第三章
夢小説設定
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『あら、お隣のなまえちゃんじゃない。どうしたの?こんな所に一人で』
『…え?』
視えているモノが存在していないかも知れない。そんな不安定な世界に私はいる。だから束の間の幸せはあっという間に崩れ、私は再びその闇に飲み込まれた。
『なまえちゃん…ねえ、なまえ』
『うっく…!あっち、行って…!』
『…ごめんねなまえちゃん。ただどうしても、話し掛けてみたかっただけの』
ぱち、と開けた視界。ネオンでもなく蛍光灯でもなく、隣の家との合間からもれる月明かりが目に沁みる。目尻に溜まった涙を振り払うように寝返りを打ち、布団で顔を覆い隠した。布団に入ってからもう随分経つが、一向に寝付けやしない。何度目だろうか、あの事で目が覚めるのは。脳内を埋め尽くしていく記憶が私を責める。不確かなものに心を傾けては傷付くと、後で泣きを見るのはもう嫌だ。もう一度身体を反転させ目を閉じた。夢の事は考えないようにしよう。それよりも今は土方君の事だ。今日は見送ってしまったから明日こそ彼に会って話をしなくていけない。そこでふと思う。
「…土方君、妖だったりして」
「あ?ひじかた?」
背後から聞こえた声に思わず布団から飛び起きた。するとそこには何かを持った銀さんが私を眼下に襖を閉めているところだった。あれ、ほんのりと酒臭いのは私の気のせいか。
「銀さんが帰って来ましたよーっと」
「ぐあ!臭!やっぱり銀さん酒臭!」
「銀さんは甘い息を吐いた。はあァ」
「おえ゙っ!なまえは100のダメージ!」
鼻を摘まんで眉を寄せていれば、次にもう一度間延びしたただいまが返ってくる。少し驚いて、途端何故だか恥ずかしくなって、小さい声でおかえりなさいと返せば頭が彼の大きな掌に包まれた。
「ほれ嬢ちゃん、手ェ出して」
「え、…!!」
片手は私の頭に、もう片方は目の前に。銀さんに促されるまま胸の前に手を皿にして差し出せば、何かがポトリと落ちて来た。ぺたっとした気持ちの悪い感触。月明かりに目を凝らしてよく見れば、それは蛙で私は持っている手を振って放り投げてしまった。
「ぎょ、ぎょえええ!!!かっ、蛙とかおま、何てもん拾ってきてんですかこの天然パーマ!」
「テメ、天パバカにすんじゃねーぞォォォ!!人の土産にけち付ける気ですかコノヤロー!」
「いやいや土産ってこんなん嫌がらせ以外の何もないじゃないですか!って言うか私が蛙一番嫌いだって事この前テレビ観ながら言いましたよね?!」
「残念でした~。俺ァ三日前の事は覚えてない質なんですぅ。バーカバーカ!」
「それを自慢して言うアンタが一番バカでしょーが!バカだろ、やっぱバカだろ!」
胃から絞り出すような溜め息を吐いて布団の周りを跳び跳ねる蛙を恐る恐る摘む。右手を下に、左手を蓋にして彼を玄関まで連れ出した。和室から落としては一階までのこの高さ。無事では済まないだろうという私なりの配慮である。後ろで天パがぎゃあぎゃあ騒いでいるが無視だ無視。こんな所でごめんね、と、大人しく玄関まで収まっていた蛙に手を振って、溜め息と一緒に引き戸を閉めた。しかし、お土産に蛙をくれるだなんて銀さんには甚だ心外である。そうでなくとも彼が私に何かをくれる事自体可笑しいと思わねばならなかったのだ。まだ短い付き合いだが、彼は根っからの貧乏性である。博打然り生活然り、お金があったらある分だけ使うような人だ。計画性の欠片もない。だから手を出せと言われた時、ほんの少し、出てくる物に期待したのだが、そんな私がバカだったという事だ。彼の気持ちだけ受け取ろう。まあ、例えそれがおぞましくも禍々しい蛙だったとしても、である。廊下からリビングに入り和室の襖を開けた時、腹を出して寝る猫に今度は思いっ切り溜め息を吐いた。私は倦怠期の妻か!
「…あー、土方君?あの人よく八ッ原なんかに住んでるよねぇ」
「よく?よくって、どゆ事?」
「んー?何かねぇ、あそこオバケ出んだって」
「オバケ…」
翌日、友人に詳細を尋ねてみると上記の返事が返された。土方土方と騒いでいる割に彼女は時折無関心な様を見せる。私も同じ女子高生の筈だが、乙女心と秋の空とはこの事なのだろうか。全く分からん。まあ今、彼女がこうしてこの話に無関心な事は有り難いのだが。
「住所までは、分かんないよねぇ…」
「…なまえ、どうかしたの?」
「え?」
「最近土方君の事すごい聞いてくるじゃん?あっ、もしかして惚れた?惚れた?」
「そうかも」
「え!マジで?!」
「バカ、嘘に決まってんでしょ」
目を輝かせ、詰め寄る彼女を苦笑を混じえて押し返す。漸く悟った。彼女はミーハーなのだ。それでも今は、そんな彼女の性格に感謝するばかりである。下手に噂を立てられては敵わない。
「あれ、どこ行くの?」
「隣のクラスんとこ。シャイななまえに代わってちょっと聞き出して来たげる」
い、イケメンンン!完璧過ぎるウィンクを残して、彼女は土方君のクラスの女子を巧みに操り住所を聞き出してくれた。お陰で私は迷わず彼の家を目指せる訳だ。今度何か奢るという約束を付けて、放課後彼女に別れを告げた。何故だか分からないが、とんと学校では土方君に会えないのだ。避けられているのかも知れないが、ただ彼と縁がないだけなのかも知れない。少し急いでいたせいか、銀さんも不思議に思ったんだろう、帰るや否や鞄を置いて飛び出した私の背に、猫の姿で貼り付いた。恐らく、私が思っているのが正しければ、土方君が退治人その人である。多分、いや…否、土方君には妖が視えている。これまでの経緯を考えて全てに当てはまる人は彼以外いないだろう。
「う、うう…」
「なまえ、様…」
八ッ原の草原に一歩踏み入った瞬間、呻きと私を呼ぶ声が耳に入った。茂みの奥で髭と牛が這い蹲っている。二匹の身体は所々焼け焦げているようで、白い煙がもくもくと揺れる。
「髭!牛!二人共大丈夫!?」
「ま、まともにくらってしまいました…」
「ですが暫く土の力を吸って休めば…」
もし彼が視えるなら。だとしたら彼は私にとって何になるのか。感情の共有者か、それとも仲間か、同じ類にしても全く違う考えの持ち主か。確かに、妖はいい連中ばかりではないけれど、もし彼が視えるなら、視えるのに、どうしてこんな事が出来るのだろうか。ぎゅっと握った拳を解いて、苦し気に呻く二匹に手を添えた。
「髭、牛、ちょっと待っててもらえないかな。直ぐ、」
「オイ下がってろ嬢ちゃん、何か来んぞ」
「…え?」
私の前で銀さんが空を仰いだかと思うと同時、きらりと真上で何かが光った。太陽の中で黒いぽつりとした塊は、近くまで来れば人の形をしているのが分かる。
「ねぇ、アンタがなまえ?友人帳持ってるとか言う」
軽やかに着地したのは緋色の髪を三つ編に結った男の子。頭にはひょこりと一本立った癖っ毛があり、両の瞳は弧を描いて表情が読めなかった。背も歳も私とあまり変わらなそうなのに、チャイナ服に番傘を持った彼は随分と威圧感がある。それに気付いたのか、有無を言わさず銀さんが木刀を握り私の前に構えて立った。
「俺神威っていうんだけど。名前、返してれるよね?」
にこり、と白い歯を見せて神威と名乗った男の子は屈託なく笑った。否定を言わせぬ生粋の笑みである。こんな時に友人帳絡みとはタイミングが悪過ぎる。どうする私。
「あの、神威さん…」
「神威でいいよ」
「えと…じゃあ神威君。ちょっと今無理だから後でもいいかな?」
控えめに断りを入れると彼はきょとんとして首を傾げた。次いで変わらぬ笑みを濃くして眉を下げる。ドッ、と威圧感が増した。
「えー、ホントに?パパッと返してくれればいいんだけど。そんなに急いでるの?」
「う…うん、ちょっと」
「ひ、人退治の算段でございます…」
髭が切れ切れに暴露する。牛は神威を見て平伏し額を地面に付けていた。中級の彼らが敬意を払うなんて彼はそんなに大物なんだろうか。
「ふーん…どうする?阿伏兎」
「どうするもこうするも、俺が何言ってもどうするかなんざもうとっくに決めてんだろう団長よォ。名前取られた相手に手を貸すなんざ不本意だが、俺達が滅してやるのが一番手っとり早いだろうさ。なあ?嬢ちゃん」
神威君が呼びかけた途端、彼の側からどろんという音と共に黒い影が現れた。銀さんより少し背の高い神威君と同じ番傘を右手に持った男の人。
「あっ、え、えっと…」
「あーあ、見てみなよ阿伏兎。お前のせいでなまえが困ってるじゃないか。俺今腹の居所が悪いんだ。あんまり怒らせると、殺しちゃうゾ」
「こ、ころ?!」
「何言ってんだこのスットコドッコイ。元はと言えばコイツを拾って来たアンタがそこの嬢ちゃんを見たいっつったからだろうが」
「アレ?そうだっけ?」
目の前で繰り広げられる会話に目を白黒させていると、無精髭を掻いていた阿伏兎さんがふと懐に手を伸ばした。固まる私を他所に、銀さんが木刀を身構える。
「…あっ、その子!」
「ああ、ソイツ」
義手なのか趣味なのか、鉛色した阿伏兎さんの左手に現れた緑色した小さな生き物。それは太陽に眩しそうに目を細め、長い舌を丸めてケロリと鳴いた。見間違える筈もない。それは昨日、銀さんが土産と称して持って帰って来たもので、私逃がした蛙である。
「良かったじゃねぇか嬢ちゃん、あちらさんが片付けてくれるってよ。やっぱいい事ァしておくもんだなァ」
「ちょっと銀さん黙ってて下さい」
しかしよく考えてみると、理由はどうであれ、この神威君達が来たのは元を辿れば銀さんのせいだ。そんな事も当の本人は先程までの緊張は何処へやら、木刀を仕舞い悠々と自賛をし始めていた。もう本当に黙って下さい三百円あけるから。俺の父ちゃんパイロット張りに恥ずかしい。しかし今はそれよりも目の前の二人をどうするかが問題であった。折角申し出てくれた阿伏兎さんには悪いのだが、見す見す人を見殺しにする事なんて出来ない。この元凶であるお祓い稼業の人も、きっと話せば分かってくれる可能性もある。同じ様に頭ごなしに捻伏せては解決にならないだろう。
「阿伏兎さん、気持ちは嬉しいんですけどそういうのはちょっと、」
「おお、有難い!神威殿、阿伏兎殿、なまえ様の敵である人間はあの森の廃寺に潜んでおります故!」
「どうぞご成敗を!!」
髭と牛が言うが早いか、私が阿伏兎さんへの断りを言い切る前に、神威君と彼は二つ返事で了承をして瞬時に掻き消えた。ま、まずい…!あんな二人を相手にしたら土方君が死んでしまうかも知れない!二人の名前を返すべきなのか土方君に逃げてもらうべきなのか、そう考える前に体は森へと走っていた。廃寺は直ぐに見つかり、人影もあった。土方君だろうか。しかしそれを確認する前に、私の隣に神威君達が立ち並ぶ。
「ねぇなまえ、アイツ?あれを殺ればいいの?」
「ち、ちがっ、ちょっと待って…!」
「弱そうな奴だけど、まあいいや。阿伏兎」
「へーへー」
「神威君…!」
人の話を聞きなさい!元々体力は極端にない私である。途切れ途切れに口から出て来た言葉の前に、彼等は更にスピードを上げて影に近付いて行った。人間の足で敵うスピードなんてもんじゃあない。血を見るに他ないのか、私の足はとっくの昔に限界である。
「神威!阿伏兎!止まりなさい!!」
肩で息をする私の、思い切り吸い込んだ有らん限りの声だった。二人に追いつけず、本当に止まってくれるかも分からない苦し紛れの手段である。森を抜け、広い原っぱに出た時、漸く影に近付いた。と言うより私が押し倒しに掛かったと言った方がいい。走り込んだ視界の中、番傘を閉じて振り上げた神威君が見えた。しかし一瞬の出来事である。倒れ込む景色の中、蒼い二つの瞳が忌々しそうに睨み付けていたのが見えた。