お揃いのマグカップ(須貝駿貴)
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誰が予想しただろう。
自分の居場所が突如なくなって、
友人も愛する人も何もかも奪われる。
縋れば縋るほど遠くなる。
私が何かした?
「おまえさぁ、いつまでこのマグ使ってんの?気持ちわる。
俺はとっくの昔に捨てた。」
談笑する声が向こうから聞こえてくる。
そんなものをかき消すようにはっきりとした声が上からする。
愛する彼は、私のパソコンの横に置かれた空のマグカップを持ち上げて、
心底いやそうに声を発した。
赤いマグカップ。
付き合いたての頃にお揃いで買ったマグカップ。
今の彼には何を言っても聞いてもらえないし、
好感度なんて下がる一方。
ちらりと目線だけやってまたパソコンの画面に視線を移す。
それに腹を立てたのか「おい、」と一段低い声が降る。
「ねーぇ、そんなとこいないで、駿貴もあっちいこーよ。」
「あっ、」
そんな彼をタイミングがいいのか悪いのか小柄な彼女が連れてってしまう。
最悪だ。ほんとに。
私の愛した人は別な女をかばって慰めて抱きしめて。
喉が渇いたのに愛用しているマグカップは持っていかれた。
適当にグラスでも借りるか。
「これ捨てとけよ!」
振り向きがてら投げられたマグカップ。
丁度立ち上がった私。
タイミングが悪かった。
それなりの速度で飛んできたマグカップは、
鈍い音を立てたのち、床に落ちて割れた。
「い゛った…、」
球技で顔面にボールを食らう勢いだ。
速度がそんなになかったのがせめてもの救い。
じゃなかったら確実に流血ものだ。
「えっ…あっ…」
さすがの彼も、驚いたのか口は動くが声は出なかったようだ。
少しくらくらする。でも吐き気はしない。
念のため近くの病院に行くか。
いや、なんて言う?
マグカップが側頭部に当たるなんて普通の生活でまずない。
下手したら傷害罪。
めまいがして電柱に頭をぶつけました。
よし、これで行こう。
頭を抱えて立ち上がり、
鞄を掴んで「…それじゃ、帰るんで…」と一言。
タクシーでも拾おう。
「美緒っ、お、俺も行くから待ってろっ…、」
バタバタと荷物をまとめ上げている彼に一言。
「あぁ…心配しなくても、
マグカップが当たったなんて言わないので。
いいです、1人で。」
心配してるのは私じゃなくてそこでしょ。
そういうと動きがぴたりと止まる。
図星。
分かりやす。
そのままオフィスを出てタクシーを捕まえる。
病院に行くと検査と経過観察で3日ほど入院ということ。
「あーあ、疲れた。」
病室のベッドに寝ころんだまま窓の外を眺める。
カーテンは風に吹かれてパタパタと動き、
空はもうオレンジ色になっていた。
哀しくない。
左の頬をそっと撫でる。
彼は私の頬を柔らかいから好きとよく触っていた。
でも彼女が彼に泣きついた日、私が必死に抵抗すると、彼は思いきり私の頬を叩いた。
腫れた頬はもう治ったが、あの日を私は忘れていない。
彼女の笑顔と彼の嫌悪の顔と。
社長は明らかにあちら側なのに私を解雇しない。
私が他の人より仕事ができるから。
使えるからそっと置いておく。
辞められると困るから。
「…悲しくない。」
言い聞かせるように呟く。
「…けど、辛い。」
別の人に愛しい目を向ける彼を見つめるのが辛い。
優しく触れる手を見るのが辛い。
勝ち誇ったようにこちらを見る彼女を見るのが辛い。
彼の隣に居られないのが辛い。
「辞めよう、」
辞めよう。
もっと早くこうすればよかった。
縋りついて諦めきれなくて居座ってたけど、
もう限界だ。
もう諦めよう。
さよなら愛しかった人。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
退院後すぐ、大き目のバッグをもってオフィスに向かう。
そこに置いてあるデスク周りの物を回収するためだ。
「おはよーございます、」
ガチャリとドアを開けるとオフィスにいる人間が気まずそうにこっちを見てくる。
なにその顔。
ぐるりと見渡すといつもいる彼女はいない。
「あ、伊沢さんコレどうぞ。」
風呂敷に包んだ菓子折りと、風呂敷の結び目に挟んだ辞職届。
「ご迷惑をおかけしまして。
それで、本日付けで辞めさせてください。」
「は…?」
「え…?」
目を丸くして驚く伊沢さんに私も疑問符が飛ぶ。
いや、いやいやいや。
想定内でしょ?
いつか辞めると思ってたでしょ。
「あ…てことで、この辺の物回収していくので。
もし何か忘れ物あっても捨てて大丈夫なんで。」
そう告げて黙々と鞄に道具を詰めていく。
ひざ掛けにクッションに、彼に貰ったものばっかりだな。
するとバタバタと廊下から走ってくる音。
大きな音を立てて扉を開けたのは彼だった。
私のもつ大きなバッグと、さっぱりとしたデスクを見て目を見開く。
「美緒、」
「おはようございます。では、皆さんお世話になりました。」
隣を横切ろうとすると腕を掴まれる。
「辞めるのか…?」
「辞めたんです。辞表なら伊沢さんに渡しました。」
「美緒、」
「嬉しいでしょ。
目障りだった女が居なくなって、」
自分で言っておいて結構ぐさりと来るな。
「美緒!」
腕を強く掴まれる。
「…今更名前なんか呼んで、なんのつもりですか。」
「ごめん、」
「…はい?」
「美緒のこと信じなくてごめん。」
「…なんで今…?」
あんなに、あんなに訴えて信じてもらえなくて、
大好きなあなたが他の女を抱きしめる様子を見つめるしかなくて。
このまま早く出て行けと、
二度と自分の前に現れるなと言ってよ。
なんで今、そんなこというの?
「…ははっ…やっと気づいたの?
あの女、私が入院して怖気づいたんだ?
逃げ出したんだ、ここから。」
部屋にいる面々の顔を見るとそうだと言わんばかりに目を逸らされる。
「っ…図星かよ。」
私の腕をつかむ彼を振り払う。
今許したら前みたいに戻れる?
そんなわけない。
私も、私以外も辛いだけ。
「もう、戻れません…。
さよなら。」
「待って、美緒、」
「だから、なんで名前で呼ぶの!?
もう呼ばないで!早くっ…、早く忘れたいんだから!」
視界が霞む。
最悪。
全部全部この人のせいだ。
大っ嫌い。
「っ…あんたなんかっ…大嫌いなんだからっ…!」
バタンと玄関を閉める。
もう誰も追ってこない。
大丈夫。苦しいのは今だけだから。
大丈夫。
「…大丈夫…、」
*Fin*
自分の居場所が突如なくなって、
友人も愛する人も何もかも奪われる。
縋れば縋るほど遠くなる。
私が何かした?
「おまえさぁ、いつまでこのマグ使ってんの?気持ちわる。
俺はとっくの昔に捨てた。」
談笑する声が向こうから聞こえてくる。
そんなものをかき消すようにはっきりとした声が上からする。
愛する彼は、私のパソコンの横に置かれた空のマグカップを持ち上げて、
心底いやそうに声を発した。
赤いマグカップ。
付き合いたての頃にお揃いで買ったマグカップ。
今の彼には何を言っても聞いてもらえないし、
好感度なんて下がる一方。
ちらりと目線だけやってまたパソコンの画面に視線を移す。
それに腹を立てたのか「おい、」と一段低い声が降る。
「ねーぇ、そんなとこいないで、駿貴もあっちいこーよ。」
「あっ、」
そんな彼をタイミングがいいのか悪いのか小柄な彼女が連れてってしまう。
最悪だ。ほんとに。
私の愛した人は別な女をかばって慰めて抱きしめて。
喉が渇いたのに愛用しているマグカップは持っていかれた。
適当にグラスでも借りるか。
「これ捨てとけよ!」
振り向きがてら投げられたマグカップ。
丁度立ち上がった私。
タイミングが悪かった。
それなりの速度で飛んできたマグカップは、
鈍い音を立てたのち、床に落ちて割れた。
「い゛った…、」
球技で顔面にボールを食らう勢いだ。
速度がそんなになかったのがせめてもの救い。
じゃなかったら確実に流血ものだ。
「えっ…あっ…」
さすがの彼も、驚いたのか口は動くが声は出なかったようだ。
少しくらくらする。でも吐き気はしない。
念のため近くの病院に行くか。
いや、なんて言う?
マグカップが側頭部に当たるなんて普通の生活でまずない。
下手したら傷害罪。
めまいがして電柱に頭をぶつけました。
よし、これで行こう。
頭を抱えて立ち上がり、
鞄を掴んで「…それじゃ、帰るんで…」と一言。
タクシーでも拾おう。
「美緒っ、お、俺も行くから待ってろっ…、」
バタバタと荷物をまとめ上げている彼に一言。
「あぁ…心配しなくても、
マグカップが当たったなんて言わないので。
いいです、1人で。」
心配してるのは私じゃなくてそこでしょ。
そういうと動きがぴたりと止まる。
図星。
分かりやす。
そのままオフィスを出てタクシーを捕まえる。
病院に行くと検査と経過観察で3日ほど入院ということ。
「あーあ、疲れた。」
病室のベッドに寝ころんだまま窓の外を眺める。
カーテンは風に吹かれてパタパタと動き、
空はもうオレンジ色になっていた。
哀しくない。
左の頬をそっと撫でる。
彼は私の頬を柔らかいから好きとよく触っていた。
でも彼女が彼に泣きついた日、私が必死に抵抗すると、彼は思いきり私の頬を叩いた。
腫れた頬はもう治ったが、あの日を私は忘れていない。
彼女の笑顔と彼の嫌悪の顔と。
社長は明らかにあちら側なのに私を解雇しない。
私が他の人より仕事ができるから。
使えるからそっと置いておく。
辞められると困るから。
「…悲しくない。」
言い聞かせるように呟く。
「…けど、辛い。」
別の人に愛しい目を向ける彼を見つめるのが辛い。
優しく触れる手を見るのが辛い。
勝ち誇ったようにこちらを見る彼女を見るのが辛い。
彼の隣に居られないのが辛い。
「辞めよう、」
辞めよう。
もっと早くこうすればよかった。
縋りついて諦めきれなくて居座ってたけど、
もう限界だ。
もう諦めよう。
さよなら愛しかった人。
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退院後すぐ、大き目のバッグをもってオフィスに向かう。
そこに置いてあるデスク周りの物を回収するためだ。
「おはよーございます、」
ガチャリとドアを開けるとオフィスにいる人間が気まずそうにこっちを見てくる。
なにその顔。
ぐるりと見渡すといつもいる彼女はいない。
「あ、伊沢さんコレどうぞ。」
風呂敷に包んだ菓子折りと、風呂敷の結び目に挟んだ辞職届。
「ご迷惑をおかけしまして。
それで、本日付けで辞めさせてください。」
「は…?」
「え…?」
目を丸くして驚く伊沢さんに私も疑問符が飛ぶ。
いや、いやいやいや。
想定内でしょ?
いつか辞めると思ってたでしょ。
「あ…てことで、この辺の物回収していくので。
もし何か忘れ物あっても捨てて大丈夫なんで。」
そう告げて黙々と鞄に道具を詰めていく。
ひざ掛けにクッションに、彼に貰ったものばっかりだな。
するとバタバタと廊下から走ってくる音。
大きな音を立てて扉を開けたのは彼だった。
私のもつ大きなバッグと、さっぱりとしたデスクを見て目を見開く。
「美緒、」
「おはようございます。では、皆さんお世話になりました。」
隣を横切ろうとすると腕を掴まれる。
「辞めるのか…?」
「辞めたんです。辞表なら伊沢さんに渡しました。」
「美緒、」
「嬉しいでしょ。
目障りだった女が居なくなって、」
自分で言っておいて結構ぐさりと来るな。
「美緒!」
腕を強く掴まれる。
「…今更名前なんか呼んで、なんのつもりですか。」
「ごめん、」
「…はい?」
「美緒のこと信じなくてごめん。」
「…なんで今…?」
あんなに、あんなに訴えて信じてもらえなくて、
大好きなあなたが他の女を抱きしめる様子を見つめるしかなくて。
このまま早く出て行けと、
二度と自分の前に現れるなと言ってよ。
なんで今、そんなこというの?
「…ははっ…やっと気づいたの?
あの女、私が入院して怖気づいたんだ?
逃げ出したんだ、ここから。」
部屋にいる面々の顔を見るとそうだと言わんばかりに目を逸らされる。
「っ…図星かよ。」
私の腕をつかむ彼を振り払う。
今許したら前みたいに戻れる?
そんなわけない。
私も、私以外も辛いだけ。
「もう、戻れません…。
さよなら。」
「待って、美緒、」
「だから、なんで名前で呼ぶの!?
もう呼ばないで!早くっ…、早く忘れたいんだから!」
視界が霞む。
最悪。
全部全部この人のせいだ。
大っ嫌い。
「っ…あんたなんかっ…大嫌いなんだからっ…!」
バタンと玄関を閉める。
もう誰も追ってこない。
大丈夫。苦しいのは今だけだから。
大丈夫。
「…大丈夫…、」
*Fin*
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