白い嘘
「探偵はね、探るもんなのよ」
軽い調子でそんなことを言ってのける相手を用心深くオミは上目遣いに見上げる。
「捜しもするけどね?」
続けて言い放った言葉は笑顔とおまけにウィンクつきだった。
『同じじゃない?』と問う前に、唇に人差し指を当てられ、止められた。
ヨウジがゆっくりと顔を近付けて小声でささやくように言う。
「対象が見えているかどうか」
スッと目を細めて、きらりと輝かせ、その視線を下に落としていく。
オミの左の足首にはまった銀色のアンクレットを見つめる。
笑みに口元を歪めていたがそれはひどく酷薄なものだった。
着ているものを乱暴に取り払われて今やほぼ全裸に近いオミに容赦なく視線を注ぐ。
つかまえた獲物をこれからいたぶろうとでもいうような目だ。
今までの明るさを捨て去って冷たい声で険しく吐き捨てるように言う。
「俺はね、自分のものを他人に奪われるのって、我慢できないんだよ」
ヨウジの部屋のベッドの上。
薄暗い室内を照らし出す淡いオレンジの光に裸身をさらすことを避けたくてオミは半分脱げてしまっているシャツを引っ張って肩にかけ直した。
ボタンが取れてしまっているため、前を留められないが、仕方がない。
制服のズボンも下着もすでに取られてしまっているので下半身がむき出しだ。
片方の足はつかまれてしまっているので、もう片足は引っ込めて、前かがみでベッドに手をついて前を隠している。
背中を丸めることは相手に負けを認めているようでなかなかに屈辱的だがこれもまた仕方がない。
脱がされた服は手の届かない床に落とされてしまっている。
せいぜい相手をきつくにらみ上げることしかできない。
対してオミの正面にいるヨウジは、きっちりと服を着込んでいて……それはラフなものだったが……澄ました顔をして、オミの細い足首を大きな手でがっちりとつかんで上に持ち上げている。
もう少し上にあげられればこの体勢も崩れてしまうだろう。
それをなんとか止めようと弱気になりそうな心を必死に強く保ってにらみ続ける。
無理やり室内に連れ込まれてベッドの上でめちゃくちゃにされて脱がされた時点で力で負けていることは明白だが、精神的に屈する気にはなれなかった。
許せないという気持ちが自分を支えている。
ヨウジに対して強い憤りを感じる。
自分は理不尽な目に遭っていると思う。
だからオミはめずらしく怒りを表に出して『これは気に入らない』と態度で示していた。
学校から帰るなりいきなりこれだ。
今日は少し休んだ分の補習があって帰りが遅くなった。
もちろん仲間には先に言ってあったし、花屋は今日は自分は休みだ。
だから何も問題はないはずだ。
ヨウジの怒りがそういうことでないのはオミにも見当がついていたが……。
そう、ヨウジが気にしているのは、足首にはめた銀色のアンクレット。
表に黒い鎖のような2本の薔薇の茎が絡み合いところどころに薔薇の花が咲いている物。
「見えないはずだったんだけど?」
にらみつけたままで鋭く言う。
足首にはめたアンクレットなど制服のズボンで隠れてわからないはずだ。
それをどうしてか気付いたヨウジに部屋に引きずりこまれ今この状態になっている。
そんなものただの八つ当たりの材料にしか思えない。
学校にアクセサリーをしていくことを咎めるようなヨウジではないはずなのだから。
それに、それなら、そもそも自分はピアスをしている。
今さらアンクレットがなんだというのか。
理解できずにオミはそのことから来る怖さを押し殺し、強気にきっぱりと言う。
「だからなんだって言うの? ヨージくんが何を言いたいのか僕にはさっぱりわからないよ」
ふん、とヨウジが軽く鼻を鳴らした。
緩くウェーブのかかった柔らかい髪をかき上げ、なんでもないような様子で、それから急にもう片方の手をとらえているオミの足に伸ばして太腿を下からぐっとつかんでぐいっと引っ張った。
「ああっ……」
ずるっと体が下へと動き、オミはベッドに横たわる格好になった。
持ち上げられている足はヨウジの肩に乗せるようになり、自分が無防備に体をさらしていることに気付いたオミは羞恥で真っ赤に染まる。
「ちょっとっ!」
憤然とした様子を見せるが、どうしても目元に涙が浮かんでしまう。
それでもにらみつけた。
ヨウジは顔の間近に寄せたオミの足首のアンクレットに夢中だった。
裏面をじっくりと見る。
「ふむ、名前はなし……と。贈り主の名前は刻まれていない。オミ、お前のもな。これは特別注文とかじゃない。そこらで見かける品だ。こういうものにしては、それほど高くもない」
ぶつぶつと言われて、オミは苦い顔をして体をひねり、グググ……と力を入れて脚を引っ込めようとする。
「そういうところ直したほうがいいんじゃないっ、ヨージくんっ……!」
何が『探偵は探るもの』だ。
堪え切れない怒りにオミは拳を握る。
ヨウジの好奇心というか探究心というか……それは用心深い性格から来ているのだろうから警戒心というほうが正しいのかもしれないが……そんなものに付き合わされる者は堪ったものではない。
なんでも知っていたいなどと。
独占欲に近いんじゃないだろうか。
自分で意識してのことじゃないんだろうが、相手の気付かないうちに探り、その人を暴いていって、秘密を握って、そのことで相手が自分から離れられないようにする。
物理的にではなく、精神的に。
がんじがらめにする。
いわば蜘蛛と同じで、空に糸を張りめぐらせていて、それに捕えられた者は、絡めとられ、じょじょに侵されていく。
そこに何もないと思っていて、花のような甘い言葉に誘われて、乗ってしまえば……。
逃れようともがけもがくほど糸は絡みついてくるものだ。
花の蜜よりも甘い『知られている』という事実に逃れる術を失くしていく。
もう気が済むまで好きにさせることにしてオミは体の力を抜いた。
どうせ力で敵うはずはないのだから。
興味は足首の輪のほうにあるようだし。
そう思ってオミは息を吐く。
ヨウジは熱心にアンクレットを調べてまだぶつぶつ言っている。
「古いものじゃないな……。新品だ。まだきれいだ。使われたのも最近……と。ちゃんとメンズだな。デザインが女物じゃない。女が好む品でもない。女性からの贈り物でもなさそうだ」
ギクッとしてオミは固まる。
何を探られているかわかると顔が蒼白になっていく。
硬直して続くヨウジの言葉に耳を澄ませた。
「オミはここのところ遠出していない。ここらでこういう男性用のものを売っている店……というと……。露店だな。デートとかではずんで買うならもっと女性っぽいものだ。女は自分と同じ好みのものを男性に身につけて欲しがる。所有欲ならなおさらだ。デートじゃなかったか、はたまた相手は女じゃなかったか……」
「わあぁっ!!」
オミはわめいて急に力を入れて足を引き抜いた。
格好も気にせずにもう片方の足をぶんと振り上げて勢いをつけて。
突然のことだったのでそれはすぽっと簡単にヨウジの手から抜けた。
「おっと」
ベッドの端に逃げて、背中を向けて、小さく縮こまるオミ。
いきなりの出来事に驚いた様子でぽかんとしているヨウジ。
落ち着けるように髪を何度もかきあげ、惚けた様子で目をまん丸にしてオミを見つめる。
「どーしたい、オミちゃん」
「『どーした』じゃないよっ、もォッ!!」
正座を崩したような座り方をしていたが、視線に気付くと足をしまい、抱え込んだ。
シャツが身を隠してくれているはずだとチラリチラリと後ろを見て確認して。
ひょうひょうとして煙草を取り出し口にくわえてライターで火をつけるヨウジをにらむ。
(続)
+++++
「これは僕が自分で買ったもので……」
ふーっと煙を吐き出したヨウジが、顔を上向けてオミを見下ろすようにする。
「へえ? お前が自分で? ……嘘はいけないな、オミちゃん。お前の好みじゃないだろォ、それ。第一、そりゃ不自然だ。だったら隠すことは何もない。いや、むしろ見せびらかすもんだろ?」
「別に……僕は隠してなんか……」
「学校にわざわざしていくぐらいだ。学校のお友達にもらったものかとも思ったんだが……。オミ、お前なら、もらったものはつけて見せるだろうしな。だが、今朝会った時にもしていたから、昨日から寝ている間もずっとつけていて外し忘れたか、それかあるいは外すのが面倒でそのまま学校にしていったか……」
そこでオミは枕をつかんでヨウジに向かって投げつけた。
「ぶへっ」
顔面に枕が当たったヨウジが変な声を上げて口を閉じる。
オミは体をひねって顔だけ向けてにらみつける。
そしてぷんぷんとして言った。
「ヨージくん、さっきから憶測で物事を言わないでよねっ。いい加減なんだからっ。だいたい僕が自分で買った物だろうが友達が買ってくれた物だろうが、それがどうしたっていうの!? ヨージくんには関係ないじゃないっ!!」
「うわっ、言ってくれるね、オミちゃん」
あいたた……と枕の直撃した顔を手で覆い、次に髪の毛の乱れをかき上げることで直して、ヨウジはオミに苛立ちを隠した笑顔を見せる。
「だから言ったろ? 俺は、自分のものを人に奪われるの、嫌なんだよ」
あえて刺々しさを抑えて優しく言うヨウジを、オミはまぶたを半分下ろした半眼でじとっと見て、呆れた口調で言う。
「……誰が、誰の、ものだって言うの?」
「ん?」
きょとんとしたヨウジが、ふっと本気で笑い、ツツツとベッドの上を這ってオミに近付く。
「つれないねぇ、相変わらず」
ベッドの端ですくみ上って、膝を抱えて丸く小さくなり、シャツをつかんで全身を覆い隠すようにしているオミに、近付いたヨウジは耳元に口を近付けて、甘くささやくように言った。
「それとも、何かな、オミちゃんは誰とでもえっちなことしちゃう淫乱な子……とか?」
「~~~っ!」
苦々しげな顔つきでオミは手を出してヨウジの顔にバシッと当ててぐいーっと押し返す。
「……本気で殺すよ、もう」
押されるままにあっさりと身を引いたヨウジが、それでも近い距離にあぐらをかいて座り、ニヤニヤとしてオミのほうを面白そうに眺めている。
その手にまだ持っていた煙草を傍のテーブルにあった灰皿に未練なく押し付けて。
それを不満げにオミは頬をふくらませて唇をとがらして上目遣いに見る。
不貞腐れて、何も言う気になれず。
ぷいっと顔を背けた。
「……あれはヨージくんが無理やり……いつも……僕が望んだことなんて一度もないんだから……」
すねた様子で、ぼそぼそと小声で、恥ずかしそうにつぶやくオミ。
ヨウジがふーっと大きな息を吐いた。
物足りなそうに何も持っていない手を髪にやってつまんでいじりながら言う。
「だから、よ。お前はいつもそうやって結局は俺を拒絶するだろ。なのに、どうして……そんな誰かからの贈り物なんか平然と身につけちゃうわけ? これ見よがしに。しかもアンクレットなんて物を。嫉妬させたいの? 俺を試してるのか?」
「え?」
顔を上げて驚きに目を丸くしてヨウジをぽかんとして見る。
「何言ってるの? ヨージくん……。たかがアクセサリーでそんな……」
再びヨウジが大きなため息を吐いた。
「わかってねぇな、オミ」
嫌そうに首を横にゆるく振りながら『わかっちゃいない』と繰り返す。
それからオミに向き直って、しっかりと言い聞かすように言った。
こどもに教える母親のように。
「いいか? アンクレットは、もともとは奴隷の足に主人がつけるものだったんだぜ? それだけじゃねぇが。夫が妻につけたり……どれも昔の話だが……ようするに『所有の証』なのよ。今はただのオシャレったって、普通は贈らねぇだろ? 親密な仲でもなけりゃ。特別な仲だってことだ! おまけに左足ってのはそういうこと!!」
「そっ、そんなっ……」
オミは言われたことを考えて真っ赤になった顔をうつむける。
「僕は何も知らなかったんだしっ……」
その慌てぶりを見ていたヨウジがスッと鋭く目を細める。
「……相手、アヤか?」
ハッとしてオミは顔を上げ、一瞬苦しげに切なげに目を細め、またカッと強く見開いた。
「違っ……」
「正直だな」
ヨウジはその反応にすべてを悟った様子で、うつむいて『ハッ』と笑って、くっくっく……と低い笑い声を漏らす。
「そうか……アヤかよ……傑作だな……」
「ヨージくん……」
不安げに怖々と窺っていたオミが、そのあまりの異様さに怯えを捨て、ヨウジにゆっくりと近付く。
そっと伸ばした手がヨウジにぱっとつかまれぐいっと引き寄せられる。
どさっとヨウジの厚い胸板にオミはぶつかるように倒れ込んだ。
「ヨージくんっ」
非難げな声を上げるオミをヨウジはぎゅうっときつく抱き締める。
背中に腕を回し、頭を支えて、自分の胸に押し付ける。
オミは素肌に触れるヨウジのシャツの冷たさに、自分がシャツ一枚でしかもそれがほぼ脱げかけていることを思い出し、慌てて逃げ出そうと暴れた。
すると、余計に腕が巻きつき、しまいには足を開かされ、太腿の上に跨る形で乗せられてしまう。
「恥ずかしいってば、ヨージくんっ、ちょっと服っ……」
「おとなしくしてろって!!」
耳元でわめくが効果がない。
厳しく叱りつけるような声が返って来る。
腕の力は強く、オミは泣きそうだった。
「痛いんだよっ……」
「いいから……、ちょっと黙って、いい子にしてろ」
なだめるように背中を撫でられ、がっしりと抱きかかえられていることに抵抗をあきらめ、オミは全身の力を抜き、ヨウジに体を預けるようにする。
すると、ヨウジの腕からも力が抜け、声も優しくなった。
変わらずに落ち着かせるように背中を撫でられる。
オミはそろそろと腕を上げてヨウジの首に回して優しく包み込むように抱き返した。
そのことに、ヨウジがほっと安堵の息を漏らす。
なんとはない罪悪感に、オミはぽつりと口を開いた。
「……なんでもないんだよ。確かにこれは貰い物だけど、僕は意味なんて知らなかったし……。ヨージくんの言う通り、貰ったならつけなきゃ……って思っただけなんだよ。だから……さ」
「そうだろうな」
とたん、ヨウジがギッと歯を食いしばり、ぐっとオミの背中に回した腕に力を入れて、ギラリと飢えたように目を光らせる。
「あっ……」
軽く肩に歯を当てられ、そっと噛むようにされて、オミの体がビクッと跳ねる。
逃げようとした腰はつかまれて固定されていて動けない。
仕方なく痛みと恐怖を堪えてオミはヨウジの耳の裏側に口をつけて吸った。
「お返し」
「うん」
素直なこどものようなヨウジの言葉にオミはくすっと笑う。
笑っている声が甘えていて、少し淋しげで、濡れていて。
顔を離して近くで見つめ合えばお互い瞳が潤んでいて。
ふたり、抱きしめ合ったまま、ベッドの上に転がった。
(続)
+++++
「靴とアンクレットがぶつかって音を立ててたんだよ。あー、なんか、金属のしてんなーってわかって」
自分より低い位置にある頭を見つめてヨウジは言う。
「女がよくいろんなもの身に着けてるからさ、音の聞こえる位置とかでほら、わかるんだぜ」
自分の腕を枕にして寝ているオミを愛おしそうに目を細めて、優しく言い聞かせるように、ヨウジは続ける。
「金を持っているかどうかまず鞄と靴を見ろっての、鉄則なんだよ、人を見極める際の」
オミは呆れ顔で冷たい目をして自慢げに説明するヨウジをじとっと見ている。
「ふーん……。さぞかし優秀な探偵さんだったんだ、ヨージくんは!」
「あらーっ、いやぁ、それはどうだろう……」
「いつもそれぐらい使えればいいのにね」
「おいおいっ!」
がくりとするヨウジに、オミは上機嫌でふふんと笑う。
「ずいぶんな毒舌ね……」
「僕は本気だよ?」
「すみませんでした」
オミは手をのばしてペシッとうなだれているヨウジの頭を叩く。
「降参が早い!」
「……すみませんでした」
しおしおとして言ってヨウジは『あれ?』と納得のいかない様子で首をひねる。
「……それを言うならお前もじゃないの? さっき、なんて言ったか覚えてない? あんなにお利口さんで俺の言うことなんでも聞いてくれて可愛かったのに、終わったらこれだもん……あだっ!」
「うるさいっ!!」
ヨウジの言葉を頭をぐーで殴ることで遮ったオミが、真っ赤になって怒鳴って、ヨウジはまたニヤリとして続ける。
「オミは体のほうが素直……いだだだだっ、痛い痛いっ、ちょっと!!」
ぐわしっとヨウジの髪の毛をつかんでオミはぐいーっと容赦なく引っ張る。
「抜けるって!! ハゲるって!! やめてちょーだいよ!!」
「ふんっ」
ぱっと手を放して、起き上がって手をぱんぱんと叩き、ツンと顔を上向けて言う。
「体が素直だから」
痛む頭を抱えて涙目でヨウジは『ちくしょーっ』とオミをにらむ。
だが、すぐにやれやれと息を吐き、自分も起き上がってオミに背後から抱きついた。
突然のことに驚いて短い声を上げたが、ふざけ合いのようなそれをオミは拒否しない。
シャワーを浴びた後で、同じものを使ったはずなのに、瑞々しい花のような匂いがする。
ヨウジは首筋に顔を埋めてそれをいっぱいに吸い込んだ。
「俺のものになればいいのにな……」
オミは何も聞こえなかったフリで笑顔で後ろを振り向き『ん?』と明るく笑う。
それを知っていて、ヨウジは独り言のように続けた。
「縛りつけて、逃げられないようにして、すべてを奪って……。俺なしでいられないくらいになってくれればいいのにな……。でも、本当は、それは俺のほうなんだ。お前なしじゃ生きていられないくらいにされちまうんだろ、本気になったら。それはご免だからな。どうせお前は強いから、そのうち離れていっちまう。俺だけじゃない。お前にとって……。誰もきっとそうなんだ。だからアヤに嫉妬したってしょうがねぇじゃんよ……」
「……何言ってるの? ヨージくん。もうバカだなぁ……」
回されたヨウジの腕をつかんで、オミは後ろのヨウジを見上げる。
「人は誰だってひとりじゃ生きていけないでしょ?」
クスクスとおかしそうに笑って『っていうかヨージくんのそれ怖い』と茶化す。
苦しそうにヨウジは顔を歪めた。
チラと最初に外してテーブルに置いたアンクレットに目をやり、それからよりいっそうオミを深く包み込む。
「あんな物まるで意味ないけどな、それをしたがった奴の気持ちはわかるぜ。安心したいだけなんだ。傍にいるって。離れない、どこにも行かないって。言葉なんか役に立たない……」
「……ヨージくんの『それ』は、僕じゃないでしょう?」
ぎくりとして身を強張らせるヨウジに、それまでの明るい笑いに細めていた目を、切なげに変えて、オミはヨウジを見上げ、そしてうつむく。
口元から笑みが消えた。
しかし、声は明るいまま、はっきりと言った。
「僕も期待しない。真っ直ぐに君を見ない。だって見えないから。見たくない。……だから、いいじゃないか、別に。そんな物に嫉妬してれば? どうせ心なんて見えないんだ」
ヨウジは焦って『あ……』と開きかけた口を慌てて閉じた。
そして気まずげに顔を背けて唇を噛む。
心の中に住むたったひとりの人の名前をここで口に出せずに。
しょんぼりと沈みこんでいる……自分の発言にはっきりとそうだと思い知らされ……淋しげにしているオミ。
見つめることもできずにただ横を向いたまま抱きしめる腕に力をこめる。
見つめる先に銀色のアンクレット。
「そうだな……」
しばらくしてヨウジはぽつりと呟いた。
「事実はひとつでも、真実は人の数だけある……。なら、俺もせいぜい、今の真実を目に見える形に変えようか……。お前がどう受け取るかわらかねぇけどな……」
不思議そうにきょとんとして首をひねって自分を見上げるオミに、眩しそうに目を細めて、優しくにっこりと笑い、冗談のように軽く言う。
「オミちゃん、何欲しい? 今度は指輪とか? あ、いや、ネックレスがしやすいし、ずっとしてられるか。ああ、でも、反対側のピアスってどう? ……それとも、もっとイイ物……?」
最後は甘く瞳を輝かせてささやいて、その細く長い指をオミの首元に持っていく。
「……首輪、とか?」
真顔になって無邪気と言えるほど丸い目をしてヨウジをこどものように見つめていたオミは、自分の首をすりすりと確かめるように撫でる指に、ごくりと唾を飲み込む。
その繊細な手つきをする指が、手が、人殺しのものなのだ。
だが、それでも、怯むことなく、むしろニッと笑って、ヨウジを見上げて言った。
「僕の欲しいものは、とうていヨージくんには贈れないと思うけど」
挑発的な物言いに、強気な態度。
ヨウジはがっくりと肩を落とす。
負けだ。
「はいはい……。どうせそうでしょーよ。参考までに聞かせてくれる? ……何が欲しいの?」
にこにこしたままのオミは、力の抜けたヨウジの腕からすると抜け、くるりと振り向いて、向き合って、がばっとヨウジに抱き着いた。
お互いまだ裸のままで、オミの背中を抱いていたヨウジの胸は温かかった。
そこに人懐こい猫のように顔をこすりつける。
それは猫にとって自分のものだと匂いをつけるしぐさで。
満足したように『ふぅ!』と息を吐いて、オミはまたいたずらっ子のように瞳を輝かせて、ヨウジを見上げて言う。
「ベラドンナ」
ヨウジがすとんきょうな声を上げる。
「ベラドンナ~っ!?」
すぐに考え込む表情になって続けた。
「ベラドンナ……『そりゃどんな?』なんつって」
くだらない冗談をふざけて言ったヨウジの口をオミがふさぐ。
唇に唇を重ね合わせて少し。
あっさりと離れたオミは、にこっとして言った。
「花言葉は『沈黙』だよ」
ぱちぱちと大きな目を瞬きして続けた。
「ヨージくんはちょっとしゃべりすぎ!」
「何をーッ!?」
悔しそうな顔をしてヨウジは体を離すオミにそうはさせまいと腕でとらえた。
抱きしめて乱暴に一緒にベッドに倒れる。
また裸のまま絡み合う。
「お望み通りしゃべらないでいいことしよっか?」
間近にある顔を見つめてヨウジは明るく訊ねる。
「ヨージくんはそれでもうるさいよ」
生意気にツンとして言ったオミは、ヨウジの唇にまた今度は噛み付くようにキスをした。
その後。
疲れて気絶するように落ちたオミは、不意に眠りから覚めた。
もはや明け方近い。
眠りに落ちてからさほど時間は経っていないのに。
隣で眠るヨウジの腕から抜け出て、オミはその顔を見下ろし、呟く。
「本当は、僕が欲しいのは、もうひとつの意味なんだ……」
ベラドンナの花言葉、『死の贈り物』。
それが手の中にあったらどれほど安心できることだろう。
いざという時のためのそれ。
それはヨウジからは決して手に入れることができないだろう。
……いや、そうさせてはいけない、そう思う。
だから……。
オミは膝を抱えて丸くなって小さくなる。
膝に頭をつけて声を抑える。
漏れそうな泣き声を。
視界の端に闇の中で微かな光に輝く銀色の輪。
それから顔を背け、もう一度、濡れた瞳で隣にいる人の寝顔を眺める。
……あなたからもらえるのは優しい嘘で構わないから。
(終)
1/1ページ