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恋わずらい

その日、私はベッドの中で考えた。
ハルは体に多くの痣を作っていて、怯えるように「お父さん」と言っていた。
私に名前や性別をハッキリと言わなかった理由はわからないけれど、時折見せる寂しげで、悲しそうな表情の意味は分かったような気がした。
おそらく、ハルは………

次の日の朝の空は、私の鬱屈とした心とは裏腹に快晴だった。
早朝からスニーカーの紐を結び玄関の扉を開く。
どこにいくの?と聞くお母さんに、コンビニ。と短く答える。
私はそのまま隣町まで走って向かい「春秋」と書かれた表札の家の前で立ち止まる。
それから少し考えた後、電話でハルを呼び出した。
「…もしもし、ハル。おはよう………ハルは今、何か辛いことがあるんじゃないの?」
「…」
「ハルが何かに困っているのなら、私は力になりたい。」
そう言うと、「いま、どこにいるの?」と携帯電話からか細い声が聞こえた。
「ハルの家の前まで来ちゃった、ごめん…」
どうしても放っておけなくて、と続けると目の前の重たそうなドアが開いた。
「…子冬、全部話すから…聞いて、ほしい。ボクのことを……」
私を見つめる黒い瞳は、かすかに潤んでいた。

「お邪魔します」
ハルの家に入る。あまり靴が置いてない玄関は、私の家の倍以上は広い。
「ここが、ボクの部屋だよ。今はボク以外誰もいないから…」
階段を昇り、綺麗に片付いている部屋を見る。
好きな人の部屋に来るなんて、夢のように嬉しいだろう…こんな状況でなかったのなら。
「…まずは、自己紹介からするね。遅くなってごめん。ボクの名前は『春秋雫』」
ハルはポケットから取り出したメモ帳に、漢字を書いた。
「何で、名前を教えてくれなかったの?」
私がそう訪ねると、
「ボクは女でも、男でもありたくなかったんだ……だから、どちらにもとれるように、名字だけを名乗ったんだ」
と悲しげな声が聞こえた。
「…お父さんは、お母さんがいなくなってから…ボクの事を殴るようになった。逃げても、逃げても追いかけてくるんだ」
「お父さんはボクを殴るとき、必ず『お前が女だからいけないんだ』って言うんだ。だから、ボクは女にも男にも、人間にもなりたくなかった」
少しずつ、紡がれる言葉に涙が交じる。
「…ボクは宇宙人だから、大丈夫。殴られても、蹴られても痛くないんだって、ずっと自分に言い聞かせてきたんだよ」
すすり泣く声と共に語られたハル、春秋雫の本音。
父親に暴力を振るわれて、それに耐えるために
彼女は自分の感情を、性別までもを殺した。
そうでもしないと苦しくて生きられなかったのだろう。
「でもね、子冬と出会って…仲良くなる内に、話しているうちに…喜びとか、痛みとか、悲しみとか、少しずつ思い出して来ちゃったんだ」
「私と、出会ってから…?」
ハルが笑い泣きのような表情を見せた。
「…うん、ずっと抑えてきていたのに…溢れちゃったんだ。子冬ともっと一緒に居たいって思ったり、話していたいって、思ったり…」
その言葉に、愛しさが突き動かされた。
ハルを助けたいと思った。痣だらけの背中、辛そうな瞳。すべてから彼女を解放したかった。
そのためには警察、児童相談所。大人に相談しなければ。これは私たちだけで解決出来る問題ではない、頭の中ではそう分かっているはずなのに。
「…ハル、一緒に逃げようか」
透き通るような白い手を握り、口から出た言葉は。
ありふれた恋愛映画のワンシーンで、キザな男が言うようなセリフだった。
ハルはきょとんとした様子で一瞬固まり、
「いいよ…二人だけの逃避行だね。どこにいこうか。」と最高に綺麗な笑顔で、無邪気に笑った。
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