた頭をぐしゃぐしゃに乱されて不満げにむすっとして口を真一文字に引き結んで黙り込んでいるレイに上機嫌で言う。
「俺はもう欲しい物はもらったんだぜ?」
 満足げにニヤリとして、ソファにどっかりと腰を下ろし、当惑気味のレイを面白そうに眺める。



 その小さな背中が何より愛しくて。





(おしまい)
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