公式カプやらカプなしやら


浮き足立たせて



「敵が見惚れるというのは、便利な能力ですね」
 また何度目かの物忌み。あかねは部屋に籠るほかない男の元へ訪れていた。少女はその紅梅色を弄りながら、眠そうに体を傾けている。
「便利? 神子殿が私をよく連れ歩いてくれるのは、この体質が便利だからなのかな」
 腑に落ちないような声色を含んで言葉を返せば、彼女は男の方をしっかりと向いて話をする。その素直さは好ましいものだけれど、どうも少女は最近、好いた相手を揶揄う癖が付いたようであった。いたずらに上擦った声が耳を擽る。
「ええ、いつでも出してくださいね。そのフェロモン」
「ふぇろもん? また面妖な言葉だね。どういう意味か教えてくれるかい」
 彼女は男が片仮名語を聞き返す様子をえらく気に入っていた。例えば、ロマンティックだとかファンタジーだとか、慣れない場所についた母音を汲み取って発声しようとする。普段はすらすらと艶のある言葉を吐いている男が、不慣れに唇を合わせる姿が堪らないらしい。また今度も、舌足らずになる様が可愛くて仕方がないという風に、くすりと笑ってから話を続ける。
「人を惹きつける物質……のことかなぁ。女性なら男性に、男性なら女性に効果がある物質のことを言うんですけど……友雅さんはどんな相手でも惹きつけますね」
「……それは、褒められているのかな?」
「もちろんです。素敵な能力ですよ」
 そう言っていつものように笑う彼女の、畳に乗った手の甲に友雅は指先を置いた。
「ありがとう、神子殿にそう言ってもらえると嬉しいよ。でもね、君に効かないのであれば、この能力も無駄なように思えるがね」
「やだなぁまた、そんなことを言って」
 その指を払うことも取ることもしない少女に、男は内心切なくなった。好かれるのも飽きられるのも幾度となく経験して、もう親しみさえ覚えてしまったはずなのに、彼女の前ではこうも上手く躱せないものか。そう思って、憂いを帯びた顔付きで彼女を見遣る。
「私は本気だけどね。初めに言った、いい女になりなさいというのを気にしているのかい」
「そんなこと覚えてるんですね。意外だな」
「覚えてるよ。君に使った言葉全部」
 今度は目を細めてあかねの顔を覗き込む。口説き文句だ、言い慣れた。大変な美丈夫であるはずなのに少女の顔色はあまり変わらない。ここに来てから目が肥えてしまったらしい。それにこの男はどうせ、他の人にも簡単に同じことを言うのだと考える。けれどその、〝他の人〟より上手に立っていることも彼女はよく知っていた。
「じゃあ、私を求める言葉も覚えているんですね」
少女は悪戯に笑いながら男の手から逃げ、代わりに頰を撫でた。男は困ったような、恥じたような、珍しい顔をして、それからゆっくりと首を縦に振る。その様子にあかねは堪らずぞくりと背中を震わせた。
「言ってほしいな、今の、溺れていないままの友雅さんに」
「……君は意地悪になったね」
「なんのことですか?」
「私の知っている君は、こんなに積極的ではなかったはずだけれど」
 彼の熱を帯びた頬に貼りついた髪が、いつになく夏を匂わせるから。茹だる空気への不満さえ夏に帰するように、引っ付いた髪を取り払おうと手を伸ばす。そこに邪心はなかったはずだが、男は伸ばされた手に頬を擦り寄せ撓垂れる。そんな猫のような仕草に思わず息を止める。ぞく、背中が痺れ、悪いものに魅入られた気分になって、手を引こうとしたとたんに指を噛まれてしまった。甘噛みなので痛みはないし、突拍子もない行動も馴染んでしまった少女が特段驚くようなことはない。男は何も言わず、じっと彼女を見ていた。まるで試されているような視線に息をすることがもどかしくなる。指先から全身がじわじわと蝕まれる感覚に囚われながら、それでも、とあかねは思う。その、此方を見透かすような鋭い目だけで情欲を伝えようとしてくる姿。よくよく艶のある言葉のみを吐いてきた彼が、ここまで舌先を動かすのが下手になるとは。
「美味しい?」
「ん、」
 曖昧な返事をしてから甘噛みを止め、彼は少女の首筋を舐めた。やはり猫だ、猫。よく懐いた毛並みのいい天下の美猫びびょう。そんな男の舌先が皮膚の上を滑っていく。それだけで呼吸が荒くなりそうになるから、あかねは笑って誤魔化そうとする。
「……ふふ、っ、どうしたんですか」
「いや、神子殿はどこもかしこも、美味しそうだと思ってね」
「それだけ?」
 少女は悪戯っぽく問いかける。男は答える代わりに彼女の唇を奪った。あまりの熱っぽさに意識まで蕩けていく。全く、こんな、朝には似合わない。

 小さな口で、先日付けた鬱血に歯を立てる。少し力を入れて噛むと、男は驚いたように体を跳ねさせた。それが面白かったらしく、あかねは何度か同じ場所を噛んだ後、今度は強く吸い付く。するとまた、男の体が震える。満足そうに笑う彼女を見て、ようやく自分が遊ばれていたことに気付いたらしい。困ったような顔をしながら、そっと彼女の頭を撫で、それからゆるりと背中に手を回す。その体温に包まれると、この歳の離れた色男がどうにもこうにも愛おしくなる。このまま時間が止まればいいのに、なんて、とっても陳腐な台詞!
「友雅さん、こっちの方が向いてますよ。きっと」
そんな風に囁くと、彼は僅かに身動ぎをした。

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