⑦入寮~
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──時は少し戻り、家庭訪問を終えた日の夜。世間にとってはささやかな出来事で、俺にとっては重大な事件が起きた。
各生徒の家庭訪問での移動やら説明やらですっかりくたびれて疲れてしまった俺はもうなんとしてでも寝たかった。
飯なんて食ってられるかというところまで来ている。
「くそねむい」
あまりにも疲れすぎて玄関の廊下の床で仰向けに転がり、靴を足だけで脱ごうとしたが、やがて力尽きて脱ぐことを諦めた。
これでも半分は脱げてるのだから褒めて欲しいくらいだと脳内で考える。普段ならそんなこと考えないがそれくらい疲れてるから許して欲しい。………俺は誰に許しを求めてるんだ?
とりあえず飯はいいから早く脱いで俺はさっさと着替えて寝ろ。と心の中で唱えたが、まるで空から降りかかるような疲れがひどく重い。動けない。
「せめてアラーム…」
最後の妥協として、端末を取り出してアラームをセットすると、すぐに俺は力が尽きてごとりと手からこぼれ落として目を閉じた。
すぐに意識は重い毛布に包まれるようにして、奥深いところまで沈んでゆく。その時うっすらと海中にでも沈んだかのような音が聞こえた気がした。
*
「…て、起きて」
暫くして、俺に声をかける声がうっすらと聞こえてきて意識が眠りの世界から浮上していく。
誰だ勝手に部屋に入ったの。アラームかけてるんだから起こすな。
「ねぇ起きて、消さん!」
「!?」
大きな声と名前の呼び方に驚いて起きると、いつの間にか俺はベッドで眠っていた。
そしてそんな俺の顔を覗き込むようにして起こしに来た女はとても見覚えのある人物で。
「澪、なんで…ここに」
「え?だって消さん一時間後に起こしてって言ったじゃん」
「…は?」
この状況、どうなってんだ。
どうしてそうなったのか思い出すこともなければ思い当たるものもなかった。
更に言えば寝ている場所も廊下ではなく見知らぬベッドで、それもおかしい。
いつもよりも目を開いて見ていれば、澪はそれがおかしいのか俺のその顔をカメラに収めていた。
にゃろう、と思い顔面を掴んでやめさせようとと思ったが、距離感を間違えたのか澪の顔を手前で宙をかいてしまい、掴み損ねる。
それに違和感を覚えながらも今度は澪の頭に置いてから顔面に手を滑らせた。
「や、め、ろ」
「あだだだだっごめんて!つい良い顔してたもんだからさ!」
顔面を掴んでグッと力を入れると、騒ぎながらジタバタと暴れるコイツの反応は澪本人そのものだった。
まぁ、変なことは言っている自覚はある。ただ偽物と疑うのは難しいだろう。
「ん…お前ピアスなんてしてたか?」
「へ?そりゃしてるよ。だってこれ万が一の時の身元判明用のだもん……って」
顔から手を離した時に初めて耳元のピアスに気付き、顔を近づけて確認しながら聞いてみれば澪はキョトンとしながらもサラリと結構な事を説明してきた。
だがこちらが驚くべき展開なのに、澪の方が先に勢いよく驚いて俺の肩を掴んできた。
大きく揺られながらも怪訝そうな顔をして見れば、澪もまた深刻そうな表情を浮かべて動揺している様だった。
「消さん今日どうしたの!頭でも打った?!エイプリルフールじゃないのにそんな手の込んだ嘘つくなんてサムイだけだよ!」
「打ってないしわからないから聞いてるだけだ。そんな非合理的なやりとりはしないってわかってるだろ」
そんなやり取りをしながらゴシゴシと先ほどから見えづらい右目を擦るが、どうも見える気配がしない。
どうせ目ヤニかなんかだろう、と思ったが右目の視界は変にぼやけたままで、ほとんどが見えない。眼疲労だろうか。
「なぁ、それよりも近所に眼科ってあるか?」
「眼科?どうしてさ」
「右目が見えにくいんだ」
目の事を話すと、ピリ、と空気が途端に張り詰めた。
何だ、と思い澪の方を見れば、今まで見たことのない怒りと悲しみを混ぜたような、複雑な表情を浮かべている。
「……ちょっと、その冗談は笑えないんだけど」
「冗談?ンなわけないだろ。もういい、自分で探す」
「ちょ、ちょっと待って!消さ…貴方、本当に消さんなの?」
「どういうことだ?俺は俺だ。というかお前こそどうなんだ?学生なのにピアスもしてるし…」
「だってこれ着けろって言ったの消さ………」
「俺?俺はそんなこと一言も「ちょっと待って!学生って何!?え!?…っあーー!?そうか、そういうことか…だから消さん……あああなるほど」
「おい、帰ってこい。一人で解決するな」
揺らす手をひっぺ返してやれば澪は大きなため息を吐いて、うんざりしたように左手で額を抑えながらこちらを見た。
ちょっと待て。お前その左手の薬指の指輪はなんだ。………なんだ?
「解決っていうか。消さん…じゃあ貴方はまだ…ああ…やだな、今度は私の番なの?」
泣きそうな顔で下唇をキュ、と噛んだ澪はすぐに後ろを向いた。
小さいとは思っていたが、こんなに華奢だったろうか。
「鬱陶しいな…回りくどいぞ」
先ほどの指輪にも気を取られつつもなんとか話を進めるが、振り返った澪の表情はとてもじゃないが良いとはいえず、なんだったら若干顔が青い。
澪はよし、と言うと一度寝室らしきこの部屋から出て行き、戻ると片手鍋を持って仁王立ちで威勢よく戻ってきた。
「騒がしいな…というか何で鍋持ってきた。どうした」
「…消さん。私も、消さんと同じ選択をするよ。わかってて言わないって選択肢を選ぶ。だってそれが、きっと消さんを肯定することになるから」
「は?何を言って…「消さん!今から私、“コッチ”の消さん取り戻すために、殴らなきゃいけないから覚悟してね!」
「あ、おい待て。お前やめろ!ちょっと待てその鍋を振り上げるな!」
「個性使ってないだけマシだと思ってね!!グッバイ昔の消さん永久にーっ!!!」
ふんっ、と鍋でこちらに殴りかかる瞬間、俺はその攻撃に対処しようとすれば不思議と衝撃は来ずに俺は飛び起きた。
「………なんで、飛び起きてんだ」
自分の行動に本気で混乱していれば、うっすらと寒い見覚えのある狭い廊下に自分の家だと思い出す。
飛び起きたもんだから体を壁に打ち付けてしまい、微妙にダメージを食らった背中をさすりながら端末の電源を入れるとる午前二時ぴったりを表示していた。
「夢?」
ぼんやりと先程までの光景を思い出していく。
夢の中の弟子はあまり変わらないものの、少しばかり大人びた表情をしていた。
そして澪が顔を覆った時に見た薬指の指輪を思い出し、なんてものを見てしまったんだと溜息を吐いた。
状況からして多分アレは、俺と結婚している。
「……願望丸出しな夢見てんな」
今回の件では本当に生きててくれてよかったと思った。
が、しかしなんだこの状況は。俺はどんな精神で今の夢を見た。
こんなのを見てしまったら嫌でも澪の事を考えさせられる。
それにしてもまさか俺が澪に対してこんな思いを持つ事になるとは、と。
まだ俺自身がアイツへ仮の保護者としての好意ではない、違うものを持ってしまっていることに気付いてない頃。心操と澪のやり取りを見てしまった時、無意識澪へのアタリがキツい態度になってしまったことがあった。
アレは今でも反省しなければならないし三十にもなって何やってんだ。しかもソレを澪本人に指摘されるという恥ずかしい事態。アイツがいくら中身が年上で、人生の先輩からの指摘だと考えたとしても非常に恥ずかしい。思い出したくないが戒めなければならない。
それからだ。
いや、今思い返せばそもそも俺は出会って間もない頃に行った海でのやりとりで、アイツの人間的な部分に惹かれていたのは否定できない。
涙を流しながらも、凛々しい表情で俺の顔をしっかりと見て、“個性”と共にこの世界を生きると誓ったあの時から俺は…──艦澪という女にどうしようもなく惹かれていたという事実を。
「…ハァ。本当に…どうしてくれんだ」
まぁこちらが勝手に好意を持ってしまっただけなので澪は何も悪くないのだが。
しかもいくら大人だからと言っても澪が今得ている世間的な立場は生徒。そして未成年。
大人として法律的にも絶対に手を出してはいけないし、プロとして、今目指している澪の妨げになるようなことはしたくないし悟られてもいけない。
が、だからと言って今までの付き合いを無視して突き放すのは少し違うしそれはそれで澪の精神的な妨げになりかねない。今の段階でいきなり突き放すような態度をするのは悪手だ。
…正直現状維持の対応が好ましいが、夏祭りの時の事があって非常に悩ましい。
いつもの距離感に加え、高揚した空気に充てられて勢いのままに浴衣が似合っていると言ってしまったのだ。もう今思うと何やってんだ、俺は。
いや、でも距離感的には別にいいのか?いや…でもあの澪の反応からしてあれはマズイ気がした。
もうダメだ。今までの自分からしたらかなり自分が信用できない。かなり不安だ。
しかも澪も澪で俺の反応に疑問を持ちつつもかなり俺に気を許しているからか、距離も自然と近くなっている。俺の頭がおかしくなる日もおそらく近いだろう。
三十年生きている中、人並みに異性と付き合った事はある。
でも相手に対して、こんな風にはならなかった筈だ。
なんだったら俺があまりにも相手に特別なアクションを起こさなかったからか「アタシの事嫌いでしょ!?」と言われたり、そこそこ続いたとしても「私、アンタにはもう飽きちゃった」と言われて捨てられる始末だ。
「……………ダメだ、もう考えたくない」
うっすらと澪のことと昔の面倒くさいことを思い出してしんどい気持ちになったので、壁に寄りかかれば髪の毛がザリザリと擦れる音が聞こえる。
音は耳の奥で聞こえてくるようで、周りの音をかき消してくれているようだったが、湧いて出て来る感情はかき消してはくれない。
「!ぐ、う、……いってぇ…、」
動いた拍子に関節に鈍い痛みが走る。
そりゃそうだ。寝袋にも入らずに寝たんだから体がバキバキな筈だ。
けれども今の俺にとっては有り難い気持ちでいっぱいだ。その痛みのおかげで徐々に思考が澪の事から現実へと引き戻されていくように感じたのだから。
起きてしまったし仕方ない、風呂に入るか…と頭から離れない彼女の事を振り払うかのように立ち上がり、腰をトントンと拳で軽く叩きながら風呂に向かえば洗面所の鏡は俺の疲れ切った顔を写していた。
「酷ェな……」
今の俺の顔と、これからの状況が。
きっとこれからも澪はいつもと変わらず「消さ…じゃなかった、相澤先生おはようございます!」と呑気に笑いながら言うんだろう。くそ。今度の登校日絶対朝から会わないようにしたいところだ。
アッチが別に良くても俺は良くない。なんていったって地獄は始まったばかりなのだから。
万が一親である泰豊さんにこの感情がバレたりなんてしようもんなら殺されかねない。
「いてっ…だァくそっ!」
ホントあの人いい人だけど苦手だ。こうして風呂に入るのにズボン脱ぎながら考えただけで動揺して脱ぎ損ねて壁に激突した。しかも膝ガッツリ打ったから明日青あざになるぞ。畜生。
というか艦家は今回の家庭訪問で澪が話した内容の件で気まずいことこの上ないだろうな。
まぁあのご家族は澪への愛情を注ぐことをやめられるような人たちではないのだが。だからこの件については現時点で艦家にバレたら非常にマズいのは変わりない。
なんだったらその点においては申し訳ないが今回の寮制度が導入されてよかったのではないかと考えてしまうほど。
「…絶対に耐えろよ、本当に」
自分に言い聞かせるように呟いた声は、シャワーの音にすっかりかき消され、湯気と共に霧散していった。