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恋わずらい

最寄り駅まで着いて、私たちは電車を降りた。
私は、ハルを家まで送っていった。
「本当に、大丈夫?私の家に来ても、いいよ」
「大丈夫だよ、子冬…ありがとう。また、
明日」
私の頭をそっと撫でて、ハルは扉の向こうへと消えた。
もし、ハルがまた父親に殴られたら…。その時は、彼女が何と言おうと警察まで連れていこう、私は心の中でそう呟いた。

次の日の朝、ベッドの上で着替えていると携帯電話が鳴り響いた。慌てて出ると、相手はハルだった。
「おはよう、子冬」
彼女から電話をかけてくるのは珍しい。少し胸がドキドキとした。
「もしもし、ハル。おはよう…どうしたの?」
「今…ボクの家まで、来てくれるかな」
電話越しに聞こえる声は、淡々として落ち着いていた。けれど、どこか違和感を感じさせた。
「いいよ、すぐに行くから…待ってて」
私はスニーカーを履いて、自転車に跨がった。
電話から10分ほど経っただろうか、ハルの家の前で自転車を停める。
インターホンを押すと、ハルが扉を開けた。
「…子冬、来てくれてありがとう。大好きだよ」
ふわりと風に揺れる金髪に、黒水晶のような瞳。
長い睫毛に薄紅色の唇。
ハルは、いつもと変わらないように綺麗だった。
しかし、決定的に違う所があった。
「…ハル、その血は…どう、したの?」
尋ねる声が震える。
ハルの着ている白いシャツの右腕からお腹かけて、真っ赤な血で濡れていた。
「早く、救急車を呼ばなくちゃ…!」
叫んでから、気が付いた。あんなに血が出て、普通は立っていられないだろう。だとすれば、あの血は、まさか。
気が付いたその時、ハルが靴も履かずに私の元へと近づいてきた。
「…もう、警察は呼んだよ」
「ハル…なんで、どうして…」
私はただ壊れたレコードのように尋ねることしかできなかった。
「…さっき、お父さんに『昨日はどうしてあんなに遅くなったんだ』って殴られた。それで、言い返したら…突然包丁を向けられて…殺されるって、思った。だから、包丁を奪ったんだ」
彼女はそこで言葉を止めて、私を思い切り抱き締めた。
「…ありがとう。子冬が、ボクを人間に戻してくれた。生きたいって、思わせてくれた。だから、今ボクは生きているんだ……宇宙人のままだったら…きっと抵抗せずに、死んでいたと思う。」
「そんな…私は、ただ…ハルを、あなたを、救いたかったのに」
二人分の涙が、ポタポタと溢れて地面に溶けた。
「…ごめんね、子冬。そろそろパトカーが来るから、行って」
背中を強く押されて、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。
その瞬間、ハルをどこかへ浚っていきたい。強くそう思った。
けれど、彼女の鋭い真っ直ぐな視線に耐えられなくて。私は、自転車を引き摺りながら、家に戻った。
それから、しばらくの間テレビのニュースではハルの話題ばかりが取り上げられていた。
『虐待を受けていた少女が、父親を殺した』
名前や顔は公表されていないが、それがハルのことだとすぐに分かった。
目から涙が流れて止まらない。どうすれば良かったのだろう、私に出来たことは、あったのだろうか。
これから、私が彼女のために何か出来ることはあるのだろうか。
誰よりも綺麗で、意外と子供っぽくて、笑顔が可愛いハル。春秋雫。
私は赤いハンカチで涙を拭い、余計に泣いた。
これは、私たちの出会ったきっかけになったハンカチだ。
嗚咽を漏らしながら、密やかに確信する。
私は、確かに彼女に恋をしていた。彼女のことが、好きだった。
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