第三章
夢小説設定
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一体、何がどうなっているのか。今まさに飛び掛かろうとしていた神威君は、私の制止を聞いた途端一瞬身体が強張ったようにして振り上げた傘をそのまま地面に突き立てた。そうして何かに取り憑かれたようにその隣へ身体を落とす。しかしそれ以上は動けないらしく、瞳孔の開いた蒼い目が、先程と変わらない色で眉を寄せていた。阿伏兎さんもまた同じ。まるで目の前に見えない壁に遮られたかのように、首に手を当て立ちすくんでいる。
「友人帳に名前がある以上、ソイツを持つ奴の命令には逆らえねぇんだよ」
ちったァ学習しろや嬢ちゃん。かちんと頭に来る声に振り返ると、ぷらっぷらと気だるそうに私の後を歩いていた銀さんが退屈そうに呟いた。忘れていたが彼が友人帳を欲しがっている理由はこの為だったのだ。ひょいと倒れた体を担がれて、そのまま地面に下ろされる。
「…帰る」
「え?」
「今日は気が乗らないから名前はまた今度にするヨ」
「…え、は?あっ、か、神威君!」
すると、隣でボコリと地面の抉れる音がしたと思うと、効力が解けたのか、傘を軸に立ち上がり神威君が阿伏兎さんを連れて踵を返す所だった。慌てて後を追い声を掛ける。横で銀さんの制止の声が聞こえたが遅かった。伏せられた顔で表情が見えないが、私は彼の怒天髪を突いたらしい。
「神威君!ちょっと待っ、」
「…アンタ、それ以上近付くと本当に殺すヨ」
「ッ、!」
ぞくり、と、粟立った体に寒気が走った。殺気とはこういう事を言うのだろうか。引き留めようと伸ばした腕は、届く前に引っ込めた。蒼い瞳に見射られた自分は赤子同然だ。ぴたりとそれ以上動かなくなった私を見て、神威君は満足そうににこりと笑うと、じゃあまたネ、なまえと、私達に背を向けてどろんと煙の中に消えて行った。最後に笑った彼の顔には、また表情がありやしなかった。
「…だ、大丈夫かい、お嬢さん?」
未だ硬直の解けない私の後ろ、ふと同年の男子にしては渋みのある声がする。それに振り返って見ると、そこには土方君ではなく、三十路を過ぎたゴリラ…否、三十路近い人がいた。逆行でよく見えなかったのだが、よくよく見れば、その人は学制服ではなく袴である。無精髭に逆立てた焦げ茶色の髪が、渋味を見せている。土方君がゴリラに化けたのでなければ、この人は一体誰だ。てっきり彼だと思い込んでいた私は狐に摘まれた様に面食らっていた。
「神威殿ー!阿伏兎殿ー!」
「退治は完了しましたかー!?」
ぐるんぐるんと回る頭の、居たたまれない沈黙の中、がさがさと草木を掻き分け、この場に場違いな声がした。きゃっきゃと喜び駆けて来る二匹を背に、ピンときた私はこめかみに青筋を立てて振り返る。その際、銀さんが珍しくビクリと跳ねていた。
「…ねぇ、髭牛。もう一回、最初から、隠さないで、話してくれるかな…?」
引き吊りそうになる頬でにこりと笑えば、二匹は短く悲鳴を上げた。彼等の怪我が命に関わるようなものではなかった事を喜ぶ前に、お説教を聞いてもらう必要がある。正座!と地面を指差した私に、何故かゴリさんも加わった。
「さ、最近この八ッ原にこの人間がやって参りましてですね…」
「しょっちゅう払いに来るばかりか霊力が強くて困りまして…それでなまえ様のお力で退治してくれようと…」
私の指示通り、足下で正座する二匹はぶるぶる震えながら次の事を打ち明けた。つまり、最初から彼らは真相を隠して私に助けを請い、あわよくば退治人を退けてしまおうと企んでいたらしい。私はそれにまんまと乗せられたと云う訳だ。
「…ハァ」
「ひぃッ!!」
思わず声に出てしまった溜め息に、髭と牛は一層身をすくませた。端から見ると、私が二匹に悪さをしてるみたいである。遣り場のない思いを胸に、もう一度額に手を当てて溜め息を吐いて、私はその場にしゃがみ込んだ。考えて見ると、私も土方君を退治人扱いしたのだから同罪か。彼等に怒っては、私も二匹の隣にいるゴリさん(仮)に失礼であろう。ぐしゃぐしゃと頭を掻き毟っていると、後ろで銀さんが屁をこいた。…本っ当に!空気の読めない人だなアンタ!
「あ、あのーお嬢さん…オジさん見えないんだけど…さっきから誰と喋ってるのかなーって…」
ふと、伏せた視線を上げ声の主を見れば、ばつが悪そうにゴリさん(仮)が苦笑を見せていた。体裁を加える為に掴んでいた銀さんの襟から手を離し、銀さんと髭と牛と四人して、死んだ魚の目の顔に指を指す。するとふるふると、ゴリさん(仮)は頭を横へと振った。
「…え…?」
嘘を付いているようには到底見えない。そんな彼の目に戸惑いが浮かぶ。
「視え、ないんですか…?」
「え?」
「…ここに…い、いえ…何でもない、です…」
今度は慌てて私が頭を振った。若し気に触れさせて仕舞えば本当に視えてしまうかも知れない。
「えっと、あの、ゴリさ…お兄さんは何でここに?」
「今ゴリさんって言おうとしたよね?ゴリさんって言おうとしたよね?!」
「ち、違います!落ち着いて下さいゴリさん(仮)!」
「言ったァァァ!!!」
絶望に打ちひしがれるゴリさん(仮)、基、近藤勲と名乗った男の人は、改めて居住まいを正し、私達の前に胡座を掻いた。その正面に正座をした私の後ろ、髭と牛は素早く私の背中に身を隠し、近藤さんに向けて威嚇を始め舌を出す。イラッとして後ろ手に二匹を殴っておいた。二匹揃って涙目である。
「え、えっと…じゃあ改めて、近藤さんは、どうしてここに?」
「ああ、いやな、なまえちゃんには嘘みたいな話かも知れないが、今一緒に暮らしてる奴が色々敏感でよ、偶に身体壊してその度に変な事を言うんだ」
根はいい奴なんだけどなァ。その子は何かにあてられる度に妖の存在を口にするらしく、友人から聞いた通り、八ッ原はお化けが出る事で有名なので彼が気休めに払い廻っていたそうだ。
「きっ、気休め、だと…!?」
「あの様な力を持っていながら視えぬとは…!!」
「うぐ!」
「なまえちゃん!?」
髭と牛に肩を掴まれ、盛大に回された。首がべこのようにしなり前後に揺れる。
「霊力妖力というより法力だろ。だから未だに視えねぇんだよ」
銀さん曰く、その法力とやらは生来のものらしく、どこかのゴリラの守護霊が近藤さんを気に入って力を貸しているのだと教えてくれた。いや…私も人の事は言えないのだが、みんなして近藤さんに失礼過ぎやしないか。ゴリラってお前…。兎にも角にも、神聖な者に邪な存在は視えないらしいのである。
「この辺りの妖はそんなに悪い事しないと思うんで、余り、虐めないでやって下さい」
二匹が肩をぎゅうぎゅう締めつけてくるので苦笑しながら言うと、近藤さんはぱちりと瞬きして目を見開いた。
「…なまえちゃん、やっぱり視えるのかい?」
しまった、と思った時にはもう遅い。私が妖が視える事は、勘繰られていたとはいえ、未だ近藤さんには知られてなかったのに。ぴたりと止まった体に、滲んだ冷や汗を察してか、髭と牛が心配そうに覗き込んで来た。どう、答えるべきなんだ。
「…いや、言いたくなけりゃ言わなくってもいいんだ。話したくなったらいつでも来な。ひょっとするとアイツとも話が合うかも知れんしな」
へらりと態度を崩さず近藤さんは笑って言った。それが私を安心させてくれる為だと知ると、この人は本当に優しい人だと思う。人の良い、生粋な笑顔だとも思った。やっぱりその力は、彼にあってこそ正解かも知れない。一段落ついたところで、髭と牛に小さく別れを告げ、私は近藤さんと銀さんと山道を帰る。一緒に暮らしている私と同年代のその子の事を問えば、頭を掻きながら近藤さんは苦笑して首を横に振った。
「トシの奴?いやいやアイツァ全っ然ダメだ。女の子の何たるかを分かっちゃいねぇ。まっ、俺はお妙さん一筋なんだけどね!」
「土方君、トシっていうんだ」
「アレ、聞いてる?なまえちゃん俺の話聞いてる?!」
永遠と意中の女性について話す近藤さんの声を耳にしながら、夕暮れに向かって呟いてみると、それは一層真実味を増していった。まさか近藤さんと暮らしているのがあの土方君だったなんて。二人は八ッ原の少し先にある道場で二人暮らしをしているらしい。今度遊びにおいでと近藤さんからお誘いを頂いてから、私達は八ッ原を後にした。
「何だかんだ言って、結局は妖贔屓だよなァ嬢ちゃん」
「べ、別に"妖"だからって贔屓した訳じゃないんです」
「あっそ」
「人に聞いといて何ですかその態度!」
聞き流す銀さんの誤解を解く為に、先を歩く彼を目指して足を走らせた。少しでも会話を交わせば"妖"から"知り合い"になると私は思い始めていた。そうなったから私は力になりたかった。それがたとえ独りよがりだったとしても、騙されたとしても、頼られれば力になりたいと思うのだ。
「…ねぇ銀さん、私ね、小さい頃に人に化けてまで声を掛けてくれた妖がいたんです。あの時はすごく子供だったから、騙された時には傷付いたけど…」
彼女の優しい笑顔はいつでも思い浮かべることができる。結局あのまま会わなくなった、というよりも私から拒絶して会いに行かなくなってしまった。彼女があれからどうなったのかは分からない。
「今思えば、それでも会えてよかったな、って」
上手く言えないけれど、最近分かってきたような気がするのだ。人だろうと妖だろうと、触れ合わすのが心であるなら同じなのだ。一人でいるのが寂しくなるのも、最初の一歩が恐いのも。
「銀さんはまだ、銀さんを閉じ込めた人の事、怒ってますか?」
「あ?…ああ、さあな」
ふと思い出した彼の人を問えば、私に背中を向けて銀さんはそれ以上何も言わなかった。けど、あの時程は憎くないんだろうと密かに思う。銀さんもその人も、きっとお互いが一方的に敵意を持っているだけかも知れないのだ。しかしそれも、幾分か和らいだ気がする。"赤の他人"から"知り合い"になったお陰だと、私は心底そう感じていた。