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短編

「よ、邪魔してるぜ」
 邪魔してる自覚があるなら帰れ。司書室のフローリングの床に寝転がって、まあよくも身体が痛くならないよなと思う。いやそもそもなんで司書室の床に寝転がって原稿用紙を巻き散らかしているんだこいつは。一応、床に巻き散らかされた原稿用紙を踏まないように、一枚一枚拾い集める。
 司書室に寝転がって原稿用紙を巻き散らかしているこの男は不法侵入者でもなんでもなくて、名を直木三十五と言う。かの有名な直木賞の名前の元となった作家、直木三十五が文学を守るために転生してきた姿。
 旧知の仲である菊池先生や吉川先生から事前に聞いた印象から、まあハチャメチャな人なんだろうと検討はついていたけれど、ちょっと、いやかなり想定を超えていた。超えないでほしい。
 ハチャメチャな文豪は図書館にごまんといる。例えば、無頼派とか。でも無頼派の三人は仕事を頼むとき以外にあまり親交がないので、正直なところ特筆するような実害は無かった(あくまで私には、だが)。それがどうだ、直木三十五は何故だか一度助手を頼んださいに訪れた司書室をいたく気に入ってしまい、それ以来頻繁に原稿用紙を持って、助手でもないくせして司書室へ襲来するようになっていた。
「……自分の部屋で書けばいいのに」
「なーんかあの部屋だとイマイチ集中できねえんだよな、ココが一番筆が乗る」
 ぽつりと呟いた言葉は聞こえていたようで、相手に拾われる。聞き流してくれればいいのに。
 直木三十五があんまりにも助手でもないのに司書室を訪れるものだから、菊池先生は注意をしてくれたらしいけれど、そんなものはどこ吹く風である。最近菊池先生から同情の目線を向けられている気がするけれど、被害で言うなら勝手に財布を軽くされている菊池先生のほうが酷いだろう。
 まあ一応、空気が読めないようで読めるので、私が仕事をしているときにちょっかいをかけてきたりなんてことはない。そこは不本意ながらありがたいなとは思っている。
 纏めた原稿用紙の束を机に置く。ページ番号を揃えるなんてご丁寧なことはしてやらない。自分で書いたんだから自分で揃えればいいんだ。私が揃えてやる義理はない。ただそれだけで、全く勝ってないというか、そもそも勝負でもなんでもないのに勝った気持ちになるから、私って案外負けず嫌いだったりするのだろうか。
 本を談話室で読んでいると色々面倒だから、司書室で読むことにしている。私が読んでいる本で議論になるのは結構なのだけれど、そこから議論が白熱して、どうしてだか殴り合いの大喧嘩に発展することもあるのが問題だ。司書室の常連となっている直木三十五も、私が読んでいる本が気になるのか、読み始めた時はちらりとこちらを見るがそれだけで、その本について何か言ったりとか、私が何を読んでいたか言いふらしたりはしない。
 だから今日も司書室で本を読もうと思っていた。確か読みかけの文庫本が置いてあったはず、と机の上を探していると突然頭に何か乗る感覚がして顔を上げた。直木三十五。直木三十五がそこにはいた。
「あ、あの、何、」
「ん?いや何って、完成したからやろうと思って」
「え?」
「読んでる本の傾向からして歴史小説ってヤツに抵抗はなさそうだと思ってな。結構自信作なんだぜ、コレ」
 そう言って机にどさりと置かれた紙の束を私は呆然と眺めていた。もしや、と思いページ番号を確認する。きちんと揃っている、ということはわざわざこいつが揃えたということで。原稿用紙を纏めた時は勝ち誇ったような気持ちでいたのに、その時の自分がどうしようもなく矮小な心を持った人間であると言われているようで恥ずかしくなった。
「でも私、例えば吉川先生みたく、何かこう……ちゃんとした意見とか議論とか、そういうものできませんけど……」
「はあ?」
 反応から察するに、そういうことではないらしい。司書だからそういうものを、作品についての講評とかを期待されているのかと思ったけれど、どうやら違うようだった。
「作家仲間となりゃ話は別だがな、オレが読者に求めてんのは「面白かった」「つまらなかった」のどっちかだけだっつーの。大衆文学ってのは、いや大衆文学に限らねえな、小説ってのはうだうだ考えずに楽しむモンだろ」
「はあ」
「なんだよ反応薄いなー、まあ要するに娯楽の一種だ。嫌なことも全部吹き飛ばす娯楽」
「そういうものですか」
「ま、書いてる作家側の意図は別の所にあるかもしれねえけどな。読者の手に渡った時点でもうその話は『読者のもの』になんだよ。つまりそれはもうお前のモンだ」
 そう言われて机の上に置かれた原稿用紙に再び目を向ける。この紙の束は先生直々に渡してきたからそりゃあ私という読者の物であるのは紛れもない事実だが、そういうことではない。私がこの話を読んでどう解釈するかは自由だと言いたいらしい。
「……気が向いたら、読みます」
「おいおいなんだそりゃ、さっき自信作って言ったろ?読みながらでも逐一感想を聞きたいところなんだぜ!?」
 素直にお礼を言うのがなんだか癪で、そっけない事を言えばとんでもない返事がきた。流石に読みながら感想を聞かれるのは内容が右から左へ流れていきそうなので遠慮したい。観念してきちんと読むし感想も伝えるので司書室から出ていってほしいと伝えると不思議そうな顔をされたが、作者本人がそこにいられてしまうとなんとなく読みにくいからだと言えば納得したように司書室から出ていった。
 
 ……静まり返った司書室を、なんとなく寂しいだなんて思ったことは何かの間違いだということにしておこう。約束してしまったものは仕方ないし、この紙の束に綴られた物語が気にならないと言えばもちろん嘘なので、あの文庫本の読了はしばらく先になりそうだなあ、なんて思いながら私は紙の束に手を伸ばした。
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