鬼滅



悪夢の真似事



れは止めだ。効率が悪い」
れというのは」
「きな臭い見世物小屋での調査の事だ。お前も数回連れて行っただろう」

 〝一合ほろり、二合ほろほろ、五合とろとろ、一升どろどろ〟質の悪い酒の匂いと燻った煙を纏う客の多いこと。酩酊した客など普通は迷惑極まりないものだが、何にでも例外が存在するもので、奇術の相手とスリの標的はどうしようもない酔っ払いがよしとされた。いや、こんな奴等、客席で嘔吐をされても困るし、スっても日銭すら持っていないだろうから、やっぱり脳味噌が少しぐらつくぐらいのほろ酔いが丁度いいか。珍獣、丸呑、畸形、情交、吃驚ビックリ人間。使えそうなものは何でも使って、人を騙すにはとにかく外観を賑やかにすることが重要であった。口上もまたいいが、こんな狭い路地では苦情が来るからいけない。ニウギニヤ産だとか印度産だとか、触れればたちまちに福が富むだとか喧伝けんでんするとまがい物なりとも人寄せになった。この時代はこういった見せ物文化が盛行せいこうであったから、店に入っても入っても偽物を掴まされるばかり。どうせ客は酔った男と女子供、難癖は付けられても殺傷沙汰になることは稀なのでやってはいける。まあ、だからこそ、本物を見つけると、肥溜めに埋めた阿芙蓉あふようでも探り当てたかの如く喜ばれた。噂が噂を呼んで、遠くから見物客が訪れるほどである。
「どうだ黒死牟。気の毒そうなこの姿! なかなか似合っているだろう」
「どちらに行かれるのですか」
「少し忍び込みたい処があってな」
 なにも、芸人として近付かなくても、何時もの様に端正な実業家として話を聞けばいいのに。何を面白がったのか無惨は、片腕をボロ切れで隠し、美しい女に化けた顔を薄弱そうにしかめながら自分を売り込みに行った。店の主人は初め、こんな掃き溜めに来なくても、少し上品に着飾ってそこら辺を彷徨うろついていれば、金持ちの男に見初められそうではあるのにと女を疑った。しかしそのボロ切れを取ると合点がいったように、ほぉと感嘆を漏らす。片腕をドクドクと脈打つ肉の形に留めておいた女は、自分を異類婚姻の末に産まれた子供だと言った。
「ここに置いてくださらない?」
 幸を薄めた風体でからりと笑う姿はもはや策ある名女優。
 生粋の怪物であるくせして、天に逆らう空騒ぎ。
 しっとりとした女の声を真似、明け透けに媚びた口調で問いかける。赤い瞳が月夜に光って見えて、ゾクリと背筋が凍る思い。追い返してしまえば何か、良くないことが起こるのではないかと思うほど、怖いぐらいに綺麗な女だ。主人は二つ返事で引き取ることを決め、店にいる商品について少しばかり説明をする。ぽんと容易に姿も変えられるのだから見世物ショウだって一人で完結できると、それらを眺めた女は一人思ったが、白痴だけは真似できなそうだとこれから話すこともないであろう馬鹿を見て考えた。
 無惨はその後、自分のいい人だと言って黒死牟を連れてきた。恋人同士で芸人になるとは珍しいと主人は大いに歓迎したようである。目がひとつばかり多い大男として売り込んだが、これがまあ評判の良いこと。大変な色男ではあるし、余計に目がついている分寧ろ私のことを見てくれると厭らしい女が盲目的に言い寄った。はじめ、擬態もせず向かおうとした黒死牟に、目が六つもあったらお前があの莫迦共に神と崇められてしまうなどと無惨は言ったが、あれは恐らく正解だったのかしら。百人二百人に惚れられてしまったら目立ち過ぎるし、なにより面白くない。若い女に言い寄られるのは百歩譲って仕方がないとして、三つ目男が馬鹿正直に、忠誠を誓う相手がいるから駄目だと断ると、女は無惨に矛先を向けた。それが運の尽き。律儀に人目の付かない路地にてキャアキャア喚く其奴に無惨は、ただ一言煩いと言って、真っ二つに切ってしまった。
『又もや怪死!磯女の次は鎌鼬カマイタチ!』
 噂話に事欠かないのは、感謝されてもいいのではないか。事切れで口が僅かに化け物と動いたが誰の耳にも触れず、惚れた男も同じ化け物だったのではと思考する海馬すら働くこともあらず。可哀想に。数日経って「熱心な女」が数人減っていることに、雇主は大きな悲鳴を上げていたが、肝心の色男がそのことに気付く様子もない。嗚呼なんと浮かばれ無いこと。
 凡夫ぼんぷや聖人や関係無しに血煙をあげたとしても、今宵も変わらず真上に登った月は男女を照らす。伸びた二つの影に尻尾でも生えていれば警戒ぐらいはできるというのに。各地に転々と現れては、鬼を増やしては気紛れに人を殺すものだから溜まったもんじゃない。

    ⁂

 まあこれも少し前までの話。
 今はもう、碧色へきしょくの目をした白蛇の話は有っても、青色の彼岸花の話は全く聞かない環境に無惨はうんざりしているようであった。
「もう飽いた」
 気まぐれな女が我儘に、その身に似合った小さい口を開けて、伏し目がちに呟く。部屋に呼ばれた黒死牟は果たして何に飽きたのかと、山の様にある心当たりにぐるりと思いを巡らせた。何事か。増やした下部の働きが悪いから殺せとのことか、それとも入れ込んでいる貿易商に対してか。あるいは他ならぬ自分との関係に倦厭を覚えられてしまったのか。無口な男が返事をするのを待たずに無惨は、それに。と言って言葉を続けた。
れは止めだ。効率が悪い」
れというのは」
「きな臭い見世物小屋での調査の事だ。お前も数回連れて行っただろう」
 床子しょうじに腰を掛けて、組んだ脚のつま先を揺らす。
「では彼奴ら如何致しますか」
「如何もなにも、殺す価値もない。立ち去るだけだ」
 いや、一寸ちょっと待て。ピクリと眉を動かして、何かを思いついた顔つきをする。
「あの店、いやあの店だけじゃない。最近この手の商売は儲けが出ないようだぞ。どうやらそろそろ、この長く続いた見世物産業も終いらしいな。次に流行るのは何百年後になるやら」
 それに聞いた話によると、こういった催しにとうとう御国の目に触れ、そろそろ禁止令が発布されるらしい。明治の時代に入って人間を商品とするのは相応しくないとの御達し。下見て笑う奴等の癖して道義心だけは一丁前である。どこから漏れたかは知らないが、店先に溜まる旦那等も、地面に痰を吐いても金を取られるだろうと愚痴を言っていた。天に唾を付けたわけでもないのに不利益を被るなんて我慢ならないとも。此方が手出しをしなくても、騒動というのは勝手に生じるものだなと鬼の始祖は考える。
「元々商売下手な主人ではあったから、こうなる前に潰れていなかったことが不思議なぐらいだよ。知ったことではないと言えばそれで終いだけれど、折角だから最後になにか、アッと驚く様な事をしてやろう。目立つ事になっても、逃げるか殺すかすれば良かろう」
 先程は殺さないと言っていたのに、其方の都合で明日の命が絶たれるなんて、さながら天変地異。
如何どうなさるおつもりですか」
「そうだなァ。そういえばこの間、名の知れた武士の腹切を見たと触れ回っている男がいたな。どうだ黒死牟、私が腹を切るところは見たいか? 歳の若いお前には、あまり褒められたことではないのかな」
「いえ、貴方のなさる事に口出しをするつもりは毛頭ないのですが、その、あまり人の前で肌をお見せになるのは」
「ふぅん、お前でもそんな風に思うのだな」
 良いことを聞いたという風にくすくす笑うが、心の内は変わらぬ様子。
「ほとを見せなければ許してくれるか? 他ならぬお前の願いだ。できる限り斟酌しんしゃくしてやる」
 女はそれだけ伝えて姿を消してしまった。

    ⁂

 無惨はその日の夕に、店の主人の元へ出向いて相談があると話を持ちかけた。
「此の頃、足が出ているとの噂を聞いてしまいまして、何か出来ることはないかと思ったのです」
 およよとわざとらしく、目を潤ませて店の心配をするその慈悲深い様子に主人は涙を流して感動した。でも如何どうすれば。頭を捻る男の胡座をかいた膝に、女は両の手をついてにやりと赤い唇を歪ませる。
「わたくし、腹を切って見せますわ」
 そう言ってカラカラと笑ってみせた。
 無邪気な様子でとんでもないことを言い出すもんだから、彼の美しさに喜ばせた口元がすぐに驚いた風に変わる。無惨はその言葉をなあなあに聞き流し、こう提案し直す。
「勿論切ったフリをするだけ。上手くいけば件の条例が出る前に、次の繋ぎになるぐらいの儲けが出るとは思いませんこと?」
 主人はううんと唸りながらも、聡明な顔付きをする女を信じる事に賭けた。傾いた店を案じ、任せてほしいと言う女の、なんと頼もしいこと。開演の時刻だけを告げられ、主人は手を擦り合わせて成功を願うばかりである。

    ⁂

 後日、『異形の美女稀代の切腹ショウ』と看板を立てて呼び込みを行なうと、喜ぶべきことに反響は明らかで、いつもの倍は客足が多い。きっちりお代はとった立ち見客も、美女の登場を今か今かと待ち侘びている様子。鬼殺隊だかに嗅ぎ付けられていたら、それはそれで面白いなと袖で女は思う。さあ一歩と壇上へ上がるとワアと声が沸き立った。目立ち好きの節はないけれど、特段悪い気はしない。
 現れた女は、古代の希臘ギリシア様式にならった白の薄絹に、ハイウエストで照った繻子しゅすの紐を巻き付けた衣装。そのままの黒髪が風に乱れた時のぎょっとする様な色気は、惰眠に冒された瞳もすぐに冴えるほどである。只今西洋の或国では派手なひだ飾りのついたものが淑女の間で流行らしいが、それより少し前の、仏蘭西革命後の反骨精神を露わにした風変わりな身なり。メルベイユウズなどと言うらしい。女は初め、客前を意識した長い刀を振りかざし、ひらひらと騒がしい薄布にそれをあてた。そして、鳩尾みぞおち辺りからするすると布を切り裂いていく。褌を履いていると知った客は少し不服そうだ。
 無惨は静かに膝立ちをして、臍部さいぶの下の方に、あの忌々しい刀に比べれば全く切れ味の悪い、輸入物の小さな短刀をぴたりとあてる。装飾だけは立派だけれど、剥げた鍍金メッキはチラチラ煩い。つぷ、腹に短刀を突き立てると、客席からキャアと声が上がった。女の白い肌から脂の混ざるぬらりと照った血液がどろどろと溢れる。瞬きもせぬ間に勢いよく右へ刃を滑らせてからそれを抜くと、勢いで血溜まりに飛び散ってしまったが、水紋を作らず沈んでいった。腸もぷくりと顔を出して、これでタネも仕掛けもないと言うのは少々無理がある。けれども摩訶不思議、女の口や鼻から血は流れないし、朦朧と目を回す様子もない。確か十文字に切るものだと思い出した女は、さらに鳩尾みぞおちの下に艶々と赤の滴る短刀をあてる。グッと確かに、力を込めたように見せかけて、上から下へ腹を切り裂いていく。血腥ちなまぐささに慣れていない変人気触れの客人は顔面蒼白になって、御奉行にでも通告しに行ったのか、いそいそと出て行ってしまった。それを気にも留めない女は、ここまでしても痛がる様子は見せず寧ろ口角を吊り上げ、影に立つ黒死牟にめくわせをした。床に滴る血に対し、勿体無いと思っている心の内を覗いたのだろうか。
 さて、ひと息吐いた女が腹に力を込めると、派手に内臓が出てきた。腸がとろとろと顔を出して、溜まった血にぽたりと落ちる。床についた白い薄絹は下から赤くぼかされて、手練れの摺師を雇ったようであった。少し上を切り過ぎたから、そこにある筈のない脳味噌がチラリと飛び出たけれど、こんな場所に解剖教育に通じた人間はいないから無問題だ。苦痛の表情を見せることを嘘でも嫌がった無惨の、その姿に合わない可愛げすら感じるしたり顔。退場した者は数人いたが、あまりにも有り得ない光景に、本当に腹を切っていると信じる人は少ないようであった。それにしても、目の前の女が人成らざる者だとは、なかなか勘付かれないものである。人を食う鬼の話はここらでも出回っているはずだが。未だ鬼とは、話も通じぬ角の生えた怒り顔の物の怪だと信じられているのであろう。
 さあ切り終えてここからどうするか。先ずはショウの終了を見せる為に立ち上がって袖振り。捲れた肉に脳味噌を戻して、腸を抱えて袖へはける。血液を重く吸った衣装がずるずると床に跡を付けた。女の気を呑ませる魅力のお陰で客は静か。女がいなくなって少し経つと、腹切の仕組みも知らされていない店の主人が横からするりと登場し閉演を告げる。空いていく客席を見送りながらも主人は、金は取れたがこれをどう片付けようかと考えていた。

「黒死牟」
 その艶やかな声へ向かうと、既に腕も元に戻し変化も解いて、漣模様の着物に身を包んでいる彼がいた。先程までの姿は夢かと思わせるような変わり様。切った腹がくっついていることは分かっているが、御乱心とも取れる気紛れに思わず腹の方を眺めてしまう。
「なんなら触って確かめてみるか?」
 心を読んだ男が問いかけてきたと思ったら、着物の中へ手を誘われる。皮膚に触れるはずが、意図せぬぐちゅりとした感触。思わず手を反らせると、内臓に触れられた男はアっと唸った。目的の分からない行動は、なにも歳の差だけが関係するものではない。目を丸くする体格の良い男に、腹が疼く。そうあからさまに無惨は呟く。なんとグロテスクな媚態。血の付いた指をねぶる様子を見守る彼は、客前でショウをした時よりも余程愉快そうである。芸とは虚実皮膜きょじつひにくだと誰が言ったか。
 そのまた後日、この間の女は何処だと店の前が賑わったようだが、消えた張本人は知る由もない。彼はここへ度々しか来なかったが、日を跨げば訪れるだろう。主人はそう思っていたけれども数日待っても女が現れることはなかった。女の上がった高座はにかわの剥げた材木であったので、血液が染みてしょうがなく、加えて年季の入った板であったから廃棄することにしたようだ。

    ⁂

 女が店から消えた後はとにかく、蛾眉がび鴨前に死すと取り沙汰された。死体を確認した者は誰一人としていないのに愉快な話である。暇な人間がまた話を広げたようで、その黒い髪の毛はどんな厄災も防いでくれる。小便は傷を塞ぐらしい、いやそれよりも血液は妙薬になるなどともっぱらの噂。脾を健し、腎を益する。まるで江戸に駱駝らくだが来たような騒ぎ。そろそろ瓦版にでも載っけられるだろうか。噂が尾鰭をうねらせて、そろそろ足がついてしまうかもしれない。
「全く莫迦ばっかりだな」
 噂の当人が呆れたように呟いた。
「血が妙薬というのは尤もかもしれません」
「おや、なかなかこそばゆいことを話すじゃないか」

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