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マフラーと雪虫

「おお、これは立派な桜の木だな」
「ご近所さんが言っていた通りね」

この日、一つの家族がこの街に越してきた。
父母息子の三人家族。
まだ幼い息子は母の手に引かれ、ぼーっと桜の木を見上げていた。

「あら、あそこの並木道、ここからも見えるのね」
「あそこの桜も咲いたら、圧巻だろうな」

息子は母の手を離れ、桜の木に近付いていく。
そして、大きな枝にもたれ掛かる一人の女性を一点に見つめる。

「あら、こんにちは」
「こんにちは」

サクラは彼に気が付くと、枝からふんわりと下りてきた。
桜色の着物をヒラヒラと優しくなびかせながら。

「どうしたの?」
「ぼく、ここにおひっこししてきたの」
「そうなのね。ここはとてもいい所よ。きっと貴方も気に入るわ」
「そうだといいな。ぼくね、おともだちがいっぱいほしいの!」
「きっとすぐに出来るわ」
「……おねえちゃん」

彼はサクラを見つめると、首を傾げる。

「なぁに?」
「さむく、ない?」
「そうね……。少しだけ」
「ぼく、いいものもってるよ! あした、もってきてあげる!」
「あら、いいの?」
「うん!」

パァっと笑う彼に、サクラは優しく笑いかける。

「冬梧、帰りましょ」
「うん! あした、もってくるね」
「待っているわ」

バイバイ、と手を振りながら、母の下へ走っていく冬梧を見送る。
そして翌日、冬梧は来た。

「おねえちゃーん!」
「あら、本当に来てくれたの?」
「うん! やくそくしたもん!」
「ありがとう」
「あ、はい!」

冬梧は持っていたものをサクラに差し出す。
黄色い、少しよれたマフラーを。

「これを?」
「うん! ぼくはね、あたらしいの、おばあちゃんがつくってくれたの! これもうつかわないから、おねえちゃんにあげる!」
「まあ……綺麗」
「おねえちゃんのピンクと、きいろいマフラー、ピッタリだよ!」
「本当? とても嬉しいわ」

サクラは貰ったマフラーを首に巻く。
巻いたマフラーに手を当て、温もりを確かめる。

「うん。とても暖かい、ありがとう」
「どういたしまして!」
「これなら、今年の冬は乗り越えられるわ」
「よかった! あ、おかあさんにすぐにかえってきてって、いわれてたんだ……。ごめんなさい、きょうはかえるね」
「えぇ。寒くなる前に、帰った方がいいわね。また春になる時に来てちょうだい」
「うん! じゃあね!」

大きく手を振り、冬梧は帰っていった。
まるで木枯らしのように。

「あらあら、また人間垂らしこんでるの?」

ふわり、と、どこからとも無く女性の声が聞こえてきた。
空を見上げると、白いモコモコとした服を着た女性が、ゆっくりと桜の木と下りてきた。

「雪虫!」
「久しぶりね、サクラ」
「えぇ。それにしても、垂らしこんでるって……」
「あら、貴女はいつも、人間を垂らしこんで、愛されてるじゃない」
「別に、垂らしこんでる訳じゃないのよ」
「ふふふ。無自覚なところは桜一族ね」
「ん?」
「ふふふ」


* * *


白くふんわりと冷たい雪が手のひらに舞い降りると、すぐに溶けていく。
また雪が降る季節がやってきた。

「それでね、そこの白くて大きな熊が、モッコモコでふっわふわなの!」
「まぁ、抱きついてみたいわ」
「それから、ペンギンって動物の赤ちゃんもモコモコなの!」

雪虫は冬から冬へ、世界中を旅していた。
そして、今、日本は冬。
彼女は冬の日本へ来ることが、なによりも楽しみにしていた。
この桜に会うために。

「一度は、咲いているところを見てみたいけど、暖かいと溶けちゃうからなー」
「うふふ。そうね、私の花は暖かくならないと咲かないから。他のところに、冬の間に咲く、早咲きの桜があると聞いたことがあるけれど」
「見たことあるわ! でも、私はサクラの花が見たいの。とても綺麗で、美しいであろう、貴女の花を」
「ありがとう。とても嬉しい」

ふわふわと降る雪が、桜の木に少しずつ積もっていく。
丘の上から見る街の風景が、白く染まっていく。

「私は私が咲く春が好き。けれど、白くなっていくこの冬も好き」
「……私は冬しか知らないから、サクラが羨ましい」
「私が?」
「うん。だって、ふんわりと暖かい春も、爽やかで明るい夏も、色鮮やかな秋も、冷たくも澄み渡った冬も。この日本という場所で、四季を楽しめるのだから」

雪虫は少し寂しそうな表情を浮かべる。
それを見て、サクラは一度目を伏せるが、笑みを浮かべながら、どんよりとした空を見上げる。

「そうね。でも私は、色んなところへ行ける雪虫がとても羨ましいわ」
「いつも真っ白な世界なのに?」
「それでも、世界というまだ見た事のない所へ行けるのだから」
「……サクラはいつも楽しそうね」
「だって、みんなの話を聞くのが、とても楽しいもの」
「私はサクラが。サクラは私が。お互いのことを羨ましく思ってる」
「それはとても、素敵なことだと思うわ」
「ええ。私も」
「だから、たくさんお話しましょ」
「もちろんよ!」

楽しそうに笑うサクラを見て、嬉しそうにする雪虫。
しんしんと降り続く雪はとても冷たいけれど、この思いを包み込んでくれるようで、温かいものにも感じた。
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