第二章

「待たせてしまってすみません」
「いいえ、構いませんよ。では次は寮へ案内しますね」


歩き出した宝条に遥はついて行く。
立ち姿だけではなく歩く姿も芯が通っていて綺麗だ。
やっぱりお坊ちゃんともなると違うな、と思い掛けたが、忍を思い出して宝条が特別なだけかと思い直した。
もしかしたら忍も本来こういう綺麗な歩き方だったのかもしれないが、中学高校で共にヤンチャしていた頃を思うとそうとも言い切れない。


「寮に着いたら寮長のもとに挨拶に行きましょう」
「寮長?」
「はい。清原優生、三年生です。寮で何かあれば彼に相談すると良いですよ」


きよはら ゆうせい…清原優生、随分と綺麗な名前だ。
男子高校生をまとめるに足る母性溢れる先輩なのだろう。
勿論遥にとっては、どこまでも年下になってしまうのだが。
しばらく歩くと、ホテルかと言いたくなる様相の建物が見えてきた。


「あれが寮です」
「また規模がデカイな…」


つい素のまま呆れた声色で呟く。
確かに若い時から競争社会を経験させておくのも良いとは言ったが、これはやりすぎだろう。
大学までは一般人と同じような生活をさせるという一ノ宮家の方針もあながち的外れではないのかもしれない。
現に忍はここの仕組みの意味も、遥のような一般人の考えも分かる人間になっているのだから。


「では中に…」


入りましょう、と宝条が言いかけた時電子音が鳴った。
どうやら宝条の携帯のようで、すみませんと遥に断りを入れて電話に出る。


「どうしました? …はい、…またですか。…私? 私は転入生の案内を…貴方も知っているでしょう。…いえ、ですから…」


少し困ったような表情と苛立ちを含んだ声色。
何やら問題が起こってしまったらしい。
遥は宝条の視線を受けて、どうぞとジェスチャーをした。
宝条は副会長であるし、いち生徒の自分の為に問題に対処出来ないという事態は避けたい。
忍の為に内情を探りに来たのに問題をそのままにさせるのは本末転倒である。
遥の行って良いという意図を察したのか、宝条は申し訳なさそうな表情をして電話の相手と少し言葉を交わした後電話を切った。


「すみません、緒方君。生徒会室に戻らなければならなくなってしまって…」
「いえ、気にしないで下さい。後は寮長に挨拶をするだけでしょう? 大丈夫です」
「本来なら寮長との仲介をしなければならないのに…」


心底申し訳なさそうな顔をして再び謝罪の言葉を口にする宝条に、笑顔を見せて大丈夫なことを伝える。


「寮長の部屋は二階の201号室です。緒方君の部屋も寮長が教えてくれると思います」
「はい、分かりました。ここまでの案内助かりました、ありがとうございました」
「いえ。ではまた…」
「あ、ちょっと待って下さい」


踵を返した宝条を遥は呼び止めた。
宝条は振り返って、何ですか? と首を傾げる。
遥は言わないでおこうと思っていたことを、宝条の大変そうな様子を見て口に出した。


「宝条君、顔」
「…顔?」
「無理して笑わなくても、良いんじゃないですか?」
「……っ!」


遥がそう言うと、宝条は息を呑んだ。
遥は最初に宝条を見た時から思っていたのだ。
無理して笑っているな、この子供は、と。
宝条はこの道中朗らかに笑みを見せてはいたけれど、笑いたくて笑っているわけではないのだ。
忍からの情報を断った為、宝条家というのがどのような家柄なのかは知らない。
しかし一ノ宮学園の生徒会副会長をしている生徒だ、きっと『笑顔』を見せなければならない状況に居るのだろう。


「笑顔を見せるな、とは言いません。でも大変な時は笑わなくて良いんですよ」
「お、がた、君…」
「貴方の周りには、笑っていないと離れてしまうような人ばかりですか?」
「…いいえ。ですが…」


この一ノ宮学園はお偉い方々の御子息が集まる学校。
誰かに指摘された所で、はい分かりましたと態度を急に変えることなど叶わない。
宝条が渋る理由を察した遥は、なら、と自身の胸に手を当てた。


「俺相手に試してみればどうです?」
「…え?」
「俺の親はー…まぁ、そこそこですし、俺自身宝条君が笑ってなくても気にしませんよ」
「緒方君を相手に、ですか…?」
「俺には無理して笑わなくて良いです」


遥が口の端を上げた瞬間、ざぁっと風が吹いた。
その時前髪の長いかつらで隠されていた眼鏡の奥の瞳が一瞬姿を現わす。
それは真っ直ぐで、力強くて──優しい光を宿していて。


「まだまだ子供なんだから、感情を素直に出して良いんだ」


学生で、子供であることを忘れるな。
二十二歳だからこそ言える言葉である。
風が止んで髪が瞳を覆い隠し、遥は、ではまたと頭を下げて寮へと入って行く。
その後ろ姿を、宝条は暫くの間じっと見詰めていた。
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