第二章
夢小説設定
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けれど何故かそう言い切る事が出来なくて、開いた口を一文字に結んで俯いていると、海老名さんが小さい手を打った。紙と筆記用具を催促されて鞄から取り出し渡すと、彼はシャーペンの重さによろけ立つ。
「昔俺の次に名前を取られた妖を見た事があったんだ」
先生の噂を聞いた海老名さんは、興味本位で顔を拝みに行ったらしく、自分の名前と接着しているのは恐らくその妖だろう、と。友人帳の力で手っ取り早く捜せないのだろうかと考えたが、生憎私はその妖の顔を知らない。名前と顔、どちらが欠けても友人帳は応えてくれないのだ。そう考えている内に海老名さんの絵が出来る。
「名前は忘れたが、確かこんな顔した奴だった」
「毛は?毛はなかったんですか?」
「ああ」
「…海老名さん、これ…アテにしても大丈夫?」
「七割方大丈夫だろ」
じゃあ残りの三割はどうなんだと問い正したいが、笑いを堪えるのに必死でそれどころではなかった。海老名さんが描いたのは正真正銘のオバQだ。腹に"参"の文字があるかないかの違いだけで姿形はそっくりである。本当の姿を確かめる術がない今、これをアテにするしかない。Q太郎(仮)は三ノ塚という山に潜んでいるという事で、その日から私と海老名さんのQ太郎(仮)捜しが始まった。
「…ふが!」
「やあっと起きた。最近マジでよく寝るねえ、アンタ」
彼此れQ太郎を捜し始めて早一週間。Q太郎のきの字すら見付からず、これといった目撃情報や噂もない。基本的に昼間は学校なので、私が活動できる時間は夕方から夜の間、掛けても暁時。しかもお登勢さんに心配を掛けぬよう家に帰らなければならないので、本当に僅か、海老名さんに申し訳ない程度にしか付き合えないのだ。
「げっ!何コレQ太郎!?」
「寝ながら手動いてたよ。何、ハマってんの?」
物好きねえと友達から笑われして、思わず頷いた。物好きなのは自分でもそう思う。手掛かりが少な過ぎて捜索は殆ど捗っていなかった。早朝深夜と身体が自由な時間は殆ど海老名さんと行動している為、授業中も全く起きていられず近付く定期テストに段々不安になりつつある。そしてその日の帰り道、七つ森に続く道で私はあのお婆さんと再会をした。七つ森の祠の前で、彼女は海老名さんに手を合わせている。時々私は不思議に思う。どうして他の人には彼らが視えないんだろうと。良くも悪くも、あんなに近くにいて心は通い合っているのに、私より、あの人達にこそこの力は相応しい筈なのにと。悶々と渦巻く気持ちの中で、声をかけずに立ち止まっていると、お婆さんが此方を振り向いた。
「あら、お若いのにあなたもお参りに?」
「あっ、はい…」
「良かった。最近は私だけみたいで露神様お寂しいんじゃないかと思っていたの」
そう言って歩いてくるお婆さんは柔らかく笑み日傘を差した。いつからお参りし始めたのか日を問うと、小さい頃からずっとねと返って驚いた。実は彼女、失礼ながら若くても六、七十歳くらいには見えるのだ。海老名さんはその頃からずっと、彼女の瞳に映らないもどかしさを感じていたに違いない。笑わないでくださいね、と、そう前置きをしてお婆さんは話し出した。
「私、一度だけ"露神様"をお見かけしたことがあるんです」
女学校からの帰り道、その日はとても良いお天気だったそうだ。いつものようにお参りして目をあげようとしたら、祠のうしろに足が見えた。驚いたけれど、気付かない振りをしたの。
「眼鏡を掛けた河童みたいなお顔をしていらっしゃったの。それで気持ちよさそうに、今日は暖かいなぁって呟やかれたの」
私、思わずそうですねって言ってしまいそうになったけれど。でもきっと、人間に姿を見られてたと気付けば露神様はびっくりして消えてしまう気がしてね。けど、時々思うのよ。あの時思いきって声をかけてみればよかったかしらって。
「"そうですね"と、たった一言だけでも」
商店街の曲がり道で、お婆さんに手を振った。もし、仮に彼女が海老名さんに声を掛けていたとしたら、二人の関係は変わっていたのだろうか。お婆さんも海老名さんも、とても優しくて純粋な事だけはよく分かる。けれど人間と妖の狭間は、果たして上手く埋まったのだろうか。たった一言、言葉を返すだけで。その姿を見るだけで。そんな簡単なものじゃない。それくらい、私は知っている。言葉だけで伝わるモノはありはしないのだと。だから気持ちを表す方法が幾つもあるんじゃあないか。言葉だけで、言葉くらいで、人の気持ちが伝わるかだなんて。
「…う、」
なんだろう、重い。金縛りか。微睡んだ中で、ぼんやりと意識が浮上する。脳は起きているのに瞼が重くて中々目が開かない。知らない間に結構疲れてたんだと他人事のように考えた。
「なまえ」
「…はい、ってなんで、銀さんが人型…?」
「お前、魘されてたろ」
「そう、でしたっけ…。別に、銀さんの事ボッコボコにする夢とか、見て、ませんよ…」
「何じゃソラ。夢の中まで俺の事苛めて楽しい?なあ楽しい?銀さんは悲しいぞコラァ」
「ふふ…えへへ…」
「…ま、いいけど。幾ら夢ン中で俺の事苛めても何してもいいがコレだけは覚えとけよ嬢ちゃん。妖は人の心を引きずってくる。喰われたくなかったら、心を強く持つ事だ。分かったか?俺ァ売られた喧嘩は百倍にして返す主義なんだ」
隙作んなよ、と銀さんの影がそう言った。ぱちくり。朝、目覚めてみると隣に彼はいなかった。夢?アレは夢だったのか?一体何だったんだ。しかし私は何つーもんを見てるんだ!やっぱり銀さんの事を気にしてるんだろうか。…いやいやいや。あれはどう考えても銀さんが悪い。そう言えば、最近彼とまともに口を聞いてない気がする。
「嬢ちゃん!Q太郎を見付けてきたぞ!」
夢に抱いた疑問を解明する間もなく、窓が小さく鳴り外から海老名さんのくぐもった声が聞こえてきた。和室の窓を開け枠を見ると、彼は肩で息をしながら捲し立てた。
「あの妖が三ノ塚にいるらしい!用心のために丸い手鏡を持って行けよ!」
幸い、今日は土曜で学校は休みである。早めに身支度を済ませ、お登勢さんに断って先を行く海老名さんの後を追う。そして塚の森付近、
「海老名さん…オバQいないけど…ホントに見たんですよね…?」
「何、疑ってんの?!声を掛けたら逃げちまったんたよ。だがまだ遠くへは行ってない筈だ」
行くぞ、と、私の肩に登った海老名さんに急かされた。三ノ塚の山は七つ森より暗い。あちらと違って木が多く、光が全く射し込まないのが事の原因だ。こうも鬱々としていると、こちらも気が滅入ってくる。小一時間ほど探索したが結局Q太郎は見付からず、二人で溜め息を吐いて一旦入り口へと戻ろうとしたその時だった。
「…り、した…」
「…え?」
声のような、ざわりと揺れる木々の間から聞こえるか細い音。何か、いる。それもとてつもなく凶々しいものが。肩に乗った海老名さんが私の服をぎゅうっと掴む。
「まいりました」
心臓が止まって息が詰まったような気さえした。眼前で顔を覗き込んでくる妖怪の顔全体が不気味な程に痩けている。例えるなら、あのもののけ姫に出る木霊みたいな妖だ。眼孔が落ち窪みただの穴と化した両目の中は黒い闇が広がっている。
「っ、嬢ちゃん!」
悲痛な海老名さんの呼び掛けで、硬直していた身体が漸く息を持った。舗装されていない獣道を危なっかしげに走る私を、妖は浮いたり這ったりと掴みどころのない動きをしながら追って来る。ふと腹を見ると、そこには"参"の文字があった。
「あれがQ太郎!?」
「そうだアイツだ!」
「海老名さんのバカ!文字しか合ってないじゃあないか!」
何てこった。これじゃ見付からない筈だ。"参"と毛がない事以全く一致しなかった。オバケのQ太郎なんてかすりもしてもいないじゃないの!
「嬢ちゃん!早く木陰から出て行かねえとお前このまま喰われるぞ!」
「そんな事言われてもっ…!」
この山に木陰のない場所などあるのだろうか。皆無に等しいだろこの状態は。山を降りるしか手段はないようだが、生憎、二人して奥地まで足を運び過ぎた。そう簡単には抜け出せそうにもない。
「嬢ちゃん鏡だ!日の反射で目眩まししな!」
肩からずり落ちそうな海老名さんを引っ張り上げながら、ポケットに手を突っ込んだ。鏡は、ある。だが肝心の日光がない。
「まいりました、まいりました」
光、名前、出口。必要とする物が多過ぎて頭が混乱し始めた。ああああもうどうしよう!逃げているだけでは何にもならない事くらい私でも分かる。結局私は独りじゃ何も出来ないのか。妖を出し抜ける事も、強くある事も。強く、ないのか私は。
「ごめん海老名さん!転ける!」
「は…どわっ?!」
転ぶ瞬間はどうしていつもスローモーションに見えるのだろうか。恐ろしくゆっくり流れる時間はあるのに身体はぴくりとも動かない。地面に叩きつけられる衝動を避ける間もなく、肩から放り出された海老名さんが落ちていくのが見えた。転ぶはずだった私はそれを変わらない位置で見届ける。首にぬるりとした感触。不気味な木霊に掴まれたので転ぶことは免れたのだ。
「まいりました、」
いっそ転んだ方が良かったか。木霊は海老名さんのように遠慮というものを知らない。初対面にも関わらず顔を近づけて来た。微かな腐臭に頭が霞む。するとまた脳裏に聞き覚えのある声が響いた。
『あなたが噂の妖ですか。私の条件を呑むなら付いてお出でなさい。私は吉田松陽、あなたのお名前は?』
ドクン、と心臓が騒いだ。分かった。この木霊の名前は、
「嬢ちゃん!!」
よりいっそう首が絞まるのと同時に目の前のからっぽの口が開かれた。歯も舌もないただの空。喰べられるんだ、私は。
「ぎん、さん…」
閉じる瞼の裏で、淡い銀髪がちらついた。