右手
先づ、僕が東京の或大通りで、相変わらず仕事をしてゐた時の事である。
太陽が頭上に有るのを感ずる程の熱気であつたのを覚へてゐる。絵の具が溶けて、混ざり合うやうな夏の日であつた。
そんな日であるので、僕の店へ老爺が来た時には、面食らつた。
屋外での仕事の際には、確かにちらほらと老爺共も見かけるけれども、何時も歩いてゐる者は、皆一様に少しばかりの瑞々しさを湛へた、極詰らない手の持ち主ばかりである。
然し此老爺の右手は、年相応に皺枯れており、生命が指先より、今も今も零れ落ちてさへゐるやうな、骨張つた手であつた。
僕が少しばかり、何故似顔絵などを描かれに来たのかを尋ねると、
「今日は何時もより遠くへ行つてみようかと思いましてなあ。
丁度散歩の時分に、かう思いたつたので、ふらりと風に連れられたのでせう。
其処に、成程上手な絵を描く御仁が居ましたから、気紛れとでも考へて頂きたい。」
と云つた。斯云ふ声も、酷く擦れてゐた。
恐らく此老爺は、病に侵されたりしてゐるのであらう。右手は震えてゐるし、歩くのも大変さうであつた為、僕はさう考えたのである。
尤も、其は甚だ勘違いかも知れない。けれども、如何にも僕は斯云つた妄想に憑りつかれて了つてゐた。
さて、確か此考えの辺りで似顔絵は完成した。
老爺が嬉しさうに、絵を手提げ鞄の中に仕舞つたのを見てから、
「どうも、養生してください。」とだけ僕は云つた。