RKRN短編・ネタ



 ひとたび眠りにつけば、次の瞬間にはもう見慣れつつある和綴じの本に囲まれた一室にいた。

 もはや私も相手も慣れたもので、すでに用意されていた1冊の帳簿の前に陣取り、読み上げていく。
 用意された束の数は、日毎に減るどころかどう見ても増えているけど、文句を言うことはない。

 言っても無駄だし、ストライキなんかした日には死人が出るからだ。


「次、3行4列目。計算ミス。百十八じゃなくて百二十九です」

「となると……ここはすべて、やりなおしか」


 返る声が重い。
 目の前の男……先日耳にしたのが正しければ潮江文次郎と言う名のこの男。

 恐ろしいことだが──どうも、5連徹しているらしい。

 人間の限界って7連徹くらいだっけ?
 途中から幻覚とか見え始めると聞くけど、この人大丈夫なんだろうか。

 もう呂律も回っていないし、日に日に濃さを増す隈は、もはや生まれつきあるのではないかと思えるほど濃い。


「あの、潮江さん。そろそろ休憩しては? 流石に命の危険を感じます、主にあなたの」

「……つかえるものは、おにでも、もののけでもつかう……。ぎんっぎんに、よをあかすぞ……」


 だめだ。

 止めようとしてもこの様子。この男、過労死という概念がないのか。
 ただでさえ事件ばっかりのこのご時世だし、せめて健康には気を遣ったほうがいいと思う。もしやギネス徹夜記録でも狙ってるの?

 いったい何がこの人をここまで突き動かすんだろう。

 半分呆れながら、しかし透け透け()なこの身体では無理やり寝かせることもできず言葉で説得するほかない。


「もう仮眠しましょう潮江さん!……潮江さん?」


 黙り込み机に俯く頭に声をかけたが──返事がない、ただの屍のようだ。
 いや本当にぴくりとも動かない。息してる?と不安になり、黙り込んだ彼を覗き込もうとした、その時。

 筆を握ったまま、彼の体が机に向かってぐらりと揺れた。

 
 向かう先には、あの凶器に等しい鋼鉄の算盤の角。


「ちょっ、危ない!!」


 反射的に手を伸ばし、襟をぐいと引く。


「グエッ?!」


 カエルの潰れたような声が響いた。
 咄嗟に引っ張れたのが襟だったから……悪いことをした。


「よかった……って、あれ?掴めてる?」


 驚いて気が抜けてしまったのだろうか。

 次の瞬間。
 掴んでいたはずの指先を、何の手応えもなく布地が通り抜けた。

 ──あ、と思った時には、もう遅い。

 ガシャン!!!

 握りしめていたままの手から襟がすっぽ抜け、ハデな音を立てて男の顔面がそろばんに突っ込んだ。
 やばい。絶対無事じゃない。


「お、お許しください潮江さん!!わざとじゃないんです、いい加減帳簿終わりにしろよとかそんな気持ちで離したわけじゃ!」


 あわてて弁明するも、やはり返事はない。あの潰れたカエル声がこの男だとすれば生きてはいたはずだけど、もしかして今のがトドメになったかもしれない。
 おそるおそる口元に耳を近づければ、静かだが、しっかりと呼吸音が聞こえた。


「よかった、生きてる……!」


 夢の中であろうと加害者になるなんてごめんだ。いやそもそも、倒れそうになったのを支えたんだから加害者ではない……よね?え、これって過失扱いになる?

 念のため、算盤と顔の隙間を覗いてみた。

 鋼鉄の珠がいくつか彼の頬にのめり込んでいる気がするけど……至って普通の寝顔に見える。まあ、大丈夫そう。
 再確認できて安堵のため息が口から溢れる。
 揺り起こしはしない。

 眠れる獅子を起こすようなことはしないし、さすがに医者じゃない私でもストップをかけたくなる顔色。眠らせてあげるのが優しさじゃなかろうか。


 もう、おやすみ……。

 

 部屋に微かに響く寝息に耳を傾けていたら、なんだか夢の中だと言うのに私も眠くなってきて……。

 そのまま、闇に呑まれるように意識が落ちた。


◇◇◇◇



「……ぃ!おい、起きろ! 」


 爆音の怒声で叩き起こされる。
 目を開けると、そこには──


「ンフッ、し、潮江さんじゃないですか。おはようございます」


 ──頬に等間隔の赤い水玉模様……くっきりと算盤の跡を刻んだまま、仁王立ちする潮江文次郎がいた。

 若干顔色がマシになっているところを見るに(あと顔の模様具合から察するに)、しっかり仮眠は取れたらしい。


「……ほお。笑っている余裕があるなら、先ほどの説明をしてもらおうか」

「すみません、つい。……あの、先ほどって?」

「お前は確かに、この襟を引いた。直後、意識を失ってしまったのは不覚だが!! 幽霊のはずのお前は間違いなく掴んでいた……どういうことだ?」


 鋭い視線が刺さる。水玉模様のせいで威圧感は皆無だが、本人は至って真面目な顔つきだ。


「えー、どうやってと言われても……咄嗟に『止まれ』って念じたから?私も咄嗟にやったのでよくわかりませんよ」

「つまり気力と根性で物に干渉したということだな」

「人を脳筋みたいにいいますね」

「よし実験だ。ギンギンに念じてこれを動かしてみろ!」

「少しは耳を貸してくれません??」


 まるまる無視して彼が差し出したのは、あろうことかあの巨大な鋼鉄の算盤だった。


「……いや、まずは紙一枚からとか段階踏みましょう! ?いきなりそれは無理です、重すぎて指の関節が成仏します」

「そうか?別に成仏するのは問題ないが……まあ、そう言うならばそこの書き損じからやるぞ」


 ──そうして、彼の寄越すまま一枚の紙から超重い算盤まで、一通り側にあるものを動かそうと試みた結果。


「算盤は一瞬浮くが、それまでか。まだまだ根性が足りんな」


 結局算盤までやった。
 持った感触としては、ポルターガイスト的な、素手で掴んでるというよりロボットハンドとかUFOキャッチャーのアームを使ってるような掴み心地だ。普通に持つのとは違ってめっちゃ疲れた。

 ていうかこの算盤、計算機器とは思えないくらい重い。

 何?盗難防止とかなの?確かにひったくりがすっ転びそうな重さだけども、利便性が失われている気がする。


「この算盤重すぎるんですけど、なんなんですかこれ」

「鍛錬用も兼ねてるからな」

「いや鍛えようにも算盤を選ぶのが謎です」

「計算もできるし鍛錬もできる!一石二鳥だ」

「何もわかりません」


 何を言っているんだこの人。

 道具っていうのはより小さく軽量化するものじゃないのか。まるで反対を行っている。


 呆れる私をよそに、文次郎は「ふむ、根性による干渉時間は……」などと呟きながら、サラサラと筆を走らせ始めた。

 書き損じの裏に検証結果が記されていくのを、手持ち無沙汰に紐をいじりながら待つ。
 しばらくボーッとしていたら、急に紐の先がピンと張った。
 驚いて顔を上げれば、いつの間に書き終えたのか、潮江さんが紐の反対側を掴んでいる。

 彼がさらにグイと紐を手繰り寄せると、私の体は風船のようにあらぬ方向へ引き寄せられた。


「それにしても、まさかお前本体は無理だが、お前が持っている『物』を介せば干渉できるとは」

「わ、ちょっと、力入れすぎ……!」


 そんな強く引っ張られると思ってなかった私の体は、つられて大きく振り回される。


「うわっ──!」

「あ、おい!そっちは高灯台が」


 転びかけた勢いで私の体は高灯台の方へ傾き──しかし、何事もなく私の体はすり抜けた。

 そうだった、この夢じゃ幽霊状態なんだった。 

 ホッとしながら体制を直す。
 ふと、なんだか少し焦げ臭い気がして灯りの方を見れば、慌てるあまり放り投げてしまった紐が高灯台に引っ掛かっていた。

 ちょうど炎の部分に重なった紐の中腹から、細く煙が立っている。


「紐……」

「燃えてるな……んん?!ちょっと待てお前後ろ」


 と思ったら何故か私の尻にも火がついていた。


「は?!あっっっつ!!!!なんで、尻、尻に火がっ!?」

「貴様っ、何をしている! 帳簿に燃え移ったらどうする! ギンギンに消せ――っ!!」

「心配するのそっち?!みず、水!!!」


 文次郎は一瞬呆気に取られたが、すぐさま自分の羽織を脱ぎ、叫びながら転げ回る私の尻をバシバシと叩き始めた。

 しかし、先ほど高灯台をすり抜けたのと同様に、全く当たっている様子がない。


「手応えがない……そうか!」


 何か思いついた様子の文次郎がじりじりと燃えつつある紐を高灯台から引っ剥がし、地面に放り投げて踏みつける。

 同時に私の身体も磁力に惹きつけられたかのように地面に叩きつけられ、下半身には何か重いものが乗ったような違和感が襲いくる。


「重、痛っーーーー!!!!」

「やはりそうか」

「え?!なんで紐踏んでるだけなのに痛いの?!」

「どう言う原理か知らんが、今、お前はこの紐と感覚が繋がってるんじゃないか?燃え始めたのも紐に火がついてからだろう」

「な、なるほど?……って火消しはありがたいけどそろそろ踏みつけるのやめてくれるかな?!痛い!お尻が割れる!!」

「はじめから割れとるだろうが……ああほら、消えたぞ」


 足元から!若干黒く焦げかけた紐が出てくる。
 お尻の方も無事鎮火したらしい。うっすら煙を上げる尻を押さえ、私は肩で息を吐いた。

 泣きたい。

 何が楽しくて尻を炙られなきゃいけないんだ。最悪である。
 落ち込む私に潮江さんが気まずそうに口を開く。


「……まあ、気にするな。焚き火に当たる時とか、子供の頃はよくやることだ」

「15にもなってやることですか?!」

「エッそれは……まあ、あるかも?ていうかずっと気になっていたが、お前、なぜそう余所余所しい。さっきのが素だろう」

「え、いや、年上の人には敬意を払えって教えられてきたんで。……潮江さん、見た感じ20代後半、下手したら三十路手前じゃないですか。15歳ってのは、その、よく大人が言う永遠の16歳とかそういうのかなって」

「……お前、自認してる年齢は?」

「自認も公認も15歳ですけど」


 そういうと、潮江さんは下を向いて地の底に届きそうなため息を吐いて、低い声で唸った。
 え?何か悪いこと言った?


「……俺は、生まれてこの方15年だしそれ以上でも以下でもねえ。年齢が理由ならそんな敬語やめやがれ」

「え、ほんとのほんとに?」

「そんなくだらん嘘はつかん!!」

「じゃあ遠慮なく。……いやぁ、ほんと助かったよ、ありがとう文次郎」

「順応が早すぎるだろ」


 呆れたようにこちらをみる、まさかの本当に同い年らしい潮江……いや、文次郎。
 しかし直後に彼はピタリと動きを止め、眉間にこれでもかと深い皺を刻んだ。


「……待て。お前、今、俺を何と呼んだ」

「え? 文次郎だけど、違った?」

「なぜ俺の名を知っているッ?!教えた覚えはないぞ!」


 ……そう言えば、本人から直接は名乗りを聞いてなかったかもしれない。
 でも、なんで今更?
 耳に挟んでから──つまりこの3日間はずっと苗字で読んでいた。

 もしや、この男は徹夜通しの朦朧とした頭で、今の今までスルーしていたっていうの?
 突然現れた私(幽霊)を作業要員に使ってたもんね……おつかれさまでした。

 やっと正気に帰ったようで、算盤を片手にまるで密偵でも追い詰めるような鋭い眼光で私を睨んでくる。


「貴様……さてはどこぞの城の忍びか? 俺が寝ている間に懐を弄ったのか、それとも──」

「いやいや、被害妄想が激しいって。いつも帳簿やってる部屋、あそこの前であなたのことを話してるのが聞こえちゃったんだよ」

「なん、だと?」

「ええと、『熱でもあるのか最近一人で帳簿に向き合ってる鬼の会計委員長、六年い組の潮江文次郎先輩』って。あと解読してた書き損じの中に名前が……関係なさそうだったので言いませんでしたけど」

「……ほぉ」


 潮江さんの眉間に、みるみるうちに般若のごとく皺が刻み込まれる。


「誰だ……?誰がそんなことを抜かしていた?」

「え、えっと。確か、団蔵くんですね」

「団蔵ォォオオ!!手習だけじゃなく情報の扱いもギンギンに叩き込んでやるッ……!!!」


 夜の会計委員会室に、怒りの咆哮が響き渡る。

 ──ごめん団蔵くん、この男を止めることはできません。
 いま、君の課題が増えています。

 君の文字と情報危機管理を徹底的に叩き直す計画をこの男は練っています。

 すごい剣幕で、止めてあげたいけど……。

 でも、今はもう少しだけ知らないふりをします。
 彼の課す課題できっと私の仕事が減るから。


「良心は痛むけど生贄になってほしい」

「なんだ突然悍ましいことを」

「団蔵くんに優しくして怖がらせなければ大丈夫だよ」

「ああ?よくわからんが……物を動かせると分かったからには明日からはさらに効率的に解読できるな。ここに現れるからには、しっかり働いてもらうぞ」
「はぁ?!来たくて来てるんじゃないのに?!ていうかそもそもこの量を毎日やるのがおかしいんだよ。この鬼、ブラック、文次郎!!」

「なんだとォ……?!」


 結局、文次郎と私の生産性のない言い争いは朝まで続いた。
 勿論帳簿はほとんど進まなかったので、翌晩は遅れを取り戻すため、私も覚えたてのポルターガイストで算盤を弾くほかなかった。

 切実に人員が欲しい。



◇◇◇◇



「……なんか、痛い」


 夢で言い争った翌朝。

 目が覚めた瞬間、お尻に、熱感と微かにヒリヒリとした痛みが走る。
 震える手でお尻を確認した。

 そこには、夢の中で火に触れた部分と同じ場所に──何かで炙ったかのような焦げが刻まれていた。


「……うそ、本当に焦げてる?!」


 夢の中だから無敵。そんな甘い考えは、一瞬で吹き飛んだ。

 この夢、ただの夢じゃない。

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