旅立つその日まで
(「__行かないでよお!
__お、ねえちゃん、、!!!」)
むせるような鉄の匂い、曇天の下で雨と混ざって地面を伝う。わたしの周りには悲しいくらいに大きな水たまりが出来ていて、白い身体には嫌なほど鮮血が目立っていた。
(「____ゆ、、ら、、生き、て、、!!」)
あの日わたしは、吐くほど泣いて、後悔して、消えてしまいたかった。
死にたかった___。
***
目を覚ますと、ゆらは無機質な部屋で無機質なベッドの上だった。初めて来た場所のはずなのに、何となくここがどこなのか分かった。
頭が鉛のように重くて、視界がぼやけて見える。悪寒でガチガチと歯を震わせるが、額からの汗は止まらない。俗に言う「体調不良」というやつなのだろう。
自分の手で汗を拭おうと力を入れると、自分のものより大きな手のひらに掴まれてしまっていた。なんとか重い頭を持ち上げると、キラキラとした白い髪が目に入り、具合が悪いことすらも忘れてしまうほどの衝撃が走った。
(___な、なんで、いるんだ、、、、)
「___うっ、、いったあ、、、」
働けない頭を無理やり働かせようとしたせいか、殴られたような痛みに、ふらふらと力が抜けて頭から倒れそうになった。
(__あ、、や、ばい、、、)
硬く目を閉じると、抱き留めるように支えられ、火照っていた頬に涙がこぼれた。夢のせいなのか、具合が悪いせいなのか分からなくなり、枷が壊れたようにポロポロと頬を濡らしていく。恥ずかしくなり、涙がこぼれないようにきつく目を閉じる。
「ゆらサン、大丈夫っスよ。 言ったでしょ? 甘えてくださいって」
「__い、いやだ、かっこわるいもん、、」
「頑張ったんだから、いいじゃないスか、ボクや夜一サンの肩に少しずつ分ければ良いんですよ、ボクらはきちんと預かりますから」
いつもお互い毒を言い合う仲だがゆらも強がる元気など無く、伝う涙を指で拭ってくれる喜助にされるがままだった。心なしか顔が熱い気がするが、きっと熱のせいだろう。思いっきり泣いたせいか、先ほどよりぐらぐらと揺れる視界に気持ち悪くなり、喜助に身体を預けていた。
「ゆらサン、薬飲めます?」
「、、、のめ、る」
「本当っスか?お水飲んでみてください」
水が入ったグラスを口元まで運ばれ、冷たい液体にビクッと身体が反射し、水が喉を通ろうとした瞬間むせ込んでしまった。喉の痛みに耐えきれなかった。
「あらら、まあ、今日くらいしっかり看病されましょうね、拒否権ナシっスよ。」
(__あ、、この笑顔は悪いこと考えている時の顔だ、まずい、、)
いつものへらへらしている笑顔でない、口元に弧を描いてにやっと笑う顔に少しだけ自分の熱が引いていくのを感じた。耳元に寄せられた喜助の声が、ぼうっとした頭に刺さるように聞こえる。
「__今度はきちんと飲んでくださいね」
涙を拭っていた喜助の湿った指がゆらの顎に添えられ、嫌でも憎たらしい顔に近づいていく。喜助は自身の口へ薬を含み、カリッ、と錠剤を飲みやすくなるよう噛み砕く。
「 !? ちょ、き、、きすけ、、!」
「__すぐに楽になりますから」
躊躇いなく喜助が唇をつけると、舌で勢いよく喉の奥まで錠剤を滑り込ませた。入れた錠剤をグラスに入っている水で流し込んだ。すぐさまゆらの口を押さえ、吐き出すのを防ぐ。
「んんっ、!」
「__大丈夫っスか??」
「~~~!こんの、馬鹿!! そこまで、するやつあるかあ!」
この予期せぬ事態と息が出来なかった時間のせいで、言葉が途切れつつもゆらは涙目で睨み返す。
「やだなあ、あはは!もしかして意識しちゃってます~?ただの看病っスよ?」
「お、お前なんかに、するわけ、ないだろ馬鹿!!」
頭が働かず、予想外の出来事に語彙力の低下が著しいゆらだった...
先ほどまでの優しかった彼はどこに行ってしまったのか、いつもの癇に障る浦原喜助に戻っていた。粉々になった薬は全身に行き届くように浸透しているのか、急に来た眠気に勝てずうとうと目元が霞んでいた。
「__ふふっ、おやすみなさい、ゆらサン」
意識を手放し、閉じた長いまつ毛。喜助は、その濡れた瞳に唇を落とした。
***
「握菱のやつ、教える鬼道が度を過ぎていると思うんだが...」
「まあ、ゆらもわざわざ修行の内容を話す子じゃないしねえ」
「結果的にゆらのお陰で他の生徒も無事じゃったし、ゆらもお主らを呼んだ方が自分の身体的にも良かったと判断したのじゃろう、結果的にはテッサイに感謝じゃな」
「、、でも、最初から具合は悪そうでしたし、今日の演習は辞退させるべきだったっスね」
ゆらの病室で四人は年相応にすやすやと眠っている彼女を見つめながら、今日の演習について話していた。
あの後、血相を変えて飛び出してきた二人は「隊長」と呼ばれる者とは思えなかった。京楽は「ごめんよ~」とゆらの頬に自分の頬を擦り付けて謝り、浮竹は口から血を吐きながら「だい、じょうぶ、か」とゆらよりひどい状態で駆けつけた。周りの生徒が気を失っていて良かったのかもしれない...
一緒に来たのはもう一人、四番隊隊長の卯ノ花烈であった。自分も限界だと言ったゆらの体調を危惧し、丁度浮竹の定期受診中に一緒だった卯ノ花も足を運んだのだった。
「命に別状はありませんが、軽い肺炎症状の風邪と睡眠不足がみられます。もう少し休まれた方が良いでしょう。」
的確かつ迅速な四番隊の処置でゆらだけでなく、怪我をした生徒も無事であった。先に病室に入っていた浦原のもとに夜一、京楽、浮竹も様子を見に来たところだった。
「俺は今日早く家を出たが、朝から体調が悪かったのならなぜ学校に行かせたんだ、京楽。」
その言葉に夜一も喜助も反応した。無理をさせてまで学校に行かせた何かがあったのだろうと。
「ボクも無茶させちゃったなって反省してるよ、でも朝「学校は行けるよ」って言ったゆらが行かないなんてありえないって顔をしていてさ、演習があるなんて知らなかったけどね、ごめんよ」
「最近は握菱との修行も前より複雑なものに取り組んでいるようだしな」
京楽は夜一と喜助の顔を見て少しうれしそうに話した。
「二人のお陰さ、キミたちがこの年に入学すると聞いて好機が来たと思ったんだよね。人に心を開かないゆらがそれを知る良い機会だと思った。」
「そういえば、握菱が修行の時、ゆらは決まって二人の話をすると言っていたな。」
続けて話す浮竹に、珍しく黙って話を聞いていた夜一が口を開いた。
「お主ら、何が言いたいのじゃ?」
「ゆらはキミたちに会うために学校に行ってるんだなあってさ、少し妬けるね、羨ましい限りさ」
夜一も喜助も目を見開く。思えば最初からゆらの気持ちを汲んでやることを二人は出来なかった。お互いゆらに対する「興味」があっただけ、それでもゆらと関わるうちに考えていること、やりたいことの気持ちが通じ合う感覚が二人にはあった。そしてゆらにも少しばかりその気持ちがあるのではないかと期待してしまう。
すやすやと寝息を立てるゆらが少しばかり微笑んだような気がした。
「昔のゆらサンは、どんな子だったんですか?」
ゆらの過去を知らない、どんな子でどんな環境でどんな風に、どう生きていたのか喜助は知りたかった。誰かに興味など持たない喜助の発言に夜一は少し驚いたが、変わったのはゆらだけではないのだなと心の中で呟いた。
「いいのかい?ボクらが喋っても。本人が話すのを待たなくても?」
「、、、それもそうっスね、早まりました。」
「まあ、ボクらが出会ったのもずっと前って訳じゃあないんだけどさ。んふふ、出会った頃のゆらはねえ、、、、ぐおっ!!」
ゆらのベッドに背を向けて得意げに話そうとする京楽が急に苦しみだした。京楽の背中にはベッドから伸ばされた真っ白な脚が見え、グリグリと背骨を刺激していた。
「、、あらあ、京楽隊長ったらあ、サボってないで仕事に行って下さいませんかあ??」
その声は先ほどまで可愛らしい顔で眠っていた少女のはずなのだが、今はとても同じとは思えない表情であった。
「ゆら!だいぶ元気になったみたいだな!良かった!」
「十兄!来てくれてありがとう、お陰で助かったよ」
「ゆ、ゆら、ボクが悪かったから、脚を退けてくれ、ないかい?」
「ゆらサン、
嬉しそうに浮竹と話していた声が止まり、ついでに京楽の背に伸ばしていた脚の動きも止まった。ゆらの顔を覗き込むと、いつも白い肌が真っ赤に染まっていた。
「ゆ、ゆら?まだ熱があるんじゃないか?大丈夫か?」
浮竹の言葉は届かず、ゆらは布団から顔を少しだけ覗かせて喜助を思いっきり睨んでいた。
「喜助、お主ゆらに何かしたんじゃないのか?」
「まっさかあ!ボクは
ニヤニヤと笑う喜助に腹が立ったのか、ゆらは布団の中に顔を隠してしまった。「元気そうで良かったっス」と嬉しそうに呟く声はゆらの耳に届かなかった。
「ん?浦原クンなんの薬を飲ませたんだい?」
「えっと、ゆらサンが演習に持ってきていた薬が懐にあったので、それを飲ませましたけど、、」
喜助の視線の先はベッドの脇にある棚の上の小瓶。確かに錠剤が何粒か入っているようだった。それを見た浮竹は隣にいる京楽にしか聞こえない声で話した。
「、、、なぜ、
「聞きたいのは薬のことじゃないんだろう?浮竹。ちょっとボクら席を外すから、
あとは若い三人で。じゃあね~~」
京楽はいつもの雰囲気のまま病室を出たが、浮竹の表情は強張ったままであった。ゆらと夜一は不思議そうな顔をしていたが、喜助は何か考えている様子があった。
「ゆら、お主のお陰で全員無事じゃった、感謝する。無理をさせてすまなかった。」
「、、、みんな無事なら、良かった」
誰かを守れるような強い人ではない、誰かを助けるような優しい人ではない。わたしにはそんな感情持ち合わせていないはずだった。ましてや、このクラスに来てから冷たい目で見ていた彼らを、自分がボロボロになるまで力を使うことになるとは思わなかった。しかし、心から無事で良かったと思ったのは偽りのない気持ちであった。
「お主みたいな洞察力が優れ、仲間を守れるやつこそが死神になるべきなのじゃぞ!」
「__それでも、わたしは、、、」
「うーん、、少し昔話をしてもいいかな」
寂しい、冷えた目で彼女は呟いた。
「__それは、ボクらに話してもいいと思えたってことっスか?」
「?何の話じゃ?」
夜一は分かっていない。それは、二人だけで話した二人にしか分からないことだったから。ゆらは布団から顔を出し、重い前髪を横に分けて夜一に見せつけるように目を開いた。
「ゆ、ゆら!?お主、目が、、、」
「うん、左目は赤いの、喜助には最初からバレたけど、、」
「ゆらさんボクはもう一つ聞きたいことが、、、」
「
そう話すと、驚いた顔をした喜助と目が合う。やはり頭が良い喜助は気付いていた。今回起きた疑似虚退治のことを知っていたと。自分の気持ちを二人に共有したわけじゃない、ただ、なぜかこの二人には聞いてほしい、そう思った。
(___でも、話したら、変わってしまうかもしれない、、)
微かに震えるわたしの手を、夜一は左手、喜助は右手と手を添えた。
「ゆら、お主が何であろうと儂らは味方じゃ、儂らの仲であろう?」
喜助も横でこくりと頷く。
二人を信じた道は正しかったと、話し終えた後思えるように軽く深呼吸をして、息を整えた。
「____わたしの左目は、、わたしのものじゃないんだ、、、」
途端に、病室で話す自分の声が、うるさいくらいに響いている気がした。