第三章
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小さい頃から時々変なものを視た。他の人には視えないらしいそれらは、恐らく、
第三章 人間退治
「なまえ、隣のクラスの土方君が来てるよ!」
「…へ?」
「"へ"でも"ほ"でもない!ほら!ひーじーかーたーくーん!」
「あたたたたた!わ、分かった分かった!分かったから耳朶掴まないで!」
昼休み、寝ていたせいでぼんやりする頭は友人によって起こされた。もう一度寝入りたい気持ちを必死に抑え、早くと急かす彼女を後ろに席を立つ。勿論、立ち上がった際に溜め息を吐く事は忘れない。休み時間に入ったせいか、教室の中はとても騒がしかった。授業中から爆睡してた私からすれば、それすらも子守唄だった訳なのだが。いい加減、真面目に勉強せねば危うい時期である。しかし、眠さと勉強なんぞを天秤に掛けた時、私の優先順位は明白であった。昼夜早朝を問わず名を取り戻しに来る妖は、どちらかと言えば夜中が多い。つまり私の生活は、今昼と夜が逆転しているのだ。そんな貴重な睡眠時間を妨害した土方君は、最近ここ歌舞伎町に引っ越してきた不良らしい。瞳孔開きっ放しのニコ中で、他にも色々と典型な問題児なんだそうだ。けれどなまじ美形なものだから、女子達の羨望の的でもあるみたいだが。秀才だとも聞いたが、実は彼、変な趣味と味覚を持っているとも聞いた。そんな彼が一体目立ちも何もしない私に何の用か。呼び出しをくらう程の怒りを買った覚えもないし、何より初対面だった。不良より毎日恐ろしい妖を相手にしている私ではあるが、いきなり殴られたりしたらどうしよう、と半ば緊張しながら出入口のドアへと向かう。
「…いないし」
しかし廊下に出て辺りを見回しても、当の本人はいなかった。目立つあの容姿は見逃す訳もない。眠りを妨げられたせいで少し不機嫌になりながら教室内へ戻ると、そこには私の席に陣取った先程の彼女がニンマリしながら笑っていた。次に出て来る言動が予想出来て、思わず溜め息が出る。
「いいーなー。あんなイケメンが彼氏だなんて!」
「彼氏じゃないです。ていうか話した事すらないし」
無駄に盛り上がって勝手に消沈する友人を席から退かせ、机の中から教科書を捜す。どうせまた寝てしまうだろうから枕代わりにしかならないけれど、一応だ。結局その日、土方君が再び訪ねてくる事はなく、きっと何かの間違いだったんだろうと一人納得して私は家路に着いた。
「松陽殿、松陽殿」
ぱちり。枕の側にある時計を見れば、長短の針は草木も眠る所謂丑三つ時。和室の外から微かに聞こえるか細い声に、少しだけ体を伸ばしてそっと窓を開けると、案の定そこには妖がいた。彼は宙ぶらりんになって部屋の中を覗き込んでいる。
「名前を返して頂きたく」
「…ご苦労様です」
異様な光景であるにも関わらず、あまり驚かなくなった。全く以て嫌な慣れである。しかし十年以上続いていれば当たり前か、と一人ごちて布団を捲り身体を起こそうとした時、何かが腹の上から転がり落ちた。
「げふっ」
「え、銀さん?」
「…オイ嬢ちゃん、腿パーンと肩パーンどっちがいいよ?」
「いやどっちも地味に痛いんじゃないですか…って、アンタは何人の上で寝てんすか!」
妖に名前を返す間も、ぎゃいぎゃい騒ぐ私の前でも、この猫は何処吹く風である。やっと私床に着いた所で、暫くすればまた人の上に登り、彼は前足で自身の腹を掻き仰向けになって鼻提灯を出して寝始めた。その姿は宛ら、日曜のサラリーマンである。ただのダメなオッサンじゃねぇかこのアホ猫!
「依代の姿は寒ィんだよ。しょうがねぇだろ」
「しょうがなくないです。だから押し入れに布団用意しますって言ったのに…」
一夜明けてもまだ機嫌が直らないらしく、銀さんはぐちぐちと文句を垂れていた。そんな彼を前にスナックのカウンターで遅い朝食をとるが、隙あらばと伸ばされる手を避けるのに奮闘してなかなか食べ終わらない。むしろ大半が銀さんの胃袋に吸い込まれていくってどう言う事だ。お登勢さんは今日休日らしく、町内会の人と一緒に買い物に出掛けている。気を遣って寝坊させてくれたのか、私が起きたのは丁度彼女が出掛ける頃だった。その際、なまえも籠ってないで出掛けといでとお金と鍵をもらったが、出不精故の面倒臭さと疲れから、曖昧に笑って鍵だけを頂いた。
かたん。
「…ん?何か今音した?」
店の玄関先から不自然な音がした気がして首を傾ける。銀さんはお目覚めテレビの気象情報に夢中で全く我関せずだ。私の性分故、一度気になるといても立ってもいられず、これ以上食べないよう銀さん念を押してから席を立った。お登勢さんが帰ってきたのかもしれない。何のためらいもなく引き戸に手を掛ける。しかしそれがいけなかった。刹那、開いた隙間から何かが飛び込んで来る。突風が頬を撫で、暫く放心していると下方から声が聞こえてきた。
「なまえ様でございますね?お邪魔致します」
そこでは髭の生えた一つ目と牛のような二匹の妖。膝をついてお辞儀している。お邪魔を許してない、と一瞬腹を立てたが、ふと、松陽と呼ばれなかったことに違和感を覚えた。放免目当てではないのかこの二匹。
「また名前返ェすのか?」
いつの間にか隣にいた銀さんが何かを咀嚼するように立っていた。口端には黄色い卵。き、貴様…!私が楽しみに取って置いただし巻きを食べたな!と叩きたい衝動に駈られたが、今はこの二匹が優先である。後で仕返しに銀さんのいちご牛乳飲んどいてやる。
「そのうち嬢ちゃんの手に負えないくらいの大物が来て喰っちまってくれりゃあなァ、俺ァ楽なのになァ」
「は!?」
「いえ、強力な妖力をお持ちのなまえ様にお願いがあって参りました」
しれっと酷いことを言ってのける銀さんに、妖達は深刻な声で両手を地面につけ深く頭を垂れる。
「お願い致します!」
「なまえ様に退治して頂きたい人間がいるのです!」
「に、人間?!」
戦(オノノ)く私の反面、二匹はこくりと頷いた。最近、彼らの住む八ッ原というところに妖退治気取りの人間が現れたらしい。退治というが実際は妖力試しに楽しんでいるようで、相手は半端に強いんだそうだ。最強ではないが中級の彼らでは勝てないという微妙な力量である。
「それは…気の毒だけど、本当に妖退治なんてできる人がいるんですね…」
「いるんです!!」
そう言えば、と、ふとこの間観たテレビ番組を思い出した。あの人も確かお祓い稼業を営んでいたような。名前は…誰だったっけ?
「なまえ様!お願いします!」
「ゔ!…えーと、人が人を退治するっていうのはちょっと…。人間じゃ警察沙汰になるからなあ」
まだこの歳で捕まりたくはない。それに犯行動機が妖絡みだなんて増して精神科行きも免れないだろう。涙ながらに訴えてくる二匹を半ば無理矢理帰し、はあと溜め息と一緒に引き戸を閉めた。どうして人間の私が人間退治なんか…。けれど一つの仮説も存在する。その人は妖が視えるという事だ。もしかしたら、私と同じなのかもしれない。
『や、いやだ!さわんないで!』
齢が二桁にも満たない頃突然妖に襲われたことがある。命辛々逃げ出し、その頃居候していた人に助けを求めたが、全く相手にされなかった。仕方なく一人で我慢していればまた襲われる。延々とそれを繰り返し、辿り着いた公園、疲弊しきった私は近付いてくる影に気付かなかった。
『あなた、この辺に住んでる子ね。どうしたの?具合でも悪いの?』
普通の人間だと思った。お姉さんは私と同じような出で立ちだった。けれど、普通なはずのその人は、初対面の私に驚くべき事を口にしたのだ。
『…ひょっとして、君も視えるの?変なモノが』
少し冷たい空気に身体がぶるりと震えた。窓から射し込む白っぽい光は今が朝であることを示していて、同時にお姉さんの姿は夢の中の幻だった事を悟る。そしてふと、腹の上にある暖かい物体に手を添えた。
「またここで寝てるし…」
「昔は殊勝だったのにすっかりスレたもんだな」
くわり、と眠たそうな紅い瞳が開き、思わず取り落としそうになる。それは彼を前に、私が驚いたからではなく、彼がさっきの夢の事を指していたからだ。
「の、覗き見ですか!」
「ちげーよ。流れ込んできただけだっつーの。覗くんだったら嬢ちゃんより結野アナがいいですかっこエロいのかっことじ」
「…銀さん、アンタはこのまま永眠してて下さい頼むから」
はあ、と朝から幸薄い溜め息を吐いて、彼を持ち上げた。布団の中に猫を入れ、自分は立って襖を開ける。そのまま洗面所へと歩いて、鏡に映った顔を見てまた悶々たる溜め息を吐いた。そんな簡単に他人の夢を見る事が出来るのか。疑わしいが残念ながら私に確かめる術はない。それに銀さんも銀さんで白を切り通すに違いない。少々げんなりしながら身支度を整えて、私は朝食をとるべく階下に降りていった。
「気を付けていっといで、なまえ」
「はあい!いってきます!」
お登勢さんに挨拶を返し、引き戸に手を開掛ける。しかし途端自らの意志とは関係なしに手が勝手に戸を閉めた。冷や汗を掻く私の後ろ、お登勢さんが不思議そうに頭をもたぐ。何故…!どうしてここに彼らが!
「なまえ?」
「あっ、な、何でもないです行ってきます!」
もう一度引き戸を開け、極小の隙間から後ろ手で勢いよく閉めた。目の前でにこにこ笑っているのは何度瞬きしても目を擦っても、やはり昨日の二匹である。もしかして、一晩中ここにいたのだろうか…。
「おはようございますなまえさま」
「お、おはよう…」
髭と牛(勝手に命名)は二匹が二匹、各々背中に何かを持っていた。髭はまるで鼓笛隊のような大太鼓、そして牛は大きな番傘である。何に使うんだろうと一人首をもたげていた時、二匹は私の前後に立ち声を張り上げたのだ。
「そこのけーそこのけー!」
「なまえ様のお通りだー!」
ドンドン、シャンシャン、ドシャンドシャン。歩く度に響き渡る二種の音は、普通の人には聞こえないらしいが、その根拠はどこにもない。もし聞こえる人が現れたら、と大通りを出た通学路、私は先程から冷や汗ばかりである。
「あの!すいません!出迎えとか行列とか大丈夫なんで!色々間に合ってるんで!止めてもらえませんか!」
「いえいえ、せめて我等の誠意を示す為だけでも送り迎えをさせて頂きます!」
「いやだからそれが迷惑なんですって…!」
全く聞く耳を持たず二匹は通学路を練り歩く。周りには高校に通う途中の学生が大勢いるというのに、我が道を行く妖二匹。その後彼らは相変わらず傍迷惑な騒音を立てながら私についてきた。否、正しくは先回りしていた。校舎を見て早々、これがガッコウですか!と感心したり興奮したり、体育の間中盛んに応援してきたり、校庭いっぱいに"呪"と書いてみたり。廊下の窓からそれを見て、重苦しい溜め息が出たのは言うまでもない。
「もうホント、何やってんだか…」
不思議と、そう呟くと苦笑が漏れた。妖には違いないのに彼らはまるで友人のようだ。此方が拍子抜けするほど阿呆らしく、そして気さくなのである。眼下で二匹が"呪"のハネが気に入らないと言い争い書き直し始めた時、私の前から鋭い視線を感じた。窓枠に凭れていた上体を起こすと廊下の端に一昨日の当人がいた。純な日本人特有の黒い髪に瞳孔が開かれた黒い瞳、たの噂の土方君である。目が合っても逸らされる事はない。殺気ではないと思われるが訝しげで探るような視線と目が合った。穴が開きそうだ。そのまま嫌な沈黙が何秒か経過し、土方君は唐突に踵を返す。今感じたものは、何だったのだろう。そして今といい一昨日といい、彼は私に何を感じているのだろうか。