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ワガママを聞くのは兄の役目





ガチャンッ……。

「ふぅ……、疲れ、た……。」


春俊はるとしが自宅に帰宅すると、見知った靴が乱雑に脱ぎ捨てられているのが目に入った。
大きく溜息を吐きながら、靴を直すと大股に寝室へと向かう。
リビングからすぐ横にある寝室の扉を勢いよく開けると、やはり見知った姿が目に入った。

「こら! 俊二!」

ベッドの中で縮こまるように寝ている弟、俊二しゅんじに一発パンチを食らわす。
が、目を開けることはない。
最近、弟が春俊の自宅に転がり込んで来ることが増えてきた。
いつの間にか自宅に上がり込み、寝ていることがあるのだ。
撮影所から近いとはいえ、ここに来ることに疑問はある。
いくら兄弟だからとはいえ、勝手に上がり込み、勝手に寝ていることは頂けない。
しかし、一度寝た弟は朝まで起きないのだから、仕方なくそのまま寝かせることにした。

春俊と俊二は、同じ役者である。
四十過ぎた春俊は、そこそこの中堅としてドラマや映画に出演するバイプレイヤーとして、活躍している。
そして四つ年下の俊二も同じく役者ではあるが、春俊とは違い、主演を多くこなし、四十手前になった今でも若々しい見た目と、演技力を発揮し、ファンが多く付いていた。

そんな二人はこれまで一度だけ映画で共演をしたことがあるのだが、その映画が終わってから、やたらと自宅に押しかけて来ることが多くなった。

「んー。今日は疲れてるから、ベッドで寝たいけど……。あのベッドで二人で寝るのは狭い……」

軽く夜食を食べながら、どこで寝るかを考えていたが、ソファで寝るのが億劫になったため、弟を少し奥に押し込み、ベッドに収まった。
今日の様子を地元に残る妻に一通りメッセージを送る。
毎週末には必ず帰っているが、単身赴任のような感じで春俊だけ都内に留まり、仕事を続けている。
まだまだ自分が求められているのなら、この役者という仕事を続けていくこと、そしてそのことに理解をしてくれている妻に感謝をしている。

「ふぅ……」
「ハル……」

弟が子どものように、背中にしがみついてくる。
何かにすがるように。

コイツのこれが始まったのは、やっぱり撮影中の"アレ"が原因なのか?
と、そんなことを考えていたが、すぐに眠りについてしまった。


***


「よーい、アクションッ!」

よくある犯人を崖の上に追い詰め、推理を披露するシーンの撮影が執り行われた。
今回の映画は、主演が俊二。
助演が春俊という、初めての兄弟での共演であった。
役柄の中でも兄弟という設定で、カフェオーナーの兄と刑事の弟というものだった。
自分よりも優秀な弟を妬み続けた兄が犯人という筋書きの映画であり、その犯人である兄が、弟に勝つために崖から飛び降りるというシーンであった。
細心の注意を払いながら、春俊は命綱を付けて、崖の上に立っていた。

浩志こうし……、ずっとお前が勝ってきたよな」
「兄さん……」
「でも、刑事は逮捕することで、勝利を得る。だから、最後くらいはお前に勝つよ」
「え?」
「じゃあな……」
「だ、ダメだ!」

落ちるように後ろへ下がっていくが、寸前で止まる手筈。
だが、春俊の足下が崩れ掛け体勢を崩してしまった。

「え、」
「っ! 兄ちゃん!!」

咄嗟に手を出した俊二が、思い切り春俊を引き寄せたお陰で、大事には至らなかった。

「春俊さん!」
「カット! カット! 足下確認しろ!」
「命綱の確認も急げ!」
「俊二?」

俊二が春俊を離そうとしないので、首を傾げる。

「俊二、ありがとう。大丈夫だから、な?」
「……本当、に?」
「お前のお陰で怪我ないから、離してくれね?」
「……うん」

そう言いながら、俊二の体は震えているのが分かる。
スタッフが慌ただしく現場の確認を始めたので、休憩時間に入った。


そうだ、あの時から俊二がすがるようになったんだ。
幼い子どもに戻ったかのように。
身長すら追い抜かされているのに、この家に来ている時は、小さくなっているなと、思いながら、春俊は撮影の夢から覚めた。


***


あれから二週間後。
俊二はまた来ていた。
小さく小動物のように縮こまり、ベッドを占拠していた。
怒ることすら、面倒くさくなりそのまま放置することに。
仕事場で会ってもいつも通り。
何かあるなら、言ってくればいいものを。
幼い頃から、弟のワガママはよく生きてきた。
可愛い弟だ。
ワガママも願いも、叶えてあげてきた。
だから……。

「はぁー。寝よ」

ベッドに入れば、背中にしがみついてくる。
起きているのか、無意識なのか。
腹を括るのは、自分の方か。
一度入ったベッドから、出るとキッチンで水を一気に飲み、覚悟を決めた。
ベッドに戻り、そのまま寝る訳ではなく、俊二に覆い被さるように、手をついた。

「俊二」

優しく、兄が弟をあやす様に。

「何が欲しいんだ、いつもみたく、ワガママを言ってみろ」

その言葉に、俊二が目を開ける。
待ち望んでいたのか、それとも驚いたのか。
二人の視線が交わる。

「ハル……」
「ほら、言ってみろ」
「……いいの?」
「今更だな。言ったろ? いつもみたく、ワガママを言ってみろって」
「……ハルを」
「ん?」
「ハルを、失いたくない」
「うん」
「ハルのそばに居たい。ハルが欲しい。お兄ちゃんじゃなくて、ハルが欲しい!」
「やっと言ったな」
「……言えるわけないじゃん。兄弟なんだから。でも、あの撮影の後からずっと怖くて、だからそばに居たくて。でも、この気持ちは言ったらダメだから。ずっと、ずっと我慢して……」
「よく、我慢したな。お前にしては頑張った方だよ」
「……ハル」
「ん?」
「……奥さんに怒られたら、ごめんね」
「離婚したら、お前が俺を引き取れよ」
「うん」
「で、何が欲しいんだ?」

妻のことは愛している。
けれど、それ以上に弟のことを手に入れられたことへの満足感が、今の春俊を満たしていた。
こんな感情が弟に対してあるのかは未だに分からないけれど、今は弟が求めるものを与えたい。

「ほら、もっと舌を絡ませろ」








→あとがき
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