第二章

そして忍はバサッと紙を五枚広げた。
それは、一応形式上ね、と忍に言われて書いた遥の答案用紙だった。
あの酒を呑んだ状態で、一ノ宮学園の転校試験を受けさせられたわけだ。
しかしその全ての答案用紙に赤のインクで書かれていたのは100という数字だけだった。


「ハルはB組。頭的には文句なしのSクラスなんだけどなぁ…何と言っても超エリート大首席卒業だし。あ、クラスはS,A,B,C,D,E,Fの七クラス。S,Aは家柄と成績、B~Eは成績のみ、Fは素行の悪い生徒って感じで分けられてる」
「差別化、か?」
「うん…ごめん、気分悪いよね」
「いや、それが学園の方針なら文句を言う権利は俺には無い。今のうちから競争心を育むのは悪くないしな。だからお前が謝るな」
「…もうっ! どれだけモサッとしたオタクな外見でも漏れ出る男前オーラがツラい!!」
「オタクな外見っていう意識はあったんだな…」


忍のセンスを少々疑い始めていた遥だったが、どうやら杞憂のようだ。
それからね、と忍は封筒の中から他の資料を取り出す。


「一応生徒会役員と風紀トップ二人の簡単な情報を…」
「それは別に良い」
「えぇっ!? 相手知ってた方が良いでしょ」
「先入観持ったまま対面したくない」


紙の上の情報で固定観念を抱いてしまっては、公平で正当な観察が出来なくなってしまう。
それは忍の頼みを聞けなくなることに繋がる。
そう伝えると忍はむーっ、と眉根を寄せて唸った。
事前に情報を知ってほしい想いと、遥の正論──しかもそれが自分の為であるものの間で葛藤しているのだ。
しかし暫くしてから、忍は諦めたように息を吐いて資料を再び封筒の中に入れた。


「分かった、じゃあ今のハルのまま内情を探って」
「あぁ、了承した」
「それからこれ。ハル専用のカード」
「何に使うんだ?」
「寮での鍵とか、買い物する時はこれをかざして支払ったりする」
「ハイテクだな…」


掌に乗るサイズのカードをまじまじと見る。
詳しい使い方はこれを見てね、と紙を渡された。


「ここにはハルの個人情報とか入ってるから、なくさないようにね」
「どんな、個人情報だ?」
「緒方遥、十六歳、そこそこの企業社長の長男」
「立派な個人情報だな、それは」


名前しか合っていない。
二十二歳で一般家庭の出など、これを調べられても遥の正体には気付かれない。


「ちなみに食堂とか一ノ宮学園内でのハルの支払いは全部俺に来るようになってるから」
「そこまで世話になるつもりはない」
「いや、ここでの物価凄いからね。食堂とか二桁くらい違うから」
「…だが」
「まぁ、ハルなら渋るかなと思って別口契約ぅー」


じゃじゃーん、とビン底眼鏡ともっさもさの鬘を取り出した時と同じ口調で紙を机に置いた。
その紙の一番上には『契約書』と書かれていた。


「何だこれ」
「ハルの生徒としての情報はもう作った。だから次は大人のハルと仕事の契約」
「仕事?」
「そう。ハルを教職員として雇うことにする」
「…どういう意味だ」


生徒として内情を探るように言ったのは忍だ。
しかし教職員として雇うとは…矛盾してはいないだろうか。
遥と生徒と教師の一人三役ということか。
しかし忍は首を振る。


「教職員としての仕事はしなくて良い。ただ、『一ノ宮学園の教職員』だったっていう事実を作るだけ」
「何の為に」
「内情を探り終えて、ハルが何かに就職する時のメリットになるように」


にっこりと笑う親友に、遥は目を瞬かせる。
まさか先々のことまで考えてくれているとは思わなかった。
そんな思いを感じ取ったのか、忍は眉を下げる。


「俺の我儘でハルの道を変えてしまったから。俺はハルがこの先困らないように全力でサポートしていくつもりだよ」
「一ノ宮学園の教師ってことは…」
「相当のメリットになると思うよ。ハルは生徒として内情を探って俺に報告。そのお礼を教職員の給料としてそのカードに振り込む…って形」
「それなら…お前におんぶに抱っこってわけじゃなくなるのか」
「そういうこと。勿論外に出る時は現金を渡すから心配いらないよ」


勿論それも給料からね、と言う忍に納得した。
確かに仕事だな、これは。
遥はその契約書にサインをして、正式に一ノ宮学園教職員となる。
よし、と忍は満足げに頷いた。


「俺からは以上だよ。他に何か訊きたいことある?」
「俺に関して何か問題が起きた場合はどうなる」
「もしハルが問題を起こしたなら、他の生徒と同じ扱いになるよ。でも巻き込まれたり、理不尽なことには俺が首を突っ込む」
「それはマズいだろ…」
「マズくない。それが俺の責任の取り方だよ」


そこには忍の強い意志が感じられて、遥は口を閉ざした。
忍が強く自分で決めたことならば口を出す権利はない。
二人は立ち上がって扉へと向かう。


「後はまた副会長の宝条君について行ってね」
「あぁ」
「…頼んだよ、ハル」


笑みをなくした真剣な忍に、遥はふっと笑って頭を撫でてやる。
それを嬉しそうに受けて忍は遥の頬にキスをした。
目を瞬かせる遥に忍は、俺からの餞別だよと微笑んで扉を開ける。
外には宝条が待っていた。
直ぐさま理事長モードになった忍は、上品に笑みを浮かべる。


「じゃあ宝条君、またよろしくお願いするよ」
「はい、分かりました」
「では失礼します──理事長」


遥は忍に生徒として頭を下げて退室した。
その姿には全くの違和感がなく、宝条も何かに気付いた様子は一切ない。
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