⑥神野事件〜家庭訪問
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
ざん、ざざ、ざざざん。
ざん、ざざ、ざざざん。
波の音が、私の脳みそへとダイレクトに伝わってくる。
「ここは…海?」
足元を見れば、当然のように私は艤装をつけて海の上を立っていた。
足の艤装からはスクリューの回転する音が聞こえてくる。
「何でここに…帰らなきゃ」
どこに?…わかんないけど、とりあえず
スイ、と足を水中へ切り込むように前方へ力を入れて動かせば、少しの力で長い距離の海上を滑ることができる。
それを繰り返すと、だんだんと気分が高揚してきて、自然とその足も早くなっていった。
晴れ晴れとした太陽の下で海を滑るのはなんて気持ちがいいんだろう。
この感じ、久しぶりだ。楽しいなぁ。
潮風が頬を撫で、髪を後ろへと流していくのを感じながら私は思う。
ああ、艦娘たちと皆でこの海を滑走することができたなら、もっともっと楽しかっただろう。
──あれ。
──そういえば私はどうして今海を滑ってるんだ?なんか、違うな。
いつもは鎮守府で皆を見送ってから書類仕事をしているのに…と、考えを巡らす。
足を止めてから、自分の手に装備されている艤装を見て今の自分の状態を思い出した。
「そうだ。私、死んで生まれ変わったんだ。」
その言葉を口に出した瞬間、世界は暗転する。
晴れ切った青空がすっかり夜空になった。
あ、これ夢だ。でも夢ってどうやって覚めるんだろ。
起き方がわからない私はうんうんと唸って頬をつねったり叩いてみたが、全然痛くなくて、起きられる気配がない。
仕方ない、と早々に諦めて辺りを見渡してみれば、海はまるで重油のように重々しい色合いを持って波を打ち、空はいつの間にか冷たい光を放つ月が存在している。
「また…月」
ぽっかりとあいた空に浮かぶ光の穴を見て眉をしかめた時、その真下に何かがあることに気付いた。
「…軍艦?」
月光に照らされるのは一隻の軍艦だった。
その艦はどの型ともつかない、初めて見る艦だ。
長いこと放置されていたのか、錨と鎖が酷く錆びついていてボロボロだ。
「よくあんな状態で動いてるなあの軍艦…」
けれど、あの古びた艦にどこか勇ましさを感じている自分がいる。
なんだろうなぁ、この感覚。
「ん?人が乗ってる?」
あれ、でもなんか違うような…白いもや…煙?その煙はなんとなく、人のような形をしている。
もやもやと結構曖昧で、顔なんてわかる筈がないのに、こちらをみていることもわかる。不思議…。というかあれ、オールマイトよりもずっと大きいな。
『貴女を転生させる為、この世界で生きる為に捧げた艦娘達の幸運と、初春が捧げた練度初期化の対価は大きい』
「…幸運?練度…?」
ちょっと待って。それってどういうことだ。
幸運と練度初期化の対価って、捧げたって──。
──ざん、ざざ、ざざざん。
───ざん、ざざ、ざざざん。
死に際に聞いたあの日の波の音が聞こえる。
それは凛とした女性のような声を被せるように。
それは、私の疑問をかき消すように私の中にある死と後悔の恐怖を煽っていった。
「…やだ、嫌、だ…」
怖くて…手が、汗ばむ。
でも、私はヒーローを目指しているんだ。ここは私一人でなんとかしなきゃ。なんとかって、何をどう?
変だ。あの波の音を聞いてから、動揺してる。
何が何だかわからなくて考えがちぐはぐだ。なんでこんなに私は焦っているんだ。
「…っ、わた、しは…まだ、死にたくない。沈みたくない…っ!誰か…っ、!」
恐怖に駆られ、漠然と感じる焦りと不安に私は自分の体を抱きしめて、叫ぶ。
するとどうだろうか。どこからか、声が聞こえた。
──こんなにボロボロになりやがって。
──まだ、海にお前の骨は撒きたくねぇよ
俯きがちだった私は声の聞こえた空の方へと向く。
この、声は。
私は思い出す。今の自分を。
敵に捕まって、腕を切られ、ボロボロになってしまったこと。死にかけたことで、また深海棲艦の姿になってしまったことを。
「…そうだ、私は。」
私は、思い出す。
これは、私ではもうどうこうすることができず、この人に頼る以外、生きる道はないと。
転生をしてからずっと飲み込んでいた言葉があったことを。
それは私にとって、この言葉を自分が言うと言うことに対して抵抗感を覚えていた。
だから私はこれまで敵の前でも泣かずに最善を目指して、可能な限り最大限私は生きようともがいて踏ん張ってきた。
踏ん張って、踏ん張って、踏ん張って、…そう。
耐えてきた。
でも、今ようやっとその意識を撃ち砕く日がやってきた。
貴方の声で、私は決めた。
波の音はもう、聞こえない。
「…換装。──駆逐艦。初春改二」
『故に』
換装した艤装のアームを速やかに動かし、天へと砲身を向ける。
そうすると、錆びた軍艦も同じように、天へと向けて砲身を動かした。
『貴女はまだ、死ぬには早い』
そして私は、月に片手を勢いよく投げ出す。そして握りつぶすように拳を作って目一杯叫んだ。
「撃ェーーーッ!」
響く轟音は二つ。
冷たく軍艦を見下ろしていた月はあっという間に破壊されていった。
ガラガラと落ちていく月。その音が止むと、やけに耳につくあの日の波の音も聞こえなくなっていた。
あるのはあの、錆だらけの軍艦と私だけ。謎の煙もいつの間にかいない。
けれど、私の髪の毛には誰かの手が差し込まれ、頬を触れられる感触が伝わってきた。
『戻ってこい。お前を、救けたい』
泣きそうになった。
おかしな夢だと、思わず笑みがこぼれた。
夢なのに、ここには誰もいないのに触れられているなんて。
私しか、この海には立っていないのにさ。
そんなこと考えながら、大粒の涙がこぼれ落ちていく。
これが誰の声で、誰の体温かなんて、もうわからない方がおかしいかも。
「救けてくれるの?」
──お前が、救けてほしいのなら
「本当に?」
──ああ。
最初は理解されないだろう孤独感に絶望をして、この言葉…“救けて”が、言えなかった。
そして今は救う側となり、救われる側にはなってはいけないのだと思い込んで、言えなかった。
だからあの煙は、艦娘の代償とやらによるお釣りで救済措置として危ない時は私を深海棲艦にして生きる道を増やしてくれたんだろう。
でも、それは間違いだった。
間違っていなかったら、こんな結果にはならなかったはずだ。
ヒーローだって本当に救けが必要な時は、求めた方がいいんだ。
「…わかった。お願い、するわ」
全ての
私は信じて、この人に委ねよう。
「救けて、消さん」
***
抹消の能力で人の姿に戻った澪はすぐに意識を失い、くたりと手術台から右腕が落ちる。
すぐに右手を持って台の上に戻せば、手の甲に刻まれた膨大な数字が一秒ずつ減っていくのを確認した。
「……生きてる」
無意識に口から洩れ出た自分の言葉にハッとして、速やかに手術室を出た。
するとリカバリーガールがもう手洗いを済ませ、すぐに入れる状態で待機をしていた。
「リカバリーガール、」
「お疲れ。頑張ったね。」
「…ありがとうございます」
個性を使ったことで渇きを訴える瞳をやや伏せ気味にしながら頭を下げると彼女は静かに話し始める。
「さっき、艦のご両親にお会いしたよ。説明はできる限りしておいた。
けど、アンタに会ったらどうなるかは正直わからない。気を付けて言葉を選ぶんだよ」
「…はい。艦をよろしくお願いします」
「はいさ。全力は尽くすよ」
手術室へと入っていった彼女の背を見送ってからもう用のない手術衣をワゴンの中に入れて、二つ扉をくぐって廊下へ出た。
そして近くにあった控え室の方からボソボソとわずかに喋る声が聞こえた。
多分、澪の両親である泰豊さんと滑美さんがいるんだろう。
ノックをして入ると、その二人と、見慣れない老夫婦、そして泰豊さんによく似た男性がいた。
「相澤、くん……っ!君は!」
立ち上がって自分の元へずんずんと歩み寄るのは、父親の泰豊さんだった。
誰がどう見ても動揺し、怒っていることがわかった。
もう一人の同じくらいの男性はすぐに立ち上がり、「兄さん落ち着いて!」と叫んですぐに羽交い締めにし、後から澪の祖父と思われる巨漢の老人も同じように泰豊さんを押さえつけていた。
「どうして、どうしてなんだ!
なんでうちの澪がこんな目に遭わなきゃならない!?」
「泰豊」
「っ、記者会見の時だってそうだ。何が生徒の安全を保障する、だ。言ってることと結果がむちゃくちゃじゃないか…!」
「泰豊!」
鈍い音が部屋に大きく響く。
それは澪の祖父が泰豊さんを殴った音で、殴られた本人は泡のようなものを吹いて倒れていった。
「バカ息子が騒いですまんな。
コイツもわかってるんだ。雄英側がどれほど敵を警戒して合宿に臨んだか。
でも、それでも許せないと思う親だっている。それが、うちだったって話だ。」
「…いえ、当然の反応だと思います。むしろこちらは本当に許されない事を起こしてしまいました。
本当に…、本当に申し訳ありませんでした」
瞳を閉じ、深く、深くお辞儀をする。
澪の家族には一生かけてでも、謝り続けなければならない。
そうしなければ、筋が通らない。
「頭をあげてください」
その声に目を開くと、コツ、と目の前に女性の足元が見えた。
聞いたことのある声だ。
「澪は、生きて帰ってきますか」
頭を上げれば、その声の持ち主は澪の母親である滑美さんで、娘と同じ色の瞳で力強くこちらを見つめてきた。
…澪が雄英に入学するまで訓練していた頃。何度か話したことがあったし、比較的穏やかな人だったと思う。
けれど今、普段の滑美さんからは想像もつかないような迫力に思わず圧倒されている。
「どうなの。…早く、答えなさい。」
下まぶたを震わせ、今にもまた泣きそうになるのを堪えながらグイと俺の胸ぐらを掴んできたその両手も同じように震えていた。
本当はこんなこと望んでいないし、したくなかったんだろう。
けれどこうでもしなければ、この家族にとってここまで不明瞭な事件と被害の怒りをどう飲み下していけばいいのかわからなかったんだろう。
だが俺にはその怒りを完全に収められるほど手段は、ない。
「俺は、娘さんと出会ってからずっと、一度も『救けて』という言葉を聞いたことがありませんでした。
けれど、彼女の意識が一瞬戻った時…俺に向かって『救けて』とハッキリ言いました。
…今は暴走状態も落ち着いて、手の甲には治るまでの時間表記がされてました」
「!それって…っ」
「はい。まだ彼女には生きるという、強い意志があります。
だからどうか…娘さんの意志を、信じてください…」
乾いた手が少し、湿っている。全て信じてもらえるかはわからない。
けれど澪の意志だけはどうか、どうか信じてほしいと、素直に思った。
「もう、祈らなくていいんです」
滑美さんは目を見開いて数秒経った後、思考が追いついたのか俺からそっと離れて後ろを向いた。
「…わかりました。澪を、信じます。夫が騒いでしまって申し訳ありませんでした。
相澤先生もお疲れなのに。今日は、ありがとうございました。どうぞ、お家に帰って、お休みください」
今ここで泣かないように気丈に振る舞う滑美さんの後ろ姿を見て早々にでることにした。
「…それでは、失礼します」
祖母と思われる夫人が滑美さんの元へと歩み寄ったのを横目で最後に見て、静かにスライドドアを閉めた。
そして、ドアの向こうから泣き崩れたような声が聞こえたが、俺はすぐに病院を後にして、駅の方へと向かった。
話し声、靴の音、アナウンス、電車のブレーキ音。
様々な音が聞こえてきて、なんだか現実に戻ってきたような感覚に陥りながら、乗る電車を待つ。
もし、あのまま澪を失っていたら俺はどうなっていただろうか。
こんなのは比べるもんじゃない。けれど、考えてしまう。
友を失った時のように、澪にも最悪の結果が起こった時の事を。
そしてまた、考える。俺は下手したら、俺自身が教師を…ヒーローを続けられなくなってしまうんじゃないかと。
親指でしか触れていないアイツの頬は、異常に冷たくてゾッとした。
決して自分の体温が高いわけではないし、澪の体温も低いわけじゃない。
「…本当に疲れた」
はぁ、と一つため息を吐いた時アナウンスが鳴り、やがて目の前に電車が来る。
俺はその電車に乗り、少しの間だけ、目を瞑ることにした。