鬼滅
まほろばに墓標
「辻占でもするか黒死牟」
次はどこへ行こうか。ざわめく風に黒髪を揺らして歩いている。忘れられ苔まみれになってしまった道祖神の石像が切なげに立つ十字路を見つけた無惨はそう、隣を歩く男に話しかけた。
「赤の他人に頼りを任せるなんて、人間は臆病であるくせになかなか豪胆な発想をするものだと思わないか? ヒトゴトという言葉がある様に他人のことならどうとでも言えるだろうが、聞く身は堪らないだろう。まあ、幸せを言いつけて欲しいなら善人の通る時間を狙って話を聞けばいいのだから、後押しが欲しいだけなのだろうな」
「ではそこの道で人を待ちましょうか」
「こんな夜更けには意地の悪い山賊しかおらんだろうが、それでも良いか?」
不幸を言い渡されればその口を切ってしまうくせに。
面白がってものを試し、気分を損ねればひょいと躊躇なく潰してしまう男。それに付き合う使役犬のような大男。二人が向かう先の吉凶など、神にも判別することは叶わない。
「楽しいなぁ黒死牟」
明日のことを言って笑う鬼を月だけが眺めていた。
夜は繭
秋はまだまだ夜長はこれから。天高く昇る満月に見守られ、鈴虫の高鳴きするような幻聴が聴こえる夜。うねった黒髪を揺らす男は縁側に腰を掛け脚を組み、この星の降る空を眺めていた。ここに徳利と盃のひとつでもあれば、いい月見酒になるのであろうか。紅灯緑酒に下手を打ったこともない彼は、そんなことを思いながら縁柱に肩を置く。ふと、寄せた頭がこつんと音を立てた。
「かたい」
「硬い……」
その
「後ろに座れ。それで、ほら。こっちに足を。違う、もっと近くに」
やっとお気に召した体勢を見つけ、男の胸元にぴたりと背中を預ける。そのままであった手を無惨は自分の前へ引っ張って、暇そうに弄んだ。秋風の立つようにはいかない、よく出来ためでたい頭。
またもや白い息、生きた内臓、肺、寒空に消える溜息。
「やっぱり堅い。鍛えすぎだ」
常闇に身を溶かしてしまって、まるで夜に咲くスイカズラ。すっかりと蕩けきった雰囲気が、和三盆よりずっと甘ったるい。されるがままに遊ばれる男は六ツの目を閉じて、主人が飽きるその時までじっと待っていた。
シタデルの内包
珍しく
「黒死牟」
ひっそりと語りかけるように呟くとすぐに現れる。掃き溜めの鶴はふらり振り返って、光の少ない赤い目を男に向けた。
「鬼の処理というのは楽でいいな。夜のうちに外へ放っておけば、勝手に陽の元へ晒されて、余すことなく骨まで灰になってしまうのだから」
眠りそうに微睡んだ瞳だ。
「こっちへ来い黒死牟」
草陰に潜む蛍を招くような声色。赤く濡れた畳に目を瞑っても、なんだか危うげに名前を呼ぶ種族の父。触れられる距離に近付いた男に無惨は擦り寄って、
「消えたくないんだよ」
瞳も濡らさずに弱々しく発する声。
「死にたくないんだ、黒死牟。助けてくれ。呪う様に突き刺す日が、その陽に加護を受けた目が、怖くて堪らないんだ」
一瞬で枯れてしまう花を愛でるより賢明であろう。そう思いながらも、そこらの桜より世を見た男の肩を抱き返すことが出来ずにいた。
師が走る様
なにやら町が騒がしい。歩幅の大きい男より早い足取りの人々が目立つ。松を持っていたり、餅をついていたりと、正月の光景が広がる。もうそんな時期かと思ったが、皆焦るような表情を作り急ぎ足で歩いている様子。今までの正月にはこんな慌ただしさは見られなかったはずである。夜の早い冬に主人と歩きながら黒死牟は、化けた瞳でそれらを眺めていた。
「知らないのか。暦を西洋に合わせるとかなんとかで、あと十日後に一月一日来るようだぞ。それで皆、慌てて正月祭りをしているらしい」
声に出さぬとも返される言葉にまた、成程と心で相槌を打ってしまう。寡黙を体現した無愛想な顔付きはそのままに、歩幅の合わせた行き足もそのままに、男は記憶を巡らせる。
「ええと、今日は」
「十一月二十四。元号は明治」
呆れた様な、または可愛がる様な口先。
「鍛錬するのは構わないが、もっと世の事を知ったらどうだ」
「以後覚えるように致します」
「何百年か前もそんなことを言っていたぞお前は」
何も碁を打つ相手が欲しいわけでもないが、会話が合わないというのはなにかと不便である。なによりも、無惨はそうぽつりと呟いて付け加えた。
「私と何度共に年を越えたか、数えていないというのはつまらないな」
この身の耐久を超え生き続けようとするのは、もはや不治の病!
人間誰しも不老不死の夢を見ただろう。人魚を食らうだとか、処女の血を浴びるだとか。それはいつも人ならざる諸行と隣り合わせであった。
「いくら知があってもどうせ頭でも打てば痴になってしまう。勿体無いだろう。その万象を詰め込んだ頭、鍛え抜いた肉体、良いものだなあ不死とは、なあ、そう思うだろう黒死牟」
皆が不老不死に憧れているというのに、どうしてこんなに責められないといけないのか。男は多少の苛つきも覚えながら問いかける。今しがた、あの小さな子供に命についての教誨を聴かされた無惨は、堪らなく虫の居処が悪い様子であった。
「鬼というのは気は狂うのでしょうか。肉体は致命傷を受けなければ再生しますが、頭というものは如何なのでしょう」
「狂惑など、他人が勝手に決めるもの。人間共に化け物と荒げた声をあげられる我々は、もう気は違っているのだろうな」
火に油を注いだか、鋭い目つきが当てられた。
鬱屈と、影の含んだ瞳。
「お前だけは死ぬまで隣にいろ。どうせ同じ化け物だ。生きることに執着して、人であることから解放された化け物だ」