⑥神野事件〜家庭訪問
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神野区の悪夢と言われているらしい事件から数時間。
艦澪という雄英高校に通う一年生がこの病院に救急搬送されてきたが、状態は一目見ても最悪だった。
けれど彼女はそんな腕を諦めず、“腕を、どんな状態でも絶対にくっつけて縫合させて”とギャングオルカに伝えており、そのまま我々に伝えられることとなった。
傍から聞けばこれは「一か八かでもいいからやってくれ」という風にも思えるのだが、こんなこと切れる寸前で伝える内容だろうか?
彼女にとってこれは計り知れない痛みだ。そんな考える暇もないほどの痛みを伴っているのに、冷静じゃなかったらそんな言葉がでてくるだろうか…?
冷静さを欠いている患者を何人も見てきた。皆口々に体の一部が残る残らないを気にするよりも、痛みを取り除いてくれと叫んでいた。
一応患者からの同意は得ていることになる。あとは手術をするのみという感じではあるがやはり腕を切られてから何時間も経っていて、状態を見ても到底くっつくとは思えない状態としか思えなかった。
運良くくっついたとしても…その腕が動くかどうかというのが現実だった。
しかも彼女は病院の手術室に着くなり、体が変身するタイプの個性でないにも関わらず小柄な体を大きくさせ、暴れ始めた。
どういう原理化はわからないが、痛みで個性が暴走しているようだ。
彼女は運んできたストレッチャーのベルトを片手で引きちぎり、暴れる。
そしてその反動でストレッチャーごと倒れた彼女は痛みに叫びを上げて這いずった。
…止血されていたからと言って、果たして『痛いから』と、ここまで動けるものなんだろうか。
「アあァ″…ッ、死ニタくナイ…ッ!沈ミたク…ッ!!」
彼女の悲痛な声だけが手術室に響き渡る。
皆、立っていた場所から二、三歩後ずさって固まっていて、手を出せないでいる。
…あまりの状況に恐ろしく感じたのは自分だけではないようだった。
「っ、おい動け!何固まってるんだこの子は患者だぞ!
患者は今痛みで個性が暴走してるからパワータイプの個性持ちは患者を手術台に乗せて動けないように拘束!
一人は暴れた時に道具が飛ばないように少し離して、そこの君はイレイザーヘッドに連絡!この子の個性を消してもらうよ!」
「は、はいっ!」
他にも固まって動けないスタッフに怒鳴り、指示を出すと一斉に連携をとって動き始めた。
彼女は押さえ付けられた際に痛かったのか怒り狂ったように咆哮して激しい抵抗をするが、スタッフの押さえによって動けないようだった。
「腕一本切られてんのに痛みで気を失わないなんてどんな精神力してるんだ…っ!
ヒーローを目指す学校ってのはそこまで教育してるのか…!?」
今のうちだと、結局この部屋にいる人間全員で先ほどよりも厳重に拘束をしていく。全員で抑えていてもなお、ギリギリだ。汗もダラダラと額からにじみ出て拭いてる暇なんてない。
その時だ。彼女の唇が腫れていることに気付いたのは。
「…麻酔?」
どうして麻酔薬なんか摂取してるんだ。
…そういえばラグドールという女性のヒーローが他科で見てもらってたはずだ。
あそこも同じとこにいたと言っていたような。特に重要視するほどの問題はないが、確認しておいた方がいいか…?
そうこうしている内に暴れていた彼女を完全に拘束することができ、まだ暴れてはいるものの、自分を含めたこの場にいる全員がようやく少しだけ落ち着くことができた。
「…酷いもんだ」
息を整え、ふと見た視線の先にはボウルがあった。その中には袋に入れて冷やしている腕があり、持ち主とは離れてる状態だ。
ホント、どうしてこんな惨いことに。けど医者である自分の目から見ても縫合して治るとは思えない。どうしたものかと顔をしかめた。
「いくら彼女本人の縫合に対する同意があったとしても、その治療が妥当なのか判断しにくいな…」
せめてすぐ手術が始められるように一先ず準備を整え直し、彼女の担任でもあるという、他人の個性を一時的に抹消できるイレイザーヘッドを待つことにした。
***
規則的な音が校長室に響く。
「はい、相澤です」
それは俺のタブレット端末からの音で、見慣れない電話番号に出ると、神野区にある病院からだった。
聞けば、事件発生現場にいたギャングオルカが澪を発見してくれたらしい。
よかった。けれどどうして病院が最優先である身内の泰豊さんと滑美さんにではなく、俺に連絡したのか。
そう思っていると、病院側が『何かあればイレイザーヘッドに連絡しろと艦澪さんから聞いたギャングオルカさんがこちらに伝えてくれたんです』と説明してくれた。
「それで、艦さんの容態は」
『はい、艦澪さんの容態はあまりよろしくありません。
敵からの攻撃による左腕の欠損。艦澪さんから“どのような状態でも必ず縫合してくれ”という伝言も預かってますが、個性を暴走させてしまって拘束していてなお暴れていて、手術もままならない状態です』
「…もしかして、白髪の女性になりましたか」
『!ご存知でしたか。それでしたら至急こちらにくるようお願いいたします。
彼女の個性は発動型のため、イレイザーヘッドさんの個性で艦澪さんの個性を消して欲しいのと、聞きたいことが何点かありますので…』
「わかりました。…それで、親御さんには」
『この後に電話いたします。何か…?』
「…いえ。」
それではよろしくお願いします。と電話を切られ、画面をジッと見つめた。
ふと、校長室が静かだな、と顔を上げて根津校長とブラドの方を見れば、こちらを見ていた。
タブレットを持っていた腕を下ろせば、思いの外力が抜けてしまっていたのか、するりと手から落ちていった。
「…大丈夫か?」
「………左腕が欠損した状態で見つかったみたいです」
「「!」」
そういえば、縫合しろって言ったんだったか。
タブレットを拾いながら、そのことを思い出した。
「ただ、艦自身が気を失う前に保護してくれたギャングオルカさんに“どのような状態でも必ず縫合してくれ”と伝えていたみたいで」
「縫合?治るのか!」
「俺はハッキリとは知りません。
けれど恐らく、以前の怪我の治り方を見た感じと艦の言い振りだと治るだろうなとは思います。
ただ、彼女は今USJの襲撃事件の時のようにまた暴走してしまって“あの状態”になって手術しようにもできないらしいので、これから病院に行ってきます」
いつもは乾いている筈の手の平が汗でじとりとする。
それを誤魔化すように、端末を持っていない手の方で、爪が食い込むまで握りしめ、無理やり口を動かした。
「校長」
「なんだい」
「彼女の傷は絶対治るでしょう。
ですが、少しでも早く彼女には苦痛から解放されて欲しいと思ってます。」
「!!リカバリーガールはまだ神野区の方で方々駆け回っているだろうから、こちらから連絡しておくよ」
「お願いします」
深く、深く俺は校長にお辞儀をしてから病院へと向かった。
*
「すみません、搬送された艦澪さんの担任でこちらの病院から呼び出されたのですが…」
「はい、今からご案内させていただきます。どうぞこちらへ…」
看護師に連れられ、人気のない廊下へと連れられる。
けれど、手術室扉の前から聞き覚えのある声が聞こえた。
「イレイザーヘッド」
「リカバリーガール。澪の様子は、」
「中にはまだ入れてもらっていないよ。アンタがあの子の個性を消して沈静化したところ、麻酔科医が全身麻酔を打ってから入れる段取りになっとるさね」
「じゃあまだ、見てないんですね」
「状態は聞いてるよ。…聞いただけでも酷いもんだ。
アンタは先に入って“見”なきゃならないんだろ。」
「ええ」
「心を強くお持ち。アンタはこれから想像するよりも精神的にダメージを受ける。けれど兎にも角にもあの子の個性を消して、救わなきゃあならないんだからね」
「…はい」
「ああ、イレイザーヘッド。きてくれたんですね」
手術室から出てきた男性は緑谷や他の生徒も世話になっていた外科の先生だった。
彼は俺の顔を見ると心底ホッとしたような表情をすると、すぐこちらにきて着替えて腕まで洗ってくださいと言われるがままに従った。
「艦澪さんが“病院で腕を、どんな状態でも絶対にくっつけて、縫合させて”とギャングオルカに伝えたらしいんです」
同じように再び手を洗う医者から声をかけられ、顔を上げれば彼はそのまま洗い続けていた。
「知ってます」
「そうですか。でも、医者の目から見てもアレがくっつくとは思えない。
例え奇跡が起きて腕がくっついたとしてもそのまま腐り、むしろもっと悪化しかねない。動かない可能性の方が高い。
それなのに、意識が切れる寸前で絞り出すように伝えたその伝言を、担任であるイレイザーヘッドはどう思われますか」
「…艦澪という人間は、自分が危機的状況に置かれている時ほど冷静に思考し、何が最善の道か選ぶ子です。
おいそれと逆にリスクを負ってしまうような選択をする人間ではありません。」
一通り手と腕を洗って滅菌タオルで拭き、指導されたように肘から手を下げないようにしながら、医者を見ると今度はこちらを見ていたので、目が合った。
「ですから、絶対に治ると確信しているから言ったんだと思います。
それに以前、私が力不足なばかりに怪我をさせてしまったことがありまして。
その時は打撲と骨折でしたが、個性の性質故か、適切な処置を取ってしっかり休息を取らせたら数日で完治したので、俺は彼女の腕を縫合すべきと思います」
俺よりも少し大きいこの医者は俺の目を数秒見て、少しだけ微笑んだ。
「よかった。あの状況でも患者が治るのなら、これ以上の喜びはないよ」
「…やっぱりそんなに酷いんですか」
「先ほどリカバリーガールにも心を強く持つことと言われたでしょう。
貴方の生徒さんは、わざわざ個性をよく知る担任の貴方に聞かなければならないほどです。
それにスタッフが電話でお伝えした通り、個性の暴走のせいでまともに麻酔やら処置ができない状態なんです。だから、先に個性を消すのをお願いしますね」
わかりましたと一拍遅れて返事をしてから、俺たちは手を顔の高さに上げたまま、手術室へ入った。
「イレイザーヘッド。艦澪さんの個性を消したら速やかに退室して、リカバリーガールを呼んでください。お願いします」
「はい」
薄い緑の部屋に入れば、既に何名かのスタッフはここで待機しており、いつでも手術が開始できるという状態だった。
真ん中の手術台には、澪がいた。
「患者は」
「はい。依然変わらずですが痛みが続いているからか少しずつ大人しくなっていますが、近づこうとするとすぐ威嚇されます。
さっき一人様子を見るのに近づいたら噛みつかれそうになってました」
「わかった。という感じなので、気を付けてくださいイレイザーヘッド。」
ヒーローとして生きてきて、何度も似たような場面は見てきた。
けれど、慣れることは決してなかった。心を強く持て、と言われても、無理だ。
しかも、自分が世話を焼いた弟子がこんな姿になってるなんて、信じたくなかった。
この部屋に入る前に履き替えたクロックスが、床の摩擦でギュ、と鳴る。
「ちょ、ちょっとイレイザーヘッド!あまり近くには!」
「ヴ…あ…グぅ……ッ!来ル…な!」
「──澪」
暴れるからか、まだ拭き取られていない砂のついた頬に右手を添えると、澪は威嚇していた筈なのに、酷く肩を震わせた。
「っ…ぁ」
「こんなにボロボロになりやがって」
「、ッヤめ…ロ!」
「まだ、海にお前の骨は撒きたくねぇよ」
手を滑らせてそのまま澪の髪の毛に指を差し込むと、澪は動きを止める。
そして頬に当たった親指で砂の部分を擦ると、砂が少しだけ拭うことができた。
「戻ってこい。お前を、救けたい」
ぽろ、ぽろ。
大粒の涙が俺の親指を濡らしていく。
「タスけ、てくれルの?」
「お前が、救けてほしいのなら」
「ホン、とニ?」
「ああ」
「………わカ、ッた。お願い……する、ワ」
──だから救けて、消さん。
その言葉と同時に、俺の瞳はいつもの黒色から、暖色へと変化した。