第四章
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小さい頃から時々変なモノを視た。他の人には視えないらしいそれらは、おそらく、
第四章 妖怪祓い人
「オイ嬢ちゃん、一体どこまで人を連れて行く気だオメー!もう暫く歩いてんぞ!もう両足が生まれたての小鹿なの!ガックガックなの!後ちょっとってどこだ!ちょっとってどん位だ!」
「もう大人気ない事言わないで下さいよ銀さん、ホントにもうちょっとなんですから。あっ、ほら、あったあった!あそこですよあそこ!」
日曜日。私は朝からパチンコへと出掛けようとする銀さんを掴まえて、珍しく彼と二人してターミナルの近くまで足を伸ばしていた。ぶう垂れた毎日じゃ退屈だろうから、と気を回したのだが逆効果だったらしい。小一時間ほど歩かされたせいか、銀さんはいつもよりも機嫌が悪くなっていた。だが今に始まった事ではないので構わず放置しておく。大分彼の扱いにも慣れてきたこの頃である。そんな銀さんを連れてでさえも、今日の私には何が何でも達成したい野望があった。散々と喚く銀さんを引っ張りながら、ふと辺りに目を向ける。すると、眼下の河川敷にテレビ局のワゴンが何台も停まっていた。その周囲を取り囲む野次馬と人の雪崩を制するバリケード。散在するカメラの後ろにはスタッフらしき人間がちらほら見える。とある二時間ドラマのロケである。近々歌舞伎町近くで撮影があるらしい、と友人に情報を得てから早二週間。そこらの芸能人なら興味はあまり湧かない私なのだが、今回は特別だった。昂る気持ちを抑えながら、眼球の裏までその姿を焼き付けようと意気込んで銀さん片手に小走りに土手を駆け降りる。と思い来や、見事に柔らかい何かへと足を取られてつんのめってしまった。ぎゃ?!という変な声と共に、最近身に付けた受け身の体勢を取ろうとすれば、不意に腰へと手が回り視界が揺れる。目の前には草。だが体は倒れず前屈の構えでいた。そして眼下では手放した銀さんが私の代りに土手を転がり落ちている。や、やべえ、殺される…!
「…オイ」
顔面蒼白の私の、耳元で囁かれた極上に艶やかな低音ボイス。ゆっくりと顔を上げればそこにはブラウン管越しに何度も観たあのお顔があった。黒を極めたような光沢のある細い髪に、左目にある白い眼帯。キラキラと、私にはそこだけハイビジョンにして見える。
「怪我は?」
「う、え…あっ、は、はい!だ、大丈夫です…!」
高杉晋助。今をときめく売れっ子俳優である。その名を聞いて二人に一人は必ず彼を思い浮かべる事が出来ると言われている程の実力者だ。映画や舞台、果てはバラエティにまで引っ張りのこの超絶芸能人。しかし何故私はその人に、何の縁があって彼に支えられているのだろう。ああ神様!今だけはあなたに感謝しています!
「す、すいません!足元も何も見て無かったもので…!」
「重ェ」
「は?」
「重ェ」
「…は?」
深々と、日頃の善処の感動に浸っていると、聞こえて来た言葉に意識が飛んだ。つまりはアレか。この人は人の事をデブって言っちゃってるのかサラっと。
「って、どこ触ってんですかアンタ!」
「腹」
「(サラっと言ったァァァ!)重点的にそこだけ摘むの止めて下さい現実を突き付けられてる気がするんで!」
うにうにと親指と人差し指で脇腹を摘まれてては流石の私も羞恥に駆られ出す。じたばた暴れる私を、彼は右腕一本で支えていた。暴れる私を物ともせずに、高杉晋助は抱え込む。こんな華奢な体ですごい筋肉だ、じゃなくて!
「いい加減に!…え?」
ビュンと、一瞬私と高杉晋助の真横を木刀が一本け抜けた。固まる私に同じく、後ろの彼もまた凝固する。冷や汗一つ、その出先を目で辿っていけば、今までに見た事のない顔をした銀さんがそこにいた。
「…ぎ、ぎんさ、!」
思わず、口に出してしまってから直ぐに後悔をした。はっとして後ろを振り返れば、案の定高杉晋助が目を見開いてこちらを凝視しているのだ。しまったと思った時には遅い。彼は一般人、私と違うというのに。話題を振ろうも、木刀に付いての安否は聞けやしない。きっと彼には木刀は愚か、眼下の銀さんだって視えてやしないだろう。強風か何かが通り抜けた、それだけに違いない。どう言う事も出来ない嫌な沈黙の中、反射的に冷や汗が落ちる。
「高杉さーん!休憩終わりでーす!」
「…今行く」
しかしそこに蜘蛛の糸が舞い降りた。スタッフさんからの召集に抱えていた腕が離される。余りの事に腰を抜せた私を引っ張って立たせ、高杉晋助は河川敷へと降りて行った。背中越しに手を振りながらの無駄に色っぽい流し目も忘れてはいない。普段の私ならここで卒倒者だというのに、この時ばかりは別の意味で足が震えていた。去り際、彼は確かにこう言ったのだ。あの馬鹿に宜しく、と。馬鹿?後ろでキャーキャー騒ぐファンだろうか?否、まさかとは思うが銀さんの事…?ぶるりと震える身体を一喝し、慌てて土手を登って来た銀さんに駆け寄った。きっと考え過ぎるのは、私の悪い癖に違いない。毒舌過激、偶に中二が売りの彼の事だ。深い意味は、恐らくないだろう。
「すいません銀さん、大丈夫です、あいたァ!ちょっグーとか!人がちゃんと謝ってるのに酷いじゃないですか!」
「謝って済むなら警察は要らねェよ!嬢ちゃんが見切り発車したせいで銀さんの体はボロボロなの、ガラスのハートは粉砕なの!許して欲しけりゃいちご牛乳百本買って来いバッキャロー!」
「どこの子供ですか!って、あっ、ちょっと銀さん!」
「アイツを見に来ただけなら俺ァけーるぞ」
追う私を待たずして、くるりと踵を返すと銀さんは元来た道を歩いて行った。慌ててその後を追い掛け隣に並んで顔を見るも、彼は前を向いたまま不機嫌である。
「…一応忠告しとくが、アイツにゃもう近付かねぇ方がいい」
「高杉さんにですか?何でまた?」
「…アレだ、何か臭う」
「明らかに今取って付けたような理由じゃないですか。あっ、でも香水はいい匂いでしたよね、って、あれ?デジャヴ?ちょっと銀さん!!」
何故か無言になった銀さんは急激にスピードを速めて歩いて行く。まるで競歩だ。途中からは本気で走りながらその広い背中を追い掛けた。本当は、実を言えば今日彼を連れ出した理由は今の世の中を少し知って欲しかった為だ。けれど、それはやはり余計なお世話になってしまったらしい。結局帰り道、慰謝料にとファミレスでパフェを奢らされてしまった。財布も気温も冷めた茜空。普段の道から少し近道をして、私は猫の銀さんと帰る事にした。他愛ない会話の途中、もう直ぐスナックという路地裏で、猫の銀さんと並んで歩く。ふと、反対側から歩いて来る細い影に気が付いた。淡いピンクの着物に右上で結った金色の髪。彼女の首には古びた縄が巻かれてある。趣味、なのだろうか。しかし擦れ違った瞬間、それが間違いであった事に気が付いた。気配が違う。この女の子、妖である。
「あ、」
ふと、袖口から伸びる白い手が目に止まった。不器用に重なった包帯が一部外れて手が見える。
「…それ、巻き直しましょうか?」
異形だとかその他の事を思う前に、口が勝手に動いていた。すると彼女は暫く歩いて立ち止まる。そして振り返ることなく、強い芯の通った声で言い放った。
「人のくせに、あたしに構うなッス」
ザッザッ。遠退く彼女の背中を見、その場合に思わず立ち尽くしてしまった。思ったより、堪えた。あの外見からは想像通りの声だったのに、想像以上の拒絶を突きつけられてしまったのだ。暫くアホみたいに放心していると、呆れ返った銀さんの声が聞こえてきた。
「妖相手にやたらと声を掛けんの、いい加減止めたら?」
「…すいません…」
どうして、声なんか掛けてしまったんだろうか。ずっと妖から逃げてきたというのに、最近は少しそれとの関わりに浮かれ過ぎているのかも知れない。ほんの少し前までは人でさえ、言葉を交わす事すらままならなかったというのに。
『嘘付き』
『嘘付き』
『なまえさん、どうしてまたそんな気味悪い嘘ばかり付くの』
スナックに挨拶を入れて二階、お登勢さんの用意してくれた夕食を済ませ私は和室で目を閉じる。暗闇に異常な程浮かぶのは、嘗ての同級生や担任だった。顔は酷く朧気なのに私を罵る口元だけは酷く鮮明である。
『嫌な子だな、そんな嘘を付いてまで構って欲しいのか』
違う違う、何も知らないくせに勝手に決め付けないで。腹の底では必死に弁明しているのに、いつしか責められる事に、それに慣れる自分に、私は諦めを感じていた。何を言ってもどうせ信じてもらえないのだ。私の言葉は、彼らにとって何の真実味も持たない。ならば、黙っている方がいいだろう。責めたければ責めればいい。ポーカーフェイスは得意だ。私は傷つかない振りが、素振りが、
「…ん」
無意識に眼球が伸縮を繰り返し、暗闇から見慣れた天井を映し出す。夢で起きてしまうのはこれで何回目の事になるだろう。いい加減昔の事くらい忘れたっていいだろうに、全く、私は弱い人間である。
「…あれ、銀さん?」
寝惚け眼に横を向けば、就寝時には枕の隣で猫の姿で丸まっていた彼の姿が見当たらなかった。そっと少し寝跡が残った布団の部分を撫でてみると、ほんのりと温もりが残っていた。きっとまた、誰かに呼ばれてふらりと飲みに行ったのかも知れない。歌舞伎町はもう俺の庭みてェなもんだ、と、先日酔って宣言した彼がどこかのガキ大将のようで笑ってしまった覚えがある。いつの間にか、彼もこの町に馴染んでしまったらしい。壁にある時計を見ると、時刻は朝焼けの午前五時。起床までまだ時間はある。もう一眠りしようと布団を掛け直した時、玄関先から不自然な音が聞こえて来た。絶え間なく、紙が擦れる音が部屋に響く。千と千尋じゃあるまいし、と一人笑えども、明け方とはいえ不気味な薄暗さは自ずと恐怖心を煽ってくる。それに比例するよう自然と、ここにはいない銀さんに対するささやかな不満が募るのを感じていた。どうして彼はいつも肝心な時には居てくれないのだろうか。気まぐれな彼の事だから、この不可解な現象を二つ返事で打破してくれるとは考え難いが、傍に居ると居ないとでは全く一人よりも安心するというのに。八つ当たり半分、おずおずと布団から這い出して、万が一の時のために窓の鍵は開けておく。肌寒くなってきた外気は辛いが、この際仕方が方ない。なるべく、下の階に迷惑を掛けない様、物音を立てず襖へと歩み寄った。そしてそっと、取っ手を押さえ右へと滑らせる。
「!!!」
何、アレ…?!リビング越しにひらひらとやってくるモノ。自問自答しているが、アレは紛れもなくただの紙だった。だが等身大の上に自ら移動している紙だなんて聞いた事があるか、否ない。人型のように見えなくもないが、厄介なのはそれが目指している場所が私の居る和室らしいという事だった。他の場所には目もくれず、突き当たりのこの場所にゆっくりと向かって来る。お登勢さんを起こさない様、静かに、けれど素早く背中で戸を閉める。
「どういう事…!?」
妖怪かもしれないが、取り敢えず怖い顔でない分安心感が増す。ほっ、と一息吐いた次の瞬間、襖の隙間から何かがすり抜けて来た。あの紙だ。器用な奴、と場違いな感心をしつつここには逃げ場がない事を改めて知る。そうこうしている間にも紙は此方との距離を詰めて来た。するとトンと背中に冷たい何かに触れる。窓だ。紙から目を離さず後ろ手で静かにそれを開け、私が全部開けきったと同時、紙が飛び掛かって来た。しかしそれよりも早く、私が下に飛び降りる。
「いっ、たあ…!」
二回目とはいえ裸足には少々過酷な試みだった様だ。神経を削るような痺れが土踏まずから這い上がってきてそして震う。そんな私の後ろには紙。足を軽く揺らしてみると何とか走れそうだったので、それに捕まる前に私は大通りへと飛び出した。寝起きでいきなり走ったせいか、思うようにスピードが出ない。それに朝食もまだという事も相まって、胃を絞るような空腹感に涙を滲ませつつ、私は閑散とした歌舞伎町を走り抜けた。目的の場所へと、近道に路地裏へ入った一瞬に、人影を見たのは気のせいか。
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