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そして、春となる

昨日の暖かさが嘘だったかのように寒さが戻ってきた。
伐採式と銘打っているが、簡単な祝詞を上げ、桜の木を伐採するのみだった。
街の人々が大勢くる中に、千春も、そして渡り鳥と雪虫もいた。
千春は渡り鳥の姿を見つけ、近くに寄ろうとしたが、それは止めることにした。
泣きたそうにしているのに、堪えている渡り鳥の姿が、なんだか愛おしくて、ここから見ていたくなったから。
そんな渡り鳥の顔を覗き込む雪虫。

「泣かないの?」
「ん?」
「我慢しなくても、いいかな? って」
「……サクラが、笑っていてって言ってたから。サクラがいたところでは泣きたくない」
「そう……。泣きそうだけどね」
「あんまり茶化さないでくれ。溢れそうになるから」
「ごめん、ごめん」

そんな雪虫の目は真っ赤になっていた。
昨日からずっと泣いていたせいであるが、今は涙も枯れたように笑っている。

「こんなになるまで……。全く、君は無理してたんだな……」

切り倒された桜の幹は驚くほど、腐り果てていた。
ここまで酷い状態で、倒れていない方が不思議なくらいだと専門家が話しているのが聞こえてきた。

「サクラ……、君の涙を見なかったな。泣いてくれてもよかったのに」

もういない彼女へ語りかけるが、伝わることはない。
そして、その姿を見ていた千春は、切なそうな表情を見せていた。


* * *


「桜さん……。私は“アナタ”のおかげで、彼に会えました。ありがとうございます」

伐採式が終わり、整備されたあとの丘には、切り株が残されていた。
全てを抜くのは悲しいことだと、切り株にも処理をし、残すことが決まった。
誰もいなくなった丘に、千春は一人ベンチに座り切り株へ言葉を掛けていた。

「私は、不思議なものがたまに見えていました。そのせいで友達も少なくて、一人でいる時は絵を描いてました。ここには親戚の集まりで来ていたけれど、やっぱりここでも孤独で」

歳の近い親戚はおらず、話しも分からない。
学校はどう? 友達とは仲良くやってるの?
その質問が千春には苦痛だった。
絵を描いていても、褒められることがなかった。
好きで描いているのに、「絵を描いていないで、勉強しろ」と、言われ続け、絵が嫌いになりかけていた。

「でも、書生さんに、『いい絵だね』って言われている、嬉しくて。私、美大を受けることにしたんです。“アナタ”を、桜を、もっともっと描いて、ここにいた桜がどれほど美しいものだったかを、たくさんの人に知ってもらうために」

スケッチブックの中には溢れんばかりの桜の絵が。
きっと、あの時の美しさを表現出来てはいない。
けれど、あの時の光景を、知ってほしくて、見てほしくて、千春は描き続ける。

「私、ここに来てよかったです。本当に。だからまた来ます」

きっと、また来年の春に。
その次の春も、その次の次の春も。
けれど、千春は分かっていた。

「彼が来なくても、ここに。書生さんはきっともう来ないと思います。アナタに会えないと、寂しいだろうから」

だから、彼に会えなくても、来る。
彼との思い出があるのは、ここだから。
彼が来なくても、アナタがいなくても。
千春は立ち上がり、切り株の前に立つ。

「出会ってくれて、ありがとうございました」

一度頭を下げると、千春は笑顔でその場を去った。
それを遠くから眺めていた渡り鳥と雪虫。

「いいの? 声、掛けなくて」
「……あぁ」
「そう」
「彼女は彼女の道を行くのだから」
「最後くらい、話したかったと思うけど」
「……いいんだよ」
「酷い男」

最初、ここへ来た時の千春はうつむき加減で、足取りも重かったのに、今の彼女は前を向き、軽い足取りだ。
そんな彼女を止める訳にもいかなかった。

「さて、行こうかな」
「もう会うこともないわね」
「そうだな」
「……春を楽しんで」
「そっちも、冬を楽しんで」
「じゃあね」

ふわりと浮かび上がると、渡り鳥は風に乗って春へと向かって飛び出した。
それを見送った雪虫は、残された切り株の近くに座る。

「一人になっちゃった。私、寂しがり屋だから、冬の日本は少し苦手なんだよね」

家にこもって、人間は出てこない。
動物達は冬眠してしまうから。

「だから、サクラと話してるの楽しかった……。これからどうしよっかなー!」

長い長い時間を生きるのだから、焦ることはない。
これからゆっくり考えていこう。
ゆっくりした時間が好きだから。
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