第一章
「お母さん!! 見て、俺、最優秀で小学校卒業したよ!!」
ほら! と、少年は、今日の小学校の卒業式で表彰された、最優秀賞の賞状を母に見せる。
少年は文武で優秀な成績を6年間維持し続けた。
それが証明されたのだ。
しかし少年の表情は誇らしさではなく、どこか必死さを含んでいた。
少年の母はその賞状を一瞥して。
「………」
何も、言わず。
むしろ嫌な顔を浮かべさえして。
母の足に隠れて少年を見上げていた、少年より3つ下の男の子を、母は大事そうに抱え上げ。
その場を去ってしまった。
男の子は母の肩越しに少年を見つめたまま、角を曲がり少年の視界から消える。
それを最後まで見詰めて、少年はふっと笑顔を消した。
そして俯いて見るのは、煌びやかな賞状。
「また、見てもらえなかったなー…」
小さくそう呟いて、少年はくしゃりと賞状を握りしめる。
そのまま自室に戻り、ベッドにぼふんと寝転がった。
ふわふわな布団の上で、少年は賞状を指で弾いて床に落とす。
「なんで、お母さんは俺を見てくれないんだろう…」
先程の母の目。
嫌悪、もしかしたら、憎悪、まで行くかもしれない。
ぐるんと寝返りを打って天井を見つめる。
「お母さんは、静の方が好きなんだろうなー…」
シズ。しずか。静佳。
先程母に大事に抱えあげられていた、少年の弟。
男の子は母に似ると言うけれど、確かに静佳は母に似ていた。
なのに自分は母に似ていない。
父に似ているかと言われても、かろうじて、という顔立ちだ。
下の子ばかり構ってお兄ちゃんは赤ちゃん返り。
昔はそんなこともあったけれど。
ついぞ母の目がこちらを向くことはなかった。
「…まー、いつものことだけど。そうだ、お父さんにも見せてみようかな」
少年の父は大手不動産会社の代表取締役であった。
多忙であり、きっとまだ帰ってはいないだろうけど。
賞状を父の書斎に置いておけば、いつかは見てくれるかもしれない。
少年は床に落とした賞状を拾い上げ、部屋を出る。
父も父で、少年に対してどこか壁があった。
罪悪感のような、申し訳なさそうな、触らぬ神に、というような。
腫れものに触るような、態度。
それでも、見たぞ、の一言を期待して、少年は父の書斎に足を踏み入れる。
「ここに置いておけば見てくれる、かなー」
少年は沢山の書類や本が積まれている机に賞状を置いた。
その時、何故か。
ふと、引き出しから少しはみ出ている紙のようなものが、目に入った。
入ってしまった。
少年は、特に何も考えず。
ただはみ出ていたから引っ張っただけだと言うように、その紙を引っ張り出す。
「なんだ、写真、か……、……?」
何かの書類だと思っていたものは、小さな一枚の写真であった。
少年はその写真を見て、あれ、と首を傾げる。
「お父さんと……誰…?」
若いけれど父と分かる男性一人と。
その隣に女性。
そして、その女性に抱きかかえられている赤ん坊が、一人。
どうして"お母さん"じゃない女の人と写真に写っているんだろう。
それ以外の疑問を持たず、写真をくるりと裏返して目を見張る。
そこには、父の名、優奈というきっとこの女性の名前。
そして、和樹、と。
自分の名前が、記されてあった。
「和樹…綾部、和樹…俺の名前………」
小学6年生。
ある程度のことが分かってきている年頃。
そして彼は、最優秀賞を授与された秀才であった。
それ故に、思い至ってしまう。
「お母さんは、俺のお母さんじゃなくて…この人が、俺の、本当の…、…っ!!」
いけない、と。
それだけが頭に浮かび、その写真を机の引き出しに戻して転がるように書斎から飛び出した。
そしてバタン、と自室の扉を閉めて、ずるずると座り込む。
声を出さないように、荒い息を隠すように、口元を覆いながら。
「俺、お母さんの、本当の子どもじゃなくて、あの人の、優奈って人の、子ども…っ」
思い返せば、写真の優奈という女性に、今の自分はどことなく似ている気がする。
それに、そうならば全てに納得がいくのだ。
母のあの冷淡な態度。
腫れものに触るかのような父。
あまり関わらせないようにされている弟。
顔を合わせてもらえない、親戚の人たち。
それは自分が、違う女性の子どもだから。
「なんだそれ、なんだそれ…っ!」
そうならば、自分の努力ではどうにもならないことではないか。
それで嫌われて憎まれているのなら、自分が頑張ってもむしろ神経を逆撫でしているだけではないか。
だって、違う女性の子なのだから。
静佳だけが、本当の子どもなのだから。
「……っ」
少年は──綾部和樹は扉の前で、声を殺して涙を流した。
これが彼が受けた、一つ目の裏切り。