第一章
夢小説設定
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「なに、言ってんだ」
そう、目に見えて銀さんは驚いていた。
「だ、だって借りた物は返すのが通りだし」
「だからって何でそうなるのかを聞いてんの。素直に俺に渡しゃいいじゃねェか」
「…こう、銀さんは雑な扱いをしそうで無性に嫌で」
「何この子!この短時間で俺の何を知ってんの!?」
「うっ…、じゃあ何で銀さは友人帳が欲しいんですか?」
「はあ?そりゃあそれを使えばここら一帯の奴らをコキ使えるだろーが」
「あっ、やっぱり動機が不純なのでダメです!」
曰く、友人帳を持つ者に名を呼ばれ命令を受けると、その妖は所有者に逆らえなくなるらしい。しかも、紙に危害を加えれば、その妖は紙と同じ目に遭うそうだ。つまり、命と同意義の名前だと。
「まあ何だ、妖に名前を返すなんて、ンな馬鹿な事止めとけ止めとけ止めとけ。一体何枚あると思ってんだ?第一勿体ねェし」
言わずも、きっと最後の言葉が本音なんだろう。確かに、名前を呼んで命令するだけでその頂点に立つ事の出来るだなんて、かなり魅力的な代物に違いない。しかし、ずっと気掛かりな事があった。それは何故そんな物が私の手元にあるのかという事である。
「…さっきから考えてたんですけど、先生とはほとんど血繋がってないのに、何で私は妖が視えて友人帳が読めるのかなあと」
「アレだろ?隔世遺伝とかそういうもんだろ?」
「いやいや、どんだけすっ飛ばす気ですか、じゃなくて!きっとアレですよ、先生が自分の代わりに名前を返してくれとかそういうやつだと思うんです」
「…嬢ちゃん、意外に運命の相手とか占いとか信じるタイプだろ?」
「くっ、何で若干引いてるんですか?!」
そう、きっとそうなのだ。こんな出来過ぎた話は滅多にない。だからきっと、先生からの何かのメッセージだと私は思う。銀さんの憐れみの目に挫けそうになるが、ここで引く程私の決意は揺るがなかった。
「きっと昔に先生の所に居候してたのも何かの縁だろうし」
「ただの偶然だろ」
「でも、私には読みも視えるわけですし」
私には彼らが視えるし声も聞こえる。思い込みかもしれないけれど、この力はただの偶然じゃないのかもしれない。先生が私に何かを託したなら、託された私は責任を負わなければならない。それは絶対的なものではないけれど、私は同じ孤独を知っているのだ。
「…あ゙ー、確かに、一つだけ方法はある。けど嬢ちゃん、ここにはあんなのよりもっと凶暴なのもいるんだぞ」
未だ神社の周囲を徘徊する二匹の妖怪を顎で指し、銀さんは牽制するように言った。それは幼子に注意する大人に似ていて、私は少し可笑しくなってしまう。
「アンタみてぇなガキは直ぐ死ぬぞ」
「ふふ、でも一応ここまで何とか生きて来れましたから」
「これまでの比じゃないって言ってんの」
少し、銀さんの機嫌が悪くなって来た様な気がする。また木刀が来たらどうしよう、と内心心配だったが、彼は口振り程怖くはなかった。何となく、私をその道から外させるように修正しているんだと、ただの自意識過剰かも知れないがそう思う。これで断られたら一人で名前の返し方を探して頑張るつもりだ。ポックリ逝ってしまうのは少し怖いが、誰も悲しみはしないだろう。そう気合いを入れて、相変わらず怪訝そうな銀さんの前に立つ。
「分かってます。でも、それでも…銀さん、お願いします。力を貸して下さい。もし、私が途中で死んだら友人帳あげますから」
どうか。深く腰を折って、頭を下げる。妖を邪険にしていた自分が、まさか妖に懇願する日が来るとは思ってもみなかった。だから受け入れられるだろうか心配だった。けれど一世一代のお願いに、形振りばかり構ってもいられない。固く目を瞑って沈黙に耐えていると、心底呆れたような溜め息が頭から降って来る。
「…ったく、アンタもあの人も、選りに選って何でそう揃いも揃って馬鹿なんだか。馬鹿だからか?馬鹿なんだなコノヤロー」
ほれ顔上げて、と静かに声を掛けられる。明るくなった視界、銀さんは困ったように笑っていた。初めて見るその笑顔に、少し戸惑ってしまったけれど、それは一瞬で直ぐ目尻が上がり普段の死んだ魚の目になった。
「じゃあ、嬢ちゃんが消えたら友人帳は俺が貰う。いいな?」
「…はっ、はい!」
「まあ俺が付くんだ。高く付くぜ」
銀さんはそう言って、立ちっ放しの私の頭を軽く叩いて横を通り過ぎて行った。着流した片方の着物の裾を揺らして、私にはそれが綺麗に見えた。神社を出ると、いつの間にか西日は傾いていて橙の光が辺りを染めている。蒼白い銀髪が反射して、キラキラ光っていた。
「何してんだなまえ、置いてくぞ」
「…!ありがとうございます!」
歩いて鳥居を抜けた道に近付いた頃、つと前を歩く銀さんが私を振り返り、私の持つ友人帳を指差した。
「それ、やり方教えっから。一回しか言わねぇから耳の穴良くかっぽじっとけよ」
聞き逃したらその分イチゴ牛乳な、と軽く脅される。何故イチゴ牛乳なのかは黙って呑み込んだ。一度深呼吸して、そうして続けてくれる様促した。
「名前を奪いに来た妖がいたら、まずその姿を目に焼き付ける」
この最初の部分が重要なんだそうだ。ここで間違って覚えてしまったら、名前まで違うものを返しかねないらしい。次にその妖怪をイメージしつつ友人帳を開き、"我を護りし者よ、その名を示せ"と念じる。そして紙を咥え、手を強く打ち合わせた後、集中する。最後にふっと息を吐けば完了だそうだ。本来なら血族でなければこの方法は無理らしいが、私と先生は妖力の質が同じだそうで大丈夫らしい。動作も加えて最初からイメトレし始めた瞬間、銀さんが低く呟いた。
「来るぞ」
直ぐさま彼は例の猫に化けて私の背中にくっ付いた。木立から微かに覗くあの黒髪は、紛れもなく私を追い掛けていた片割れだ。まずはイメージ、そして念じる事。同時に二つを行いながら友人帳を開くと、風もないのに勝手にページがめくれ始めた。
「放っておけば友人帳が勝手に割り出すから」
後ろから喋る猫に頷き、改めて前方を見る。友人帳はページをめくり続けている。初めてだから上手くいかないのか、と不安になりかけたその時、
「オイなまえ走れ!」
その声と同時に産毛が逆立つような感覚を覚えた。後ろを振り返ればあの黒髪が高速で此方に飛んで来ている。
「ぎゃあああ!何アレ!?ちょ、ぎぎぎ銀さんキモっ、いやーー!!」
「だあああ!耳元でうるせェェ!!」
仕方ないじゃないか!怖いものは怖いのだから!それに相手は人間の表情ではない。反射的に叫びまくる私と背中の彼と相俟って、大音響が森の中に響き渡る。友人帳を両手で広げたままひたすら走る間、何度か石に躓いて危うく転びそうになった。私の背中は揺れるだろうに、猫の彼は離れやしない。すると、せわしなくめくられ続けていた友人帳がある一ページで止まった。ページとページの間に直立する一枚の紙。次に必要なのは唾液、そのために紙を咥える事。躊躇なく友人帳から盛大に切り離した。気配が近い。ここで速度を落としたら喰われてしまう。必死に記憶を手繰り寄せ、次の手順を模索する。この紙を咥えた後は、確か、
「むぅ!むももも!」
「いや、今キチガイの真似やんなくていいから」
もの凄く冷ややかな突っ込みを頂いてしまった。紙のせいで上手く喋れないのに、と言い訳したいが今は愚痴を溢している場合でもない。手順はばっちり、手を叩いて息を吐く。地を蹴る足を止め、黒髪の妖怪に向き直る。意外と距離は開いていた。紙を噛む歯にぐっ、と力を入れて手を叩き、そっと息を吐く。
「"かりかげ"」
そう名前を呼んだ瞬間、紙から墨の文字が躍り出て、黒髪の額に吸い込まれていった。かりかげはか細い声で何度も先生の名を繰り返す。ほんの一瞬だったけれど私の意識はその場から外れていた。見えた、のだ。周囲が眩しく発光する中、かりかげと朧気な人の姿が。これは、一体。
「ッ、いたっ!」
我に返ったのは、後頭部にはっきりした痛みが走ってからだった。どうやら猫パンをかまされたらしい。
「あれ?かりかげは…?」
「とっくに帰っちまったよ」
オメーがぼけっとしてる間に、と言われて苦笑する。かりかげがいた辺りには、何も残されていない。あの一瞬の光は何だったんだろうか。不可思議な点はいくつかあるが、まずは一匹クリア出来た事に安堵した。
「やれば出来るじゃねーか。顔青いけど」
「はは、確かに、ちょっと疲れましたね…」
恐らく、これはちょっとどころではない。このだるさは風邪を引いた時の症状に似ていると思う。やはり妖の相手は一筋縄ではいかないという事か。あんなに軽量だった友人帳さえ煩わしく感じるのだ。そのせいで、注意力が散漫だった私は気付かなかった。真横から伸ばされたあの腕に。しまった、と思った時にはもう遅い。視界いっぱいに広がる皺くちゃの手、条件反射で目を閉じる。時間にして十秒くらいか、もっと経っていたかもしれない。しかし待てども待てども一度体験したあの圧迫感に襲われる事がない。うっすら開けた目の先に、すっかり見慣れた着物が見えた。
「銀さ、!」
「オイオイ、オメー知ってっか?しつこい男は嫌われるって、よ!」
猫から化けた銀さんの手には木刀。たった一本の木の棒で、彼はあの大きな一つ目の手を受け止めていた。もしかしたら彼は本当は頼れるのかも知れない。友人帳!と促され急いで開く。一度経験したおかげで方法は暗記済みだ。一つ目の姿を脳内でイメージし、念じ、紙を咥え、手を鳴らし、息を吐く。そこでまたあの光だ。名前を噛む度流れ込んでくるのは、妖怪の記憶か先生の思念だろうか。
『…みしい、さみしい、おなかがすいた…』
今度はしっかりと背景もあった。けれど場所は特定できない。どこかのお地蔵様にお饅頭が供えてある。あの手は一つ目の…。お地蔵様の後ろに隠れていたんだろう。そっと手だけ伸ばして盗ろうとした時、不意に横から現れた手が一つ目より先にお饅頭を掴んだ。
『…余り、美味しくはありませんね』
お供えを食べた罰当たりな人、私にとっては懐かしい声と見慣れた着物を着てそこに立っていた。何故か頬に傷があって、先生はお饅頭を片手に苦い笑みを溢す。
『人のくせに意地汚い。…お前、私が恐ろしくないのか?』
『はは、意地汚くて結構。あなた方も見慣れれば平気ですしよ。さあ、そこで隠れてないで、おいでなさい』
自分を怖がらない彼の振る舞いに戸惑いつつ、一つ目は先生の前に現れた。人の子は信用出来ない、と伺う一つ目の心が胸を占める。しかし、目の前の人の雰囲気は人のそれとは違っている様に見えた。先生は一つ目を連れて家へと歩いて行った。見慣れた建物が見えてくると、中から子供が現れる。これは、私ではない。周りと比べて朧気なその子を、先生は" "と呼んだ。するとそこで場面が切り替わる。家に入ると、懐かしい囲炉裏が目に入った。その脇にある棚の中から、先生は羊羮を取り出して切り分ける。その一つを、先生は一つ目に差し出した。
『腹が空いてるなら、これを食べなさい』
その代わり、人の物に手を出しちゃいけないよ。ここに来れば、沢山物はあるから。そう言って、笑っていた。
『人の子よ、その頬の傷はどうした?』
最初より幾らか和んだ雰囲気の中、もぐもぐと嬉しそうに羊羮を頬張る一つ目が、先生の頬を指差して聞いた。ピタリ、と湯呑みを持つ手を止めて、困った様に先生はそこを掻く。
『石を、ぶつけられたんですよ。私は気味が悪いと』
そう笑う先生は少し淋しそうだった。普通の人と視えるモノが少し違うだけで疎外される悲しみは、私にも経験がある。我慢も辛さも、推し測れない程多くあった。いつかの私も、今の先生と同じ顔をしてるのだろうか。
『人の子、困ったことがあったら私を呼べ』
『…はい?』
『同類にいびられたり、今のように石をぶつけられたりした時だ。私が行って退治してやる』
突然申し出た一つ目に、先生は目を大きくさせた。なんと、人を嫌う妖が自ら人を助けてくれようと言うのだ。困惑の色を見せる先生に構わず、一つ目は話を続ける。
『寂しい時もだ、泣きたい時も。名前を呼んでくれれば飛んでいく』
必ず、と小指を差し出した一つ目に、先生はにこりと笑って小指を差し出した。人間と妖怪の指切り。どこか神聖なモノに見える。
『きれいな…、きれいな名前ですね』
一つ目の名前が書かれた紙を手元に寄せ、先生は" "と、そうそっと呟いた。