その日まで
崩れた赤い瓦礫の塀ばかりが目立つ。
以前はそれなりに栄えた街だったようだが、今は住人も少なく、寂びれて荒れ果て、それ故にまた人々は離れていく一方で、新たに住み着く者はといえばこのような街に流れ着いた浮浪者やお尋ね者など、いわくつきの者ばかりだ。
それでも安く雇えることからそのような者達を束ねる者や、善意からの物質支給のために訪れる者、名目上の治安維持のために訪れる者などがいた。
「違法」
レイチェル・ガードナーが、大きな車の前で『働く場所がある、連れて行ってやるから、その気がある奴は乗れ!』と大声を出している男を見て、無表情でボソリと言う。
「ああん?」
レイチェル……レイ……の隣に立っていたアイザック・フォスターが、自分のほうを向いて言われたわけではないが話す相手は自分しかいない以上は自分に向けてだろうと思い、怪訝そうに声を上げる。
「なんだって?」
レイはアイザック……ザック……のほうを初めて振り返り見上げて言う。
「だから、違法。あれは、ああして車に人々を乗せて、無料で働かせるところに連れて行くか、途中で死なせてだんだんと数を減らすの。だから、乗らないほうがいいよ」
ザックがうんざりとしたように顔をしかめて上を向いて苦く吐く。
「……働く気もねぇけどよぉ、にしたって、なんだってそんなことすんだ?」
ほんの少し眉をひそめてレイはぽつりとこぼす。
「……私達みたいなのはいると困るから……」
うなだれるレイを見下ろして、ザックは『はぁ』とため息を吐く。
「ようするに、ここもダメなのかよ、レイ?」
レイは小さく首を横に振った。
「ううん。大丈夫。あれに乗りさえしなければ」
街から少し離れたところには広大な畑が広がっている。
店の数は少ないが街として機能してはいる。
何より隠れ住むにはうってつけだ。
「少しだけ、ここにいよう、ザック。いつまでいられるかわからないけど。そうしたらまた場所を変えればいいから」
ザックは大きく伸びをして、退屈そうにぶんぶんと腕を振り回し、面倒臭そうに『はいはい』と投げやりに返した。
+++++
ふたりが住み着いたのは、ほとんど家の形を保っていない空き家の、その地下だった。
昔はバーでも経営していたのか、住居としては住みにくいことこの上なかったが、雨風しのげればそれでいいふたりにとっては何の問題もなかった。
それ以上を望むようなふたりでもなかったので、改築やインテリアを充実させるなどということもせず、ただあるものを使って、慈善団体から支給されるパンなどの食べ物をもらってその日を暮らしていた。
「あー、それ、なんだ?」
ある日、レイはどこかに出かけると、たくさんの布を手に戻ってきた。
「縫い物」
問われるままにすんなりと答え、ザックの『???』が頭の上に浮かんでみえるような反応に、小首を傾げ、少し考えてから、また口を開いた。
「これを、繕うの、仕事をもらってきたから。今からほつれたところとか縫って直すの。ザックのお腹を縫ったみたいに」
ザックが大きく口を開けて、そのまま黙って数秒後、こくんとうなずいた。
「おー。おお。あれな。あれをするわけだ。それで」
半笑いのような顔でこくんこくんと細かくうなずいているザックにレイは少し不満そうに眉を動かした。
「これなら外に出なくていいから危険は少ないし、そう力もいらない、……それに私にもできる」
一緒に渡された裁縫道具をザックに見えるように取り出して見せる。
「この間、仕立て屋さんを見つけたの、もうやってなかったけど。でも、縫い物ができる人を捜してた、ここら辺では新しい服はなかなか手に入らないんだって。だから」
何か必死な様子で訴えてくるレイをうるさそうにザックは手で遮った。
「あー、まぁなんだか知らねぇが、やれよ」
むっと口をつぐんで、真一文字に引き結んで、じっとまぶたを落とした半眼でザックを見据えるレイ。
「……だから、夜は私、これをするから」
「ああ? いつ眠るんだ? 昼間か?」
「……今も昼に寝てる……」
「俺達はできるだけ昼は外に出ないほうがいいってお前が言ったんだろ!」
もどかしそうに、苛々とした様子でわめくザックに、レイは視線を落とす。
「言った。今もそうしてほしい。でも……ザックが夜に暇をするんじゃないかと思って」
レイの言いたいことがわからずにザックは眉をひそめる。
「それがどうしたよ」
レイは顔を上げ、真っ直ぐにその青い瞳でザックを見つめ、静かに言う。
「……夜でもあんまり外に出ないでね。退屈だからって、出て行かないでほしいの、ザックひとりでは。外には……」
ザクはますます不審げな顔をする。
「ああん? 外にはなんだって? なんかあんのかよ?」
レイはふるふると小さく首を横に振る。
「……何もない……」
『ただ……』とレイは震える細い声を絞り出すようにして言う。
「何かあると困る」
長いことレイの言葉を待ちながら、両手を胸の前に出してわなわなと指を震わせていたザックは、苛々の最高潮といった様子で『だあああああーっ』とわめいた。
「なんなんだよ!! わっかんねぇよ!! ハッキリ言えっての!!」
レイは困惑顔で首を傾けた。
「言ってる。退屈してもあまり外には出ないで。それだけ」
「『それだけ』じゃねぇだろうがよぉぉぉっ!!」
「うるさい。静かにして。人が来る」
レイの感情のない死んだ魚のような青い瞳でじっと見つめられて、その冷静さに、憤ることをやめたザックは肩を落として言った。
「……ま、夜の街に出てた殺人鬼なんだ、どんなもんか知ってらぁ」
夜の街で酔っ払い、楽しく浮かれ騒ぐ人々を思い出したようで、ザックは険しい顔で鋭く舌打ちをした。
「あぁあぁ、わかった、レイ。お前の言う通り外には出ねぇからよ。ってか、レイ、お前が仕事してて俺が暇するとか思うのか?」
レイはきょとんとした。
「……しないの?」
ザックが呆れ顔になる。
「しねぇし、俺が外に出るにしたって、昼のほうがヤバいんじゃねぇのか? 今だってお前が食い物とか持ってきてんだろ? 俺のほうが目立つんだろ?」
『この! これ!』とわざわざ自分の顔と胸に巻かれた包帯を引っ張ってみせてザックは凶悪な顔つきでニヤリと笑う。
「そうだけど……」
戸惑うレイに疲れた様子でザックは身を翻す。
「仕事でもなんでも好きにしろよ。自分で決めたことなんだろーが。いい加減いちいち俺にいいか訊いてくんのはやめろ」
『フン』と鼻を鳴らして離れたところにあるボロボロのソファに身を投げ出すザックをレイは感謝の目で見る。
「……うん!」
+++++
数日後。
繕い物をしていたレイはバタンと開いた扉にビクッとして振り向く。
夜も深くなってからどこに行ったのだろうと気になっていたザックがいつもと変わらぬ仏頂面で立っていた。
「ザック……?」
レイがおそるおそると声をかけると、ピクッと反応したザックの表情がほんのわずかに変化して、目を輝かせて何かを期待して待つようなものになった。
「どこに行ってたの? 私、あまり外に出ないでって言った……」
途端にザックの顔が嫌そうなしかめ面に、しかし全体的にはしょんぼりとした様子に変わり、部屋に入ると扉を閉めるとその場に座り込んだ。
「どうしたの?」
何か良くないことでも仕出かしたのではと心配して慌てて駈け寄るレイの腕をつかんで引っ張ってザックは自分と同じように座らせる。
「てめぇと同じだよ!!」
顔の近くで怒鳴られてレイはぎゅっと目をつぶり両手で耳を押さえる。
「……え……?」
レイが驚いで目を開けると、ニヤッとした、ザックのこどものような無邪気な笑顔があった。
「仕事が見つかったんだぜ。車に物を運ぶだけの簡単なやつだけどな。夜の間に少しだけで、金のことはよくわかんねぇけどもらえるって話だし、悪かねぇだろ? これで同じになった」
「……」
レイはパチパチと瞬きをする。
「……ザックは私と同じになりたかったの……?」
答えを返さずにただ胡坐をかいて座ってニマニマとしているザックをレイは不思議そうにジロジロと眺める。
「……そう。よかったね。ザック」
「おう!」
得意げにうなずくザックに、はたしていったいどういう仕事なのか詳しく訊くことは怖くてできない、レイだった。
+++++
レイはテレビを消して画面を真っ暗にした。
かろうじて電気の通っていたので情報を得るためにレイが設置したものだ。
同じくゴミ捨て場から拾ってきたラジオもあり、これも直して使えるようにしてあったが、たまにはドラマでも観たいほど昼間は時間が有り余っている。
そしてレイの『世間を知りたい』という知識欲のようなものもある……何しろどうであれ年頃の女の子であるのだ……ためにテレビをつけてここ毎週観ていたドラマの途中でレイはテレビを消してしまった。
「終わったのか?」
今のはあれで終わりなのかという意味のことを不思議そうに訊ねてきたザックにレイは『ううん』と首を小さく横に振る。
「まだだけど……」
ザックがわかるかどうかと躊躇いつつ話す。
「もう今回が最終回だから、これで終わるから、ここまでにする」
つまらなさそうにクッションを抱いてうつむくレイに、興味なさげにソファの隣に寝そべっていたザックは驚いたように起き上がり、ぽかんと口を開けてレイを凝視する。
「なんだそれ」
やっぱりわからないか……とレイは内心で呟き、説明することの大変さを思い『ふぅ』とため息を吐いて、ザックを振り向いて言う。
「あのね、……終わっちゃったら、もういいような気になる。つまらない。それが嫌なの」
「はあ?」
「今、面白いから嫌なの、あのお話が終わってしまうのがもったいない」
ザックはものすごく奇妙な生き物を見たというようにレイを見つめた。
「……何?」
「面白いと思ってやがったのか?」
「思ってた。……夢中で観てたよ。何?」
「笑ってなかったじゃねぇかよ」
「笑う場面がなかった」
あっさりと言い放つレイを呆然として見ていたザックは『てめぇはそんなもんだったよな』と諦めたように呟く。
「ならなんで消したりしたんだよ?」
理解する気もないように投げ出された問いにレイは律儀に答える。
「面白くても、つまらなくても、……全部わかったら、終わっちゃう」
クッションを抱えたまま膝を抱いて、レイは真っ直ぐにもう暗くなったテレビの画面を眺めて、観られないドラマの続きを追うように夢を見る瞳をする。
「どういう話だったんだ?」
「……観てなかったの?」
「観てねぇから聞いてんだろうが」
「そうじゃなくて……興味があるなら最初から……いい」
目を三角にしたザックに『なんでもない』と言ってレイは言葉を紡ぐ。
「……『ペーパームーンにおやすみなさい』。もともとは日本の映画をドラマに変えてあるの。売れない小説家と人気の女優の……」
そこで止めてスッとレイは息を吸った。
「嘘吐きの女の子の話」
ふうん……と対して興味もなさそうにザックは相槌を打ち、手を伸ばして気まぐれにテーブルからリモコンを取り上げ、いきなりテレビをつけた。
「あ!」
思わず声を上げて、レイは、ザックに無言で非難げな視線を送った。
「んだよ、いいだろ、お前が観たくなくても俺が観たいんだ。だいたいてめぇの説明はわかりにくいんだよ。やたら長ぇしな」
「……」
ほんのわずかに赤く染まった頬を膨らませてレイはわざと画面から目を逸らさずに……ザックのほうが目に入らないというようにして……なんだか浮き浮きとしているザックを無視してドラマを観る。
画面では今、小説家の彼と女優の彼女が腕を組んで、何やら話しているところだった。
「……(*)『気持ちだけ死んでて』……」
台詞のひとつを真似をしてレイは呟いてみる。
そして隣のザックを振り向き見た。
ザックは青い顔をしていた。
「げえええーっ!」
真っ青になって吐きそうにしているザックを。
「んだよこのドラマ……っつうのか? 気持ち悪ぃぃぃぃーっ! 今すぐに殺してやりてぇ!!」
レイは動揺せずにザックをじっと見る。
「本当に観てなかったんだね。恋愛ドラマだよ。楽しそうなのは当たり前の」
「うるっせぇぇぇえっ!!」
「……ことで」
イチャイチャしているカップルの映像にまるで砂糖衣で包んだクッキーの上に甘いクリームを乗せてさらにそこに蜂蜜をかけたお菓子を食べたような反応をするザックにレイはまた『ふぅ』とため息を吐く。
「これ、最後の場面だから、仕方ないよ。ハッピーエンドだったんだ。私、死ぬのかと思って、でも……ふたりで生きることにしたんだ」
まだ気分が悪そうなザックが起き上がり、いつも無表情だがわざと感情を消し去っているようなレイの顔を、じっと見つめて大きなため息を吐く。
「……何を重ねた気になってんだか知らねぇが、俺は俺でお前はお前だろ、そんでもってお前が死ぬ時は俺に殺されるんだろ」
片目を閉じてこちらを窺うザックにレイはこくんと深くうなずいてみせる。
「俺はまだ死んでねぇし、レイ、お前だって」
ニヤリと笑うザックにレイは眩しそうに目を細めてすがるように見つめる。
「勝手に終わらせんなって言ったろ?」
きっぱりと強く言い切るザックの言葉にレイは強くうなずくのだった。
終わりを迎えるその時までふたり一緒に……。
(おわり)
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