第一章
夢小説設定
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「ただいま戻りましたー」
「おや、おかえりなまえ」
スナックの一階に入ると、もう店の外灯が照らしてあった。店内にはお客さんがちらほら見える。遅くなってしまった事に後悔をして、カウンターにいるお登勢さんに謝罪を入れた。お酒と煙草独特の匂い、お店の匂い、さっきまでの事が全て嘘だったかのように、どれもが私を安心させてくれる。
「アンタ、顔が青いけど大丈夫かい?行きで何かあったんじゃないだろうね」
「い、いえ!帰りに散策してたら道に迷っちゃって、それで…」
「…そうかい。兎に角、あんまり遅くならないようにしとくれよ。年を取ると妙に心配性になってね」
やんわりと笑うお登勢さんに元気よく返事を返す。彼女は私が視えることを知らないのだ。否、知られてはいけない。優しいこの人に迷惑を、気味の悪い思いをさせたくはない。衣食住を揃えてくれるだけでも有難いのに、お登勢さんは私に店の上にある一棟を空けてくれた。頼まれていた袋を渡し、お客さん達の邪魔にならないようもう一度頭を下げて自室へ上がる。私の部屋、基家は昔お登勢さんと旦那さんの辰五郎さんの物だった。だった、というのは他でもない。これが過去の話だからである。辰五郎さんは今、この世にはいない。私が生まれるずっと前に、戦争で亡くなったらしい。今は小物や服こそ無いが、机や箪笥等の家具はそのままで置いてある。スナックを始める際、お登勢さんは下の階に部屋を構えて生活を始めたそうだ。自由に使っとくれと、初めて鍵を渡された時、彼女は私にそう言ってくれた。慌てて私には広すぎると言えば、今までみたいにもう肩身の狭い思いはしなくていいさね、と煙草を吹きながらお登勢さんは笑ったのだ。その時、年甲斐もなく彼女の前で泣いたのは、今でも記憶に新しい。和室にある押し入れを開けて、奥にひっそりと存在するダンボール箱を取り出し開く。たらい回しの際、最小限の荷物でいいよう用品と諸々を詰めた物である。日用品は適材適所に、鏡や小物なんかは持って来たバックに入れてある。それ以外の、例えば小さい頃の物や数少ない両親の遺品等がこの中にあるのだ。確か、この中に、
「…あった」
これが、"友人帳"。お世辞にも上手いとは言えない字で書かれた帳面。縦開きの様が昔使っていたドリルを思わせる。よしだしょうよう、ゆうじんちょう。全てが一つに繋がった。先生、と、私はそう彼の事を呼んでいた。曖昧だがまだ小さい時、松陽先生が亡くなるの一年程前に、彼の下で身を寄せていた。持病の悪化かそれとも不慮の事故か、何かの原因で亡くなった事を知ったのは、新しい親戚の下で暮らし始めた時だった。先生には家族がなかったから、最期傍にいた私が遺品として彼の物を預かったのだ。なのに、どうして今まで忘れていたのか。偶然か否か、私は少なからずあの妖達に関わっていたのだ。中身が気になって一頻り中身をめくってみてたが、うずまきや太陽に似た記号が続くだけだった。落書き帳かと脱力し掛けた時、不意に頭で何かパチリと弾いた。
「…のは、ゆずり、かのか、しののめ…」
読める。頭に文字として浮かぶ記号といい、先程の妖といい、ただの白昼夢として片づけるには話が出来過ぎている。
「それが、"友人帳"」
突然降ってきた声の方向に目を向けると、そこにはさっのきの猫がいた。瞬間、どろんという音がして、また見た煙と共に男の姿が現れる。
「怪我したくなかったらソレを大人しく渡しな、嬢ちゃん」
言うが早いか私が品を持ち出すが早いか、彼は手にした木刀でを振り上げた。間一髪で避けたものの、頭上でくぐもった音がする。
「ふ、襖が…!」
「オイィィ!おまっ、避けたら俺の場面が決まらねェだろーが!!」
「いやいや知りませんよそんな事!もうホンっト帰って下さいお願いします!!」
「あ~ん?ピンクのパンツがバラされてもいいってのか?!」
「セクハラ!って、だから違うって言ってるでしょ?!っとに腹立つなこの猫!」
取り立て屋の様な凄みで振り上げられる凶器に、私はとっさに後ろ手に庇っていた友人帳を彼の目の前に突き立てる。
「破りますよ!」
するとピタリと彼の動きが止まった。その顔は不機嫌に眉根を寄せ、一瞬でも動けば瞬殺される勢いだ。嫌な汗が背中を伝う。この状況をどう切り抜けようかと考えあぐねていると、張り詰めたこの場に不釣り合いな音が響いた。
ピーンポーン
「なまえー、すごい音がしたけど何の騒ぎだい?」
「あっ、すいません!何でもないです!」
そこで彼に背を向けたのがまずかった。しまった、と言葉を発する間もなく、奪いとられてしまった友人帳。ひらりと窓枠に足を掛け裏地に飛び出そうとした彼の腰に、私はガシリとしがみ付いた。
「ちょ、っぶねェ!何やってんだ嬢ちゃん!」
「それだけは持ってかないで!」
友人帳は先生の物だ。記憶こそ曖昧ではあるが、数少ない物の中で、きっと彼が大切にしていた物なのだ。滅多な事では怒らない先生が、昔私がそれに触れようとした瞬間に声を荒げた事があった。びっくりして固まる私に、申し訳なさそうに謝られた記憶がある。そんな先生が大切にしていた物ならば、それを易々と見過ごせるわけがない。私だけに託された、先生の物なのだ。私の物なら何でも持っていって構わない。でもこれだけは、
「なら、命を貰おうか」
「え…?」
「アンタを殺れば、そいつァは俺の物になる。そうだろ?」
そう来たか。後々の展開を考えずに口走ってしまった自分が今更憎い。悪知恵の働く彼を言いくるめる上手い言い訳はないか。ひたすらに頭を回転させる視界の端、何かが目端を横切った。静かに構えた窓枠の向こう、記憶に新しい黒髪の妖怪だ。あの残忍な言葉が、記憶に蘇る。ここにいたらお登勢さんに迷惑を掛けてしまう。逃げないと、とそう本能が警告した。それに従って私と同じく妖に気付いた彼の一瞬の隙を突いて、外へとダイブした。手にはもちろん友人帳。火事場の馬鹿力、とはよく言ったものだ。二階から飛び降りたものの、足を折る事なく着地できた。追い掛けて来る妖はいつの間にかあの大木の様な妖も加わって、二匹に増えていた。またさっきの繰り返しだ。行き先はあの神社に決まっている。鳥居に一歩でも踏み込めば私の勝ちだ。
「松陽、かえせ」
「名前を、ユウジンチョウを、」
相も変わらずかけられる言葉は同じもの。けれど私は先生ではないし、彼等から名前など奪った覚えもない。いい加減にしてくれと、一人ごちていると、見慣れた猫がピッタリと横に付いて来た。
「コレで分かったろ?友人帳はお前に扱える物じゃないって」
「まだ!これが友人帳のせいだなんて決まったわけじゃないですっ!!」
言いながら神社の入り口に飛び込んだ。上がる息と肩を懸命に抑えているとガン、と再び頚に圧が掛かる。同時に身体が浮いて、鳥居の柱に叩き付けられた。
「う、げほッ!」
「いい加減にしろよ、嬢ちゃん。俺ァあんまり気が長い方じゃねェんだ」
最初からちょこちょこキレてたでしょ、なんて言える人がいたら見てみたい。飄々とした物腰とは裏腹に、彼の腹は相当煮えくり返っていたらしい。
「人のくせに俺達の上に立つつもりか?」
「ちが、ッ!」
「じゃあ何か。アンタ等人間にそう使う以外何の意味がある?」
「ッ、友人帳は先生の物で!あの人の、先生の大切な物だから、渡せないん、です!」
喉を押されてえずきそうになる。酸素不足で意識が朦朧として、目端に涙が溜まる。
「先生は今いないけど!血の繋がりもないけど、でも、大切だった人の物くらい!私はッ、先生との繋がりを無くしたくないんです…!!」
言い切って安心したせいか視界が真っ白になった。これは本格的にまずいぞ。啖呵を切ったはいいものの、何もできないじゃないか。くっと自らを叱咤していると急に呼吸が楽になった。冷たい空気が勢いよく入り、噎せ返る。
「ごほッ、げほ…?!」
「…まあ、アンタには結界を破ってもらった恩がある」
咳込む私の背中をさすってくれる男は一体誰だ。何が彼の怒りを削いだのかはわからないが、どうやら命の心配はないらしい。漸く呼吸が落ち着いた頃、改めて隣に腰掛ける人を見た。こうしていると、姿形は全然人と変わらないのに、上手く化けるなあと半ば感心する。ふと、紅い瞳と目が合った。
「何?」
「あっ、いや、あの…名前を伺ってもいいかなと…」
この僅かな間に彼に対する緊張と恐怖がすっかり根付いてしまったらしい。オドオドした自分の態度は気が短いという彼からすればきっと気に食わないものだろうけれど、不思議とそれを咎められる事はなかった。
「ああ、俺ァ坂田銀時」
「…坂田さん?」
「いやいや、銀さんとか銀ちゃんとかもっとフレンドリーな感じで」
ぎんさん、そう小さく呟くと、はっきりした声で返事が返された。
「じゃあ、嬢ちゃん、アンタの名前は?」
「…え?」
「人に名前を訊ねる時ァ自分からって言うだろ?」
アンタの、名前は?
う、と息に詰まり、少したじろいだ。理に適っているから言い返せない。まさか聞き返されるなんて思ってもいなかった。彼はどちらかというと人と、境界がある様だから、勝手に割り切っていたのに。多少吃りながらも名乗ると、彼は名前をゆっくり名字と名前を一度だけ復唱させた。
「そう言やあ嬢ちゃん、アンタは松陽先生の縁者か何かか?」
松陽先生?少し引っ掛かりのある聞き方だった。しかし縁者とは、つまり身内の者の事である。よく考えればほんの少し血は繋がっているかもしれないが、先生と私は遠縁とはいえ殆ど他人だった。
「多分、違うと思います。…小さい頃に、一年程一緒に暮らしてましたけど」
「だからソイツを、ねぇ」
ふぅん、と興味なさ気に彼は頷いた。謗らず、朧気だが面影はあるらしい。だから妖達は私の事を"松陽"と呼んでいたんだと。顔ではなく、纏う雰囲気が似ていると坂田さん基銀さんは言った。しかし何故銀さんが先生と呼んでいるのか。ふとそんな疑問が頭に浮かぶ。
「昔、ちぃとばかし世話んなってな」
驚いた事に、先生は私と同じく妖を視る事が出来たそうだ。元々根がいい人だったから、困っている妖を助けたり、話したりしている内に周りの人達が彼を遠退け独りであったそうだ。そう言えばよく、近所の人から煙たがられていた節があったっけ。私がいた時に、何度か普通とは違うものを視た事があったが、先生は一度もそんな素振りを見せた事がなかったのに。銀さん曰く、それでも先生は悪事を働く妖を中心に説き伏せ、時には手を加えたりして、彼らが人に害を加えないよう名前を紙に書かせたそうだ。本来はそれだけの目的だったのだが、先生に助けられた妖達が自分の名前もとよく彼の下に持って来たらしい。以外な先生の一面が知れて、少し私はくすぐったくなった。
「それで出来たのが友人帳」
そう溢す銀さんが私を見る。先生を慕っていた妖達ならばまだしも、未だにあの妖達の様に先生に恨みを持ち名前を取り返そうと躍起になっている妖達がいるらしい。
「嬢ちゃん、危ねぇぞ」
つまり、今友人帳を持っている私が先生の代わりで、妖達のターゲットになってしまうという事だ。手の中にある紙が心無しか重くなる。勘違いだという立説も、銀さんの話で打ち砕かれた。
「私、どうなるんですかね…?」
「さあなあ。ただ話を聞かない連中ばっかだからな」
下手したら死ぬかもよ、と銀さんは軽く言った。妖を視るだけでなく死が憑いて回るようにもなってしまったのか。やっと落ち着いた生活を手に入れたのだ。全く、どうして私ばかり。…でも、
「…銀さん」
「おー?」
「友人帳の、名前の返し方ってご存知ですか?」
はっきりと、今まで鼻をほじってだらけていた銀さんの表情が変わったのが分かった。