第三章
夢小説設定
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「お待ちしておりましたなまえ様」
「ささ、帰りましょう」
放課後、やはり校門で待っていた二匹に溜め息が出た。六時間目も校庭で走り回っていたのを知っていたから、別段驚きはしなかったが、しかしまあ何とも暇な妖達である。
「…話だけなら、お聞きしましょうか?」
本当は明日もこうして付き纏われると迷惑だと思ったからだ。しかしそれも、言って直ぐに後悔する。ずいと顔を近づかせ目を輝かせた二匹は、おいおいと泣いて喜びそして叫んだ。
「ありがとうございますなまえ様ァァ!!」
「え゙!あ、あの話聞くだけですからね!受けるってまだ言ってないからね!ここ大事なとこだからね!!」
妖といると調子が狂う。いやむしろ狂いっぱなしである。また出た溜め息を、今度は止める事が出来なかった。
「この八ッ原には森や沼があって、細々と暮らしている妖怪がたくさんいるのですが…」
家に帰らず、私達は舗装されてない獣道を歩いている。"達"というのは私と髭と牛は勿論、くるっくるの天然パーマが新しく含まれている為だ。八ッ原に来る途中、スナックの前でぶらぶらしていた暇人銀さんを捕まえて、嫌がる彼をいちご牛乳片手に引き連れて来たのだ。ちょろい。これで一応危険な目に遭っても大丈夫な保証は付いた。八ッ原は小さな小山になっており、数少ない舗装された入り口の道を外れれば他は全くの獣道である。ぜえぜえと息を上げる私と違い、前を歩く妖達はむかつく程余裕の表情である。時折心配そうに声を掛けてくれる二匹と違い、天パは呆れ眼で溜め息を吐く。そして痩せれば?と失礼な事をのたまうのだ。…バ、バカめ!これでも一応標準体重なんだぞ!
「で、そのお祓い業者ってのはどんな奴なんだ?」
「いつも突然強力な霊波を放ってくるので近寄れず、姿はよく見えぬのです」
銀さんの問いに髭が項垂れる。人の匂いはするらしいが全くといっていいほど足取りが掴めないらしい。妖力試しをしているというその人は、妖怪に恨みでもあるのだろうか。もしかすれば、私と同じように妖怪に気を散らされて周囲に馴染めないでいるかも知れない。それは、分からなくもないけれど。むしろ妖よりその人と話がしたいなあと思った瞬間、先を急ごうと一歩前に出した足が動かなくなった。
「ニンゲンだ、ニンゲンがいるぞ」
「我らを追い出しに来たか」
妖が茂みからぞろぞろと這い出してくる。逃げ出したかったが踵を返すより先に妖に足首を掴まれた。しまった、と思った時には動きが取れない。
「おのれニンゲンめ」
「ッ、うわ!!」
地面に引き倒され何匹もの妖が有無を言わさずのし掛かって来る。重さも半端ではないが、それよりも何本もの手が身体を這いずり回る感触が気持ち悪い。引っ張られた髪の毛が数本抜ける度に痛みが走る。
「こら違うぞ、そのお方はなあ」
髭が乱暴を止めるよう呼びかけたのが聞こえたが、全く効果がない。生理的な涙が浮かんで思わず目を瞑り、そしてこの時の為の彼を呼んだ。
「ぎ、銀さ、ったい!」
「小物ばっかじゃねぇか。嬢ちゃんよォ、若い内の苦労はブックホフでも買えって言うだろ?テメーで頑張れや」
「げふ!」
余りに過酷な彼の言葉に抵抗が止まった。というより隙間から見えた銀さんは何故か楽しんでいるように見える。一瞬、私の中の彼がプー太郎からドエスに昇格したのだが、彼にしてみれば元より今ここで私が喰われた方が都合がいいのかも知れない。否、もしかするとまだ今朝の事を根に持ってるのだろうか。う、うわー!ちっさ!器がちっさ過ぎるぞ坂田銀時!
「早くしねぇと鼻の穴やら耳から脳を吸われちまうぞー」
「い゙!?え、ちょ、うそ!セクハラ!セクシャルハラスメント!今誰かケツ触りました!手でケツ触られましたァ!」
じたばたもがいてみるが重量感と嫌悪は増すばかり。髪の抜けた頭皮は痛むわ妖の爪は刺さるわで、軽いリンチを受けているようだ。ぐ、と私もこれで最期かと泣きそうになった時、ふとあれ程あった重みが不意に消えた。
「…あれ?」
「ほれ、嬢ちゃん起きろや」
そうっと目を開ければ淡い銀髪が覗き込んでいる。木刀片手に急かす彼に疑問を抱いく前に、直後どこからか吹いて来た強烈な風と立ち上がる私の腕を銀さんが掴んだのはほぼ同時だった。
「ぎゃっ!」
「わー!」
周りにいた妖達が悲鳴を上げて掻き消える。眼前まで突風が迫って来た時、ふわりと身体が持ち上がった。何が起こったのかよく分からなかったが、何故かすぐ近くに銀さんの顔があって、何故か肩と膝裏に掌の感触がある。ザシッ、とひどく頼りない何かに着地した振動がして、漸く現状を理解した。
「重!嬢ちゃんおま、食い過ぎだろ!」
だから私は標準体重だって言ってんでしょうが!なんて言葉は喉の奥で浮遊する。くるくる回る頭で口答に出せないのは今の状況が信じられないせいだ。肩と膝裏に掌の感触、つまり、私は今銀さんにお姫様抱っこされているのだ。
「ぎゃあああ!ちょっ、コレ銀さ…!ちょ…!何ですかコレ!こっ恥ずかしいんですけどコレ!どうかせめて担ぐ方に!」
「バッ、おま嬢ちゃん暴れん、ほべら!!テメェェ!ここ木の上って分かってんのかコルァァァ!俺まで落ちんだろーがァァ!!」
「ノォォォ!!」
「忙しいなオイ!」
さっきまでの恥は何処へやら。眼下に見える地面を目に、私は銀さんの首に咄嗟極まって手を回し、そしてそこで初めて彼の言う事を理解したのだった。今私達がいるのは杉の木のてっぺんで、どうりで心許ないわけだ。漸く私が落ち着いた頃、左へ右へ、空に近くなった分強くなった風に、銀さんはその細い葉を上手く重ねバランスを取って下を指差した。
「見てみ。下の妖共、キレーにみんな祓われちまってらァ」
「何がどうなって…」
「例の奴が高い清めの一波を放ったみてぇだな。ま、要するに、どこからかここに向けて霊波が放たれたっつーこった」
「そんな…」
確かに、草原に降り立つと本当に何もいなかった。先程までセクハラ紛いの行為を働いていたあの妖達も、髭も、牛も。妖の影は一つもいない。
「…消えちゃったんですか?」
「いんや、驚いて逃げただけさ」
それでも暫くは帰ってこられないらしい。曰く、その清めの一波でこの場は清められてしまったのだ。効果が薄れるまで暫く掛かるそうだ。何にしても、彼等はこの居場所を追われたのだと。あんなにいきなり攻撃するなんて随分と一方的な祓い人である。あの妖怪達の肩を持つ訳ではないが、これは些かやり過ぎだろう。
「よっ、と。…で?これからどうする?」
「…取り敢えず、その人の顔は見てみたいかも」
「ほォ。随分とやる気じゃねーか」
口角を吊り上げて銀さんがにやりと笑った。自分よりよっぽど面白がっている彼に苦笑すると、またも同じ浮遊感に襲われる。ぐえ、と蛙の潰れたような声が出て、上に下にと揺さぶられる感覚に舌を噛む。
「やって下さいますかなまえ様!」
「胴上げじゃー!胴上げじゃー!」
どこからか現れた髭と牛は、二匹共中級なのでまだ平気なんだそうだ。もう抵抗する気も失せて胴上げされていれば、引っ掻かれた傷が小さく疼いた。
「うっわ、なまえ顔真っ青だよ!保健室行く?」
「はは、へーきへーき。ありがと」
「…ホントに大丈夫?」
いつもの軽口とは違い、体調を伺ってくる友人は本当に心配してくれているらしい。肩を竦めてまた笑い返してみても、彼女は怪訝な表情を止めなかった。自分でもいいとは言えない顔色は自覚している。最近益々妖とばかり関わっているせいで、精神的にも体力的にも限界が近付いているのだ。あの夢も、この頃よく思い出す。戒めるよう、気を付けなければいけないのだ。妖に心を許し過ぎれば、またあの時の二の舞になる。
「なまえ!」
「んー?」
「アンタどこ見てんの!土方君!」
土方君、と聞いて身体が強張った。明後日に向けていた視線を正面に戻せば此方に歩いてくる彼がある。ポケットに両手を突っ込み、歩く顔のその瞳孔は全開。しかも至極残念な事に、自意識過剰でなければその目に映っているのは自分である。さあっと血の気が引いていく私を他所に、学校随一のイケメンを前に友達は小声ではしゃいでいた。頼むからさっき心配してくれたみたいに空気を読んでくれ頼むから!!
「きゃー!かっこうぃ~!!」
二の腕をバシバシ叩いてくる彼女に思わず溜め息を吐く。私は擦れ違い殘間また睨み付けられたのだ。殺気でも敵意でもなければ、あの探るような確かめるような視線で。出来る事なら、私の自意識過剰であって欲しいが。
「ね、ね?!なまえもそう思う、」
「ねえ、土方君ってどこ住んでるか知ってる?」
遮られた友達は少し放心したようだったが直ぐに教えてくれた。転校生で美形な彼の家は二重の目的で女子達に広まっていたらしい。一つは勿論お忍びという名のストーカー的な意味で、そしてもう一つは家柄基財産的な意味で、だ。最近の女の子が末恐ろしいとはこの事か。
『八ッ原らしいよ。あそこ寺あるじゃん?何かそこに入ってったって…まあ嘘っぽいけどね。今どき寺かよって感じだし』
八ッ原、偶然にしては出来過ぎている。普通の人とは少し異質な存在のお祓い業者。なら髭や牛の言うのはもしかしなくて土方君なのでは。
『オイオイ、みょうじの奴また一人で喋ってるぜ』
『また幽霊と話してんだぜ絶対、きっもくず!』
『よっちゃンンンん!!』
『アンタ等の倍ましだバーカ』
小さい頃、蒼い鳥を見て図鑑を開き"翡翠"という名だと知った。同じように蒼い動物を見て、図鑑を開きそんな動物は存在しないのだと知った。視えているものが存在していないのかも知れない。そんな不安定な世界を独りで歩く恐さを、分かってくれる人は周りに誰もいなかった。
『あら、また来たの』
残酷な現実にも周囲にも耐えられなくなると、私は決まってあのお姉さんの所に会いに行った。彼女はいつも同じ場所に座って、いつも私の話を聞いてくれたし、私の隣にいてくれた。
『お、お姉さん、この間"君も視えるの?"って言ったよね?あの…お姉さんも、視える、の…?』
ある時思い切って彼女に尋ねた事がある。私としては頷いて欲しかったのだが、お姉さんはただ微笑むだけだった。それでもそっと手を握ってくれたから、易い私は安心してしまったのだ。
『…私、変なのかな?』
『さあ、分からないわね』
『…そう、だね』
私はその質問を何度繰り返しただろうか。お姉さんがそう言ってくれれば必ず嬉しくなっていたから、きっと数え切れないほどしたんだと思う。私の味方は世界中で彼女だけだったのだ。
『約束が違うじゃない!うちだって家族を食べさせるだけで大変なのよ!』
襖の向こうのくぐもった声は、今でも耳朶の奥に隠っている。
『兎に角、来月からはそっちで面倒見てもらいますからね』
家族、だなんてそんな偽りのモノは私にはいらなかった。否、それすら持ってもいなかったけれど。早く大人になって自分で見付けるんだ。どこかにきっといてくれる。同じものが視えて、私を分かってくれる人に。
『何かあったの?』
『…私ね、家族じゃないんだって。当たり前かも知れないけど』
いつもの場所にいたお姉さんは私の変化に気付いてくれた。優しく頭を撫でてから髪を手櫛で梳いてくれる。お姉さんが家族だったらと、強く思った事もある。
『寂しいの?私はなまえちゃんが来てくれるから私は寂しくないわ』
『ほ、本当…?!』
『ふふ、ええ、本当』
私にとって、その言葉はその時何よりも嬉しかった。存在すら危うかった時の話だ。彼女の一言一言がどれ程私を救ってくれたのか。
『うん!私も寂しくないよ!お姉さんも視えるだもんね?私、おかしくないよね?』
今まで以上に肯定の返事が聞きたかった。お姉さんと私で二人きりの世界。それはすごく素敵で視える事ですら嬉しく思った。二人理解し合える事ならいいと。お姉さん以外いらないと。私はそこまで、先生以来初めて彼女を慕っていたのだ。