第一章
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小さい頃から成績は平凡で、性格も当たり障りなく、人でも何でも、物事はそつなくやってきた。けれど、そんな私に世間体が付ける評判はいつも大概がいいものではなかったのだ。理由は簡単。私には他の人には視えないモノが視えたからだ。周りの誰にも視えないそのモノの名前、それは、おそらく、
第一章 最凶の相棒
「じゃあねーなまえ!気ィ付けて帰りなよー!」
「うんありがとー!また明日ー!」
笑い掛けてくれるなら笑い返す。手を振ってくれるなら振り返す。なるだけ笑顔で、愛想よく。これが私が小さい頃からしてきた事だ。今年の夏に、遠縁のいる歌舞伎町に引っ越して来て早二ヶ月。地方から都会に、況してネオン輝く歌舞伎町で慌ただしい日々を迎えてようやく、新しい学校にも生活にも慣れてきた。自分でいうのも何だが、結構この町には馴染めていると思う。勿論、毎日身近な所での多少のいざこざやケンカこそあるが、こうした何気なく平凡な、滞りのない毎日こそが私の求めていたものなのだ。踏み締める靴底の、その足取りは今は随分軽い。歩く度に胸の前で揺れる買い物袋に、思わず頬が緩んだ。何度目か分からないたらい回しの後、新しく身を寄せる所は大通に面した古いスナック店だった。始めこそ、私も遂に身を売られるのかと内心大騒ぎしたものの、店主であるお登勢さんはすごくいい人で、その勘違いが申し訳なく思う程、他人の私によくしてくれた。こう言うと本当は本人に怒られるから内緒なんだけれど。帰り道、空は夕方茜色。店の灯りこそまだ点いていないが、遠目にでも分かる外観に段々と張っていた気も凪いでいた。私の家まで、後もう少し。
ガタ、
木造の家が並ぶ道端、長屋へと続く裏道の影が物音を立てたのはその時だった。反射的にそちらへと目をやってしまい、私は直ぐに後悔をした。嫌な予感と緊張で足を止める私の目に映るのは、大樹の幹程もある大きな体に長い髪を振り乱した、一つ目のバケモノである。鉤爪のついた、老人のような皺だらけの手を伸ばしながら、ソレはこちらへと向かって来た。裂けた口に、開閉する度覗く歯と舌にぞくと寒気が走る。どうすべきか、なんて考えるまでもなく、私は家への帰路に背を向け走り始めた。この類いの、つまり周りから妖と呼ばれるモノの類いに襲われるのは今に始まった事ではない。物心がついた頃から、既に周りには妖だらけだった。人間の自分とは違う妙な生き物。彼らは一瞬で私の生活の中に入り込んで、そうして私に触れてきた。
『──あら?お皿は三枚でいいのよ、なまえちゃん』
『え?でも、そのお客さんの分…』
初めて妖を視た時、彼らは私に向かってひらひらと親戚の間から手を振っていた。まだ小さかった私には、彼らと他人との区別がつかなかった。だから普通ではないものの存在を問う度、私には他人から異色の目を向けられた。
『気味悪い、どうしていつもあの子…』
『きっとさみしいのだろう。私達が至らないから、だから嘘をつくんだろう』
ただ妖が視えるだけならまだしも、私は彼らと触れられたし会話もできた。単に霊感の有無だけの問題でないという事は度々考えた。けれど生後、直ぐに両親に先立たれた私にはこの訳の力の正体を知る由がなかった。そんな私に唯一できた事。それはなるだけ妖達が視える素振りを見せない事と、親戚達の間をたらい回しにされる毎日に耐える事だった。そんなお陰で、傷付かない振りだけは得意になった。
「はっ、は…!どこまで付いて来るの!アイツは…!」
つかず離れず、一進一退の鬼ごっこは通りを離れいつしか私は森へと向かっていた。行き交う人の不審と好奇の入り混じった目が、視界の隅で度々ちらと映る。これが視えないとは羨ましい。一体何度目になるんだろう。私が何をした。元々妖に対してあまりいい気はしていなかったが、何故か最近になってやたらと絡んでくる事が多くなった。こういうモノは大抵神社にでも逃げ込んでしまえば追って来なくなるのだが、そう言えば確か、この森の入り口近くに、古い神社がなかったか。無意識にその方角へと動いている足に感謝しつつ、哀しい癖がついてしまった事に半分嘆く。兎角、私はこの状況を早く何とかしなければ、
「うッ…!」
右足を踏み出すか出さないかの瞬間、ブンと耳元で音がした。そして次には圧迫感が全身を襲う。揺れる視界、目の前を遮った髪と背中に感じた鋭い痛みにあの妖に木へと叩きつけられた事が分かった。バラバラと抱えていた荷物が足下へと散らばり落ちる。しまった、と思うより間もなく、ギリと増した頸への力にまた短い嗚咽が漏れた。
「嗚呼、捕まえた、捕まえたぞ松陽…やっと」
しょう、よう…?一つ目の長髪の、弦の切れ掛けた琴のようなひび割れた声が響く。霞む視界で意を汲もうと出した声は、押さえている妖の手によって圧し潰された。
「かえせ、かえせ、」
何かを渇望するように、切羽詰まった妖の声に驚きつつも、飛び掛ける意識に身体が悲鳴を上げる。
「まあ待て、まずは名前が呼べないよう舌を抜いてしまおう」
何を返すのか考えあぐねていると、また別の妖が現れた。黒い長髪に潰れた目尻、いかにも陰湿そうな妖である。最悪の展開だ。舌なんて抜かれたら本当に死んでしまう。何とか抵抗しようと声を出そうも、依然口は魚のように開閉するだけで音は出ない。加えて身体も呼吸が出来ず力も入らない状態だ。どうしていつもこんな目に会うんだろう。再三言うが、私が一体何をしたのだ。彼らの名前なんて知らないし、私はこのまましょうようさんとやらに勘違いされて殺されてしまうのか。冗談じゃない。人目を避けたのが災いして、周りに助けてくれる人はいなかった。況して、夕方、誰が好き好んで神社に来るだろう。ここは自力で何とかするしかない。
「女は…ッ、度胸!!」
ギリと歯を喰い縛って、捲し上げた足で一つ目の顔を蹴り上げた。ぎゃ、と立ち眩み、不意を突かれた相手の隙を突いて緩んだ手を潜って逃げる。一瞬、後ろを振り返ってみたが黒髪の妖は追ってくる気はないらしい。短時間の間で、全力を出し続けたせいか横っ腹が酷く痛む。息が上がり逃げ道の途中、焦りと恐怖で足がもつれた。はっ、はっと肩で息をする度に昔の記憶が蘇る。
『ごめんねなまえちゃん、見えないよ』
『私達には、分からないの』
私だって、私だって視えなかったらどんなに良かっただろうか。こんな力を望んだ訳ではない。視たくって視てる訳でもない。なのに、どうして…──。
「ぃぎゃッ!?」
瞬間、足元で何かに蹴躓いて顔から見事にずっ転けだ。慌てて起き上がり、周りを見回すも、人っ子一人いやしない。ほう、とひとり息を吐く。誰かに見られていたら恥ずかし過ぎて起きられやしないだろう。顔面から土へとダイブしたのだ。下手すれば下着が見えていたかも知れない。パンパンと制服に付いた草土を払いながら、私はまた一つ溜め息を吐く。本当に、今日は散々だ。
「…帰ろ」
「ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃー、喧しいな。発情期ですか?コノヤロー」
「ッ、!?」
ガタリ、と響いた音と、頭の上から降って来た声に顔を挙げれば、目の前には扉の開いた小さな祠があった。そして、その中にいた生き物を見て、私は愕然する。くりっくりの癖っ毛に、気だるそうな紅い瞳、パタリパタリとこれまただるそうに揺れる尻尾と、三角をした耳がピクリと動く。ば、馬鹿な…!猫が喋った、だと…!パクパクと口を開ける私を他所に、その猫はくわりと大きな欠伸をかいた。この未来型ロボットもびっくりなお猫さまは、一体どこのどなたさまだ。恐怖体験に、ついに私は新境地まで開拓してしまったのか。立て続けに起こる事の連続に、私は目眩がしそうだった。後退りする様足を動かせば、右の足首に違和感がある。
「…あれ?縄?」
「そりゃあここを張ってた結界だ。どっかの祓い人が張ってったやつだが、さっき嬢ちゃんがすっ転けてくれたお陰で、そいつが切れたってわけ。人間のお陰っつーのは癪だが、一応礼は言ってとくぜ。何せ俺にとっちゃ百年振りの外だ」
あ、今日は勝負下着なの?なんて前足で鼻を掻きながらぬけぬけと言い放った猫に、セクハラです!と早口で否定した。にやにやとむかつく顔でこちらを仰ぐ猫は人の話を聞いちゃいない。は、腹立つなこの猫…!しかし改めて足元を見てみると、確かに彼が言う様に、足元の縄にはお札の様な紙が貼り付いていた。躓いた拍子に引き千切ってしまった事は本当らしい。なら、待てよ。この猫、百年振り、しかも払われたなんて言ってなかったか?そうするとやっぱりこの猫は、
「妖…?」
しん、と。否定も肯定も返ってこなかったが、明らかに普通の猫ではないのは分かる。けれど、不思議と、先程の二匹のような凶々しさは感じられなかった。人を襲う事はしないのかもしれない。ほっと息を吐く私は、熟(ツクヅク)学習しない奴だと思う。会話をせず早々に立ち去らなかった事を後悔したのは、首元に冷たい何かが押し当てられた時だった。
「無用心にも程があるぜ、嬢ちゃん。その態度は俺をそう知ってても動じねーってか?」
妖を信用しちゃならねェってかーちゃんに習わなかったか?ぐ、と頸を詰める木刀が重さを増して、一切の動作が許されない。しかしそれ以前に、恐怖ではなく、私は驚きで体が動かなかった。ぼふんという音と共に、目の前の猫から燻った煙が上ったかと思えば
、中からは男の人が現れたのだ。猫が、人に化けた。銀色の髪に紅色の眼、波紋の付いた片着流し姿に黒ブーツを纏った男。その眼には、さっきの気だるそうな面影は一つもない。
「怖くねーのか、俺が」
「…慣れて、ますから」
生唾を呑んだ後、漸く絞り出した声は見事にしゃがれた低い声だった。言葉通り、慣れざるを得なくなったこの非日常は、私にとっての日常となった。断じて嬉しくもないが、この生活が精神も図太く育ててくれたらしい。きっとこの人は恐くない。ふと頭の端を通り過ぎた考えに、何故か強い確信が持てた。
「…そ。じゃあ嬢ちゃん、アンタ、名前は吉田松陽か?」
「ッ、けほ、よしだ…?」
しょうよう、と言えばさっき一つ目の妖が言っていた名前だ。頸から離された木刀に肺へと一気に酸素が入り噎せ返る。"よしだしょうよう"、どこかで聞いた事のある名前だが、そこでハッとした。昔、遠縁に暫く私を預かってくれた人がいた。その人の名前が、確か"吉田松陽"といった筈ではなかったか。だがそれが彼と何の関係があるんだろう。同名なんて全国探しさえすれば沢山いるだろうに。一通り考えあぐねて違う、と切れ切れに返答すれば、彼は目を細めて言った。その眼はまた、気だるそうな死んだ魚の目だ。
「そうかい。じゃあ"友人帳"は知ってっか?」
「ゆうじんちょう…」
初めて耳にする単語を反芻すれば、彼はこくりと頷いた。やはりこれも知らない。彼の求める応答を何一つ返せないので、今度こそ首を取られるかと思ったが、その時、ガサリと後ろの茂みが揺れた。思わず身構えた私に、彼は面倒臭気に溜め息を吐く。そしてクルクルと跳ねた頭を掻いて、後ろの茂みに目を遣った。
「…追われてんの?」
のろのろと首を縦に振れば、そうか。まあ心配すんな、と彼は言った。結界の余波でその辺の破落戸(ゴロツキ)達は近付けないそうだ。まるで自分が高位であるような言い方である。妖の中にも階級があったとは。
「いだッ?!」
未だぼうとする頭でそんな事を考えていた時、顳(コメカミ)辺りに鈍痛が走る。そうして反射的に伏せた顔を上げれば、そこに彼はいなかった。アレは、何だったのか。ズキズキと痛む頭をさすりながら、二度目の帰り道、行方知らずの彼を罵倒する。話が通じるからと油断した。やっぱり、妖と関わるとろくなことがない。しかし彼にとって今は百年振りの外なのだ。自由になった分、もう会う事もないだろう。切ってしまった縄を祠の中に仕舞い込んで、その神社を後にした。また来た道を往復し、買い物袋を持ち直す。幸い、今日の品はお茶請けだけだったから中身は無事なのである。流石に角の潰れたパックはその場にお祀りしてきたのだが。その間、私を襲った妖達にまた出会う事はなかった。
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