今年は例年よりも早く梅雨入りしたらしい、
そんな情報は小耳に挟んではいたものの、朝の短い時間で身支度を整えて会社に向かうまでにはすっかり忘れてしまい、
傘を持って出掛ける事を失念していた。

『あちゃー、結構降ってるわ』
仕事も終わり、帰ろうとした最中外の景色を見ると
傘無しで歩こうものならば、ものの数分でびしょ濡れになってしまうほどの大雨。
さて、どうしたものか、、。
慎一郎に連絡して傘を持ってきてもらうことも考えたが、市ヶ谷から私の会社の最寄りまでは20分ほどかかる。ので流石に申し訳なさが勝つ。

『まぁ、家に帰るだけだし、電車さえ我慢すれば...』
そう決心し、会社を出る。
目の前の大きな自動ドアを抜けた後走って5分で駅前。
スタートラインに立とうとするべくエレベーターを降りて自動ドアへ向かおうとしたその時、

「名無し、」

最愛の人の声が聞こえた気がしてふと声のする方を見ると
慎一郎がそこにいた。

『慎一郎！なんでここにいるの？』

「名無し今朝傘を持っていかなかったでしょ、
　雨止まないから心配になって...」

なんて優しい人なんだろうか。
聞くと、棋士の仕事が終わるのと私の仕事が終わるタイミングも良かったとのこと。
きっとそれも優しい嘘で、少しだけ待たせてしまったのではと推理。
だって傘に水滴はほとんどついていない。
早めにこちらにきて待っていてくれていたみたいだ。

『ありがとう、慎一郎！今日は腕によりをかけて慎一郎の食べたいものを作ります！』

「いいの？じゃあ名無しの作ったパスタ食べたいな」

『任せなさい〜！あ、駅前で食材買おう？』

わざと忘れたわけじゃないけれど、
今度はまた彼の優しさに触れたいから傘を忘れていこうかな。