鬼滅
「嫌いだ、その閉じた瞼」
そう呟く男に、またいつもの我が儘が始まったと齢の遠く離れた少年はため息を吐いた。この雰囲気だけは落ち着いた若い男、見て呉れに似合ってか似合わずか非常な癇癪持ちで、時たま交わす不毛な問答が面倒で堪らない。
「目を閉じるな。目を逸らすな。私だけを見ろ炭治郎」
男はやおらに上半身を持ち上げて、横に座る子供の瞳を焦がすようにジッと見つめた。恨むような、でも少し悲しいような、そんな気持ちの悪い目付きだ。子供もすんと匂いを確かめたが、嫌になる程嗅ぎ慣れた鬼の香りしかしない。又、乾いた目を一度瞬かせれば、男はめざとく反応してくる。
「瞬きもするな」
「無茶を言うなよ。俺は魚じゃない」
「どこにも行くな。機嫌のいい空の下にも、べた雪の降る橋の上にも、立つことは許さない。この無情に過ぎる時間と共に生きるな。憎たらしい瞳を濁らせることも、背丈を一寸伸ばすことも、手の皺をむやみに増やすことも」
「ああもう、話が通じやしない」
なんて人付き合いの下手くそな鬼なんだ。会話ひとつ成り立たない。煽情に愛されたような風貌をしておいて、お前の命令に誰もが靡いて心中すると思うなよ。「じゃあ是はどうだ。お前に付けられた傷だ。是もまた憎くてしょうがない変化の一つだろう」。そう語りかけて腕の傷を見せつける。爪のよく研いだ猫にでも引っ掻かれた様な、歪んだ直線の蚯蚓腫れ。男の瞳が
「私の機嫌を取ることを覚えたお前が、心底嫌いだ」
空色が煩くて堪らない。
ぎゃあ
ぎゃあ ぎゃあ
ぎゃあ ぎゃあ
何処からでもない、自分自身から声が湧き出ている。
これはまるで人魚の肉を食った災いの様ではないか。
喉奥から滲み出るひしゃげた声が、夜に殺した人間の汚らしい呻き声が、晴天に溶けると男は言った。因果応報であろう。あれだけ人を喰って、恨まれ、敵に回しているのだから。とうとう積りに積もった憎悪が身を破って現れた。なんて、ひとつの民話にでもなりそうな出来。それも下げも下げの部分。ここから救うも救わぬも話し手の腕次第だが、俺にはどうすることもできない。
「呪われているんだよ」
疎ましくも焦がれた太陽にまで嫌われるなど、酷たらしい話だ。男の腹でも切り裂いて、ぎゃあぎゃあ勝手に喚くそれに念仏でも唱えてやれば、素直に成仏してくれるだろうか。いやしかし、千年分の霊魂相手に言葉が通じる気はしない。かわいそうに、この満天に広がる慈しみに触れられないとは。かわいそうに、生きようと潰した頭に精神を持っていかれるとは。
「抱きしめさえしたくなるよ」
めばちこのくせに
「なぁ、楽しいか、お前」
「いいや、虚しいよ。とても」
ざらざらと
「ホラ、金星がお前に色目を送っているよ」
「うるさい。知らない。唾の一つでも吐いてやりたいが、生憎口の中が乾いてるんだ」
「お前は
厭な目付きは今宵の月の様。いいからはやく日でも昇って、こいつを一思いに殺してやってくれ。お前の生きた証が無くなっても、
どうせ一夜の気の迷い
全部お前のせいだ。
そう子供らしい声をひっそりと発し、男に凭れ掛かりながら炭治郎は瞳を曇らせた。
「禍福は
「災難を生んでいるのはお前だろうが」
敵討ちと仲間の為に惜しみなく身命を差し出しよって、もっと己のために精神を削ればいいだろう。全く理解し難い。この聖人じみた鬼狩りの暮らしに嫌気がさして、
ずっとそんな様子だった。
ずっとそんな様子だったから、今、目の前にいる子供の不安定な様に皮膚が粟立つほど気分が良い。もっと不様に泣いてくれ。災難に立ち向かう意思を無くし、どうしようもないぐらい失望して欲しい。
「お前のせいで、悪いことばかりだ」
「それは好都合」
魂の未熟児
人間など、短い寿命を
「炭治郎、此方側へ来い。人間なんてくだらないぞ」
「嫌に決まってるだろ。お前はもう、どちら側にもなるな。早くその汚した手を、仏陀か閻魔に洗ってもらえ」
囁きも聞き入れず、齢を噛み締め生きる子供の高徳な様に腹が立つ。
気味の悪い。
数百年生きた様な
気味の悪い。
どうかその見目を
子供を招くよう、おいでと手招きでもすればよかったのか。
情人を誘うよう、目を濡らしてそっと腕でも撫でればよかったのか。