空獄SS詰め②
昼頃にもなれば太陽も天辺に昇りアスファルトを焦がすように照らす。今日は午前中で仕事を終わらせ、その帰りがけ世話になっている寺へ向かった。
いつも通り手土産の饅頭を住職に手渡し世間話を楽しむ。戸口に俺と住職の笑い声が響くとそれを聞き付けてかこちらに向かって真っ直ぐに駆けてくる足音が迫ってくると山ほど並ぶ紙障子の一つがスパン!と開いた。
「やっぱりいた。親父、獄連れていくかんな!」
「あれほど廊下は走るなと、障子は優しく開けろと言ったのにまだわからんのかバカ息子め。話は済んだから良いがあまり天国君を困らせるなよ」
自分抜きで話が進んでいく。なんて勝手な親子だ…。
そう頭の片隅で考えていると「早く来い」と急かされた。
逆らうとまたぎゃあぎゃあ言われるんだろうなと仕方なしに自分より小さい背中を渋々追う。
長い廊下を抜け離れの縁側に座り込むと乱暴にコップを渡される。俺の手にそれが渡るとガラスの縁に当たった氷がカラン、涼しげな音を響かせた。
それから十四は元気にしているか、とか。次はいつミーティングするか、とかなんとかチームメイトらしい会話を交わしていた。途中、よく冷えた麦茶を喉に流しひんやりとした感覚を楽しむ。
「なあ獄、毎日暑くて嫌になるだろ。涼を得られるいい所があるぜ、見に行かねえか」
「ここも十分に涼しいだろ」
「うちの裏山に穴場があんだよ」
こちらがまだ行くとも言っていないというのに空却はさっさと重たい僧衣を脱いでしまい麻と綿を寄り縫わせたゆったりとしたシャツに頭を潜らせだぼっとしたタイパンツに脚を遠し腰辺りで紐を結んだ。気付けばもうすっかり動きやすい服装に落ち着いていてしまった。
「じゃあ行くぞ」
「お前は勝手な奴だな…」
寺の裏口に靴を運び地に足を付けるとすぐさまにここらの林は入り組んでいるからと、力強く手を握られ木々の間を縫うように進んでいく。
ふと頭上を見上げると、背の高い杉を取り囲むように並んだ竹林を風が擽りさらさらと鳴いて耳障りの良い音色を奏でる。それが妙に心地よく思わず目を細めてしまう。俺の右手をしっかと握っているこのちいさな男もこの音色に酔っているのだろうか、口許を僅かに綻ばせているようにも見える。
そのまま何分か歩いていくと少し拓けた場所に出た。
「こんな所があるなんて知らなかった」
「たりめえよ、寺の案内図にも観光ガイドにも載ってねえ穴場なんだからよ。」
なかなかに上等な景色だろ?
その言葉を受けて景色を見渡すと林の中央に透き通った濁りのない池を見つけた。木々の間から射し込んだ光がきらきらと水面を照らし遠く見える青い空とのコントラストが美しい。
「『これ』はその日の空によって色を変える。曇りならば青く、快晴ならば透いた緑色に。」
まさに今日は天の光がよく輝いている日であったので池は周りの自然をインクに変えたが如く透き通った孔雀色に染まっていた。
「たしかに、涼しげで綺麗だな。ここ」
「だろ?ここは拙僧しか知らない場所なんだよ、拙僧以外にこれを見せたのはお前が初めてだ」
そう言うと空却はうっすら汗が滲んでいる睫毛を二、三度瞬かせて握っていた手をそっと離した。
手ぶらになった空却はそのまま池へと足を進めるとにわかに座り込み水面へと手を差し入れるとくるくる円を描くようにかき混ぜる。
「見てみろ、虹鱒の赤ん坊が泳いでんぞ」
「どれだ」
ここ、ここと後ろ手にこちらを手招く。赤い頭の後ろから身を乗り出して共に眺めると涌き出る清水の周りを小魚が気持ち良さそうに遊泳していた。
「こんな所にも仏さんはいのちを与えてくれる、だからここは美しい。そして涼しくて気持ちいいしサボってても親父に見つからねえ!」
確かにその通りだと思った。小さな池の中で巡り廻る生命の姿はとても綺麗だった…だけどお前の本音は最後のがメインだろ。
「なあきれいだろ獄」
「まあな、良いもん見れた。お前がこういう景色に惹かれてるなんて意外だったけどな」
「おいおい失礼だぜそれは。」
俺の軽口にひひ、と歯を見せて笑う。俺も釣られて微笑むと空却はふと面持ちを真面目な物に変え。
「拙僧はここの緑が一等好きでな」
確かに聞かせるよう、こちらをまっすぐに見据える。
「お前の瞳はこれによう似てる」
場が静まる。
なにかを見越すような声色と表情に先程まで耳を擽っていた風の音色や清水の流れる声も聴こえない。心臓が逸る。どうして。
こいつは池の緑が俺の目に似ていると伝えただけだろう?何故そんなに心乱す必要がある。落ち着け、落ち着け。
何かを勘違いしようとする自分の鼓動を落ち着かせようと視線をあっちこっちへ動かしているのを見て、心音の原因の男はすっと立ち上がり真面目な表情はそのままにこちらを未だ見続けていた。
「言いたいこと、わかったか?」
何を言うか、何一つわからん。
わかったとしてもそれを認めてしまえるほど世間や俺の凝り固まった常識は柔く出来ていない。
「まあ今はわかんなくてもいいわ、今日はこれ見せに連れて来れただけでも良かった。」
戻るぞ、と再びこちらに手のひらを伸ばす。
「か、帰りは繋がなくても大丈夫だろ」
「なに言うとる、そんなアワ食ったままの人間そのまま歩かせたら迷子になっちまうだろ」
「誰のせいだと」
「さてなア、誰のせいかなんてさっぱりわからんわ」
こちらの動揺を全て見抜いたようにカラカラ笑うと有無を言わさず手を取られる。
ひやりとした冷たい手の感覚に対して俺の手ばかりがやけに熱く感じた。もう手の熱さばかりは誤魔化せないようだ、どうかこれを笑ってくれるなよ。
帰り道は行きよりもずっと短く感じた。
元の場所に戻ると日は既に夕陽へと姿を変え寺を橙色に染めていた。
途中、こいつの突拍子もない発言に動揺したりもしたがとても良いものを見れた気がする。
竹林の涼しげな風音や透明なみどりの水面を瞬きの合間思い描くとそれだけで心地良い。
「なあ獄、今日は泊まってかねえの」
「ばか、明日も仕事だ」
先程まであんなにこちらの心を見透かすような顔をしていた男が子供のようにぶすくれる。
「…また来いよ」
あいよ、と軽く応えるとまた平常のようにギザついた歯を見せてにかりと笑った。
そのまま別れの挨拶も済ませ、駐車場に向かおうとすると後ろの方から「おい!!」とこちらを空却が呼び止めた。
「好きな場所に好いた男が佇んでいる。これ以上無いくらい良い光景だったぜ!!」
いつも通り手土産の饅頭を住職に手渡し世間話を楽しむ。戸口に俺と住職の笑い声が響くとそれを聞き付けてかこちらに向かって真っ直ぐに駆けてくる足音が迫ってくると山ほど並ぶ紙障子の一つがスパン!と開いた。
「やっぱりいた。親父、獄連れていくかんな!」
「あれほど廊下は走るなと、障子は優しく開けろと言ったのにまだわからんのかバカ息子め。話は済んだから良いがあまり天国君を困らせるなよ」
自分抜きで話が進んでいく。なんて勝手な親子だ…。
そう頭の片隅で考えていると「早く来い」と急かされた。
逆らうとまたぎゃあぎゃあ言われるんだろうなと仕方なしに自分より小さい背中を渋々追う。
長い廊下を抜け離れの縁側に座り込むと乱暴にコップを渡される。俺の手にそれが渡るとガラスの縁に当たった氷がカラン、涼しげな音を響かせた。
それから十四は元気にしているか、とか。次はいつミーティングするか、とかなんとかチームメイトらしい会話を交わしていた。途中、よく冷えた麦茶を喉に流しひんやりとした感覚を楽しむ。
「なあ獄、毎日暑くて嫌になるだろ。涼を得られるいい所があるぜ、見に行かねえか」
「ここも十分に涼しいだろ」
「うちの裏山に穴場があんだよ」
こちらがまだ行くとも言っていないというのに空却はさっさと重たい僧衣を脱いでしまい麻と綿を寄り縫わせたゆったりとしたシャツに頭を潜らせだぼっとしたタイパンツに脚を遠し腰辺りで紐を結んだ。気付けばもうすっかり動きやすい服装に落ち着いていてしまった。
「じゃあ行くぞ」
「お前は勝手な奴だな…」
寺の裏口に靴を運び地に足を付けるとすぐさまにここらの林は入り組んでいるからと、力強く手を握られ木々の間を縫うように進んでいく。
ふと頭上を見上げると、背の高い杉を取り囲むように並んだ竹林を風が擽りさらさらと鳴いて耳障りの良い音色を奏でる。それが妙に心地よく思わず目を細めてしまう。俺の右手をしっかと握っているこのちいさな男もこの音色に酔っているのだろうか、口許を僅かに綻ばせているようにも見える。
そのまま何分か歩いていくと少し拓けた場所に出た。
「こんな所があるなんて知らなかった」
「たりめえよ、寺の案内図にも観光ガイドにも載ってねえ穴場なんだからよ。」
なかなかに上等な景色だろ?
その言葉を受けて景色を見渡すと林の中央に透き通った濁りのない池を見つけた。木々の間から射し込んだ光がきらきらと水面を照らし遠く見える青い空とのコントラストが美しい。
「『これ』はその日の空によって色を変える。曇りならば青く、快晴ならば透いた緑色に。」
まさに今日は天の光がよく輝いている日であったので池は周りの自然をインクに変えたが如く透き通った孔雀色に染まっていた。
「たしかに、涼しげで綺麗だな。ここ」
「だろ?ここは拙僧しか知らない場所なんだよ、拙僧以外にこれを見せたのはお前が初めてだ」
そう言うと空却はうっすら汗が滲んでいる睫毛を二、三度瞬かせて握っていた手をそっと離した。
手ぶらになった空却はそのまま池へと足を進めるとにわかに座り込み水面へと手を差し入れるとくるくる円を描くようにかき混ぜる。
「見てみろ、虹鱒の赤ん坊が泳いでんぞ」
「どれだ」
ここ、ここと後ろ手にこちらを手招く。赤い頭の後ろから身を乗り出して共に眺めると涌き出る清水の周りを小魚が気持ち良さそうに遊泳していた。
「こんな所にも仏さんはいのちを与えてくれる、だからここは美しい。そして涼しくて気持ちいいしサボってても親父に見つからねえ!」
確かにその通りだと思った。小さな池の中で巡り廻る生命の姿はとても綺麗だった…だけどお前の本音は最後のがメインだろ。
「なあきれいだろ獄」
「まあな、良いもん見れた。お前がこういう景色に惹かれてるなんて意外だったけどな」
「おいおい失礼だぜそれは。」
俺の軽口にひひ、と歯を見せて笑う。俺も釣られて微笑むと空却はふと面持ちを真面目な物に変え。
「拙僧はここの緑が一等好きでな」
確かに聞かせるよう、こちらをまっすぐに見据える。
「お前の瞳はこれによう似てる」
場が静まる。
なにかを見越すような声色と表情に先程まで耳を擽っていた風の音色や清水の流れる声も聴こえない。心臓が逸る。どうして。
こいつは池の緑が俺の目に似ていると伝えただけだろう?何故そんなに心乱す必要がある。落ち着け、落ち着け。
何かを勘違いしようとする自分の鼓動を落ち着かせようと視線をあっちこっちへ動かしているのを見て、心音の原因の男はすっと立ち上がり真面目な表情はそのままにこちらを未だ見続けていた。
「言いたいこと、わかったか?」
何を言うか、何一つわからん。
わかったとしてもそれを認めてしまえるほど世間や俺の凝り固まった常識は柔く出来ていない。
「まあ今はわかんなくてもいいわ、今日はこれ見せに連れて来れただけでも良かった。」
戻るぞ、と再びこちらに手のひらを伸ばす。
「か、帰りは繋がなくても大丈夫だろ」
「なに言うとる、そんなアワ食ったままの人間そのまま歩かせたら迷子になっちまうだろ」
「誰のせいだと」
「さてなア、誰のせいかなんてさっぱりわからんわ」
こちらの動揺を全て見抜いたようにカラカラ笑うと有無を言わさず手を取られる。
ひやりとした冷たい手の感覚に対して俺の手ばかりがやけに熱く感じた。もう手の熱さばかりは誤魔化せないようだ、どうかこれを笑ってくれるなよ。
帰り道は行きよりもずっと短く感じた。
元の場所に戻ると日は既に夕陽へと姿を変え寺を橙色に染めていた。
途中、こいつの突拍子もない発言に動揺したりもしたがとても良いものを見れた気がする。
竹林の涼しげな風音や透明なみどりの水面を瞬きの合間思い描くとそれだけで心地良い。
「なあ獄、今日は泊まってかねえの」
「ばか、明日も仕事だ」
先程まであんなにこちらの心を見透かすような顔をしていた男が子供のようにぶすくれる。
「…また来いよ」
あいよ、と軽く応えるとまた平常のようにギザついた歯を見せてにかりと笑った。
そのまま別れの挨拶も済ませ、駐車場に向かおうとすると後ろの方から「おい!!」とこちらを空却が呼び止めた。
「好きな場所に好いた男が佇んでいる。これ以上無いくらい良い光景だったぜ!!」